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Flame Dance

 燃え盛る炎は、ルカライネの本質を体現しているかのようだった。


 普段は冷酷な感情の下に埋められて姿は見えないが、一度外側に溢れ出せばあらゆるものを焼き焦がす、紅蓮の劫火。


 きっと触れれば火傷では済まないだろう。ともすれば一瞬で接触部分が燃焼し、炭化してしまうやもしれない。


 それが冗談の範疇で済まないことは、彼女の周囲で渦巻く火炎の勢いが証明している。


 まるで彼女に近寄る不埒者を余さず焼き尽くすという、そんな執念すら思わせた。


 だが、同時に。


 纏う火炎は、ルカライネの美貌をありありと照らす。金色の長髪はさらに輝きを増し、深紅の瞳はより鮮やかに。装備した銀の甲冑は煌びやかに輝いて、着込んだ赤を基調としたドレスは緋色の中でもその色を埋もれさせず、むしろより鮮明に目立たせている。そして何より目を引くのは、彼女の右手首に装着された赫々と輝く腕輪。彼女の火炎の出所たるは、あれと見て間違いない。けれどやはりその輝きも、ルカライネの華麗さを彩る装飾の一つとなっている。


 果てしなく、美しかった。


 周囲で見守る兵士たちも、予期せぬ参戦者に呆然としていたハウルも、いつでも戦えるよう臨戦態勢を取っていたシグマさえも。


 誰もが皆、炎の中で厳格に佇むルカライネの姿に見惚れてしまった。


「どうしたというの、先ほどまでの威勢は? まさかこの期に及んで怖気づいたとでも言うのかしら?」


 自身に向けられている数々の視線に気づいていないのか、ルカライネは取り乱すことなく真剣に挑発してくる。


 怖気づいているか、と問われたが、それをシグマは肯定せざるをえなかった。


 ルカライネはこの国における『最強』だという。昨日、レオンからそう聞いた時は完全には信じられなかったが、今のこの場に立ってそれは紛うことなき真実だと思い知らされる。


 彼女は強い。まだ一度たりとも刃は交えていなくともわかる。彼女の立ち振る舞いや歩方などの所作、そして何よりその身から発せられる凄まじい重圧が、その事実を疑いようもないものにしていた。


 ―――こ/レは、/初テ/を/トら/せタ/ら/マ/ズい。


 激痛に支配された思考の中、シグマは千切れそうな意識を何とか繋げてその結論を出す。


 幸いにも彼女は、シグマに切先を突きつけたまま、一歩も動こうとはしない。どうやら初手は譲る気のようでいるらしい。


 その意思を汲み取り、シグマは背中から生えた六本の触腕とは別に、さらに腕から四本もの触腕を伸ばし生やす。これで彼が操れる触腕の本数は計十本。この全てを一度に叩きつけようものなら、きっと反応することは叶わないだろう。


 ……一瞬だけ、一つの疑問が脳裏を過ぎった。


 果たしてその前提が、眼前の姫騎士に対して適応されるだろうか、と。


「ハああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」


 生まれそうになる不安の芽を押し潰すかのように、シグマは咆哮と共に触腕を振り回した。


 三十メートルほどの長さまで伸長したそれらは、ルカライネを挟みこむかのように左右から襲いかかる。


 音速の速さで迫る触腕は、さながら鞭のように。未だ回避の挙動すらも見せないルカライネに向かって殺到する。


 ここから避けようとしても間に合わない。せめて防御の姿勢を取るのが賢明だと思われた。


 ―――だというのに、在り得ぬものを見た。


 後方へ飛び退くことをせず、あろうことか果敢にも前へ一歩を踏み出す彼女の姿を。


 迫る窮地に混乱して、気でも狂ったか? ……いいや、そうではない。


 彼女はただ迎撃のために動いたのだ。


 その一歩も、シグマへ近づこうとするためのものではなく、剣技における踏み込みという動作のため。地を踏み砕く勢いは、剣を持つ手に更なる力を加算して。



 刹那、弧を描くようにして振るわれた神速の一閃が、迫り来る触腕全てを断ち斬った。



「な……ッ⁉」


 起こった結果を目の当たりにして、シグマは声を失った。


 彼女を囲うようにして薙いだ触腕が、一本も彼女に触れることなく無力化された。切断され、シグマの制御から離れた千切れた触腕の残骸たちは、地面でのたうつように跳ねた後、やがて沈黙する。おそらく彼女の纏う炎によるものだろう、その断面図は黒く焦げて白煙を上げていた。


 だが、触腕を切断足らしめたのは、紛うことなくルカライネの神速の一閃によるもの。その速度ゆえに、誰もがその軌跡を捉えることはできなかった。


「どうした……」


 剣を振り抜いた格好のまま、ルカライネが静かに声を漏らす。それは、わずかに震えていた。


 まるで、怒りに塗れた怨嗟のように。


「―――その程度かッ‼」


 直後、爆発するような怒声と共に、ルカライネは前へ跳び出した。


 彼女はその身から溢れ出る火炎を一気に放出することにより、疑似ブースターでの加速を実現している。


 残火の軌跡を残しながら、瞬く間にルカライネは彼の下へ踏み込んだ。


 その所要時間、一秒足らず。


 シグマは眼前に踏み込まれるその寸前まで、彼女が接近してきたということに気づけなかった。


 眼球だけを動かして下方を見れば、すでにルカライネは居合の構えを取っている―――!


『呆けている場合か、愚鈍‼』


 すると突然、彼の身体が勢いよく後方へと引っ張られる。


 ―――首元を掠める、灼熱の切先。危うく首が取れかけたその感覚に、シグマの全身が総毛立つ。思わず悲鳴を上げそうになった。


 しかしその前に、無理に引っ張られたことで体勢が維持できず、シグマは無様に地面を転がった。


「し、シグマっ⁉ く……っ!」


 シグマが圧されたことにより、ようやく忘我から立ち直ったハウルは、焦燥に駆られるまま『摂理を統べる魔導の書』を起動する。


 どの魔術を使うか吟味している暇は無い。一刻も速く彼とルカライネの距離を離さなければ、あの姫騎士は瞬く間に屠りにかかると、彼女の本能が告げている。


 幸いにも、開いていたページには攻撃魔術の術式を記載されていた。それに魔力を通すことにより、術式を構成する文字列が白く発光する。


「『闇夜を穿つ(オダーフ)眩き閃光(・スピーシカ)』っ‼」


 ハウルの背後に無数に展開される光球の群集。それが矢継ぎ早に放たれた。


 光球を蓄える時間が些か足りなかったせいで、今回の規模は先刻に比べて小さいものとなっている。それでも術式を発動して放出するまでの間で出来たその数は五十超。弾幕を敷くには十分すぎる量だった。


 だというのに。


「――――ッ!」


 避けられた。


 あれだけの数を敷いた弾幕の中、ルカライネは噴炎の加速を用いて光弾の隙間を縫うように回避、あるいは避けきれなかったものを剣で弾き落としていく。火炎と共に地を滑るその様は激しく苛烈でありながら、同時に舞踏のように美しくもあった。


「っ⁉ なら、もっと―――!」


 ただの一度も着弾しなかったことに驚愕するハウル。しかしすぐさま意識を切り替え、再度次弾を展開する。


 次は外さない。次弾は命中精度に長けた一撃を見舞おうと、ハウルは縦横無尽に動き回るルカライネの機動性を捉えるため目を凝らす。


 その時だった。


「その一芸が通じないと知って尚、それでも無意味に続ける気かしら?」


 ルカライネの緋色の双眸と、視線が合った。


 ただそれだけで、彼女の戦意に中てられて喉が干上がる。


 それはまるで太陽を直視しているかのように。


 このまま、このまま、このまま。燃え上がる彼女を見続けていれば、捉える前に殺されてしまうという、そんな予感が生まれた。


「っ、『闇夜を穿つ(オダーフ)眩き閃光(・スピーシカ)』‼」


 恐怖を拒絶する条件反射によって、照準を定めるまで待機していた光球たちが一気に放出される。


 空を駆け、一直線に殺到する光の驟雨。その射線上には、ルカライネがたしかに存在する。


 だが、彼女はため息を吐いただけ。もはや避けようとする素振りすら見せなかった。


「奥の手はおろか、二芸すらも持ち得ない。とんだ三流の道化ね、貴様は」


 あからさまな侮蔑を突きつけた、その直後。


 彼女の周囲で燃え盛っていた火炎が膨れ上がり、その中から無数の火弾を吐き出した。


 それは矢のように鋭く尖っており、次々とハウルの『闇夜を穿つ眩き閃光』を撃ち落としていく―――だけに止まらず、光球を貫通してさらにその後方へと流れていく。


 その火弾が迎撃の為だけでなく、攻撃でもあったのだと理解した時には、防御術式を組み立てる暇さえなかった。


「あ……っ⁉」


 我に返っても、もはやどうすることもできない。


 そして火弾はハウルの全身を撃ち抜こうと迫り来て、


「―――やらせるかあああああああアアアアアアアアアアア‼」


 一つ残らず、シグマの触腕に阻まれる。


 彼は生やしていた六本の触腕をハウルの前方で、両手の指を組み合わせるかのように絡め合わせて即席の防壁を造り上げた。いかに貫通力を増した弾丸とあっても、大綱の如き太さを誇る触腕までは射抜けず、消失する。


「シグマ⁉ あ、ありがとう。大丈夫なの?」


「ああ、シャルベリアのおかげだ」


「……しゃるべりあ?」


 首元を擦りながら、シグマは苦い表情で答える。その名前に聞き覚えの無いハウルは、思わず首を傾げていた。


 先ほどシグマの首が危うく切断されかけた時、突然彼の身体が後方に引っ張られたことで事なきを得たが、あれは正真正銘シャルベリアの仕業によるもの。


 彼女は一部の触腕の制御を乗っ取って、シグマの後方に突き立てた。そして、その部分を起点に、魚を釣り上げるかの如くシグマを引っ張ったのだ。


『なに、礼には及ばんぞ。我は下僕として当然の働きをしただけだ』


 シャルベリアの声が脳裏に響く。


 彼女が自分のことを〝下僕〟と呼んでいることに若干の違和感はあったが、その追求は後に回すことにした。


 今、そんなことをしている余裕は無い。


 前方には、火炎を携えこちらを睨み見るルカライネの姿。あれだけの動きを見せたにも拘らず、その挙動は微塵の揺らぎなく、息すらも乱していない。


「……気を付けて。あの人の使う魔術、たぶんあれは『万化現象(ばんかげんしょう)』の領域に達してる」


「『万化現象』?」


 聞き慣れないハウルの言葉に、思わすシグマは訊き返した。


「魔術にはその特性や規模から分けられる、それぞれの階級があるんだ。その中でも最上位となる階級が『万化現象』って呼ばれてる」


「それは凄いことなのか?」


「うん。だって普通なら、同じ性質の魔術でも、形や規模が違うだけで細かな術式が変わってくる。でも『万化現象』の領域に達した魔術は違う。その階級の魔術は、たった一つの性質を、自由自在に操ることができるんだ」


 例えばハウルの扱う『闇夜を穿つ(オダーフ・)眩き閃光(スピーシカ)』。これは『光エネルギー』という性質を『砲弾』や『槍』などの形に整えて行う攻撃魔術だが、それぞれの形に整えるにはまた別の術式が必要となってくる。ハウルはこれを『詠唱破棄』によって簡略化しているが、それでも基となる術式はそれぞれ『摂理を統べる(ボルシェグネ)魔導の書(・クニーガ)』に記載されている。


 だが『万化現象』の領域に達すれば、形を整える術式を用意する必要がなくなるのだ。


 例えばルカライネの火炎の魔術。先ほどハウルの魔術を迎撃したときのように、彼女はその炎を思うがままにすることができる。規模も、形も、一切の術式を必要としないで。


 ましてや燃え盛る炎など明確な形を持たないがゆえに、彼女が想像する通りの姿を形作ることが容易となる。


 あらゆる可能性を秘めた『万化現象』の焔―――それこそが、ルカライネの持つ唯一にして他の追随を許さぬ魔術である。


「そんなの、デタラメにも程がある……!」


 ルカライネの冠する最強の称号は、どうやら見掛け倒しではないらしい。


 そんな怪物をどう攻略するべきか沸騰する頭で考えながら、もう一度前を見る。


 ―――それを見て、戦慄が全身を駆け抜けた。


「―――危ないッ‼」


「きゃあっ⁉」


 瞬間、シグマは弾けるようにしてハウルを横に突き飛ばす。さらに自分も反作用の力を利用して逆方向に飛び退いた。


 ―――すると分け隔たれた二人の間を、赫々とした紅炎が走り、焼き尽くす。


 眼前の光景―――シグマの背丈を超える高さまで昇る炎の壁にゾッとする。あと一秒でも行動が遅れていれば、きっと二人ともあの炎に呑まれていたに違いない。


 回避の寸前、シグマは確かに目撃していた。


 圧縮したような炎を纏う剣を高々と掲げ、今まさに振り下ろさんとしていたルカライネの姿を。


 その構えから放たれたのは、たった一振り。それだけで悪魔のような赤い舌は大地を焼き焦がしながら切断した。


「よくもまあ、私を前にして意識を逸らせるわね」


 再びルカライネに意識を戻してみれば、彼女は剣を振り下ろした格好のまま、心底くだらないといった目でシグマを見ていた。


「片や魔族を束ねる国の王女、片やこれまで鳴りを潜めていた儀式剣を担う継承者。それぞれどれほどの者か期待していたのだけれど……」


 彼女の周囲で燃え盛る炎が、より一段とその勢いを加速させる。


 まるで、彼女の怒りを体現しているかのように。


「過大評価ここに極まれり、ね。そんなことも見抜けない自分の不甲斐なさが頭に来るわ!」


 膨れ上がる火炎と殺気。それを肌身で感じ取ったシグマは、ほぼ反射的に前へ跳び出した。戦いに行くのではなく、守るため。このまま彼女の思うようにさせれば、先にハウルの方が狩られてしまうと判断したためだ。


 同時に、ルカライネも噴炎の勢いで加速し突撃する。


 互いの獲物が届く距離まで、両者はその速度を緩めることなく。


 そして。


 ―――衝突。慣性の力が加わったそれぞれの一撃は、大気を重く鳴動させた。


 鍔迫り合いは一瞬。すぐさま炎剣の剣戟と触腕の乱撃が荒れ狂う。


 目にも止まらぬ高速の打合いは、誰にも介入させる隙を与えず、ただただ二人だけの戦闘を造り上げていく。


 十秒もせぬうちに、打合いの数は百を超えた。それでもなお、両者の勢いは一向に衰えない。


 しかし舌を巻くべきは、その衝突の苛烈さではなく、ルカライネの戦闘能力だろう。


 シグマはいくつもの触腕を振り回し、あらゆる角度、様々な速度、多種多様の工夫を織り交ぜて攻撃しているのに対して、彼女はたった一振りの剣で嵐のような猛攻を捌き防いでいく。


 それどころか、彼女は徐々に前へと進んでいた。その切先が今度こそ確実にシグマの首を狙える、その位置に到達できるように。


 つまり、この打合いは拮抗しているように見えて、実はルカライネの方に天秤がやや傾いている。


 このまま続けていれば、先に朽ちるのはシグマと見て間違いなかった。


「ぐ、うぅ……っ‼」


 立ち行かない事態に、シグマから苦悶の声が漏れる。


 ジリ貧だと頭ではわかっていながら、それでも連撃の手を緩めることは許されない。一瞬でも力を抜けば最後、瞬く間にルカライネは狩りに来る。


 待つも進むも至るは地獄。


 ならばこそ、せめて僅かでも延命が期待できる選択肢を選ぶしかなかった。


「くっ、あああああああああああああああああああああああ‼」


 雄叫び一声と共に、シグマの胸部から生まれる新たな触腕の束。まるで肋骨を思わせるように緩く丸まり折り重なっていたそれらは、突如、全体を弾けるように跳ね伸ばした。


「っ⁉」


 これまで触腕の猛攻を捌くことに徹していたルカライネも、この一撃には虚を突かれた。捌くことも避けることも間に合わず、やむなく剣で受け止めながら後方へ大きく飛ばされる。


 再び開く両者の距離。だけどシグマは素直に喜ぶことはできなかった。


 この戦いにおいて、シグマの攻撃範囲は近距離、良くても中距離までとなる。一方で、ルカライネは近距離、中距離、遠距離の全てに対応できる万能型(オールラウンダー)。そのため距離が開くということは、彼にとって格別不利なこと。


 案の定、ルカライネは華麗に両の足で着地すると、身に纏う炎をさらに膨れ上がらせる。それは先ほども目撃した攻撃の事前現象(モーション)、あらゆるものを射抜き焼く火矢の弾幕。


 それが、今まさに放たれようとした、その寸前で。


「―――『個なるものは(シビラート)集いて群れよ(・アビジニート)』‼」


 戦場に響くハウルの声。


 そして、ルカライネは頭上で起こった現象を目の当たりにして目を剥くこととなる。


 彼女の頭上で浮遊しているのは、なんと大量の水塊だった。その全体像をスライムのように蠢かせるそれは、確実に自然に生まれたものではない。


 正真正銘、ハウルが魔術によって生み出したものだった。


 では、数ある魔術の中でも、彼女はなぜそれを選択したのか。


 それはルカライネの使う魔術の相性を考えれば一目瞭然。


 火は、水によって消火される。


「私の魔術は、三流なんかじゃない!」


 叩きつけるようなハウルの一声が引き金となり、宙に漂っていた水塊が突如自由落下を行い、ルカライネの上から降り注ぐ。


 いくら基が水といえど、大量に集まればそれは膨大な質量を持つ。それが一度に真上から落ちて来れば首の骨が折れかねないほどの衝撃に見舞われるのだ。


 そう考えれば、降り注ぐ水塊をまともに浴びればルカライネは無事では済まない。かといって、回避するだけの時間もない。


 もし仮に無事だったとしても、彼女を脅威足らしめる炎の装束は根こそぎ剥がされることとなり、どちらにせよ彼女の戦力低下は免れない。


 そう確信していたからこそ、ハウルはこの戦いに終わりの気配を感じていた。


 それが、数秒後には覆されると知りもしないで。


「っ……!」


 着水の衝撃によって白煙が巻き上がり、戦場を覆い尽くす。吹き荒れる煙の勢いに目を眇めながら、シグマはある一つの違和感を抱いた。


 ―――なぜ、白煙?


 この戦場は乾いた砂地。この場では砂塵こそ上がるだろうが、白煙などできる要素はどこにも見当たらない。


 するとシグマは自身の身体がうっすらと湿っていることに気がついた。それはもはや汗によるものではない。激痛を浴び続けて鈍くなった感覚でもわかるほどには影響をもたらしている。


「まさか……⁉」


 原因がなんであるかは、明確だった。


 なぜならそれは、すでに辺りの景色を閉ざすほどに蔓延している。


()()()か!」


 直後。


 どこからか発生した熱風が漂う霧を跡形もなく吹き飛ばす。その風圧にシグマは正面を直視できず、またも目を眇めてしまう。


「そんな、なんで……⁉」


 背後で戦慄くハウルの気配。もうすぐ戦いが終わると確信していたのだから、当然だ。


 彼女の視線の先には―――変わらず炎を纏うルカライネの姿があった。


「この程度の水滴で、私の紅蓮を消せるとでも思ったか」


 あれだけの水量をまともに浴びたにも拘らず、彼女はその身を一切たりとも濡らしていない。


 理由は明白。あの膨大な水塊はルカライネの炎を消火しようと触れた途端、逆に蒸発して水蒸気へと形態を変化させてしまった。戦場を覆い尽くした水蒸気の正体は、ハウルが生み出した水塊の生れの果てだったのだ。


「私の炎を消したいのなら、大海ほどの水量を持ってきなさい」


 それが大口を叩いていると、今の光景を見た後ではとても言えなかった。


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