紅蓮の姫騎士
私が鎧を着ている描写を忘れていたせいで、急遽魔法少女の変身のような装着を余儀なくされたルカライネさん。
これからはこのやり方をデフォルトにしたいと思います←
そして。
本拠点にて戦場の様子を眺めていたルカライネは、静かにため息を吐いた。
「……ダメね」
ため息と共に漏れた呟きに、レオンも肩をすくめて同意する。
「ええ、兵士たちは皆、恐慌状態に陥っています。今でこそ戦力比は我が軍が圧倒していますが……あの調子ですと、回天は難しいでしょうね」
「あら、いつになく弱気じゃない。そもそも兵士たちが動揺しているのは、貴方の指導が手温いからじゃないかしら?」
「勘弁してくださいよ、これでも手厳しくやっています。ただ『災害』と剣を交えるという想定を今までしてこなかっただけです。というか、普通そんなこと考えないでしょう」
「……そうね。さすがアレは、私も度肝を抜かれたわ」
ルカライネは目を眇め、少し先の土砂の山脈を見やる。すでにその高さは、防壁の上に設置した拠点の位置を超えており、向かい側の景色は全く見えなくなっている。
「歴史上、一度として王位継承者を輩出しなかったアスマジアーニャンが、まさかここまでの儀式剣を保有したとはね。シグマに先手を取らせたのは不味かったわ」
「おまけにハウルさんも中々どうして。所々荒い箇所は見受けられますが、それでも様々な魔術を駆使して活躍している。どうやら玉座に飾られる人形でもないようだ」
「……これは思いの外、手強そうね」
「おや、もしや姫君も臆されましたか?」
「戯け。そんなはずないでしょう」
そう言いのけて、ルカライネはゆっくりと玉座から腰を上げる。
瞬間、拠点内の空気が一気に張り詰めた。
「征かれますか?」
「ええ、埒を抉じ開けてくるわ」
一国の長たる彼女が出撃する。それは、本来であれば臣下が卒倒しかねないほどの異常事態だろう。
だが、拠点内のレオン並びに軍師や近衛兵、さらには御傍付きのメイドまでもが平然とした態度を保っている。
まるで、そうなるのが当然だと言わんばかりに。
「――『装着』」
ルカライネがそう小さく唱えた途端―――彼女の全身に、光が集い纏い始めた。
それは彼女が来ている鮮赤のドレスを輝かしく真白に染め上げたと思えば、突如弾けるようにして霧散する。
閃光が飛び散った後、彼女の身体には磨き上げられた鋼鉄の甲冑が装着されていた。
甲冑と言っても、兵士たちが装備している全身を隈なく覆うものとは些か違い、ルカライネのものは急所となる胸部や腰回り、そして戦闘を行う際にどうしても露出してしまう両手両脚だけを覆うものとなっている。
あらゆる豪傑どもが鍔迫り合いを行う戦場へ、そのような生半可な装備で飛び込むことは無謀としか考えられないだろう。
しかし、ルカライネは兵士である以前に王女でなければならない。
彼女の役割は兵士たちを何時如何なる時も導くこと。そのためには多少装備を減らしてでも差別化を図り、兵士たちの進む道を照らし続ける星になる必要がある。
「剣をここへ」
ルカライネは戦場を見据えたまま言い放つ。すると傍にいたメイドの一人が離れていき、拠点の隅に置かれた赤を基調とした配色のチェストの下へ向かうと、その閉じられた蓋を厳かに持ち上げた。
その中に入っていたのは―――仄かな柔緑の光を刃に纏う、一振りの剣だった。
まるでオパールの原石を磨き続けて形を整えたとしても過言ではない美しさ。メイドはその剣を、純白の布巾で覆った両手で救い上げるようにして持ち上げる。そして努めて丁寧な所作でルカライネの下へ運ぶと、跪くようにしてその剣を差し出した。
彼女はそれを一瞥すると、その柄に手をかけて握り締める。ゆっくりと、感触を感じ取るように。
「……問題なさそうね」
小さくそう呟くと、ルカライネは視線をレオンの方へと向けた。
「レオン、拠点の守護は貴方に任せるわ。鼠一匹でも、通り入れることは罷りならないと思いなさい」
「御意」
二人には、その短いやり取りだけで十分だった。
そして、再び彼女は戦場へ目を向ける。そこでは今なお、シグマとハウルによる一方的な蹂躙が行われていた。
「あれだけの戦力差にも拘らず、よくぞ逃げることなく立ち向かった。その度胸、見事という他にない」
初めに、彼女は戦場の二人を肯定的に評価した。
だけどそれも一瞬。突如として、彼女の持つ剣の柄が、籠められた度し難い握力によって軋みの音を上げる。
「弱者を圧倒する愉悦。それは束の間の夢だと心得なさい」
そして彼女は戦場から背を向け、そのまま戦場とは真反対の方へ進んで行く。
断じて逃走ではない。ただ、歩廊から地上へ降りるための階段がそちらにあるだけだ。
その勇み足には微塵の迷いもない、堂々としたものだった。
「この国の本当の力を、思い知らせてやるわ」
置き残すかのように告げたその言葉には、並々ならぬ気迫が籠められていた。
◇◇◆◇◇
そして。
その時が来たことを、シグマは直感で感知した。
「……ハウル、下がって」
「え?」
初めは戸惑いの声を上げるハウル。しかし直後に、場の異変に気がついた。
対峙していた兵士たちが、じりじりと後退していく。
まるで引き潮のように、彼らはシグマたちの方を向きながら、ゆっくりと後ずさるようにして。
やがてできる、巨大な空白地。その光景にシグマは見覚えがあった。
それは昨日の訓練時のこと。シグマと兵士の直接対決の際に、彼らは周りを囲うようにして簡易的な闘技場を造り上げていた。
あの時の状態と今の事態は、規模こそ変われど本質的には変わりない。
この巨大な空白地は、これからシグマらが決闘を行う闘技場なのだ。
ならば、彼らと刃を交える者は誰か。
あの凄惨かつ一方的な暴虐ぶりを見せられて、なお歯向かうことができる強者が何処にいるのだろうか。
「―――魔術兵装、『火炎を纏う緋色の腕輪』」
突如、凛とした声が彼方から聞こえた。
するとシグマの前方、やはり後退して密集していた兵士たちの中にどよめきが起こる。
やがて彼らは道を譲るようにして両側へと移動した。
モーゼの十戒の如く、軍勢の大海を割ってできた一本の道。もとは荒野であったため、その道は酷く寂れていて枯れているかのようだ。
だが、そのみすぼらしいだけの一本道を彩るかのように、灼熱の朱色が地面を焦がしながら前へと伸びる。
まるで小規模のプロミネンスを連想させる火の渦の中、悠然とした足取りで彼女はやってくる。
―――その身に纏う、焔と共に。
「弱者を甚振り、踏みにじっていく。さぞかし良い夢心地だったでしょう。けれど、それもここまでよ」
その吐息は空気を焦がし、その歩みは地を焦がす。立ち昇る熱風に巻き上げられる金色の長髪は、陽炎のように揺らめいて、深紅の瞳は周囲の火炎に照らされて鮮やかさを増している。
今や彼女は全身を火炎で包み込み、自身を炎と化していた。
その燃え盛る彼女の熱気を肌で感じ取り、思わずシグマも生唾を呑み込む。
わかっていた。この演習が始まるときから彼女と戦うことはわかっていて、だから相応の覚悟を固めていたはずだった。
だけど実際に対峙してみれば、我が身が怯え竦んでいる。
激痛でノイズまみれの視界であっても、脳は彼女こそが本当の脅威だと認識したか、その姿だけは鮮明に映している。
こちらには微塵も臆した様子を見せず、手にした剣の切先を突きつける彼女の姿を。
嗚呼、なんて威圧。なんて灼熱。なんて綺麗で、恐ろしい。
これが、これが―――
「リューズビーリア第一王女、ルカライネ・エグニカルス・ファルサーニャ。
これより、この演習に参戦する」
其は火炎を司る紅蓮の姫騎士。生まれた代より焔に愛され祝福されたその血脈は、その身に火炎を纏わせあらゆるものを灼き払う。
―――その在り方、まさしく豪火絢爛。
次、ちょっと短くなるかもです