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演習前夜

 夜空を仰いで帰路を辿る。


 雲の合間から覗く星の光を見つめて、シグマはまた一つ、ため息を吐く。


 もう周囲に住宅などの建造物はない。レオンの家を出発してから三十分、シグマは城の庭園まで戻ってきていた。


 陽が落ち人工灯以外の灯りが排斥されたこの場では、少し視線をずらしただけで闇の世界が広がっている。きっと薄暗く照らされた帰路の小道を外れてしまえば、朝まで庭園内を彷徨うことになるだろう。


 それだけは御免被りたかったので、シグマは脇目も振らずに照らされた道だけを歩く。


 けれど、同じく照らされた彼の表情は、陰鬱たる雰囲気を醸している。


 ここへ来るまでに、何度ため息を吐いただろうか。


 少なくとも両手の指の数は超えている。だというのに、それでも暗澹たる気持ちは一向に晴れない。


 あと三時間もすれば、時刻は零時を回り、明日が今日になる。


 それはつまり、演習が近づいているということ。


 ただ、それだけが悩ましかった。


「ハァ……」


 また漏れる息。


 演習に対する不安が心臓を縛りつけ鼓動を加速させている。その不安を軽減できるものをシグマは知らなくて、だから内側に絶え間なく充填されていく重い息を吐きだすしかない。


 明日なんて来なければいいのにと、切なく願う。


 いっそのこと逃げてしまおうかなんて、そんなことさえ考えてしまう。


 でも、シグマは勢いよく首を左右に振って、その考えを振り払った。


「それじゃあ何も解決しない」


 自分に言い聞かせるようにそう呟き、再び前を向く。


 いつの間にか、城の入口まで来ていた。


 シグマの身長の三倍ほどもある巨大な両開きの扉はとても頑丈にできており、重量も重ね持っているので、一人では開けることができない。レオンは魔術らしきものを使って開けていたが、シグマはその魔術も使えないので諦めるしかなかった。


 その代わり、両開きの扉の右端の方に、比較すると小さく見える引手のドアがある。こちらの方はシグマの身長とほぼ同じで、独りでも簡単に開けることができる。メイド曰く、ここは私事の際に出入りする用の扉らしい。


 その扉を潜り、朧な光で薄く照らされている廊下を歩いていく。


 時折、巡回の見張り兵やメイドとすれ違い、会釈を交わしていきながら。


 ようやくシグマは自分の部屋に辿りついた。


「ただいまー」


 もしかしたら同居人は既に就寝しているかもと思い、帰宅の挨拶は蚊の鳴くような声で、物音を立てないように部屋へと入る。


 灯りは点いていない。窓から差し込む星の光だけが、微かに部屋を照らしている。


 けれど、違和感があった。


 ―――人の気配がしない。


 不思議に思い、おそるおそる仕切りを超えてハウルのベッドを覗き見る。


 そこに彼女の姿は無かった。


「……どこに行ったんだろう?」


 怪訝に思い、首を傾げるシグマ。


 すると、背にしたドアにノックの音が響いた。


 振り返れば、開きっぱなしのドアの横にメイドが立っていた。


 この城で従事しているメイドは皆、仕事に忠実であり、如何なることがあっても表情を崩さない。それがシグマの抱いている彼女らのイメージだった。


 しかし、今目の前にいるメイドの様子はそれとは明らかに離れている。


 なぜなら彼女はどこか戸惑ったように、困惑の表情を浮かべているからだ。


「継承者様……その、」


 歯切れ悪く、どう上手く伝えるべきか迷っている声だった。


「お、お連れの方が……」


 どうやらこのメイドは、ハウルの居場所を知っているらしい。




 案内するメイドについて行くと、視線の先で何やら小さな人混みができていた。一つのドアを前にしてまごついている彼らは、どうも中の様子を窺っているらしい。


 やがてシグマに気づくと、皆驚いたようにその場から散開した。それぞれの表情を見てみても、やはり戸惑いの色がある。


 いや、これは―――恐れに近いのかもしれない。


 いったい何を見てそのような感情を抱いたのか、不思議に思いながらシグマはドアの中を覗き見た。


 そこはシグマが暮らしている部屋よりも、さらに大きかった。しかもその四方の壁には幾つもの書籍が並べられた巨大な本棚が所狭しと並んでいる。高い位置にある本は梯子を利用して取る形式らしい。部屋の四隅にそれ用の長い梯子が立てかけてある。


 けれど、その圧巻の光景はシグマの目には映らなかった。


 彼の視線は、部屋の中央に並べられた、おそらく読書などに利用するものだろう、長い机に向けられている。


 いくつもの本が積み重ねられ出来上がった短い柱。複数のそれらが壁を作るようにして林立いる。


 その中央、囲われた壁の内側で、机に突っ伏す形でいる一人の影。

 

 安らかな寝息を立てている、ハウルがいた。


 それでシグマはようやくメイドたちが困惑していることに合点がいった。


 おそらく彼女をどう起こすべきか―――いや、もっと単純に、彼女にどう関わればいいのか、わからなかったんだろう。


 この国に来てわかったことだかが、どうもハウルは『魔族』と呼称され忌み嫌われている。


 それが如何なる理由に起因しているのかは不明だが、少しだけシグマは悲しくなる。


 彼女は何もしていないのに。


 こんなにも、避けられている。


 その誤解を解きたかった。でも、一度人に根付いた価値観は中々覆らない。


 ここでどれだけシグマが熱弁を振るっても、その効果は薄いだろう。


 重要なのは、時間をかけて納得させていくことだ。


 だからシグマは喉元まで出かかった抗議の言葉を呑み込んだ。代わりに自分を案内してくれたメイドへ「後は大丈夫です」と伝え、他のメイドと一緒に下がらせておく。


 廊下の奥へ消えていくメイドたちを見送って、シグマは図書室の中へ足を踏み入れた。


 厳正かつ静寂な空間の中、努めて足音を立てずに寝ているハウルへ近づく。


 結局、シグマが至近まで来ても、彼女は目を覚まさなかった。


「……? これ……」


 シグマは彼女の周辺に紙が散乱していることに気づき、いくつかを手に取ってみた。


 紙面には見たこともない文字がびっしりと敷き詰められており、所々に矢印や下線などの注意書きらしきメモが細かに書いてあった。


 これが何を意味するものなのかはシグマにはわからない。


 けれど予想はついた。そもそもハウルは昨日、こう言っていたではないか。


『だからね、私は明日、この国の資料室に行こうと思うんだ。そこで魔術に関する知識をもっと蓄えて、使える魔術を一つでも増やしたいの』


 きっとこれは、彼女が扱う魔術の術式というものだろう。


 今日一日を費やして、彼女はここで魔術研究に取り組んでいた。


 周りに積み上げられた分厚い本の数々も、それに利用したものと思われる。これだけの情報量から必要分だけを抜粋してまとめ上げていくのは、相当の労力を消費したに違いない。


「そっか、君もがんばっていたんだね」


 寝ているハウルに、そっと労いの言葉を掛ける。


 日中はずっと独りで行動していたからか、いつのまにか明日の演習のことも自分独りのものと考え込んでいた。


 でも、違った。


 自分は独りではなかった。


 自分には、信頼して背中を預けれる仲間がいる。


 共に戦ってくれる仲間がいる。


 その事実が少しだけ不安の想いを軽くした。


「……よし」


 シグマは再び、大きく息を吐く。


 けれど、それはもう憂鬱の混じる溜息ではない。


 なぜなら彼の目には、先ほどまでなかった自信の色が戻っている。


 ―――覚悟は決まった。


 明日の演習にも、臆することなく挑むことができるだろう。


「まあ、それはともかく」


 シグマはそっと寝ているハウルの身体に手を回す。その安らかに上下する肩を抱いて、もう片方の腕を机下の両足、その膝下に潜らせる。


 そのまま彼女を起こさないように、静かに持ち上げた。


 いくら寝ているからと言って、この図書館で夜を明かさせるわけにはいかない。


 シグマはハウルを自室まで運んでいくことにした。


 彼女の温もりが両手を伝い感じ取れる。予想していたよりもずっと軽く、長時間抱えていたとしても苦にならない重さだった。


「ん……ぅ……」


 腕の中でハウルが身をよじり、ベストポジションを見つけて再び落ち着く。


 両手をすぼめて丸くなっているその可愛らしい様は、幼い少女が見せるそれとなんら変わらない。


 その様子にシグマは頬を緩ませながら、図書室を後にした。


「……わた、しは……」


 薄暗い廊下を歩く中、ふとハウルが言葉を漏らす。


 一瞬、起きたのかと思ったが、腕の中の彼女は変わらず両目を閉じている。どうやらただの寝言らしい。


「しぐまの、ちからになるんだ……」


 続いた彼女の言葉に、シグマは幻聴かと我が耳を疑った。


 ハウルが、自分の力になると、なってくれると、そう言った。


 それが今のシグマにとってどれだけ嬉しかったか、今のハウルには知る由もないだろう。


「……ありがとう……」


 聞こえないとわかっていて、それでもシグマは彼女に礼を言う。


 その顔には、朗らかな笑みが浮かんでいた。


「明日、一緒にがんばろうね」


 拙い約束を交わしながら。


 シグマは自室の扉を潜っていった。

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