『最強』の存在
「いつの間にか、こんな時間になってしまいましたね」
振り返れば、キッチンからレオンが戻ってきている所だった。
「皿洗いくらい手伝いましたのに」
「いえいえ、さすがに客人にそこまでさせては、我が家の面子も丸潰れですから。私としましても、シグマさんには待っていただいた方がありがたいです」
そう言いながら、彼はシグマの向かいの席に座った。
今この場にニーアもアリーシャもいない。二人は共に浴槽で湯浴みを行っている最中だ。少し離れた場所から、アリーシャの楽しそうにはしゃぐ声とそれを咎めようとするニーアの声が響いてくる。
そんなわけで、今リビングにいるのはレオンとシグマのもう二人だけ。
そろそろ本題に入ってもいいだろうと判断して、シグマはレオンの眼をまっすぐ見据えて単刀直入に問うた。
「レオンさんが言っていた演習の勝利条件、あと一つは何なんですか?」
「ああ、それですか」
レオンもそう訊かれることは予測していたのだろう。その表情から見て取れた。
「シグマさん、我が軍における『最強』とは誰だと思いますか?」
しかし彼は質問に答えようとはせず、逆にシグマにそう問いかけた。
「我が軍は大軍であり、それゆえ数多の強者も編成されています。ですが、その中でも『最強』の座を担えるものはただ一人。
その方はあまりに強く、一対一の決闘であれば負けを知らない。ともすれば、我が軍が総出になったとしても勝てないかもしれない、真なる覇者です。では、果たしてそれは誰でしょう?」
「それは……」
該当者は一人いる。昼間、兵士の訓練を覗いた時に、その実力の一端は目の当たりにした。
「レオンさんじゃ、ないんですか?」
その言葉に確信めいたものが無かったのは、おそらくシグマ自身がその答えが間違っていると理解してしまっているからだろう。
案の定、レオンは首を横に振った。
「残念ながら。たしかに私も総隊長を任せられるほどの実力はあると自負していますが、それでもやはり、『最強』の座には相応しくありません。きっと私が全力を尽くしたとて、あの方には及ばないでしょう」
ゾッとした。
訓練の時、大勢の屈強な兵士らを一人で簡単にあしらってみせた目の前の男が、それでも敵わない強者がいるのだという。
けれど、その予想がまるでつかない。
そもそもシグマはこの国……もとい世界に召喚されたばかりで、知人はおろか名前を知っている人すら少ない。その時点で選択肢は大幅に狭められている。
とはいえ、さすがにその辺りはレオンも把握しているだろう。いくらなんでも名前も知らない人が答えになるような問題ではないと考え、シグマはこの世界の知人を脳内でリストアップしていく。
レオン―――否。先程、他でもない彼自身が否定している。
ハウル―――否。大前提として、彼女はこの国の人間ではない。むしろ敵の立ち位置だ。
ニーア―――否。まずありえない。
アリーシャ―――否。ニーア以上にありえない。
浮かんでくる名前と顔を合致させては、理由を出して否定していく。
でも、すぐに浮かんだ名前の中で、該当するような者はいなかった。
これは本当に、レオンがいじわるで出した答えのない問題だったのか。
―――いや、違う。
わからないのではない。シグマはその事実から逃避しようとしているだけだ。
最後に残ったその名前。信じるのには抵抗があった。
でも、理由を出してみればどうだろう。
何よりも鮮烈で、何よりも苛烈で、そして何よりも強烈な。
剣を交えたことは無くともわかる、『最強』の座に位置するに相応しいと思える人物。
たった一人だけ、該当する者がいる。
「……まさか……」
震える声でレオンに確認を取ると、彼は口端を薄く吊り上げた。
それは、出荷される豚の行く末を嗤うように。
「―――この国の『最強』、ルカライネ・エグニカルス・ファルサーニャ。彼女への勝利こそが、シグマさんの最後の勝利条件です」