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続・レオン宅にて

「むかしむかし、あるところに、森で迷子になった子どもがいました。子どもはあてもなく歩いていると、なんと森のなかに家を見つけました。しかしたいへん、その家はおそろしい魔女の家だったのです」


 アリーシャはこの国の童話と思しき物語をシグマに語り聞かせていた。


 どうやら彼女は語り部と魔女の二役をこなしているらしい。


「魔女は子どもを捕まえて言いました。『えっへっへ、こりゃあうまそうなガキンチョだ。はらわたをえぐり取ってひき潰してシェイクにして飲んでやろう。体は千切って丸めてだんごにして食べてやろう。今夜は宴だ、えっへっへ』」


 見事な演技である。老婆特有のしわがれた声や狂気に満ちた笑い顔が完璧だった。


 シグマが感心していると、アリーシャが頬を膨らまして詰め寄ってきた。


「もう! 次はおにーちゃんのセリフだよ!」


 どうやらごっこ遊びのテンポを崩されたことが不服らしい。


 しかし、シグマもすぐに謝るわけにはいかない。その前に確認しておかなければならないことがある。


「ねぇアリーシャ、なんで僕は全身を縛られて、まな板の上の魚みたく寝転がされているのかな?」


 シグマは全身を麻縄でぐるぐる巻きに縛られていた。わりときつめの締め方で、結び目はかなり固く解けそうもない。


 そして彼はそのまま木の板の上に横たわっていた。なるほど、たしかにこれはまな板の上の魚となんら変わらない。


「だってそういうお話だもん。これからおにーちゃんは魔女に料理されて食べられるんだよ?」


「あれ? おかしいな、童話ってもっと平和で血生臭い展開が無いようなお話のはずじゃ……」


 余談だが、シグマの世界にある童話もオリジナルはかなり苛烈な展開だったりする。たとえばシンデレラでお馴染みの意地悪な姉母は、ガラスの靴を何とか履こうと指やかかとを斬り落としたり、王子から目こぼしをもらおうとして鳩に眼球を抉られたりと、わりかしグロテスクな表現が見られるわけで。


 そう考えればアリーシャの語る童話も、ある意味で童話らしいのかもしれない。

 が、そんなことはシグマにとってどうでもよかったりする。


 問題なのは、アリーシャが持っているもの。彼女が両手で何とか支えているそれに見覚えがあった。


 あれはたしか、今日の訓練で使っていた剣ではないか?


「ってちょっとストップストーップ‼ なにそれ⁉ それで何をしようとしているのアリーシャ⁉」


「これ? 包丁のかわり! おにーちゃんが大きいから、ちょうどいいのがこれしかなかったの」


「そんな無理に大きさを合わせなくても⁉ ていうかそんな物騒なものどこから持ち出したんだ⁉」


「おとーさんの部屋にあったんだ。ちゃんと持って行っていいって言われたよ!」


「レオンさんの教育方針どうなってんですか⁉」


 するとリビングの隣に位置するレオンの部屋から、主の不満そうな声が聞こえてきた。ちなみに彼は書類整理の仕事が残っているらしく、そのため自室で絶賛処理中とのことだった。


『失礼な。私は注意しました。アリーシャが刃の付いている方を持って行こうとしたから、ケガをしないように模擬剣の方を持たせたんですよ。ちゃんと安全には配慮しています』


「配慮の方向性がどう考えても間違ってるでしょ⁉ ってアリーシャ、待ってホントに待ってそれで叩かれるとすごく痛いから!」


 昼の訓練時に文字通り痛いほど味わっているシグマである。その声色には実感したことに由来する必死さがひしひしと感じられた。


 しかし、アリーシャはどうも遊びに興が乗ったようで、


「ひっひっひ、泣き喚いても無駄じゃ。ではまずはその臓物からすすってやろう。さあ、おとなしく腹をさかれるがいい」


「アリーシャぁ⁉」


 シグマの必死の静止の声をアドリブと受け取ったのか、アリーシャは先程以上に迫真の演技を見せる。やがて彼女が持ち上げた剣が、天井を刺すように持ち上げられた。


 あれだけ高く振り上げれば、いかに幼子の一撃だとしても剣の自重だけで相当な威力となるだろう。


 逃げようにも逃げられず、シグマは思わず目を閉じて耐えの姿勢に入った。


「こら、アリーシャ、シグマさんが困ってるからその辺にしときなさい」


 あわや剣が振り下ろされるという直前で、ニーアがその行為に歯止めをかけた。


 さすがのアリーシャも母親の声には逆らえないのか、「えー、ここからがおもしろいのにー」と口を尖らせながらも、持っていた剣を床へ下ろした。


 思わぬ助太刀が入ったことに、シグマは心の底から安堵する。


「料理が出来上がったから運ぶのを手伝って」


「はーい!」


 元気な返事をして、アリーシャはキッチンの方へ駆けて行った。


「ごめんなさいね、こんな遊びに付き合わせちゃって」


 代わりに近寄ってきたニーアは、シグマを拘束している縄を解きながら謝罪した。


「あの子、夜は一人でおままごとをしているから、相手ができて嬉しいんでしょうね。料理を作っているときに見ていましたけど、本当に楽しそうに笑っていましたから」


 その点はシグマも同意できる。


 もともと感情が豊かな子だとは思っていたが、それでも一緒に遊んでいるときの彼女は一際楽しんでいるのがわかった。


「ただ、さすがに剣を持ち出すのはダメですよね。あとできつく言っておきますので、どうか娘の非礼はお許しください」


「まあ別に痛い目にあったわけでもないので大丈夫ですよ。僕もアリーシャと遊ぶのは楽しかったですし、今回は大目に見てあげてください」


「そうですか? シグマさんがそう言うなら……っと、解けましたね。どこか怪我などは?」


 シグマは軽く四肢を揺らしてみたが、どこも支障が出るような痛みは無い。


「問題なさそうです。ありがとうございます」


「いえいえ。それでは私も配膳してきますね。シグマさんはどうぞ、先に座って待っていてください」


「あ、運ぶくらいなら僕にもできますし、手伝いますよ」


 そして彼はニーアの後に続くようにキッチンへと向かった。カウンターを潜り抜けると、座布団ほどの大皿をアリーシャが懸命に持ち上げプルプルしていた。


「ちょ、ちょっと大丈夫⁉」


「うん……! 待ってて、わたしがこのお皿をはこぶから……あっ!」


 そう言いながら、抱えた大皿の重さに耐えかねて前につんのめるアリーシャ。それを間一髪でシグマが受け止めることに成功した。


「おっとと……やっぱり危ないよ。これは僕が運ぶから、アリーシャはコップとかを持ってきて」


「で、でも、お客さまにはやすんでもらわないと……」


「大丈夫、好きでやってることだから。何もしてないのも落ち着かないし、ここは一つ、男手の力を借りてくれると嬉しいな」


 アリーシャは呆けたように目を丸くしてシグマを見上げていたが、やがて破顔して「うん!」と元気よく頷いた。


 そんなハプニングも挟みながらも、皆で協力して運んだことにより配膳は早く終わることができた。


「うわぁ……!」


 並べられた盛大な御馳走を一望して、シグマは思わず感嘆の息を漏らす。


 青々とした葉菜類と赤や黄色の果菜類を混ぜ合わせシーザードレッシングを振りかけた、鮮やかな彩りを見せるサラダ。乳緑色をした濃厚そうなポタージュスープ。上からとろとろに溶けたチーズを滴り落ちるほどに掛けた楕円のトースト。そしてメインデッシュである、何種類かの野菜を入れてとろみが出るまで煮たてたケチャップベースのソースを香ばしく揚げた魚にふんだんに掛けた、あんかけフライ。デザートには切り分けた赤い果実を添えたパンナコッタのようなゼリーもある。


「わー、ごちそうがいっぱい!」


 シグマの感想は横ではしゃぐアリーシャが代弁した。


 たしかに見事な豪勢ぶりである。現時点ではまだ見た目だけの評価となるが、それでも昨日城で食べた料理と引けず劣らずの出来であるのは間違いない。


 レオンはニーアが料理上手と自慢していたが、その言葉に一切の誇張は無かった。


「おや、これはまた腕を振るいましたね」


 すると部屋で作業をしていたレオンがようやく出てきて、目の前に並べられた御馳走にやはり感嘆の声を上げていた。


「もう仕事は大丈夫なの?」


「一段落つきました。残りはまた後でにしときます」


 そしてレオンは席に着いた。それに続くようにしてシグマらも着席していく。


 全員が座ったのを確認して、レオンは朗らかな表情で手を合わせた。


「それではご一緒に、せーの」


「「「いただきまーす!」」」


 全員の元気な挨拶が食卓に響き渡る。


 それを皮切りにして、皆思い思いに豪勢な料理を口へ運んだ。


「すごい、この魚のフライ、衣にあんかけが染み込んでるのにサクサクだ……!」


「このポタージュは濃厚なのに舌触りは滑らかですね。なにか魔術でも使いましたか?」


「失礼な。ちゃんと裏ごしをしたりして手間暇かけたからよ。それよりアリーシャ、フライばっかりじゃなくてサラダも食べなさい」


「えー、それよりもっとパンにチーズを掛けたい!」


 騒がしくはあるものの、そこには笑顔が満ち溢れている。


 だからだろうか。シグマは今、とても心が豊かになっているように感じた。


 開いていた穴に、温かいものを注ぎ込まれたような。


 心のどこかで渇望していた不足の穴に、充足感が充填されていく。


 なぜそうなっているのかはわからない。


 でも、今の状態があまりに心地よかったから。


 シグマは理由を抜きにして、その安らぎに身を委ねることにした。


 少なくとも目の前の料理を平らげるまでは、そうしてもいいだろうと判断して。


 彼は再び魚のフライにかぶりついた。……一口目より、少しだけ美味しさが増している気がした。


「アリーシャ、シグマさんと遊んで楽しかったですか?」


 食事の最中、レオンがアリーシャに話を振る。すると彼女は眩しいほどの笑顔を咲かせて肯定した。


「あのね、わたしとおにーちゃんで『森の魔女』のおままごとをしたの! わたしが魔女で、おにーちゃんが迷子をやったんだ!」


「そうですか。先ほどリビングで聞こえてきたおばあさんの声はアリーシャだったんですね」


「うん! おにーちゃんがとても上手に演技するから、わたしもがんばったの!」


 あれはわりと本気で演技じゃない、と喉元まで出かかったツッコミを、シグマはサラダを頬張ることによって一緒に呑み込んだ。


 あの天真爛漫を地で行く無邪気さの前に、本音は無粋極まる。


「今日のおままごと、とっても、とーーーっても楽しかった! おにーちゃん、またしようね!」


「あ、あはは……わかったよ」


 アリーシャの期待に満ちた目に、シグマは乾いた笑みで頷くしかなかった。


「おやおや、アリーシャは随分シグマさんのことを気に入ったみたいですね」


「うん、わたし、おにーちゃんのこと大好きになったよ!」


 間髪入れず即答されて気恥ずかしくなり、思わずシグマは照れ隠しでポタージュスープを啜る。


 このような反応をしてはいるが、そう思ってくれているのならシグマとしても嬉しい限りだ。そのためスープを飲み干してから、彼女に「ありがとう」と言おうとした。


 しかしそれより早く、アリーシャの口が再び開く。

 


「だからわたし、おにーちゃんと結婚する!」

 


 危うく口に含んだスープが爆発四散するところだった。


 それを渾身の力で耐え、無理やり飲み下す。口の中から噴き出すほどの液体が消えたのを確認して、シグマは盛大にむせ返った。


「あらあら、アリーシャったらもう相手を見つけたのね。これは私がおばあちゃんになる日も近いかしら?」


 咳き込んでいるシグマをよそに、頬に手を当てうっとりとした表情でとんでもない発言をするニーア。


 しかしその反応を見てシグマはふと思う。


 所詮は子どものたわ言。きっと深く考えていないだろう言葉を、真に受けている方がおかしいという結論に至る。


 結婚、というワードのせいで早とちりをしてしまった。シグマは己の早合点を反省し、息を整えるためにグラスの水を口に含む。


 すると、


「これは迂闊でした。まさか私の愛娘を脅かす輩が、シグマさんだったとはねぇ……ッ!」


 引きつった笑みを浮かべるレオンから、これでもかと殺気が飛んでくる。その手にはナイフが握られており、握力による負荷で細かく振動している。


 シグマ以上に本気で捉えている人がそこにいた。


 今度こそ耐えきれず、シグマは咄嗟に真下を向いて水を噴き出した。


「あ、おにーちゃん、だいじょうぶー?」


 アリーシャが布巾を持って心配そうに駆け寄ってくる。シグマは顔を拭こうとその布巾を貰おうとしたのだが、


「だめっ、わたしがふいてあげる!」


 と、有無を言わさず彼の顔を拭き始めた。程よい力加減でありながら、一生懸命水を拭おうとしている彼女の姿は何とも愛らしい。


 しかし、そんな二人の仲睦まじい交流を見せられて、レオンの殺気はさらに圧を増した。


「ほう……それは私に喧嘩を売っていると受け取ってよろしいので?」


「違います不可抗力です! いや、ちょっと違うか? ……ってフォークを握らないでください、今のレオンさんが持つとシャレにならないから!」


「何のことですか? 私は食卓に上がった新しい料理を実食しようと思っているのですが」


「それ完全に僕のことですよね⁉ ちょっと、ニーアさんも止めてください!」


 シグマの救援要請を受けて、彼女は快く了承してくれた。


「もう、そんなに躍起になることはないじゃない。もうすぐ子どもができて、貴方もおじいちゃんになれるかもしれないんだから」


「子ども、ですと……ッ⁉」


「逆効果! なんで火に油を注ぐ真似をするんですかー⁉」


「おにーちゃんとの子ども? わたし、四人欲しい!」


「アリーシャも! これ以上場をカオスにしないで頼むから!」


「ワタシノムスメハワタサンゾ……!」


「レオンさん落ち着いて、言語能力が怪しくなってる! あと席を立ってこっちに来ようとしないでー‼」


 結局。


 最終的に見かねたニーアがレオンに関節技を極めることで、場の盛り上がりは沈静した。


 かかあ天下という家庭の構図に今だけは感謝する、すっかり疲弊したシグマだった。

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