世界は変われども、喧騒は変わることなく
時刻は二時過ぎ。
この世界にも時間という概念はあるらしい。それもシグマの世界とまったく同じ規格のもので。
なぜ同じなのか、その理由はシグマも知らないものの、やはり自分に馴染んだものがあるというのは安心する。
周りが知らないものだらけ、という状況は何であれ気が滅入る。それは森の中で大いに実感した。
まあここは異世界であるため、シグマの世界と文化が違うのは仕方ない。むしろ少しでも共通する部分があるというのは、きっと幸運なことなのだろう。
重要なのは、その差異を受け入れるということ。それが適応することに繋がっていく。
この世界で生活する以上、そうあるべきだ。
しかし、やはり変わらぬものがあると安心するというのもまた事実。
「おーい、こっちに串焼き五本くれー!」
「酒じゃ! もっと酒持ってこーい!」
「あいよ! ちょっとお待ち、すぐ作るから!」
「いやほんとここの炭火焼はうんめぇな!」
「誰か一緒に踊ろうや! 今日は気分がいいぞー!」
「いつも気分良くなってんなお前は! 別にいいけど!」
だからこの騒がしさに心地よさを感じているのは、もとの世界の喧騒とそう変わらないからに違いない。
「賑やかですね、ここ」
「はい。この店は我ら兵士たちが大層贔屓にしていまして、大事な行事の前にはいつもここで決起集会を行うのです」
ここはリューズビーリアの城下町にあるお店。訓練が終わった後、シグマはレオンに連れられてこの場所に案内された。
居酒屋というよりは、西部劇などに出てくるバーのような作りの店だった。
いくつもの丸いテーブルを兵士たちがそれぞれ囲んで、並べられた料理や酒に舌鼓を打っている。
奥に見えるカウンター席の向こうでは調理師と思しき人たちが数名でせっせと料理を作っていた。どれも皆、人柄の良さそうな四~五十代のおばさんである。
「ここの料理は絶品ですよ。味も良く、量も多く、おまけに安い」
シグマの向かい側に座るレオンが、饒舌にこの店を説明する。たしかに他のテーブルに並べられている料理を見ていると、たちまちのうちに腹が鳴るくらい美味そうであった。
と、他の料理に目移りしている隙に、目の前に串焼きが十本ほど載った皿が置かれる。
「おまけに店員が美人ぞろい。そりゃ人気になって当然だろ?」
そう言ってニヤリと笑うのは、割烹着のような服を着たおばさんだった。
突然現れた人物にシグマが瞬きしていると、レオンが彼女を手で指した。
「ああ、こちらはこの店の店主ですよ。お聞きの通り、虚言癖があるのでお気を付けください」
「クォラ隊長、初対面の相手になんてことを言うんだい! アンタのそういう真っ黒なところ、昔から一向に治らんねぇ?」
「おや、なんのことですかね。私は身も心も清廉潔白であると自負していますよ」
「どの口が言うんだか。まったく、これじゃあアンタの方がウソつきですと言ってるようなもんじゃないか」
醜い言い争いとはこの事か、とシグマは呆れ半分で二人の会話を聞いていた。
その頬が若干緩んでいることから、半分は楽しんでいることが伺える。
「ああしまった。ごめんね、初めてなのに置いてけぼりにしちゃって」
するとシグマの様子に気づいた店主が、笑いながら謝罪する。別段シグマとしても気を悪くしたわけではなかったので、「いいですよ」と笑って流した。
「ま、アタシのことは気楽に店主と呼んでくれて結構だよ。ところでアンタの名前は?」
「シグマです」
「シグマね、了解、覚えたよ。それじゃあ今日は思う存分食べると良い、どうせ支払いはそこの腹黒隊長がするだろうからさ」
そう言って、店主は別のテーブルの注文を取りに行った。その動きには少しも無駄がない。
「ああいうのを熟練の技と言うんですかね」
シグマの感想はレオンが代弁した。
「それよりいいんですか? 支払いはレオンさんにって言われましたけど」
「構いませんよ。もとより奢るつもりでしたし。それにシグマさんはこの国の貨幣を持っていないでしょう?」
「うっ……」
笑うレオンに痛いところを突かれ、渋い表情をするシグマ。
それを見てレオンはさらに楽しそうに笑う。
「まあ気にしないでどんどん注文してください。どうせ料金は経費で落とすつもりですから、遠慮する必要もないですよ」
それでシグマはようやく、兵士たちがこうも盛大に飲み会をしている理由に合点がいった。
彼らには一銭たりとも出費が発生しない。だからこそ財布の心配をすることなく、ああやって心底楽しそうに騒ぐことができるのだろう。
そして、それがわかったのならシグマとて遠慮はしない。
ひとまずレオンの分も含めて十品ほど注文した。
「さて、これだけ頼めば料理が出来上がるのにも時間が掛かるでしょうし、ここらへんで本題と行きましょうか」
「明日の演習についてですね」
「ええ。と言っても、私が話せるのは演習についての情報だけです。部隊の弱点を教えてくださいと言われても、私はどうもできませんよ」
シグマは少し考える。
もとより弱点について教えてもらおうとは思っていない。いや、教えてもらえるものならぜひそうして欲しいが、それは無理だろうと納得している。
かといって矢継ぎ早に自分の気になることを質問していっても、それはそれでキリがない。最悪レオンの機嫌を損ねてしまうことだってありえる。
重要なのは最低限必要なものだけだ。そしてそれらは、昨日のうちにある程度まとめている。
「おおまかには演習の形式とその戦力比、それと勝利条件が訊きたいです」
「ふむ、それぐらいなら問題ないです。では順に説明するとしましょう。
まずは形式について。これはシグマさんハウルさんに我が軍と戦ってもらう形になります。次いで戦力比ですが、我が軍は十万ということで二対十万という数字になります。いやー、改めて見ても馬鹿げた数字ですよね」
「いや、それ僕の台詞なんですけど……」
「それもそうですね。失敬、話がズレました。
ちなみに演習では今日の訓練でも使ったような模擬剣を使います。しかし、あれはあれで十分に痛いというのはシグマさんも理解しているでしょうし、決して油断はしないでください」
シグマは頷く。
「さて、では最後の勝利条件ですが……そうですね、シグマさん方の勝利条件は主に三つです。このうちどれか一つでも達成できれば、その時点でシグマさんたちの勝利となります」
「三つもあるんですか?」
「はい。それぞれ説明していきましょう。
まずは一つ目、我が軍の全滅。これは我が全軍が戦闘不能、もしくは戦闘意欲の消失に陥った場合の話です。しかし、これはまず不可能でしょうね」
「……なぜ?」
シグマはレオンの言ったことが非常に気にかかった。
いくらレオンがシグマの儀式剣の力を知らないとしても、そもそも継承者という存在が一騎当千の力を持ち得ることを理解しているはずだ。
だというのに、彼は至極当然とでもいう風にそう断言してみせた。
シグマの力を侮っているのか、自国の軍の兵士たちを信用しているのか、あるいは―――
「それは後々話すことになりますから、今は置いておきましょう。
その前に二つ目、我が軍の拠点占領。これは演習の際、何処かに配置される場所へ攻め入り、そこに立てている旗を奪取することで達成となります」
「その場所はまだわからないんですか?」
「ええ、シグマさんには当日、演習の開始直前に伝えられる手筈となっております。これに関しては私も教えることはできません。まあ、この条件が一番シグマさんにとって楽なものかもしれないですね」
たしかに場所を制圧することで勝利になるというのは、シグマにもわかりやすく、かつ行いやすい。
さらに場所も教えてもらえる以上、拠点を探すという手間も省ける。効率よく行けば、あるいは誰とも戦闘を介せず済む可能性もある。
だが同時に、果たしてそう簡単にいくのかと疑心が囁く。
拠点が落ちれば敗北というのは、相手側にとっても周知の事実。であれば当然、その場所の守りは最も固いものになるはずだ。
レオンはこの国の戦力が十万といった。その十万の中には、もしかすれば継承者の力を以てしても苦戦するような強者もいるのかもしれない。
現状、聞いた二つの条件はシグマにとって分が悪すぎる。
果たして最後の勝利条件は、いったいどのようなものなのか。
「では、三つ目の勝利条件ですが―――」
レオンが口を開く。それをシグマは身を入れて聞いていた。
「はいよ、お待たせ!」
しかしそれは、出来上がった料理を運んできた店主の声に遮られる。
レオンが肩をすくめる。どうやらこの話は後で、ということらしい。
店主は運んできた料理を並べようとすると、先ほど運んだ串焼きの皿が一向に減ってないことに顔を顰める。
「おや、ぜんぜん食べちゃいないじゃないか! どうしたんだい、もしかして串焼きは嫌いなのかね?」
「あ、いえ、ちょっとレオンさんと話していて」
すると店主は呆れたように嘆息して、レオンの方を向いた。
「もしかして話ってんのは仕事のことかい?」
「そんなところですね」
「やっぱり。……いいかいシグマ? この店にはルールがあってね、それは『料理が出てきたときは仕事の話をしない』ってんだ。ここは誰もが仕事の疲れやつらさから解放される場所、断じてそれを持ち込んじゃあいけない。それができないというんなら、即刻出て行ってもらうよ」
半眼の状態で店主の顔が接近し、思わすシグマは仰け反った状態で「わ、わかりました」と頷く。
途端、彼女は顔を綻ばせ、満足そうに顔を離した。
「よろしい、聞き覚えの良い子は嫌いじゃあない」
「そうですか? 意外とシグマさんは強情なところがありますよ」
横から茶々を入れてきたレオンに、店主は呆れた眼を向ける。
「アンタの腹黒よりかはよっぽどマシだよ。あーやだやだ、これだから空気の読めない人は嫌いなんだよ」
「まぁまぁそう言わずに」
「なーにが『そう言わずに』だい。大体アンタはこの店のルール知ってんだろ。しらばっくれるってんならアンタの方から追い出すよ」
「えー、せっかくのごちそうが見ただけで終わりなんて残酷すぎますよ」
「じゃあルールくらいしっかり守んなさい」
「以後気を付けます」
文脈だけ見ていると母に怒られる息子のような構図だが、実際はレオンが常に飄々とした態度を取っているため、そこまでのダメージは見受けられない。
その精神の身軽さを、果たして見習うべきか、はたまた反面教師にするべきか、悩ましいことが増えるシグマである。
「それはそうと、今からシグマさんの歓迎会をやろうと思うんですが、都合はどうですか?」
すると突然、レオンが店主にそのようなことを提案してきた。
歓迎会をするということ自体初耳のシグマは、驚きの目をレオンに向ける。するとレオンはウインクで返してきた。
(でも大丈夫なのか……?)
別段、歓迎化をすることに異論はない。むしろシグマとしては嬉しくもある。
ただ懸念として残るのが、その無茶が店側に受理されるかどうかだ。歓迎会なんて騒がしいものを、当日の、しかも今すぐになんて、店側としても難しいところだろう。他のお客さんにも迷惑をかける可能性がある以上、断られても何らおかしくはない。
そうシグマは思っていたのだが、
「ああ構わないよ。それなら腕を振るわないとね」
店主は二つ返事で快諾した。どうやらシグマの心配は杞憂だったらしい。
「お酒はどうするんだい?」
「今日はやめておきましょう。明日の演習に響くと、姫君の怒りを買いかねませんし」
「了解、じゃあアタシは厨房の方に伝えてくるよ」
「わかりました。じゃあ自分は他の皆に伝えておきますね」
そう言って、店主は急ぎ足で厨房の方へと向かっていった。
「さて、今さらですがシグマさんは大丈夫ですか?」
たしかに今さらではある。
だが、シグマとしては何ら問題ない。
「はい、大丈夫です」
シグマは嬉しそうに承諾した。
その答えを聞いて、レオンも満足そうに頷くと、
「それじゃあみなさーん! 今からシグマさんの歓迎会を始めますよー!」
大声で店内にいる兵士たちへその旨を伝える。
一瞬だけ静まり返る店内。
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼‼‼」」」
そしてやはり聞き覚えのある返事で兵士たちは応えた。
シグマは大きく息を吸って、そしてにこやかに微笑む。
―――きっとこれからは、楽しい時間に違いない。
そんな確信を胸に抱きながら、ひとまず彼は串焼きにかぶりついた。