血気盛んな兵士たち
咆哮にも似た威勢声。鼓膜を震わす打撃音。それが幾重にも重なり合い、そこにはある種の賑わいができていた。
シグマは少し離れた位置からその様子を眺めている。
彼の視線の先では、銀色の甲冑を装備した兵士たちが二人一組となって、互いに剣戟をぶつけ合っている。
兵士たちは誰もが鬼気迫る表情だ。少し視線をずらせば見える位置にいるシグマのことなど眼中に無いほどに、目の前の相手と真剣に相対している。
訓練、なのだろう。シグマはそう判断した。
やがて彼は頭上を仰いだ。今日も雲一つない空で輝く太陽が、燦々と地上を照らしている。
陽気と言えば聞こえはいいのだが、今日のシグマは少しそれが妬ましく感じてしまう。
気温は五十度超……そう体感で錯覚してしまうほどに、彼の周囲は熱を持っていた。陽が放つ温もりと兵士たちの放つ熱狂が上手い具合に相まって、地面が陽炎のように揺らめくような熱気を持ってしまったのである。
それを人は暑苦しいと云う。
訓練を見ているだけのシグマにも、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。
(なんで、こんなところに来たんだっけ……)
空を仰いだまま、虚ろな思考で当初の目的を思い出そうとする。
朝に目覚めて、ハウルと共に食事を取った。
けれど、彼女と行動を共にしたのはそこまで。その後は昨日打ち合わせたとおり、ハウルは図書館へと向かい、シグマは演習の詳細を訊ねるためレオンを探しに行った。
無論、シグマも宛てなく探し回っていたわけではない。道に迷うことがないように、事前にメイドからレオンの場所を訊きだしていた。
今日は庭園の東方面にある修練場にいるとのことだったので、さっそくシグマは足を運んだのである。
で。
シグマは目的地である修練場で、独りポツンと佇んでいた。
「……どうしよう」
ぼそりと不安の呟きを漏らして、彼はもう一度修練場の一帯を見回してみる。
レオンはとても長身だ。他の兵士と比べてみても、頭一つ飛びぬけていたのをシグマは覚えている。
そのため、見える範囲に彼がいるのならすぐに見つけられるはずなのだが……
「ダメだ、居ない」
今は席を外しているのか、レオンの姿はどこにも見えなかった。
最初はトイレか何かに行っているのではと待っていたのだが、それから三十分、未だに彼は帰ってこない。
シグマの頭の中に『彼は今、別のところで別の仕事をしているのかもしれない』という考えが生まれた。それは時間が経過するたびに肥大していき、今では脳裏の九割を占めるものとなっている。
そのため、シグマは別の場所へ探しに行こうと思っていた。
しかし今回は宛てがないので、また誰かに訊ねてみようと思っていたのだが……
「オラァッ、腐れ外道が! さっさとくたばっちまえ!」
「調子こいてんじゃねぇぞボケナスッ! 返り討ちにしてくれるわ‼」
「かかって来いよ玉無し風情が! オイオイオイオイ、ビビってんのかァ⁉」
「上等だクソ野郎! テメェの××を□□に〇〇してやんよ‼」
売り文句に買い言葉。剣戟の衝突の音に合わせて、そこかしこで飛び交う罵詈雑言の数々。
この訓練は全員が同じ国の兵士、つまりは須らく仲間であるはずなのに、この光景を見ているとその大前提さえも忘れてしまいそうになる。
あのような殺伐とした空気の中に「もしもし、レオンさんの居場所を訊きたいんですけど」などと入り込めば一瞬で命が無くなるような気がしてならない。
具体的には「もしも―――」と満足に言えぬまま首が飛んでいきそうだ。
そんなバッドエンドはシグマとしても迎えたくない。
しかし、誰かに訊ねなければレオンの居場所はわからぬまま。
とりあえず別のところで、なるべく殺伐としていない人を見つけて、その人に訊ねてみようか……そう結論図けて、シグマは想い足を動かそうとした。
その時だった。
「みなさーん、首尾のほどは如何ですかー!」
まるでアイドルのような物言い。
しかしその声は紛うことなくレオンの物である。
―――見つけたッ!
思わず声のした方を見やる。遠い彼方、兵士たちが修練をしている場所を超えた位置、そこにはたしかにレオンの姿があった。
ようやく探していた人物が見つかった。その事実にシグマはホッと息を吐くと、駆けて彼の下へ向かおうとする。
が、
「お疲れ様です隊長ッ! よろしければお相手してもらえないでしょうかッ!」
一人の兵士が切り出した要望。それに続くように「おい先駆けはずりぃぞ!」「ふざけんな俺が先だ!」「俺ともしてくれますよね隊長!」と他の兵士たちも口々にレオンに詰め寄った。
その様を呆然と眺めるシグマ。
「さすがにあの数じゃ、すぐに終わらないんじゃ……」
また長時間待たされる羽目になる。
そう思っていた矢先、
「ええ、いいですよー!」
レオンは明朗に兵士たちの希望を承諾した。
「一人一人は時間が掛かるので、一斉にどうぞー‼」
「え?」
思わず聞き返したのはシグマだけだった。
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼」」」
次の瞬間、詰め寄っていた兵士ら全員が雄叫びを上げてレオンに襲いかかる!
「ちょ、流石にあれはまずい!」
津波のような軍勢が一斉に一人へ向かっていく。
とても捌き切れるとは思えない。
慌ててシグマは暴動を止めようと駆け寄っていった。
その直後だった。
「そーれ☆」
事態の深刻さを微塵も感じさせないレオンの声が聴こえた途端、
―――なぜか襲いかかっていた兵士の方が諸共まとめて吹き飛ばされた。
「うそだああああああああああああああああああああああああああああああ⁉」
もちろん、近寄っていたシグマも例外ではない。
「いやはや失礼しました」
レオンは相変わらずにこやかな表情のまま、頭を掻いて謝罪した。
「まさかシグマさんが近くにいるとは……気づけなかった私の洞察力もまだまだですね」
「いえ、それなら呼ばなかった僕も浅はかでしたから……」
シグマはすっかり疲弊しきった様子である。
レオンの攻撃に巻き込まれて盛大に地面を転がったことで、彼のあちこちには土ぼこりが付いていた。
「しかし如何されました? 本日はシグマさんに何も課せられていないはずですが」
「レオンさんにちょっと訊きたいことがあったんです」
「私にですか?」
「はい。明日の演習についてなんですけど」
するとレオンは思い出したかのように、ポンと手槌を打った。
「なるほど、その事ですか。なにかお分かりにならない箇所でもありましたか?」
「ほぼ全部です」
シグマは即答する。
理解とか把握の以前に、そもそも彼は何も説明を受けていない。
わかっていることがあるとすれば、それは演習が行われるということぐらいだ。
「おやおや、その様子だと姫君から何も説明は受けていませんか」
シグマが重々しく頷くと、レオンは腰に手を当てて苦笑した。
「姫君も難しい年頃ですからね。昨日の謁見でも想定外の事態が続出しましたし、気が動転したのでしょう。姫君に代わり私から謝罪します。どうか若気の至りとご理解ください」
「べつにいいですけど……」
若気の至り。
その言葉を聞いて、シグマの中に小さな疑問が生じた。
―――なぜ自分とそう遠くない歳の彼女が、国の君主をやっているのだろう。
シグマは君主の存在について詳しくはない。だが、君主というものが兵士や臣下、更には国の民までもを導く存在であるというのは漠然ながら知っている。
しかしそれはルカライネのような少女ではなく、もっと年の功を重ねた者がやるべき任ではないのか。
君主の条件に血筋が関わってくるのであれば、それこそ彼女の親であるとか。
(……やめよう。今重要なのはそれじゃない)
訊かなければならないのは、明日の演習について。ここで別の疑問が生じるたびに訊ねていては、いつまでも本題に辿りつけなくなる。
レオンの方へ向き直ると、彼は腕を組んで考えていた。
「うーん、しかし何も説明されてないとなると、どこから話をしたものか。一から説明するとなると、かなり時間が掛かりそうですしね。うーん」
たしかに時間が掛かるというのはレオンにとってネックなところだろう。なにせ彼は隊長として部下を訓練する業務がある。説明に時間を割いていては、それも行えない。
「あの、今じゃなくてもいいですよ? それこそ訓練が終わった後にでも」
「そうですか? しかしそれではシグマさんを待たせてしまうことになりますし」
「僕なら少し離れたところで見学しておきますよ」
「しかしそれでは退屈でしょう。…………あ、」
突然、レオンが何か思いついたような声を上げる。その、天から名案が降りてきたみたいな彼の表情を見て、シグマの背筋をうすら寒いものが走った。
なにか嫌な予感がする。
そんなシグマに気づくことなく、レオンは嬉しそうにこう提案した。
「シグマさん、一緒に訓練しませんか?」
「……はい?」
彼の言っていることがいまいち理解できず、シグマは訊き返した。
「だから訓練ですよ。待っているだけというのも退屈でしょうし、訓練をすれば時間も速く過ぎます。汗も流せてきっと楽しいですよっ!」
ウキウキで説明してくるレオンだが、反面シグマは顔を青ざめさせている。
原因は彼の後ろにいる兵士たちだ。
こちらを横目でちらちらと見ては、付近の兵士と小声で何か話している。シグマの位置からはさすがに何を話しているのか聞き取れないが、大方継承者の物珍しさによるものだろう。
が、シグマにとって重要なのはそこではない。
問題なのは兵士たちの体つき。一応全身は鋼鉄の甲冑であるため詳しくは見れないが、そもそもその甲冑の大きさからして、それを背負える彼らの肉体は筋骨隆々に違いない。
そんな者たちとの訓練など、標準的な体型のシグマが参加してはボロボロになるのは目に見えている。
「すみません、それは―――」
「みなさーん! 継承者さんと訓練したいですかー?」
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼‼‼」」」
「レオンさぁん⁉」
否定しようとしてももう遅い。
すでに兵士たちは誰が一番最初にシグマとやり合うかで口論を始めている。あんな興奮状態の中へ「やっぱりやりません」などと言いに行けるはずもなく。
こうしてシグマは、改めて数の暴力の恐ろしさを実感した。
―――そして―――
「……なんでこんなことに……」
木製の模擬剣を持ったまま、シグマは暗澹たるため息を吐く。
周囲では観客たちが騒ぎ立てている。彼らが巨大な輪を作るように並ぶことで、そこには簡易的な、しかし逃げ道は一切存在しない闘技場が出来上がっていた。
その闘技場の中心で、シグマは遠い目をしながら前を向く。彼の視線の先には一人の兵士が鼻息を荒げながら屈伸をしていた。
「継承者様と一対一で打ち合えるなど何たる僥倖! 千載一遇の機会、自身の糧となるよう全力でお相手させていただきます!」
やめてくださいと、シグマは内心で懇願する。声に出したいのは山々だが、そうなると周囲の賑わいを消沈させてしまいかねない。それはそれで罪悪感が残る。
幸いにも、両者が持っている武器は木製の模擬剣。形こそ剣を模しているものの、刃は付いていないので〝うっかり殺しちゃった♪〟という事故が起こることは無い。無いと信じたい。
兵士も今は分厚い甲冑を外し、薄いシャツ一枚とトランクスっぽい下着の身となっている。どうも甲冑を付けないシグマに配慮してくれたらしい。
「ではルールの方を説明します! といってもさほど難しくありません! 自身の力を最大限に発揮して、相手を倒した方の勝利です! シグマさん、大丈夫ですかー!」
観客の中に混じるレオンが高らかにそう言ってくる。彼は審判のようだ。
大丈夫かと言われれば、もちろん大丈夫ではない。しかし、もはやここから逃げ出すわけにいかないのもまた事実。
シグマは大きく息を吸い込み、目を閉じる。
(大丈夫、今回の相手はちゃんとした人間。昨日のオークとかよりも、ずっとずっと戦いやすい……)
自分にひたすら言い聞かせ、精神の統一を計るシグマ。動揺と焦燥で荒れ狂っていた心情も、今では穏やかな海のように静まり返る。
覚悟は決まった。彼は勢いよく開眼すると、魂を籠めて宣言する。
「―――行けます!」
その返事にレオンは満足そうに頷くと、
「では試合―――開始!」
勢いよく開戦を宣言する。
それを皮切りに、闘技場の二人は戦闘を開始した―――!
一分後。
……シグマは闘技場の中央にうつ伏せで突っ伏していた。
「そりゃそうだよ、勝てるわけない……」
心なしか周囲の空気も微妙なものに感じる。戦った兵士なんて「え、これで終わり?」なんて言うような、どこか呆然とした表情をしていた。
しかしこれは当然の結果だ。いくら継承者であると言っても、儀式剣を用いなければシグマはそこらの一般人と何ら変わらない。普段から鍛えている兵士と戦っても、一方的にボコボコにされるしかないのである。
が、負けは負け。どう言い訳しても結果は変わらない。
それを踏まえてシグマは打ちのめされた身体を起こす。
いつの間にか、目の前にはレオンが立っていた。
「お疲れ様です。いやー、しかし散々な結果になったものですね」
「……予想はできたと思うんですけど」
「そうですね。だって本番は明日なのに、ここで本気を見せるわけにはいきませんよね」
ん? とシグマはレオンの言葉に何か引っかかりを感じる。
しかしそれに気づく前に、レオンは背を向けた。
「皆さーん、油断してはダメですよー! これはシグマさんの作戦。今ここで負けて弱く見せることで、明日の演習で我々の不意を突こうと画策しているんですからねー!」
「ちょっ⁉」
無論、シグマにそのつもりなど毛頭ない。
しかし、兵士のみんなは納得したようで、
「なるほど、そういうことだったのか!」「くそ、一本取られたぜ!」「よっしゃ、なら明日はもっと楽しくなりそうだな!」と再び賑やかに騒ぎ出す。
最初はその脳筋ぶりに呆然としていたシグマだったが、やがてあることに気づいた。
兵士たちが楽しそうに笑っている。先ほどシグマがあっけなく敗北した時の微妙な空気が、今ではまるで無かったみたいに。
そこでようやく気がついた。レオンが吐いた嘘は、シグマの価値を陥れないようにするものだと。
「おやおや、これでは明日、もう手を抜くことはできませんねぇ」
当の本人は、意地悪そうな微笑みを浮かべてそう言ってくる。そのとぼけ方に、シグマも笑うしかなかった。
「レオンさんには敵わないですよ」
「さて、なんのことやら。しかしこれではシグマさんに試合をさせるのはやめた方が良さそうですね。明日は演習も控えていますし、あまり無理をさせるわけにもいかない」
そこでレオンは大きく頷くと、
「よし、今日の訓練はここまで!」
そう言って兵士たちの訓練を早めに切り上げた。
レオンの性別を女性にすればよかったと、若干後悔している自分がいる。