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邂逅/再会

ヒロインNo.2、ようやくまともな出番

彼女のコンセプトは『主人公の立場を食いかねないヒロイン』となっております。

これは後々、活かすことになります。

 先導するレオンについて行き、向かったのは予想通り、あの聳え立っていた立派な城だった。


 城の周りは二メートルほどもある巨大な塀で囲われており、塀の上では見張りの兵が常駐している。安易に侵入は望めない。


 この絶壁のような塀の先へ進める入口は一つだけ。シグマらの目の前で荘厳と構えている鋼鉄製の城門だけである。それが今、重い音を立てて、中央から割れるようにしてゆっくりと開いていく。


「わあ……」


 現れた内部の光景に、シグマとハウルは揃って感嘆の声を上げた。


 辺り一面を敷き詰めるように覆う草丈の低い芝生が、何物にも遮れられぬ日差しを受けて、その色彩を鮮やかに染めている。ときおり吹き抜けるそよ風が、優しく風紋を走らせていた。さらに通路となる道を区切りとして、手入れの行き届いたいくつかの果樹や垣根も生えており、おそらく見る者の視覚や感性を考慮して意図的に配置されたそれらは、まさしく風光明媚というに相応しい庭園を造り上げていた。


 まるで門を通じて別の世界へ足を踏み入れたと思うほど、景色の変容は劇的である。


 だが、二人が声を上げたのは、何も景色の変化についてだけではない。それは見ただけでもわかっていたことだが、現在レオンに連れられて周るだけで実感できる。


 広い。下手をすれば、今まで歩いてきたリューズビーリアという国の城下町と同じか、あるいはそれ以上に。広大な庭園はいくつもの道を張り巡らせながらも、ひたすら彼方まで彩っていた。


 そして、鮮やかな庭園の景色において、唯一それを凌駕する建築物が一つだけ。


「これが、この国の―――」


 頭上を仰ぎ見るシグマは、その巨大さもさることながら美麗かつ荘厳な立ち住まいに、呆然と言葉を漏らした。


 そんな様子のシグマを横目に、レオンは大きく頷いて、誇るようにその名を告げた。


「我が国の象徴、我ら兵士の依り標。それこそがこの―――リューズビーリア城です」


 美しい、という他なかった。


 それほどに、天を衝くように聳え建つこの城は立派だった。


 街から見ていてもわかっていたことだったが、やはりその全貌は見上げるほどに巨大である。ただ、そう予想していたにも拘らず、予想を超えてしまったその大きさに愕然としてしまった。


 しかも、ただ巨大というわけでもない。


 城は重ねた年季の威厳を感じさせているというのに、その城壁は如何なる魔術を使ってか、風雨にさらされた劣化の一つも見せない真新しさも兼ね備えていた。


 そのせいか、この城は二つの矛盾を両立させた、言うに難い美麗さを持っている。


 このような芸術品の如き建造物。果たして元の世界に対抗できるものがあっただろうか。シグマは再び感嘆の息を吐いた。


「―――開門(アプトゥリティ)!」


 横でレオンが何かを唱えた次の瞬間、今まで固く閉ざされていた両開きの巨大な扉が、独りでに重々しく開き始める。


 やがて扉が完全に開き切ると、レオンは悠然と先へと進み、ちょうど扉が室外と室内を区切っていた位置でシグマらの方を振り向いた。


 彼は未だ微笑みを浮かべたまま、自身の背後へ二人を促す。


「どうぞ、こちらです」



 先導するレオンについて歩く。


 廊下の装飾は、予想していたよりはずっと質素だった。だが変に仰々しくても足を踏み入れることが躊躇われるため、シグマとしてはこちらの方がありがたい。


 その道をひたすらに歩き続ける。彼らに会話はおろか独り言すら無い。カツカツと刻む足音だけが響いていた。


 誰も口を開かないのは、つい先ほどまで明るく快活だったレオンが別人の様に真剣な様子だからか、あるいは……自らが進む先にある、厳かな雰囲気を肌で感じ取ってしまったからか。


 真相は語られぬまま、彼らは其処へ辿り着く。


 行く手を阻む、閉ざされた巨大な両開きの紅い扉。しかし城の入口に構えていた扉とは、装飾も厳格さもまるで比にならない。


 知らず、シグマは生唾を呑み込む。


 この扉を隔てた先には、自分の知らない空間が広がっていることを察知して、その威に圧された。


「シグマさん、ハウルさん」


 こちらを見ず名前を呼ぶレオンの声は、もはや別人と錯覚するほどに真剣さを増していた。


「この先に、我らが姫君を代表として、この国の重鎮たちが並んでおられます。彼らは寛大な心をお持ちなので、シグマさんたちに礼儀作法のあれこれを口煩く言及することはないでしょう。ですが、それでも失言等の失態は晒さないよう、お気を付けください」


 その言葉の重みに躊躇いこそしたものの、二人は「わかりました」と頷いた。


 それを聞いてレオンは少しだけ頬を綻ばせる―――一瞬で表情を引き締め、一歩前へ。


 大扉に手を押し当て、ゆっくりと開けていく。奥から差し込んでくる帯状の光。それは扉が開かれていくと同時に増していく。


 やがて、扉が完全に開かれ―――内部の全貌を目の当たりにした。


「―――――」


 不思議な細微紋様を写す天蓋は高く、金色絢爛のシャンデリアが三つ、並ぶように吊るされていた。磨き抜かれた床にはモザイク画が描かれており、その中央を横断するように深紅のカーペットが先へと伸びている。左右には大木ほどの太さを持った純白の柱が林立し、それを背にする形で兵士たちが毅然と起立していた。


 あまりの凄さに、言葉を失う。


 もとより内部を見る前から異次元のような空間が広がっていると覚悟はしていた……が、その上でシグマは呆けてしまった。


 ここでは美しいという言葉でさえ霞む。まさしく金殿楼閣というにふさわしい在り方。


 眺めているだけで、その空間に取り込まれそうになった。


 そして、シグマが危うく驚嘆と感嘆の入り混じった声を漏らそうとした、その瞬間、


「来たわね」


 その一言が空間に響き、彼は零れる寸前の言葉を呑み込んだ。


 ただでさえ緊張に満ちた周囲の雰囲気が、さらに張り詰めたものへと変貌する。


 声の主は視線の先。今シグマらがいる場所から少し離れた位置、そこから五段の段差を設けて作られた壇上に、おそらく最高権力者が座るとされる玉座がある。それを背にした格好で、赤と白を基調とした足丈の長いドレスに身を包んだ一人の少女が立っていた。


 見た限りではシグマとそう歳は変わらないくらいに若い。


 だが、雰囲気だけが決定的に違う。


 彼をまっすぐ見つめる深紅の双眸。幼さを微塵も感じさせない毅然とした表情。一歩も退くことを想像できない堂々とした立ち姿。


 彼女の厳格な雰囲気は、それらが構成されて完成していた。


 さらに目を引くのは、その耳元。金色の髪の合間から生えている、白銀の獣の耳。それはオオカミが持つ物と酷似していた。やはり彼女もこの国の民草同様、銃人であることに変わりはないらしい。


 シグマは先刻のレオンの言葉を思い出す。そういえば彼は、この国の最高権力者が姫君であると言っていた。


 今、この空間にいるのは、シグマとハウル、前方で頭を垂れるようにして跪くレオン、その両脇に並ぶように立つ兵士たち、前方の王座の左右に鎮座する老齢の大臣と思しき人物たち、そしてくだんの少女である。この中に姫君と呼ばれる者―――つまりは女性となるものは、ハウルを除いて一人しかいない。つまりは、


「貴女が、この国の……」


「ええ、私がリューズビーリア現王女、ルカライネ・エグニカルス・ファルサーニャ。この国を統べる最高責任者にして―――貴方をこの世界に召喚した者よ」


 ルカライネと名乗った少女の目つきは、相変わらず冷ややかなまま。あまりの鋭さに目を背けたくなる。


 しかし同時に、シグマは内心腑に落ちない部分があった。


(この人の声、聞き覚えがあるような……)


 少なくともシグマは初対面の相手。だというのに、そう感じてしまう。


 詳細ははっきりと思い出せない。どこかで、この声を聴いたという認識程度。あるいは本当に似た他人の声だったかもしれない。


 けれど、一瞬だけ―――悲痛な表情で何かを叫んでいるルカライネの姿が脳裏を過ぎった。


 これはいったい、何の記憶だったか……?


「どうしたの? 相手が名乗りを上げたのだから、貴女も名乗るというのが礼儀でしょう」


 思考は、やや苛立ちを混ぜた彼女の言葉に途切れさせられた。シグマは慌てて考えていたことを振り払い、周りの重圧に負けぬよう意識して呼吸を整える。


「僕はシグマです」


 かろうじて声は震えなかった。


 シグマの答えに、ルカライネは相変わらず険しい表情のまま、静かに頷く。


「そう、シグマというのね。それでは貴方をシグマと呼ばせてもらうけれど、構わないかしら?」


 あくまでも訊ね事であるはずなのに、とても〝いいえ〟とは言えなかった。しかし別段、呼称の違いでシグマに損益がでるわけでもないので、彼は首を縦に振って同意した。


「ではシグマ、これより貴方へこの世界の理を、そして貴方の役割を説明するわ。貴方には埒外の話になるかもしれないけれど―――」


「『王位継承戦』、そしてその戦いに参戦する『王位継承者』……それが僕なんですよね」


 おそらく知り得ないと踏んでいた単語が、よもやシグマの口から出るとは思わなかったのだろう。遮るように放った彼の言葉は、一瞬だけその空間の空気を凍結させた。


 だが直後に、彼女の左右で鎮座している大臣らが驚愕と困惑の入り混じった様子で顔を見合わせ始める。


「……レオン、これは貴方の計らい(しわざ)かしら?」


 大臣程は無いものの、やはり少々眉をひそめたルカライネは、眼下で跪くレオンに訊いた。


「いえ、私が初めて言葉を交わした時から、シグマ殿はすでにこの世界についての知識を保有していました。彼はそこのハウル殿に教示してもらったとのことです」


「報告にあったシグマの同行者ね。なるほど、それならば知っていて道理だわ」


 すると彼女は、視線をレオンから緊張で縮こまっているハウルへ向けた。


「此度は我が国の継承者を保護し導いてくれたこと、誠に大義であった。我ら一同、その協力に深く感謝するわ」


「は、はい、ありがとうございます……」


 やはりハウルの返事も、緊張で震えていた。


 まあ仕方ないよね、とシグマは内心苦笑しながら、ちらりと横の彼女を盗み見る。


 そこで異変に気がついた。


 見れば、震えていたのは声だけではなかった。彼女の全身が小刻みに振動している。


 それだけなら、やはり緊張から来る震えだと結論付けていたかもしれない。……しかし彼女の表情が、そうでないことを証明していた。


 頭はわずかに俯きがちで、歯は噛み合わず小さく音を立てている。その顔色はほのかに青白く、まるで今にも頭を抱えて泣き出しまいそう。


 そこには、紛うことなき恐怖の色があった。いかなる理由からか、ハウルは怯えているのだ。


 上から見下ろす形のルカライネからは見えないだろうが、シグマにはその様子がはっきりと見て取れた。


 ―――なんだ、彼女はいったい何に怯えている?


 この空間に満ちている厳格な雰囲気に気圧されたとしても、あそこまで怯えることはあるまい。少なくともシグマには、その要因となるものがすぐには思い浮かばなかった。


「……ところで」


 すると、ルカライネが呆れ果てたように嘆息した。


「王室礼法を完璧にした上で私の前に立て、なんて無理難題は言わないけれど……せめてフードは外すのが礼儀(マナー)というものじゃないかしら?」


 それがハウルに向けられた注意というのはすぐに分かった。なぜならこの場において、フードを被っている者など彼女を除いて他に居ないからだ。


 ハウルは指摘を受け、今度は痙攣するようにびくりと大きく震える。それでも彼女はそのまま震えるばかりで、一向にフードを外そうとはしない。


 その様子にルカライネは徐々に眉を吊り上げ、シグマは怪訝そうに眉をひそめる。


 怯えているハウルには悪いが、シグマとしてもルカライネの注意には同意できる。会話とは基本的に面を合わせて行うもの。相手の顔をまっすぐに見据えて話すことで、自分には何もやましい事実を持っていないという信用を相手に与える、初歩的な意志疎通である。


 だがそうなると、今のハウルは『私は知られたくない秘密を抱えています』と自ら体現していることになる。こうなってしまえば大抵の人は疑心暗鬼となり、言論行動全てにおいて疑ってかかるようになってしまう。


 ましてや身上の王族に謁見しているこの場において、その行為は無礼極まりない。最悪このまま横で起立している衛兵に捕らえられて、そのまま牢獄へぶち込まれても何らおかしくないだろう。


 その展開は不味い。


 そうならないようにするには、この場でハウルがフードを外すほかない。


 だが、彼女はそんな些細なことを躊躇している。そこまで追い詰められているのは、緊張や人見知りだけが原因ではないだろう。


 では、今の彼女を縛っているものは何か。彼女がフードを外すことで発生してしまう不都合は―――


『私がシグマと契約すれば、それはその国の所有物の侵害となって、立派な侵略行為になってしまうんだ』


『たとえどんな正当な理由があったとしても、相手からしたら自国の人材を奪われたことに変わりはない。侵攻って目的のために、その理由を手段として使うには十分すぎるんだ』


『……それに、私の国はもう戦争できる状況じゃない。だからこれ以上、私はあの国をボロボロにしたくないの……』


 瞬間、森の洞窟での会話が再生された。


(そうだ……ハウルは僕と契約してしまったんだ……!)


 迂闊だった。なぜそんなにも重要なことを、今の今まで忘れてしまっていたのか。


 おそらくハウルはこの国の住人ではない。なぜならこの国に住む者には生えている獣の耳や尻尾などが、彼女には存在しないのだから。


 ハウルにあるのは、頭部にある二つの小さな巻角だけ。彼女がフードを外してしまえば、彼女がこの国の住人でないというその証拠が隠されることなく露呈する。


 この国がどれほど他国交流を盛んにしているか定かではないが、彼女が民草でない事実は少なくともこの場をどよめかせるに足りるだろう。


 ……いや、それだけなら問題ない。


 たとえハウルが異国の人間だとしても、彼女がシグマを救ったという事実は変わらない。さらにシグマは王位継承者という、この国において重要な立ち位置に存在する者。迷子の子供を見つけて案内するのとはわけが違う。


 それを鑑みれば、彼女が異国の人間ということを差し引いても十分称賛に値する。一瞬のどよめきはすぐに収まり、次いで拍手喝采と賞賛が贈られることになるに違いない。


 だから問題なのは、その後である。


 ハウルは言っていた。〝王位継承者は儀式剣を用いて戦うもの〟と。


 儀式剣とはそれぞれの国が保有する、いわば王位継承戦に参戦するための証である。それが無ければ王位継承者は戦えないのだから、必然的に王位継承戦に参戦することも不可能となる。


 であれば、シグマを召喚したこの国には、彼に譲渡するための儀式剣が存在するのだろう。そして儀式剣を使うためには魔力が必要となり、それを単独で生産できないシグマは〝契約〟を行うことで魔力を得るようにする。


 だが、すでにシグマは契約をハウルと済ませており、儀式剣も保有している。彼女から託された『破滅を謳う永劫不落の白装束』という銘の儀式剣を。



 他国の王位継承者と契約することは、それ即ち侵略行為となりて―――大罪。



 ハウルがシグマと契約したことが判明すれば、彼女はたちまちのうちに大罪人の立場に落とされる。


 国家間の衝突を引き起こすきっかけを作り出す、そのような規模の罪を犯したものへ科される刑罰など―――死刑でしかありえない。


(まずい……まずい、マズイ!)


 このままではハウルが殺される。


 それを理解し何かしらの機転を利かせようと策を練るが、焦燥に満ちた今の心情では案の一つも出てこない。


 こうしている間にも時間は過ぎていき。


 二人を見下ろすルカライネの機嫌は悪化していく。


 だけど何の手立ても見つからなくて。


 回天の策は講じれないまま、遂にその時が来た。


 凍えているかのように震えた両手をゆっくりと持ち上げて、ハウルは自らのフードに手を掛けた。


 そこから三秒。逡巡による停止の時間が続くも、結局彼女は何もできず。


 ……静かに、フードを外した。


「―――――――」


 瞬間、確かに場の空気は凍り付いた。


 誰もが凍結した空気に身体を絡められて、動けないでいる。あれほど凛としていたルカライネや、前方で彼女に跪いていたレオンでさえ、今ではハウルの正体を目撃して目を丸くしている。


 そして、彼らの視線はハウルの頭部―――二つの小さな巻角に注がれていた。


「……なん、ですって……⁉」


 どこか呆然とした、ルカライネの驚愕の呟きが辺りに通る。


 そしてそれが皮切りとなって、周囲の大臣らがどよめきだす。さらには横で並んでいる兵士らも、さすがにどよめくことはしなかったが、それでも隣人と顔を見合わせたりアイコンタクトを交わすなどして、それぞれ驚愕の色を見せていた。


 時間が経過するごとに、場のざわつきは肥大していく。


 その騒ぎの元凶であり、彼らの視線の中心にいるハウルは、居心地が悪そうに身体を小さく萎縮していた。


 一方、彼女が注目されることによって誰からもノーマークとなっているシグマは、焦燥感に逸る気持ちを抑え、努めて冷静に分析と予測を重ねていく。


(今、ここでみんながざわついているのは、ハウルの正体が想像していた者と違っていたからだ。もう少しすればみんなその事実を呑み込んで、このざわつきも収まるはず。だから今は、この後のことを考えよう。どうすればハウルを死なせないようにできるか―――)


 そう考え始めた、矢先だった。



「―――総員、構え‼」



 突如、空間内にルカライネの怒号の命令が響いた。


 するとその声に反応した周囲の兵士らが、一斉に腰に挿している剣を抜刀する。


「な……っ⁉」


 急な事態の変容に、シグマは思わず目を剥いた。


(そんな、まだハウルはなにも問題を起こしていないのに、なんで……⁉)


 予測が外れたことに歯噛みする。


 周囲の兵士の眼はすでに敵意で満ちており、それは変わらずハウルへ注がれている。


 彼女はただ、怯えているだけというのに。


「さすがに驚いたわ。まさかアスマジアーニャンの王族が、この私へ謁見をしに来るなんて」


 語るルカライネの声色は、やはり敵意に塗れている。


 彼女が放った言葉の意味を理解することに、シグマは些か時間を要した。


「ハウルが、王族……?」


 知らなかったその事実に、シグマは呆然とした。


 自分の横で恐怖し震えている華奢な少女が、目の前で荘厳にこちらを見下ろすルカライネと同じ地位にいるという。二人の様子は、あまりに対極的というのに。


 ハウルには申し訳ないが、とてもシグマにはそう思えない。


 二人に面識があるようにも見えなかったし、一体ルカライネは何を以ってハウルを王族だと判断したのか。


 その疑問が思考の内側を満たしていく。


 だけど同時にその裏で、落胆に似た感情も沸いていた。


 ―――僕は、ハウルのことを何も知らない。


 森で彼女と出逢ってから、未知の世界の見慣れない出来事で必死になって、自分のことしか考えていなかった。


 ゴブリンらと対峙したときに見せた、ハウルの悲痛な表情。それがシグマの力を振るう理由の発端にもなった、重要な記憶であるはずなのに。


 その悲しみの理由を、シグマは未だ知らずにいる。


 それがどうしようもなく、歯痒かった。


 きっと状況がもう少し沈着していたのなら、シグマは不甲斐なさで壁に拳を叩きつけていただろう。


 だが、今はそんなことをしている場合ではない。


 周囲には相変わらず、ハウルに向けられた殺気が充満している。


 そして、ルカライネの表情も厳しいままだ。


「それで、どうして貴様のような者が此処にいるのかしら? ()()()()()()()()()()()()()()()()()、戦争が始まる前にこの国を転覆させようなんて謀っているのではないだろうな?」


「ち、違っ……!」


 さすがにその言い草は聞き捨てならなかったのか、ハウルは声を荒げて反論しようとする。しかし、ルカライネの双眸から放たれる威に圧され、最後まで言葉が出ることはなかった。


「異を唱えるのなら、理由を示せ。それができないのなら、我らは肯定と受け取るが」


 卑怯だ、と、シグマは内心で舌打ちをする。


 今のハウルは完全にルカライネの迫力に負けている。あれではどれだけ言いたいことがあっても、舌先が震えて言葉が上手く紡げない。


 それをわかっていながら、周囲の誰もが敵意を納めずに向けている。


 魔女裁判という言葉が脳裏を過ぎる。この場に被告人への配慮というものは存在しない。ただ、問いかける疑惑を無理やり肯定と受け取る、機械的な理不尽が横行するだけだ。


 正しさを無視して、一方的に決めつける。


 ましてやそれが、自分の恩人に行われるなど。


 もはやシグマには我慢ならなかった。


「……あ、……」


「……どういうことかしら、シグマ?」


 対峙する二人の間へ、ハウルを庇うように割り込んできたシグマに、ルカライネは冷ややかでありながらも怪訝そうな視線を突きつける。


 その迫力に一瞬だけ身が竦んだ。なんて重圧、ハウルが言い淀むのも無理はない。


 だが、シグマも負けじと彼女の眼を睨み返す。


「ハウルは僕の恩人です。だというのにこんな仕打ちを受けさせるなら、僕も黙ってはいられません」


「貴方には関係の無い話よ。退きなさい」


「いいえ、退きません。これ以上この問答を続けても無意味だ」


「事情を知らない貴方には確かに無意味ね。でも、私たちには確実に意味がある」


「あなた方の不手際で別の場所に召喚された僕をハウルは助けてくれた。それを一方的に断罪することに意味があるというのなら、そちらの方がよほど外道でしょう……!」


「……口を慎め()()。それ以上無駄に口を開くのであれば、いかに王位継承者と言えども看過しない」


「それでもあなた方がハウルを処罰しようとするのであれば、僕は一歩たりとも退きません」


「そう……どうも貴様は継承者という立場に泥酔しているようね。だけど、継承者というのは儀式剣を保有して初めて力を得ることができるもの。今の丸腰の貴様では、そこの兵士一人にすら及ばない。それを理解したのなら、今度こそ口は噤んでおけ」


 論争をぶつけ合う二人の間には、ある一つの認識の差異が生じていた。


 ルカライネはまだその事実を知り得ない。だから少し厳しめの口調で脅せば、シグマはすぐに引くだろうと踏んでいた。


 だからこそ、未だにハウルの前から動こうとしない彼のことが、わからなくなる。


 ―――よほど胆が据わっているか、或いは単なる大莫迦か。


 今この場において、シグマを評定しようとしたその矢先。口を噤めと言われたにも拘らず、懲りずに彼は彼女の方を見据えて、


「姫君、貴女はハウルをどうするつもりですか?」


 ハウルの処遇について、問うた。


 するとルカライネはなぜ至極当然なことを訊いているのかとでも言いたげに、威厳に満ちた目でシグマの眼を見据え返す。


「私はこの国を守る責務がある。それを脅かすものは―――何者であれ排除する」


 嘘偽りのない、いっそ清廉さすら感じてしまうほどに真っ直ぐな答えだった。


 ……だからこそ、シグマは少しだけ残念そうに眼を伏せる。


 ルカライネの意志は変わらない。彼女が背負っているのはこの国そのものなのだから、生半可なことでは揺らぐことさえ許されないのだろう。


 それは出逢って間もないシグマがどれだけ嘆願したとしても、覆すことのできない現実だ。


 だから、


「さあ、問いには答えたわ。今度こそ満足したかしら」


「はい。―――ですが、退くつもりは更々ありません」


 交渉は此処に決裂した。


「……レオンハルト」


 ルカライネは歯を食い縛り明確に苛立ちを見せて、それでも声を荒げることはせずにレオンの名を呼んだ。……ただし、その声色は湧き上がる感情を押し殺して、底冷えに響く重低音を響かせる。


 一方、呼ばれたレオンは落胆の息を吐きながら、腰挿しの剣を抜刀しシグマへ突きつける。そこに、出逢った当初の朗らかな微笑みは微塵も無い。ただ敵を捉え見つめ続ける冷酷な瞳だけがあった。


「残念です、シグマさん。このような展開は我々も望んでいませんでした」


「……僕もです、レオンさん」


「せめてもの慈悲です。抵抗することなく投降するのであれば、これ以上危害は加えないと約束します」


「それは僕にだけ適用されても意味が無い。ハウルが無事でいられる保証が無いというのなら、悪いですけど、投降するわけにはいきません」


「そうですか。では姫君、いかがいたしましょう?」


「双方捕らえて、地下牢へ移行しなさい。処遇については後々下すわ」


 切先をシグマに突きつけたまま待機の状態のレオンに、ルカライネは一瞬の逡巡も無く命じた。


 シグマはそれを聞くと、静かに目を閉じる。


 突然の行動に怪訝な色を見せたルカライネだったが、それも一瞬、すぐにつまらないものを見るような目で彼のことを心底見下した。


「非力な分際で、図に乗り過ぎよ。これから地下牢で時間をかけて後悔するといいわ」


 吐き捨てた彼女の言葉は、非難にも似た罵倒だった。


 もはやこれにて、ルカライネの中で彼との会話は完結した。おそらくもう二度と言葉を交わすことはないだろう。少なくとも彼女は、そう結論した。


 だが、


「いいえ、」


 拒絶した男が、性懲りもなく口を開く。



「そうやって後悔するくらいなら―――僕は戦います!」


 その懐から、白色の輝きを放つ一振りの短剣を取り出して。



 誰もが瞠目した。シグマの取り出した、彼が瀕する状況においてはおよそ貧弱とも言えるその獲物に。


 見覚えがあったわけではない。ただ、酷似した気配を感じ取っただけだ。


 肌を撫でる淡い感覚。それは魔力の使用の際に発生する、微弱な余波。


 それ自体は、何らおかしいものではない。このリューズビーリアという国だけでなく、この世界の全てが魔力と言うものに精通している。今更魔力の発生に伴う感覚など、誰もに馴染んだ身近なものだ。


 だから今、彼らに驚愕の色を見せている元凶は―――魔力源である。


 魔力という常識が当てはまるのは、あくまでもこの世界の生物だけだ。他界から招かれた王位継承者―――つまりはシグマに、魔力というものはもともと備わっていない。


 だというのに、彼からは魔力の気配が素人目にもわかるほどに感じられる。


 それは、つまり。


「……すでに契約は済ませているというわけね、戯け……!」


 ルカライネは憎悪にも近しい感情を秘めた眼を、彼へと向ける。


 継承者が魔力を保有する手立ては一つだけ。それはこの世界の人間と『契約』という儀式を行うことである。


 その定めが、シグマが他国の人間と契約を完了させたという事実をどこまでも証明していた。


「誰と契約した、なんて問いは不要ね。そうでしょう、ハウルとやら?」


 名を呼ばれたハウルは、俯きがちに小さく頷く。


「……紛れもない事実です。でも、それは、」


「黙れ、簒奪者」


 ルカライネは、彼女の弁明を微塵も許可しなかった。


「王位継承戦において、他国の継承者と契約することは最大の禁忌よ。それを平気で犯すなんて、流石『魔族』と呼ばれるだけはある」


 突き刺すような物言いではあるものの、そこには事実しか含まれていなかった。だからハウルは反論することができずに、小さく歯噛みする。


 一方、シグマはルカライネの放った『魔族』という呼称に眉をひそめた。


 なぜその呼称がハウルを指したのか。それが気がかりであった。


 だが、彼はすぐさま考えることを中断した。……ルカライネの視線が、再び向けられたからだ。


「そして……なるほど、貴様の態度にも合点がいったわ。初めて得た力を過信して、それが全てだと思い込んで気を大きくしている。こういったところかしら?」


「生憎ですが、僕は始終平静であり続けています」


「いいえ、貴様の見せる態度は、間違いなく慢心から由来している。もしもまともな判断ができるなら、周囲を囲まれている場で戦うなんて断言はしない。いくら天舞の才があろうとも、単身でこの場を切り抜けるなんて楽観的思考は生まれないわ」


「……そうですね、たしかに独りでこの場を切り抜けるには戦力差があり過ぎる。でも、それは僕にとって、さして重要なことではないんです」


 その答えにルカライネは怪訝な表情を見せるが、シグマは構わず続けた。


「僕はこの力を、ハウルを守るために使うと決めた。だから、たとえ軍勢が押し寄せてくるような戦力差であっても、彼女が危険に曝されるのなら代わりに僕が矢面に立って戦う。優劣は関係ない、ただ彼女を守るために戦わなければならないんだ」


 そうしてシグマは、ゆっくりと短剣の柄へ手を伸ばす。


 明確化していく彼の戦闘意志。……その中に恐れが無いと言えば嘘になる。


 だが、それは周囲の兵士らと戦闘を繰り広げることに対してではない。別に皆無というわけでもないが、やはり大元と比べると度合いは格段に違っている。


 シグマが感じている恐怖。それは、儀式剣の代償である。


 彼が持つ儀式剣『破滅を謳う(シャルベリア)永劫不落の白装束(・アルファザード)』には、保有者に莫大な力を与える半面、膨大な激痛をもたらすという代償が存在する。その激痛はこの世全ての痛みを統合して尚も届かない領域、もはや人の身が耐えられる代物ではない。一応、シグマもその苦痛は味わっているが、何故自分が耐えられたのか、その理由は本人にも不明。


 しかし、耐えられたからといって、また同じように動けるかと言えば、やはり逡巡はあるのだ。


 この剣を引き抜けば、また埒外の激痛が身体を支配する。次は理性を保てるか、その保証はどこにも無い。


 だが、これとそれは別だ。


 シグマがどれだけ激痛に苛まれようが、ハウルを救うという一点は揺らがない。


 森での誓いは、今もまだ生きている。


「……総員、戦闘体勢へ」


 ルカライネの一言によって、裂けそうなほどにまで張り詰めていく空気。周囲の敵意が、容赦なくシグマへ突き刺さる。


 それでもシグマは、威に臆することなく剣の柄へと手を掛けた。


 深呼吸を一つ、それで彼は最後の覚悟を整える。


 そして、


「待……って、シグマ……っ!」


 シグマが剣を抜く寸前で、ハウルの静止が彼の身を強張らせた。


「でも、このままじゃ……!」


「それでも待って、お願い……ちゃんと、ちゃんと私が説明するから」


 怯える心を必死に制した、強がりともいえる声だった。


 するとハウルはシグマの横を通り過ぎ、前へ出る。そしてその場で膝を付き―――ルカライネに対して、頭を垂れて跪いた。


 その様を見せられて、ルカライネはわずかに眉をひそめる。


「……どういうつもり。この期に及んで、命乞いでも聞かせるか?」


 その明らかに侮蔑が含まれた声にハウルは一瞬だけ身体を震わせるも、大きく深呼吸をしただけで反論することはしなかった。


 そして、意を決したように彼女は切り出す。


「これまでの度重なる非礼の数々、伏してお詫び申し上げます。も、もしも殿下に、寛大な御心があるなれば、お、恐れながら、弁明の機会を頂きたく存じます」


 ひどくたどたどしい言葉だった。


 だが、その内容は見事なものである。今、この場には数多くの兵士や大臣が存在しており、ハウルはその中でルカライネの器を量るような物言いで陳情した。こうなると、もはやルカライネにはこの要求を無視することはできない。もしそうしてしまえば、それは『自分には一人の弁明も聞き届ける余裕がない』と自ら体現してしまうことになる。そうなれば彼女の威厳は少なからず低下するだろう。国を統べる者にとって、支持が低下することは非常にまずい展開となる。


「……頭を上げなさい。いいわ、発言を許可する」


 そのため、どれだけ拒絶しようとしても、ルカライネはそう言うほか無かった。


「有難う御座います」


 そしてハウルは言われたとおり、ゆっくりと頭を上げて、改めて少し目上にあるルカライネの眼を見据える。


 深紅の瞳は微塵も揺らぐことなく、真っ直ぐにハウルの眼を見返している。少しでも気を抜けば、呑み込まれてしまいそうだった。


 そうならないよう、ハウルは必死に混乱に陥りそうな自我を制動し、口を開いた。


「申し遅れました。私の名はハウルス・アルファザード・ロンギニカ。アスマジアーニャン建国時より続くアルファザード王家の血筋を受け継ぐ者であり、次期王女……()()()者です」


 その告白に、場にざわめきが拡がる。兵士も臣下も皆、隣の者と顔を見合わせていた。


 無論、驚愕しているのはシグマとて同じである。彼もまた、驚愕で見開いた目をハウルに向けていた。


 本当だった。ルカライネの言っていた通り、ハウルは王族だった。


 だが、なぜハウルが告白する前に、彼女が王族であることが露呈してしまったのか。


 その疑問は判明しなかった。なぜなら、直後にルカライネが新たな疑問について訊いてきたから。


「随分と含みを持たせた物言ね。まるで貴様が王族の地位を追われたように聞こえるけれど」


「…………その、とおりです………」


「何ですって?」


 少しばかりの沈黙の後に吐き出されたハウルの答えに、思わずルカライネは訊き返した。


「……殿下、御報告があります」


 その答えとして、ハウルはその事実を告げる。


 氷刃に心を貫かれたような、つらく苦しそうな面持ちで。



「今日より遡ること二日前、アスマジアーニャンにて召喚された王位継承者が国王へ叛逆。その結果として、我が国は陥落しました……!」



 瞬間、この場にいた全員に戦慄が走った。果たしてその報告がどれほどの衝撃を与えたか、誰もがこれまでの比にならないほどの驚愕の相を浮かべる。


(そんな、ことが……)


 周りの兵士や大臣同様、シグマも驚愕……というよりは呆然としていた。


 その反応は当然と言っていいだろう。なにせ昼夜行動を共にしていた相手が、まさか亡国の姫とは夢にも思うまい。


 しかし同時に彼は、ハウルの告げた内容に些か引っかかりを感じていた。


「叛逆だと⁉ バカな、そうならないための契約の理ではないのか⁉」


 シグマの思うところを、大臣の一人がまくし立てるように代弁する。


 彼の言う〝契約の理〟とは、継承者が『契約』の儀を経て得る、ある作用のことを指している。


 継承者にとって契約とは、魔力を自己生成できるようにするための儀式。だが、契約によって発生する作用は、決してそれだけではない。


〝契約主との死の共有〟。これは契約を行い魔力を手に入れた継承者が、契約主を用済みと判断し反旗を翻すことを防ぐために定められた、絶対のルール。このため、もしも継承者が契約主を殺してしまえば、その代償として継承者も死ぬこととなる。


 その理がある以上、継承者は契約主に叛逆することはできない。仮にできたとしても、契約主が処刑、あるいは自殺によって死んだ際には継承者も同様の道を辿ることになる。


 その危険があるというのに、なぜ継承者は叛逆を犯したのか。


「まだ契約をしていなかったんです」


「なん、だと……⁉」


「お父様……ロンギディア・アルファザード・レイザーグ王は継承者を召喚したのですが、『今はまだ期ではない』と契約を行わず、そのため期が訪れるまでの間、継承者を放置していました。

 ……だけど、それが仇になってしまった。継承者は密かに我が軍の懐柔を謀り、その規模を増大させて、最終的には九割もの軍を手中に収めて蜂起を開始。我々王族もその意図を遅れながら知り、かろうじて懐柔を免れた残りの一割と共に籠城するも回天には至らず、最終的に王城は陥落、私は父上の機転によってリューズビーリア郊外の森へ逃亡しました」


「……そこでシグマと出逢ったと」


 ルカライネの声は重々しかったが、それでも若干の棘は取れていた……そうシグマには聞き取れた。


 そしてハウルも、重々しく頷く。


「……本当は契約するつもりは無かったんです。ですが、私を追ってきた追手にシグマは殺されかけてしまった。彼が瀕死の状態を脱するには儀式剣の力に頼らざるを得なくなり、そのために必要な魔力を与えるために彼と契約しました」


 その言葉に、ルカライネは眉を寄せる。


「……待て。では、そこのシグマが所持しているのは―――アスマジアーニャンの儀式剣ということ?」


 ハウルは僅かに逡巡するが、やがてこくりと頷いた。


 その反応に、ルカライネは頭痛を抱えたかのように額へ手を当てる。


「単に魔力を手に入れただけで気が大きくなっているのかと思ったけれど……どうやら違ったみたいね」


 今にもため息を吐きそうなほどに、呆れ果てたような物言いだった。しかし彼女はすぐに表情を引き締め、少しばかり大きく息を吸う。そして、


「レオンハルト!」


 空間内に響き渡る怒声。それに臆することなく、名を呼ばれたレオンは彼女の方へ向き直る。


「御前に」


「偵察班に指示を。今すぐ遠見礼装を調整して、アスマジアーニャンに向けて飛ばしなさい」


「周囲の国々は如何しますか。もしも先程の話が事実であれば、あるいは侵攻されている可能性も在り得ますが」


「そちらは後程、アスマジアーニャンが叛逆軍に支配されている事実を確認してからでいいわ。もしも虚報だった場合、戦争の火種になりかねない」


「御意」


 レオンハルトは軽く会釈をした後、この場にいた兵士の一人を呼び寄せ軽く耳打ちする。するとその兵士は一目散に扉の方へ向かい、この場から退出した。


「さて」


 束の間の静寂が場を支配する中、ルカライネは再びハウルへ目を向けた。


「ではハウル。貴様にも後程調書を行う。それまでに自身が持ち得る情報を伝えやすいよう整理しておけ」


「え、え……?」


 説明の続きを催促された彼女は、面食らったように戸惑いの声を漏らす。


「あの、いいのですか? 今の、その、私が言えた身ではありませんが……儀式剣をシグマに渡したという話は、殿下にとって看過できるものではないかと……」


「そうね。我が国の継承者を他国の王族が無断で契約したばかりか、あまつさえ儀式剣を授けるなんて、継承戦の禁忌とされている行為を大幅に踏み越えている。

 ……されど、深刻さで言えば継承者が叛逆を起こしたという事実の方が重いわ。こちらはこれまでの歴史の中でも例のない、我々の常識を覆しかねない出来事よ。軽視することはできない。今は少しでも多く、詳細な情報が欲しいの。

 だから、貴様には見てきた事象の全てを委細合切、話してもらうわ」


 そう告げる彼女の双眸には、形容し難き感情が存在していた。


 だが、それが放つ刺突のような視線を遮るように、シグマはハウルの前へ飛び出した。


「待ってください! 話してもらうって、それは拷問か、それとも尋問によるものですか⁉ だとしたら―――!」


「早合点が過ぎるわ阿呆。言ったはずよ、私は調書を行うと。そこに一切の暴力沙汰は発生しない……いえ、この私が断じてさせないわ」


 そうは言われても、先ほどまで一触即発の剣呑な雰囲気だったわけで、シグマとしても彼女の言葉を鵜呑みに出来るほど楽天家ではない。


 そう彼は思っていたのだが、


「……信じられない、って顔をしているわね。

 いいわ、ならこうしましょう。もしも調書の内容と偵察の結果が合致していたその時は、彼女が継承戦の禁忌を犯したことの一切を不問に処すわ」


「えっ⁉」


 驚いた声を上げたのは、シグマではなくハウルの方だ。


 なぜなら彼女が犯した罪は、彼女の首を刎ねてもなお完済には届かぬような、国家間の摩擦熱を生み出す代物である。それが、自分の見てきた事実を嘘偽りなく正直に話すだけで赦されると、ルカライネはそう言ったのだ。むしろハウルの反応は当然である。


「まあでも、少しばかりの不都合は覚悟してもらうけれど」


「……不都合とは?」


「そうね……シグマの身柄を我が国へ返還すること。そして、貴様の身柄は一時的にこの国で預からせてもらうこと。大まかにはこの二つよ」


「え……たったそれだけですか……?」


「言ったでしょう。最重要は貴様の処遇ではなく、継承者叛逆の件だと。……叛逆を企てるような者が、儀式剣が無い程度で王の座を諦めるはずがない。いつか必ず勢力を整えて、シグマの持っている儀式剣を奪いに来るか、あるいは暴虐の限りを尽くして無理やり国々を屈服させていくか……どちらにせよ、戦火はかつてないほどに広がりを見せるでしょう。それに備えるために情報は貴重なものになる。

 だからハウル、貴様の持ち得る情報を洗いざらい吐き尽くせ。それが貴様の延命に繋がる唯一の道と思うがいい」


 かつてない重圧。その言葉の重みを身で感じ取ったハウルは、首を縦に振ることしかできなかった。


 ルカライネはそれを確認すると、次はシグマへ視線を向ける。


「貴方もそれでいいかしら?」


 心底見下しているという感情が明白な目だった。


 それを理解してしまい、知らずシグマの返す視線にも嫌悪感が孕まれる。


 本音を言えば、拒絶したかった。貴女の言いなりにはならないと吐き棄てて、ルカライネと決別してやろうとさえ思った。


 だが、その道を行けばハウルもただでは済まなくなる。


 新たに知ったハウルの事情を鑑みても、これ以上彼女に負担をかけるわけにはいかない。ただでさえ自国に追われて疲弊しているというのに、さらに一つ国を敵に回して逃げるなど、もはや彼女には無理だろう。


 シグマはハウルを守りたいと願った。では、それを果たすために今現在の最善はなんであるか。


 その答えは明白だった。


「…………わかりました…………」


 悔しさに身を焼かれる思いで、シグマは短い肯定の意を示した。


 ルカライネはそれに反応を見せることなく、レオンハルトへ言葉をかける。


「聴いていたわね、レオン」


「はい、すぐに調書の準備を整えます」


「宜しくお願い。そしてもう一つ、この国にようやく王位継承者が戻ってきたわ」


「そうですね、これで我らリューズビーリアも王位継承戦への参戦の資格を得ました」


「それも部隊各員、さらには民草へ全体的に知らせなさい。これからは戦続きの日々になるという意識を、今の内から整わせておくように」


「御意に」


 目の前で淡々と行われていくやり取り。だけどシグマは己の不甲斐なさに呆れ果て、聴いていることができなかった。


「シグマ……」


「……ごめん」


 横で心配そうにしているハウルにも、一言の返事しか返せない。


 そうして自分が大人げなくいじけていることを理解し、また自己嫌悪が加速する。


 あまりに苛立ちが募るあまり、舌打ちを鳴らしそうになる。


 その時だった。


「いや良かった! 一時はどうなることかと思いましたが、これで一安心と言えるでしょう!」


 肥満体系の大臣が仰々しく立ち上がり、心底嬉しそうに笑いながら手を叩いている。


 シグマだけでなく、ルカライネさえもその陽気さに怪訝な視線を向けていた。


「……どうしたというの? 貴方、普段そこまで笑うことはないでしょう」


「それはもう、今この時が喜ばしくあるからです。()()()()()()()()()()()()()()()()()、我々も大手を振って準備に取り掛かることができます」


 大臣の発言に、珍しくルカライネは眼を丸くした。


「婚儀? いったい誰が?」


 すると大臣は、何を当然のことを訊ねられているのですかと言わんばかりの表情で、



「姫様と継承者様のですよ。元よりそういう取り決めだったでしょう」


 なんて、核爆弾級の発言を投下した。

 


 シグマはこの世界に来てから、何度も埒外の事象に見舞われて驚愕してきた。しかし数を重ねれば誰だって慣れていく。もうそろそろ自分の感性もこの世界に適応しており、それこそ天変地異の大災害に遭遇するくらいでなければ驚くこともないだろう……そう思っていた時期があった。


 だが、この場合はどうであろう。大臣の放った発言は、あっけなくシグマの思考を真っ白にした。


 何も考えられぬまま、時間だけが流れていく。現実ではさほど経過していないというのに、彼の体感では数十倍に伸びている。


 ―――まずい、このままではダメだ。


 バカになった頭を一度すっきりさせるために、シグマは頭上を仰いだ。豪華な装飾を施したシャンデリアの煌きが視界を華やかに彩る。


 シグマはもう一度、状況を整理することにした。


 ―――近々、この国では婚儀が行われるらしい。その主役はこの僕で―――


 そこで考えを一旦止め、視線を壇上へ向ける。そこにはシグマ同様、どこか悟りに近い眼をしたルカライネが、彼へ同じタイミングで視線を向けていた。


 ―――相手は、あそこの姫君、と……


 相手も同じ結論に至ったのだろう。目を見ていると何となくそう思えた。


 であれば、もうそろそろいいはずだ。二人の口は開く衝動に駆られている。ここまで焦らしに焦らして溜めこんだのだから、さぞいい声が出るに違いない。


 そして二人は大臣の方へ向き直り、


「「はぁ⁉」」


 揃って悲鳴のような叫び声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってください! なんで僕がこの人なんかと結婚しなくちゃいけないんですか⁉」


「それはこちらの台詞よ! いったいどういうことなの大臣⁉」


 二人の猛反発を受け、大臣は困った表情になる。


「何故って、そういう取り決めだからに御座います。王位継承者とは必然、やがてこの国の王となる存在。であれば、姫様は継承者様と婚儀を交わさなければなりません。そして建国当初より代々続くエグニカルス王家の血を絶やさぬよう、跡継ぎを身籠る必要があるのです」


「み、身籠るって……っ!」


 カァ、とルカライネの頬が遠目からわかるほどに紅潮している。


 しかし、シグマにそれを指摘することはできない。なぜなら彼も彼女と同じく、激しく狼狽しているからだ。


 記憶を無くした身とはいえ、あくまでそれは自身に関する情報のみ。一般知識などは普通に覚えている以上、当然『身籠る』という言葉が何を表すかも知っている。


 それが長年共に付き添い、お互いに信頼し合える仲のものであったのなら、シグマもそれを受け入れただろう。


 だが、今回に限っては相手が悪い。出逢って未だ一日も無く、先ほどまで険悪な雰囲気で睨み合っていた仲であるルカライネ―――およそシグマの理想と正反対の人物である。


 そんな彼女と結婚することになるなど、その新婚生活とやらはさぞかし心身へ負担をかけることに違いない。


 そして、それはルカライネも同じで、


「私はイヤよ! こんな奴と婚儀を交わすくらいなら、死んだ方が断然マシだわ!」


 散々な言い様ではあるが、おおむねシグマの言いたいことと重なっているので指摘することはしなかった。


 だが、そんな彼女の必死の言い分を受けても、大臣は一顧にする素振りも見せない。


「聞き分けの無いことを申されますな。これは王家の血を絶やさぬための、姫様が産まれた時より課せられた責務に御座います。拒絶することは許されません」


「だ、だからって……!」


 歯噛みしてなおも食い下がるルカライネ。しかし大臣はそれを丁寧にあしらっていく。


 やがて十分間の押し問答の末……ついに彼女の方が折れた。


「……わかったわ。でも、条件がある」


 両手を握りしめ、項垂れるような格好だったルカライネは、ポツリとそう言った。


 すると勢いよく頭を上げ、シグマの方を向く。


 その目は親の仇を睨むが如く、鮮烈な激情を抱いていた。


 そして彼女はシグマを指さすと、


「大臣、貴方の言い分だと、私は王と婚儀を交わさなければならないのよね? ……であれば、そこの継承者は条件を満たしていないわ。だって彼はまだ王にはなっていないのだから」


「姫様、それは……」


「ええ、これが詭弁だってことぐらいわかっている。でも別に婚儀を急ぐ必要も今はまだないでしょう。時期が来たら、……彼が王になったその時には、私もその責務を全うする。だから今はこの事は保留にさせてもらうわ。これは現最高位階の権限を以っての命令よ」


 さすがに級位権限を用いられては、ルカライネより下の身分である大臣は何も言えない。彼はひどく残念そうな表情で「わかりました」と言い、席に着いた。


 それを見届けたルカライネは、大きく肩を落としながら溜息を吐く。まるで無理難題の仕事の締め切りをどうにか伸ばせたが、結局解決法が見つからないことに落胆するOLのようだ。


 が、彼女がそんな気弱な一面を見せたのも一瞬、すぐに元の凛々しい表情へ戻り、改めてシグマの方を向いた。


「……そういうわけだから、今の話は当分叶わないものと思いなさい」


 僕としては永遠に叶わなくとも不都合は無いんですが……喉元まで出かかったその返答を無理やり飲み下し、シグマは頷くだけに留めておいた。


 世の中には言って良いことと悪いことがあるのだ。


「まあいいわ。それより本題に入りましょう」


「本題?」


 思わず訊き返すシグマ。むしろ今までのは本題ではないのか、と言いたげな表情である。


「ええ。……本当はシグマに儀式剣を譲渡し終えてから説明しようと思っていたけれど、想定外の事態が続いたせいで段取りが破綻したわ。まったく、もう少しスムーズに進むはずだったのに……」


「あの、なんだか申し訳ありません……」


 彼女の文句の原因に心当たりがあり過ぎるハウルが、またも萎縮して謝罪する。


「別にいいわよ。それよりもこれからする話は、貴様にも関係することだから心して聞きなさい」


 シグマだけでなく、ハウルにも関係する話。


 内容が見えてこず、彼は眉をひそめた。


「今日より三日後、リューズビアの誇る軍隊が、演習を行うことになっている。二人にも、その演習に参加してもらうわ」


「……何のために?」


 ルカライネの言葉に何か不穏な気を感じ取ったシグマは、おそるおそる訊ねてみた。


 すると彼女は、その口角を歪ませる。


 まるで虐げることに愉悦を表す、悪魔のように。



「継承者の力を見せてもらうのよ。貴方たち二人には、我が国の軍勢と戦ってもらうわ」



大学が始まり、ただでさえ遅筆なのがさらに遅くなる可能性があります。

ご了承ください。

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