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仮面の裏側を視る




『彼を呼んでくるわ。少しだけ待っていて頂戴』


 そう言って、ルカライネ様は部屋から出ていった。


 よくわからないまま与えられた待機の時間。何をしようにも身体が動かないので、やむなく天井を眺めながら思案に耽る。


 先ほどからあの御方が仰られている〝シグマ〟という名前。話の脈絡からして、おそらく森で戦った奴の名前なのだろう。


 であれば、なおさらこう思わずにはいられない。




 ―――あんな化け物と、まともな話が成立するのか?




 森での戦いの全てが、走馬灯のように流れていく。


 結果を知りながら見るその戦い。当時はこちらが追い詰めていると思い込んでいた者だが、実際は違っていた。


 結局、自分は一度として、奴を追い詰めることはできなかったのだ。


 何度殺しても、何度殺しても、何度も何度も殺し続けても。


 それでも奴は、潰えることをしなかった。


 あんなもの、化け物と呼ぶ以外に何と言えばいい。


 特に戦いの終焉に見せたあの様相。あんなものを見せられては―――


「っ……!」


 全身を悪寒が襲う。久しぶりに味わったこの感覚は、紛れもなく恐怖だ。


 自分は、奴を恐れている。


 あんなものと話しなんて通じない。通じるはずがない。


 だから一刻も早くこの場所から逃げ出したいのに、全身は相も変わらず動くことを止めたままだ。


 ああ、きっと罠にかかった獣の心境とは、こういうものなのだろう。


 全ての手段が失われ、あとは処刑人が訪れるのを待つだけの時間。いつもは狩る側としての立場だったから、いざ逆の立場とあれば何をどうしていいのかまるで解らない。


 そうしている間にも時間は進んで行って。


 やがて、その足音が聞こえてきた。


「……?」


 少し、変だった。


 先ほどのルカライネ様のような規則正しい落ち着いた足取りの音とは異なり、今まさにこちらへ近づいてくる足音は、微塵も余裕を感じさせない慌ただしいものだった。


 果たしてこれが、件の人物の足音なのか。判断に迷っていたところ―――


「―――目が覚めたって⁉ 大丈夫⁉」


 勢いよく扉が開かれ、大きく肩で息をしながら入ってきた少年―――シグマは、そう言った。




 実のところ、シグマは気が気ではなかった。


 なにせ対話を目的として森の狩人とされるウォルコルの下へ足を運んだのに、なぜか会話も成り立たずに戦闘となり、挙句の果てには狩人を負傷させて気絶させてしまったのだ。


 今回は血生臭いことは起こらないだろうと高を括っていたところでのそれだったため、シグマとしても頭を抱えるしかない。


 しかも最後の気絶させた件に関しては、シャルベリアが止める間もなく暴走した結果のためだ。あんな攻撃、誰が見ても過剰が過ぎるだろう。


 しかし、儀式剣の不始末は担い手の責任。そもそもシャルベリアの存在自体、周知ではないので、どんな不満があろうともシグマは飲み込むしかないのだ。


 そんなわけで、ウォルコルをこの城まで運び、彼女が目覚めたとルカから伝えられるまで、シグマはずっと罪悪感で頭を抱え続けていたのである。


 そして、ようやく訪れたウォルコルの目覚め。シグマはそれを知るや否や、瞬く間に自室を飛び出して、彼女が収容されている医療室へわき目も振らずに向かった。


 そのため、医療室のドアを盛大に開いた彼は、誰の目にも明らかなほど疲労困憊の様子である。


「ハァー、ハァー……ごめん、ちょっと、まってて……」


 あまりに慌て過ぎたため、入口で息を整え始めるシグマ。三回ほど深呼吸を繰り返してようやく落ち着きを取り戻した彼は、足早にウォルコルの下へ向かう。


「か、身体は大丈夫⁉ 一応医者やハウルには診てもらって、目立った傷は無いとは言われたけど、どこか痛かったりしない?」


 実際、それはウォルコルが目覚める前に、シグマが聞いた話だ。


 シャルベリアが渾身の力で振り回して投げ飛ばした彼女へのダメージは、どう楽観的に捉えても骨折以上の損傷を負わせていると思っていた。最悪、背骨に深刻なダメージが入り、生涯不随の部分が出てくるのではないか、とも。


 だが結果は、その予想を遥かに上回る。なんでも多少打ち身になっている個所はちらほらあるが、骨に関しては折れているものはおろか、ヒビすらも入っていない、全くの無傷であったのだという。


 おそらくうまい形で受け身を取ったのでしょう、というのが医者の見解だったが、シグマはそれを聞いて舌を巻かずにはいられなかった。


 あれだけ動き回って、最後には動くのも困難なほどのダメージを受けていながら、それでいて最適な受け身を取るなどと。


 戦闘中に何度も思ったことでもあるが、やはり彼女の身体能力は極致の域に達している。


「ああ、あとごめん。その腕枷の事なんだけど、今はまだ君の素性がわからないということで、安全対策の一環として付けさせてもらっているんだ。本当に申し訳ないんだけど、もう少し我慢してくれ。別に君に危害を加えるつもりじゃないから。ところで喉は乾いていない? ずっと君は昏睡してたままだったから、もし飲み物が欲しくなったら遠慮なく言っていいからね? あ、あと食事は一応調書を取った後に与えるって話なんだけど、もしお腹が空いているのなら、軽いものなら持ってこれるから。空腹が酷いと、頭が回らないもんね」


 矢継ぎ早にあれやこれやと節介を掛けるシグマ。


 そんな彼の姿を見て、ウォルコルは信じられない者を見たかのように、目を丸くしていた。


「……おーい、大丈夫? もしまだ目が覚めたばかりで体調が優れないなら、出直そうか?」


 中々反応しない彼女に対して、やはり心配するシグマ。


 だが、やがてウォルコルは震えを押し潰したような声で、彼にこう訊ねた。


「……お前は、誰だ?」


「え?」


 思いがけない問いに今度はシグマの方が目を丸くする。


「えーと、もしかして森での出来事を忘れていたりするのかな?」


 確かに強い衝撃を与えてしまったのだから、記憶の一部が消えてしまってもおかしくは無いのかもしれない。


 しかし、彼女は静かに首を横に振り、躊躇うように口を開いた。


「……私にも、よくわからない。だけど、お前は、私の知っているお前と違う気がするんだ。あの時、私を殺そうとしたお前とは、まるで別人のような……」


 そう言って、シグマの方を見るウォルコルの目には、確かな怯えの色が存在した。


 しかし、シグマには彼女の言わんとすることが上手くわからず、内心首を傾げる。


 そもそも殺そうとしたというのは、おそらくシャルベリアの暴走の件だ。しかしシグマは彼女の暴走を止めようとした側で、決して加担するような真似はしていないのだが、


「……あ、もしかして……」


 そこで、ようやく思い至った。


 確かにあの時、彼女の事を殺そうとしたのは、紛れもなくシャルベリアの意志だ。


 しかし当時の彼女は、シグマの身体を用いてそれを行動に移している。


 つまり、何も事情を知らない者が傍から見たら、それはどう見たとしてもシグマがウォルコルを殺そうとしているようにしかならないのだ―――!


「なんてこった……」


 真実を知り、余計に目の前の少女の誤解が加速しているのだと気づいて、シグマは改めて頭を抱える。


 果たしてここから、どうすればいいのか。


 ウォルコルは今もなお戸惑いを見せている。おそらくこの状態を解消しないことには、ろくに話も聞いてもらえない。


 かといって、ありのままの説明をしても、それはそれで混乱を加速させることになるのではないかと思うシグマ。ただでさえ面倒くさい絡み方をしている事情を、彼の拙い説明で上手く伝わるかどうか、当の本人にすらわからない。


 どうにか打開策を出そうとシグマは考える。なお、知恵熱に苛まれて「あー、うー」などと苦悶の声を上げ、殊更にウォルコルの困惑が進行していることに彼は気づいていない。


 やがて、シグマは一つの結論に至った。


「―――本っ当に、ごめんっ!」


 今までの流れを断ち切るかのように、勢いよく頭を下げる。


 何の脈絡もなく謝罪を受けたことに対して、やはりウォルコルは困惑したままだった。


「結局、ここまで問題が複雑化したのは、全部僕が未熟だったからだ。僕がもっとうまく立ち回れていれば、もっと順調に、もっと安全に、事は進んだかもしれない」


 例えば、森で初めてウォルコルと出逢ったとき。


 あの時、対話をしようと前に出たのはシグマだったが、あれがもしルカだったらどうだろう。


 きっと、自分よりも上手く場を収めていたと、シグマはそう確信する。


 言葉が、想いが、存在が、何かが足りなかったのではない。あの時のシグマには、何もかもが不足していた。


 対話を望んだのは彼だったはずなのに。だけど望んだものを得られるほどの能力は未熟なままで。


 ―――結局のところ、初手の初手から誤ったせいで、事態はここまで複雑化したのだ。


「もう言い訳染みた説明も、全てを投げ出して開き直りをするつもりも無い。僕の浅はかな考え方が、いろんな人を振り回してしまった。だからこれは僕の責任だ」


 責任。口にした瞬間、その言葉の重みを改めて感じる。


 隊長に任命されてから、初めての任務。事前にルカからその意味を解かれて、意識を調えたはずなのに、その結果がこのザマだ。


 今の自分には、足りないものが多すぎると、シグマは改めてそう実感する。


「君にも、いらない迷惑をたくさんかけてしまった。だからそれは、心の底から謝罪させてほしい」


「……なんで」


 困惑した表情のまま、ウォルコルは口を開く。


 シグマの言葉の意味が、彼女にはわからなかった。


「なんでお前は私に勝ったのに、そうも悲しそうに謝るんだ……」


 彼は勝者のはずで、敗者である自分へ好き放題に振舞える権利を持つはずだ。それが闘争の決着の後に待っている当然の結末のはずだ。


 勝者は敗者に対して、絶対なる権利を持つ。そのはずなのに。


 あろうことか彼は、本気で敗者に頭を下げて謝罪している。それも、明らかに見当違いの理由によって。


 わからない。わからない。わからない。


 彼の思考回路が、全くもって理解できない。


「だって僕は、君を傷つけたいわけじゃなかった」


 本当の理想に手が届いてさえいれば、目の前の彼女はこうして床に臥せることもなく、快活なままでいられた。誰も傷つくことなく、平和的に物事は解決できるはずだった。


 そもそも、シグマが求めたのは、始めから闘争ではなかったのだから。


「僕はただ、君と話がしたかっただけなんだ。これから先に起こりうることと、それが引き起こす影響を伝えて、お互いに許容できる在り方を求めたかった。ただ、それだけの事だったのに……」


 それをシグマは叶えられなかった。


 ただそれだけのこと、と甘く見ていたからこそ、失敗したのだ。


 森でシャルベリアに告げた言葉が甦る。


 ―――たとえ戦うことになっても、あの人を対話の席に座らせる。


 なんて、横暴だったのだろう。


 あの時のシグマは、対話をするということだけを重視してしまって、ウォルコルの都合などろくに考えてはいなかった。


 そもそも出逢ったときから、彼女は魔族に対して拒絶を抱いていることはわかったのだから、その誤解を正すところから始めても良かったのに。


 でも、全ては起きてしまったこと。もうやり直すことはできない。


「だから、起こしてしまった過失は、これからのことで取り返したい。もし君が許してくれるのなら、今からでも僕と話をしてほしい。きっとこれは、お互いの平穏のためには、欠かせないことだと思うから」


 様々な紆余曲折があったけれど、今、こうして二人の間には多少の言葉は交わせている。


 それはシグマが当初に望んだものとは形が違っていたけれど、確かに対話の場として存在しているのだ。


 全てをさらけ出す思いで、シグマはウォルコルにそう訊ねた。


「…………」


 しばらくの間、ウォルコルは静かにシグマを見つめていた。


 ここまでの彼の言葉に、一つとして虚飾が施されているものは無かった。


 だからこそ、やはりわからない。


 先ほどからの彼の言い分は、はっきり言って無茶苦茶だ。そもそもここまで事態が悪化したのは、彼女が言葉を交わそうとせず襲いかかってしまっての事であるはずなのに、彼はそれすらも自分の責だと感じている。


 謙遜や建前ではなく、心の底から本気で。


 今までそれなりの人間を看てきたけれど、こんな思考回路を持つ者は初めて見た。どうやらこの者は本当に、生粋の変わり者であるらしい。


 ああ、でも。だからこそ、


「……お前は、あの魔族どもとは違うのだな」


 やがてポツリと、ウォルコルはそう言った。


 その表情から、少しだけ警戒の色は解けていた。シグマにはそう見えた。


「それなら、まずはお前のことを教えてくれ。対話も何も、私はお前のことを何も知らないのだから」


「それもそうだね。僕も君のことはよくわからない。だから一先ず、互いの自己紹介から始めようか」

 


申し訳ありませんが、スランプに陥り文章が浮かばなくなったので、しばらく休止します。

再開は未定です。

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