チープタウン物語 ~ミアズマ診療所~
巨大ダンジョンの周囲を取り囲むように作られた、町がある。正式な名前のある町であったが、人々はその町をチープタウンと呼んでいた。
町がそのように呼ばれる理由は、冒険者たちの命の値段に由来する。一獲千金を夢見る、玉石混交の冒険者たち。ダンジョンに挑戦する彼らの多くは、栄光を得ることは無い。銅貨一枚の稼ぎのために命を削り、時には死んでゆく。そんな彼らを揶揄する意味合いを含め、命の値段の安い町、チープタウンという呼び名が定着してしまっているのだ。
ダンジョンの入口には、兵士の詰所がある。ダンジョン内部から、魔物が出て来ないよう警備をする者たちだ。もっとも、兵士の存在が無くとも魔物がダンジョンから出てくることは無い。ダンジョンの魔物とはそういうものであるし、入り口には昼夜を問わず多くの冒険者たちが列をなしているからだ。
入口から、大きな通りを挟んで向かい側、真正面にその建物はあった。背の高い大聖堂と、堅牢な冒険者ギルドに挟まれるようにして建っているのは白くこぢんまりとした小屋のような平屋である。白の塗料がところどころ剥げかけており、みすぼらしい外見の建物には朽ちかけた看板が提げられている。
『ミアズマ診療所』
そう書かれた看板の下には、開け放たれた薄っぺらなドアが一枚あった。有象無象の素性の知れぬ冒険者たちが集うチープタウンで、不用心極まりないことではあるが、ここへ盗みに入る不届き者はいない。運び込まれてくるのは、重傷を受けた患者である。ここは、チープタウンで唯一の、診療所なのだ。
ダンジョンから、担架に乗せられた冒険者がふたり、診療所へとやって来た。
平屋の内部は建物の外観に反して広く、玄関口から奥の扉までの間には五人の大人が寝転がれるくらいのスペースがあった。担架を担いできたのは、ダンジョンの入口を守る兵士の二人組だ。
「先生、ミアズマ先生! 急患です!」
どさり、と担架に積んだ冒険者たちを放り出すように下ろし、兵士の一人が奥の扉へ呼びかける。
「おーう、今行く」
扉のほうから、間延びしたあくび交じりの中年男の声が返ってきた。ぎい、と扉が軋み、現れたのは声に違わぬ白衣姿のくたびれた中年男である。とろんと眠たげな瞳に、大きな鷲鼻と無精ひげをたくわえたその人物こそ、チープタウン唯一の診療所、ミアズマ診療所の所長ミアズマその人であった。
「おー、お勤めご苦労兵士くん。今日のは、どんな感じだ?」
ひょこひょことカップを片手に歩いてきたミアズマは、兵士たちの投げ出した負傷者に目をやりつつ訊いた。
「はい、ダンジョン九階、二層から脱出してきた冒険者ですが……重症です」
「診ればわかるよ。あ、こっちはもうダメだね。お隣に運んでくれないか?」
一人目の冒険者の手を取り、脈を測っていたミアズマがぽいとその手を放り出す。どさりと、床に落ちた手は何の反応も返さない。
「それが、先生。そいつは……」
「なるほど。カネ持ってないか。やーれやれ。教会さんも、世知辛いことだねえ。カネが無ければ、埋葬もしてもらえないんじゃね……おっ、こっちはまだ息があるな」
ミアズマは顔色も変えず、もう一人の冒険者を診察してゆく。土気色の顔をしている青年だったが、かろうじて息はあった。
「我々は、任務がありますので、これで……」
「あっ、待ってよ。これ、持ってってくれない? うちに何でも持ち込まれちゃ、困るって……ああ、行っちまった」
患者の青年から顔を上げたミアズマの視界に、兵士たちの遠ざかる背中が見えた。
「ったく、こういう時だけ、仕事熱心になるな、あいつら。死体を持って来られても、どうにも出来ないっていい加減解ってくれないと」
ぶつくさと文句を垂れながら、ミアズマは死体の手を胸の上で組ませる。そうして、部屋の奥へと顔を向けた。
「クロード! 仕事だぞー!」
呼びかけるミアズマの声に応えるように、一人の黒衣の青年が扉の向こうから顔を見せる。青い瞳に金髪の、美形と称して万人がうなずくような青年であった。
「僕は、朝の祈りの途中なのですが」
美しい顔に浮かぶのは、難色である。青年の胸にぶら下がっている銀の十字架を見れば、このクロードという青年が神父であると誰もが答えるであろう。それは、半分は事実である。
「教会から破門された分際で、何を言ってるんだ。無駄なお祈りはいいから、こっち来て手伝ってくれ」
「ミアズマ先生、御間違いなく。僕は教会から破門されたのではなく、教会を見限ったのです。僕の心は、常に神とともにありますので」
「その話、長くなりそうかな? じゃあ、後で聞くよ、夢の中で。今は、こっちの魂召された人間、何とかしてくれ。のんびりくっちゃべってると、動き出しそうだ」
「やれやれ、先生は、いつもそうですね。信心をしなければ、夢に神のお告げは顕れませんよ……おや、これは中々」
すたすたと優雅な足取りで側へやってきたクロードが、顎に指を当てて死体を見つめる。
「さっきの間まで、生きてたみたいだよ。そして、ついさっき死んだ。カネも無いから、教会で葬式もしてもらえない、可哀想な奴だよ」
言いながら、ミアズマの手は患者の衣服を慎重に脱がせている。死体へは、目も向けていない。
「教会とて、アンデット化を防止する祈りや薬品の費用があるのです。いちいち、毎日出る死者のために無料の奉仕はできかねる、といったところですね。もちろん、我が診療所にも、そんな予算はありませんが」
つん、と死体の胸を指先で突きながら、クロードが言う。
「好みの奴だったか?」
男性の死体に指を這わせ、深く息を吐くクロードへ変わらず顔も向けずにミアズマが聞いた。
「ええ、幸の薄そうなあたりが、琴線に触れるのですが……死体じゃ、どうにもなりませんね。地下に運んでおきますか」
「そうしてくれ。俺は、こっちの生きてる奴を診るから」
患者の身体を調べ、あちこちにある真新しい傷に顔をしかめつつミアズマは言った。うなずいたクロードが、死体を大事そうにお姫様抱っこで運んでゆく。それは、運んでいるものを考えなければ恋人を寝台へ誘うような色香と慈愛を感じられた。
「……相変わらず、曲がった趣味してるな、あいつは。まあ、そんなだからこっちに引っこ抜けたんだけどな」
ひとりごちて、ミアズマは患者の診察を終えた。毒のある、蛇のような魔物にやられたらしい。患者の身体のそこかしこにある傷が、そう教えてくれる。ミアズマは患者の傷口からの声を、正確に聞き取ることができる。それは、ミアズマの経験と能力が組み合わされた、異能といってよいものであった。
「致死毒と、過労か。こいつも、あんまり長くはなさそうだが……おや?」
小さく息を吐いたミアズマは、患者の腰にあるふくらんだポーチに目を留めた。ポーチの隙間から、緑色の小粒な葉がのぞいている。何気なくそこへ伸ばしたミアズマの手が、がしりと掴まれた。
「お、まだ生きてたか。運のいい奴だな。お前さんは、助かるかも知れない」
強く手を握ってくる患者に、ミアズマは軽い調子で語り掛ける。
「た、頼む……この、薬草、を、お、おれの、村に、とどけて……」
掠れた声で、患者が訴えかけてくる。
「カネがあるなら、駅馬車に頼んでやるよ。どこの村だ?」
「ネグ、ラノ村……」
「なら、銀貨十枚が相場だな。けど、ネグ・ラノ村は遠いぞ。馬車を飛ばして三日はかかる。それじゃあ」
「たの……む、お、おふくろの、病気、が……治るかも、しれ、ないんだ」
患者の声に、ミアズマの眠たげな瞳が鋭くなった。
「病気か。どんな症状だ」
「水晶、病……半年前、ま、魔物に……この、薬草、があれば、な、治るって……たの、む」
患者の告げる病名を、ミアズマは頭の中で反芻する。
「ちょっと待ってろ。今、薬を作るから」
言って、ミアズマは患者のポーチへ手を入れ、中の植物を取り出した。
「ほう、やっぱり間違い無い。この草からなら、毒素を抜くための薬が、作れそうだ。二層の、隅っこに生えてる目立たない草だが、良く見つけたな。お前さんは、本当に運がいい」
「と、届けて……くれる、のか」
患者の言葉にミアズマは笑みを浮かべ、首を横へ振った。
「そんなこと、するわけないだろう。これは、お前さんに使うんだ。今、お前さん、結構やばい状態なんだぞ?」
「そ、んな……! お、おれは、どう、なっても、いい。だから、それを、む、村の、お袋に」
「ダメだって言ってるだろう。今から薬作るから、ちょっと大人しくしてろ」
一言の元に斬り捨て、ミアズマは患者のこめかみのあたりを強く押す。ぐ、と咽喉の奥で呻いた患者が、白目を剥いて大人しくなった。
「これで、良し。じゃ、始めるか」
気を失った患者を前に、ミアズマは気にした様子もなく軽くうなずき、奥の扉をくぐる。そうして幾つものフラスコが並んだ器具に、患者のポーチから取り出した植物を置いた。
「あいつの身体は、保ってあと一時間、ってとこだな。余裕は、あんまり無いかも知れんが……まあ、何とかなるだろ」
器具の前で背筋を伸ばし、ミアズマは植物に向けて右手をかざす。器具の中で透明な液体が動き、植物を置いたビーカーに液体が注がれ始める。かざした手で綿毛を摘まむような動作を、ミアズマは繰り返す。ぽこぽこと、ビーカーの中の液体が泡立ち始める。透明の液体に、植物から緑色の汁が染み出してゆく。
「解毒成分、抽出……傷口の治療も、同時にやらないとな」
緑色になったビーカーの中身へ向けてミアズマは手を伸ばし、開いた手をゆっくりと次のフラスコへと動かしてゆく。手の動きに応じるように、緑の液体がガラス管を通り、フラスコの中へと移動してゆく。フラスコの下でミアズマが指をパチンと鳴らせば、小さな火が灯りフラスコの底を熱し始めた。
「解毒、治療、おまけに体力回復……全部盛りだ」
ぽこぽこと、熱されたフラスコの内部で液体が激しく攪拌されてゆく。ほどなく、フラスコの内部で激しい光が生じた。光は一瞬でおさまり、ミアズマは閉じた目をゆっくりと開く。
「完成だ。うん、相変わらず、良い腕してるな、俺は」
窓の光に取り出したフラスコを透かして眺め、どぎつい紫色をした中身にミアズマは満足げにうなずいた。
そうして患者の治療を終えたミアズマであったが、新たな患者が診療所へと運び込まれてくる。軽傷、重傷、風邪、不治の病と様々な対応に追われ、ほっと一息を吐くことが出来たのはもう夕方をとっくに過ぎた時間である。
「今日も一日、お疲れさん、俺っと……んんっ」
広々とした室内で伸びをして、ミアズマは自分を労う。診療所の入口から、通りを挟んでダンジョン前の行列へ目を向ける。毛布を被った順番待ちの冒険者たちが、仮眠を取っているのが見えた。
「あいつらはいいな……寝る時間が、俺より多いもんな」
ぽつり、と実感のこもっていない声が部屋の中へと響いた。その声に応えるように、ミアズマの足元でもぞりと何かが動く。
「こ、ここは……」
「お、ようやく目が覚めたか、運のいい患者」
薄暗い闇の中、ミアズマが動いた影に向けて言った。
「あれ、暗い……」
「そりゃ、夜だからな。身体の具合は、どうだ?」
「俺、確か、ダンジョンの二層で、蛇のモンスターに……」
「咬まれてたな。傷が、いっぱいあったからな。毒も回り切ってたし」
「どうして、ここは、外……か?」
「そうだ。あれが、ダンジョンの入口な」
半身を起こした患者に、ミアズマは開け放たれたままの入口を指差した。
「……たすかっ、た、のか?」
「間一髪、危ないとこだったけどな。神様とかに、感謝しとけよ。お前さんが持ってきた薬草が無ければ、助からなかったんだからな。いやー、本当に運がいいな、お前さんは」
ミアズマの言葉に、患者ははっとした顔になり腰のあたりに手をやった。
「お、俺の、ポーチは?」
「これだよ。そんな慌てなくても、別に盗ったりしないから。ほら」
ミアズマは床に落ちていた革のポーチを拾い上げ、患者へと投げ渡す。両手でそれをキャッチした患者が、ポーチの中に手を入れ、逆さにして何度も振った。
「な、中身は!? 俺の、採って来た、薬草は!?」
「ああ、丁度一回分あったからな。全部、使ったよ」
「な、なんてことしてくれるんだ! あれは、村のお袋に、必要なものだったんだぞ!」
あっけらかんと言い放つミアズマに、立ち上がった患者が詰め寄り襟首を掴む。
「まあ、落ち着けって」
「落ち着いていられるか! 命がけで、採って来たものなんだ! 俺のことはいいから、村に届けてくれって、頼んだじゃないか!」
がくがくと首を揺さぶってくる患者の手首を、ミアズマは掴んで止めた。
「だから、落ち着けって。アレで薬を作ったところで、間に合わないんだ」
「間に合わない!? そんな! お袋の病状は、まだ足首までが水晶化したくらいで」
「そっちじゃなくて、薬のほうだな。あと、手、離してくれるか?」
大きく目を見開く患者の手を、ミアズマはそっと外す。
「良かった、破れてはいないみたいだな。一枚きりしか無いから、破れたらバグスの奴に縫ってもらわなきゃいけないんだよ。助かった」
バグスとは、診療所の地下、死体保管所に住む変わり者の獣人である。狷介な人物なので、ミアズマとしてはあまり顔を合わせたくはない男だった。
「助かってない! お袋はどうなるんだ! 薬が間に合わないって、どういうことだよ!」
大声で吠える患者に、ミアズマは両手で耳を覆う。
「そんなに怒鳴るなよ、聞こえてるから。薬が間に合わないってのは、そのまんまの意味だよ。あの薬草で、解毒の万能薬は作れるんだが、あれは薬効成分が抜けるのが非常に早くてな。一日も経てば、効果はほとんど消えて無くなるんだ。おまけに、ネグ・ラノ村だっけか。お前さんの村。そこに、腕の立つ錬金術師か薬剤師は、いるか?」
ミアズマの問いに、患者が首を横へ振る。
「い、いない……そ、それじゃ、お袋の薬は」
「村で加工できないなら、届けられん。薬草の加工には、複雑な工程と魔力がいるからな。並の腕じゃ、貴重な薬草を潰すだけになる」
「それなら、あんたがうちの村へ来て薬を作ってくれ! 礼なら、俺にできることならなんでも」
懇願する患者に、ダメだ、とミアズマは言い捨てる。
「俺はこの診療所の、唯一の医師なんだよ。どばどば出てくる怪我人患者たちを放って、わざわざお前さんの村には行けないよ。それに、せっかく命が助かったってのに、またダンジョンに潜るつもりか? いくら安い命だからって、無駄に捨てるのは良くないぞ」
患者が、ミアズマの言葉を受けてがくりと膝から崩れ落ちる。その顔に浮かぶのは、絶望を通り越した、無表情だ。一切の感情が行き場を失い、表情を形作る力さえ無くなった顔。それを見つめて、ミアズマは小さく、そして深く息を吐く。
「そんな顔、するなよ。ほれ」
焦点の合わぬ患者の目の前に、ミアズマは一つの小瓶をぶら下げる。小瓶の中身は、人の掌のような形の緑色の葉っぱが一枚、ほんのりと光る液体に漬け込まれたものだった。
「なん、だよ……これ」
「お袋さんの、水晶病を治す、特効薬だよ」
ぐい、と押し付けた小瓶を、患者が両手のひらで掬うように受け取った。
「けど、い、今貰ったって、俺の村に届くころには」
「そりゃ、万能薬の話な。お前さんの手の中にあるのは、特効薬だ。符で密閉してあるから、十日は保つ。お前さんが一生懸命走って村へ戻れば、ぎりぎり大丈夫だろうさ」
「そ、それじゃ、これがあれば……」
患者の瞳に、微かな光が戻ってくる。その輝きを捉え、ミアズマはしっかりとうなずいた。
「お袋さんは、助かる。お前さんが、間に合えばの話だがな」
「あ、ああ……」
患者の目から、光るものが床へ落ちる。ぎゅっと小瓶を握りしめる患者に、ミアズマはそっぽを向いてぼさぼさの黒髪をガリガリと掻いた。
「あー、ほれ。さっさと行けよ。一刻一秒も、無駄にするんじゃない」
膝立ちになっている患者の腕を、ミアズマは強引に引いて立たせ、入口へ向けて背中を押した。
「ありがとう、先生! 戻ったら、きっちりお礼をさせてくれ!」
「前見て走れよ。あと、瓶は落とさないようしっかり仕舞っとけ」
駆け出した患者が振り返り、大きく片手を振る。怪我の後遺症は、すっかり消えているようだった。それを診たミアズマは、その背中に向けて苦笑する。通りを抜けてチープタウンの外門へ向かう道へ、患者の姿はあっという間に消えていった。
「随分と、大盤振る舞いですね、先生。あなたも、僕の追い求める道に、理解が深まったのでしょうか」
背後から声をかけてくるのは、クロードであった。
「やめろ。俺は至ってシンプルだ、そっちの方は。それに、大盤振る舞いって訳じゃあない。あいつを治した薬の材料は、あいつの持ってきたものだし、渡した薬も、ヒラヨモギと発光草。どっちも一層の浅いとこで採れる、何てことない草だよ。孤児院のガキどもが、たまーに売りつけてくるやつだ。在庫処分には、丁度よかったんだよ」
振り向いたミアズマは、面倒くさそうに言った。クロードに背中を見せるのは、背筋に悪い。そんな感覚を読み取ったのか、クロードが苦笑いで肩をすくめる。
「それが、特効薬の材料なのですか」
「いや、違うぞ?」
クロードの問いに、ミアズマは否定を返し同じく肩をすくめて見せる。
「アレをどんな方法で合成しても、出来るのは光る水だ。夜道を歩くのには、便利なものだが、特に薬効なんかは無いな。普通の病気、風邪も治せない薬だよ」
「……では、あなたはあの青年を騙した、ということですか?」
クロードの瞳に、剣呑な光が生じる。ミアズマは、顔の前で片手を振った。
「いいや、それも違う。水晶病ってのは、何か知ってるか、クロード?」
「……大昔に、謎の流行り病として猛威を振るった、モンスター由来の病原体のもたらす死病ですよね。王国に広まったその病は、時の大賢者の放った癒しの光をもって、消滅したと教会の書物には記されていましたよ」
「ああ、それは昔の水晶病だな。付け加えると、そのとき世界に君臨してた脅威の、水晶の魔王、ってのが関わってたらしい」
ミアズマの言葉に、クロードが眉を寄せる。
「昔の……? 今は、違うのですか」
クロードの問いに、ミアズマはうなずいた。
「ああ。今の水晶病は、いわゆる心の病ってやつだ。魔物に傷を負わされた、このままじゃ、毒が回って水晶にされちまうって、思い込みによって自分の魔力で自分を水晶化してしまう。一種の、魔力の暴走だな。あいつのお袋さん、魔力が人より多いのかも知れない。だから、そのお袋さんの心を納得させるために、一芝居打った、って訳だ」
「なるほど……自分の息子が、必死に持ち帰った特効薬。しかも、絶望の淵にあって与えられた神秘の品となれば、息子さんの様子から薬効を疑うことなく信じることとなる」
しなやかな指を顎に当てて、クロードが感嘆の声を上げる。その様子に、ミアズマは苦い顔になった。
「……見てたのかよ、さっきの」
「ええ。一部始終。逢瀬を邪魔する気は無かったので、声をかけるのは止めておきましたが……正解だったようですね」
「だから、俺はノーマルだと何度も言ってるだろう……」
くすくすと笑うクロードに、ミアズマはあきれ顔で言って脇を通り抜ける。
「おや、今日はもうお休みですか?」
「ああ。夜番は、お前さんに任せる。しっかり働け、破戒神父」
「ええ、お任せください、お人好しの先生」
奥の扉へ入りかけたミアズマが、くるりと振り向く。
「誰が、お人好しだ」
邪悪な顔を作って凄むミアズマを、クロードがさらりと受け流す。
「あの青年から、代金は貰いましたか?」
「……そのうち、払いに来るだろ。出費も、大したものじゃあない」
「戻って来たとして、いくら取るつもりです?」
「銅貨、五、六枚程度だろ。材料は、タダ同然だしな」
うそぶくミアズマに、クロードが綺麗な笑みを見せる。
「やはり、あなたはお人好しです。良い夜を、先生」
「……好きに言っていろ。あと、何かあったらちゃんと起こすようにな」
お人好しの定義について、これ以上論議を重ねることの無意味さにミアズマは踵を返した。微笑むクロードの視線を背中に受けつつ、大きな欠伸をしながら寝台へと倒れ込む。ほどなく、診療所の奥から、表の通りに届くほどの鼾が聞こえ始めた。
ネグ・ラノ村より一人の青年が、二メートル強の強靭な女性を伴いミアズマ診療所を訪れ、「これ、うちのお袋です」と言ってミアズマとクロードを瞠目させたのは、それから一か月後のことであった。その後青年とその母親は、診療所へ数々の薬草を持ち込み恩を返してゆくことになったのであるが、それはまた別のお話である。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この作品は、チープタウンシリーズ、としていくつか連作で投稿する予定の作品です。
次の作品がいつになるかはわかりませんが、お付き合いいただけましたら幸いです。