第一幕 1
この世には二つの世界が並行している。
いわゆる人が暮らしている「現界」。
そしてマンガや映画でしか見た事ないようなバケモンが暮らす「異界」。
それは決して交わる物なんかじゃなかった。
あちらはあちら。こちらはこちら。
そうして保ってきた均衡は五十年前のある日。
気まぐれなカミサマがちょちょいと指で二つを突いた。
ただ、それだけで。
突如として、現界と異界に「ゲート」と「器となる島」が生まれちまった。
ゲートからはあらゆる化け物が溢れだして、島からすぐさま飛んできて人間を喰らい始めた。
人間もずいぶん抵抗したさ。けど、やっぱあっちの方が生物的にも文明的にも進化してたんだろうな。
人類は頑張りも虚しく食い散らかされた。
半年後には、もう現界は終わりかと人間どもは教会に走ったその時だった。
これまた突然、だった。
ゲートが抑制された。
つまり、通れる異界人が百分の一以下になったってこった。
それまで無限に出てきた増援がまったく出来なくなった、と言っていいほど異界人はこちらに通れなくなった。
これで形勢逆転。人間――ヒューマンは一気に異界人を潰す・・・とまではいかなかった。
さすが異界の住人、それでも強かったんだな。
だが両者はそろそろ限界だったようで。二つの世界の代表が協定を結んだ。
異界人は現界に来てもいいが、ヒューマンを「無暗に」食わないこと。
ヒューマンは異界人が違法なことを行えば処置してもいいこと。
まあ他にも協定は色々と結ばれたけど、代表的な法律はこの二点だな。
ん? あァ、わかった?
そ。ヒューマンはびびって自分たちに不利な協定を結ばされたんだよ。ま、弱い方が強い方のルールに従うってのは人間の歴史にもあったしな。しょうがないんじゃね?
「無暗に」食わないなんてお笑いだよな。腹減ったら食っていいんだろ?
けどヒューマンもやられっぱなしじゃない。
違法なことを行う奴らが跋扈するわけじゃん?
なので、そのゲートが開いてる島をさ。
ばっさり、分けちまったのよ。
どういう意味かっつーとだな、つまりアレだ。異空間。結界だとか聞いたけどな。それを円形にぐるりと囲って、隔離しちまった。んで、人間はそっから抜け出すもよし、入るもご自由にって感じにした。まあエサが無くなると困るからだろうな、入居には政府が金出してくれるって話だ。
行き方? 簡単だよ、船でも飛行機でも人間はようこそ~ってな。
んで、政府の画策通り、金がない生きてくのに精一杯な哀れなヒューマンはそこに殺到した。あとは犯罪者だとか裏家業のやつとかな。
そういうわけよ。わかった? この国の成り立ち。
このコラトンシティが生まれた話。
テレビで人間の芸人がフリップを使ってこの島の成り立ちを説明し、ちょくちょく隣で異界人の相方が突っ込みを入れる。
ブラックユーモア豊かな番組を眺めつつ、人間の店主は鼻でため息をついた。
「まったく、そんな愉快痛快な話じゃねえんだけどな。こっちは毎日生きるのも命がけだっていうのに。」
店主がこりこりと頭を掻く。ため息をつきつつ、カウンターに座っている客をちらりと見た。
「だから悪いこた言わねーから、観光ならやめとけよ、お嬢ちゃん。」
お嬢ちゃん、と呼ばれた客が、ことりと水を置いた。
ぼろぼろの麻のフードを目深にかぶっているせいで顔はまったく見えないが、小柄で華奢な体つきや小さなほっそりした手から少女であると推測し、声をかけた。
「こんなとこ、最初は面白いだろうがすぐに危険だってわかるぜ。そんで慌てて帰ろうとしたその日にばっくりと食われちまったやつは掃いて捨てるほどいる。ちょうど一昨日なんか観光を終えて帰るんだーって言ってた二人組の客がこの店を出た瞬間に頭もがれてな。こっちも参ってるんだ。ったく、誰が血だの肉片だのを片付けたと思ってんだよ・・・」
客の水を足しながらぶつぶつと文句を垂れる。
「・・・」
注がれた水をじっと見つめながら、ぼそりと客が呟いた。
「・・・じゃあ、一昨日くればよかったのかな。」
鈴を転がしたような、透き通ったきれいな声だった。
「あ?」
「・・・観光じゃない。」
少し声を出して客が答えた。
「叶えたいことがある。だから、ここに来たんだ。」
「あー、そう言う客も死ぬほど見てきたな。ま、ほとんど死んだけど。嬢ちゃん、本当に悪いことは言わねーからさっさと帰った方がいいぜ。特にあんたみたいな人間の女の子は肉が美味いらしくてな。すぐに食われるか高値で取引されるか・・・どっちにしろ残酷な結末が待ってる。早く親に連絡して帰るのが一番だ。」
「・・・」
ごく、と一口水を飲み、ドアの外に目線を移した。
「・・・いい世界だな。」
「あ? ああ、そうだな。お陰でこっちは毎日生死のやり取りだ。こんなんだから信仰も厚くなるわな。」
テレビの上に無造作に置いてあるマリア像を見て、客はふっと嘲笑するような笑みを浮かべた。
「カミサマなんか、なんにもしてくれねーよ。」
店主が眉根を顰めた。
「こら、そういうことを言うもんじゃない。」
「・・・カミサマは底意地が悪いから、俺みたいなのを作って遊んでるんだ。あんたもただのおもちゃの一つだよ。」
「嬢ちゃん、あんたなぁ――」
怒ろうとした店主が、ふと口をつぐんだ。
顔が見えないはずなのに、何故だかひどく悲しんでいるように感じたからだ。
「けど・・・この街はセンスがあると思う。ここだけは評価するよ。」
客が見つめている先に目線を送る。
そこに広がるは、異形の者が闊歩する悍ましい世界。
でも、それはここでは「普通」なのだ。
たこのような顔を持った男。
血を流しながら歩く獣。
皮膚から針があちこちに突き出ている「なにか」。
そんなものが百鬼夜行の如く歩き回ってる。
悲しそうに、しかしどこか羨ましそうな色を滲ませて、客は言った。
「・・・こんな世界なら、ここでなら、俺は――。」
あまりにも小さな呟きを聞き取れず店主が首を傾げた。
「あ? なんだって?」
「ご馳走様。うまかったよ。」
ちゃり、と小銭を置いて立ち上がる。
「おう・・・・また絶対来いよ、嬢ちゃん。」
「・・・生きてたらな。」
悲しげな店主の視線を背中で受け止めながらドアを開ける。
途端に喧騒が耳を貫く。
あちらこちらで車が行き交い、人語ではありえないような発音の言葉があちらこちらで聞き取れる。
そうだ、ここでなら。
この俺だって人間として見てくれる。
例え殺されたって、誰かはきっと。
どっかの「人間」が死んだと話してくれるだろう。
「ここでなら・・・俺は、ヒトだ。」
ぽつ、と呟き、歩き出した。