16 大正浪漫な午後 2013/08/09(金)
「んーっ☆」
ようやくコルセットからもごてごてドレスからもタイトスカートからも抜け出した解放感に、大きく伸びをする。空気がおいしい。普通に呼吸できるってすばらしい。ビバ酸素。
着なれたサマードレスの裾を風が奪う感覚にうっとりしかけて、自分の女装への慣れっぷりに困惑する。
「アキちゃんお疲れさま。予定よりずいぶん早く終わったけど、これからどうする?」
「えと。……瞳さんはどうします?」
「わたし? わたしは悠里ちゃんたちの撮影見に行かないと」
「あっ、それなら是非一緒に行かせてくださいっ☆」
そんな会話ののち、地下鉄で2人移動する。
ヒール込み180cmくらいの女性?2人が並んでいるとさすがに目立つ。「あれ、モデルさんかな?」という声もちらほらと。
これが悠里なら「あの人、モデルの悠里さん?」っていう声も聞くことが増えてきたけど、俺が女装して歩いていると「あの子、モデルのAKI(俺の芸名)かな?」と言われるようになるのはいつの日か。
早く来て欲しいと思う心と、一生来ないで欲しいと思う心。両方とも自分の中にある。
「でもあそこの社長さん、あそこまで若くてイケメンだとは思わなかった。話からてっきりアラフォーなのかと」
瞳さんから今日の演技を褒められて、うまくいけばシリーズになるかもと言われて、まさかの社長本人の登場に驚いたと言われて。
色々会話が転がったあと、そんな話題になる。
「それと、アキちゃんもすごく親しげでびっくりしちゃった」
「前も話したと思うんですけど、あの人しつこく何回もナンパしてきた人なんですよね」
「いいじゃない。どうせなら玉の輿ねらっちゃいなさい?」
「ぶぅー。それは瞳さんにお譲りします。……で、希望を持たせないよう、そっけないキャラを作って対応していたんですけど……親しげに見えました?」
「けっこうね。ひょっとして、あっちのほうがアキちゃんの素?」
何気に難しい問題である。“雅明”としての素と、『アキ』としての素。
『アキ』として扱われる相手と時間が増えていくたび、自分もアキとして、17歳の女の子として思考するほうが自然になってきているのだ。
(本人の意思を無視して)じわじわと女性化が進んでいく、俺の外見と心と社会的立場。それに対する恐れと喜びとに戸惑いながら、ちょうど到着したホームへ降りた。
「ごめんくださーい」
小声でつぶやきながらスタジオに入る。
撮影している場所を見ると、ちょうど悠里と俊也が2人向かい合って熱演している最中だった。
桜色の小袖に海老茶色の女袴。ハーフアップの髪を大きなリボンで留めた大正の女学生姿。そんな格好も似合っていて、無茶苦茶可愛い。
まるで鏡のように、外見がぴったり一緒の2人。そんな美少女が2人もいるのだ。なかなか良い眺め……じゃない。片方が実は男だと知っている俺にとっては、微妙な眺めだった。
悠里が演じるのは探偵の助手の少年で、俊也が演じているのはその助手にそっくりの華族の令嬢。今は探偵助手が令嬢に変装しているシーンなのだろう。中身を知っている俺からすれば、逆の配役が良さそうに思える変な状況。
素直に自分の恋人の姿に見とれたいのに、それも出来ずにもどかしい。
「アキちゃん、ちょっといいかな?」
そんな俺に、スタジオに入ってすぐにドラマのスタッフと色々話していた瞳さんが相談してきた。
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鏡の中に映る、一人の女学生の姿。
紫の矢絣の小袖、濃紺の女袴。ドーランを塗ってそばかすを描いて黒い三つ編みのかつらを被って目立たないようにした、でも隠せない愛らしさを持った少女。自分は男なのに、また変なコスプレ女装させられて全国にその姿を晒される。
──そのことを嫌だと思う自分と、可愛い衣装にウキウキしている自分。
鏡の中の『少女』の表情を見ているだけで、どっちが本当の自分か丸分かりで辛かった。
「相変わらずアキちゃん可愛いわねえ。……それに引き換えわたしはこの齢で、恥ずかしい」
「いぇ、瞳さん、十分可愛くて綺麗でいけてますよっ☆ 美人で憧れちゃいます」
事情は知らないけど、2人抜けたエキストラのピンチヒッター。名前も台詞もない、画面に映るかも分からない本当の端役。それでも悠里との共演は心が躍る。
『女装に戸惑う男の子』の役を演じる女の子の後ろに、女装した男が普通の少女の役で存在する。そんな皮肉な構図には、内心笑いが出てしまうけれども。
同じような格好のエキストラの女の子たちに混じって出番を待つ。
本当は男なのに異性ではなく同性として、周囲と同じ衣装を着て女の集団の一員として存在する感覚は一種独特だ。男同士で一緒にいるときとも違う、仲間意識というか連帯感というか。
出番待ちのスタジオ脇待機だから会話もできない、でも年頃の娘さんばかりだからなんだか華やぎのある空間。
女の子に成りきって、『アキ』に成りきっている間には気にもならないのに、今はどうにも落ち着かない。気を紛らわせるため、軽く目を閉じてこれから自分がする役についてイメージしてみる。
俺の出番自体はすぐに終わった。俺の着替えとメイクにかかった時間のほうが長いかもしれないくらいだ。
『瞳さんが目立ちすぎ』という理由で一度NGになっただけで、他は全カット1テイクとスムーズに終了。他のエキストラの女の子たちと一緒になって楽屋に向かおうとする。
……あ。次の撮影シーンも悠里の登場なんだ。
スタッフさんに了承をもらった上で、着替える時間も惜しいと女袴のままスタジオの片隅で見学させてもらう。
引き続き女学生に変装したままの助手(悠里)が、華族の令嬢のフリをして探偵をからかうシーン。昔、俺もこうやって弄ばれたことがあったなあ、と思わず懐かしくなってみたりもする。
間近で見る足立さんの演技もやっぱりすごいけど、初出演なのにそれを食う勢いの悠里の熱演ぶりもすごい。
台詞も長い、難しいシーンだと思うのに、危なげもなく一度でオッケーを出す。
悠里が俊也を、俊也が悠里を演じる体験が、あの2人の演技力を磨いてきたんだろうか。そんなことを考えてみたりもする。
更にその次のシーンはまた悠里と俊也の共演だ。
たぶん衣装か配役の関係上で話が飛んで、これはラスト付近のシーン。変装した助手が居る場に本物の華族の令嬢を呼んで、皆に助手の正体を明かして皆が驚く場面だ。
さっきのシーン撮影中に着替えたのだろう。大正チックな洋装に着替えた俊也が、皆の背後から割って入る形で登場する。その直後、探偵の合図に従ってカツラを取り、少年めいた声で少年らしく振る舞いだす悠里。
この場では俺しか知らないはずだけど、女装した少年である俊也が本当の少女を、本当の女性である悠里が女装した少年を演じる、なんとも倒錯したシチュエーション。
途中舞台裏で悠里が少年助手の衣装に手早く着替えて、そのまま撮影は続く。
メイクは変わっていないから顔だけ少女で、首から下は少年で、かつ言動や仕草も少年そのままな姿。奇妙な魅力に目を離せない。
今日のCM撮影を早く済ませて、この場に居合わせることが出来た幸運に俺は感謝した。
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「もうっ! アキちゃんってば可愛すぎっ!」
そのシーンで今日撮影の自分の登場シーンは完了ということで、一足先に退出した悠里と俊也。
2人を追う形で楽屋に入った俺に、悠里がほとんど飛びつくような形で抱き付いてくる。何とか後ろ手でドアを閉め、深いキスを交わす。
俺が女袴の女装姿、悠里が少年役の男装姿。キスもなんとなく自分が受け側気味だ。もう慣れて感覚が麻痺しかけているのがまずい、倒錯した関係。でもこの温もりが愛しい。
いつまでもこうしていたかったけど、続いてやってきたノックの音で、慌てて飛び離れる。俺がカギを閉められなかったせいもあり、そのままドアを開いて入って来る瞳さん。今の俺達のキスがばれてなければいいんだけど。
「瞳さんもあの衣装のままだったら良かったのに。すっごく綺麗だったよ♪」
「愛里ちゃんもそんなこと言わないでよ。わたし、恥ずかしかったのに」
大正時代の令嬢っぽい洋装の俊也と、現代感ばりばりなスーツ姿の瞳さんによるそんな会話。
俺的には、今日着た衣装の中だとドレスや女袴よりむしろスーツのほうが恥ずかしかったんだけど、それは慣れとか感覚の差か。
大正時代風な3人組に囲まれた状態で、気を取り直してコホンと咳払いして今日から月曜までの確認を始める瞳さん。さっきの可愛い反応と打って変わって、“出来る女”って印象で格好いい。そして一通りの説明が終わった状態で、俺に向かって付け足す。
「あとアキちゃん。もし良かったらなんだけど、このあとの夕食会に参加してくれないかな?」
「え? いいんですか?」
「うん。実は足立さんからの直々のご指名でね。アキちゃんを連れてきてくれないか、って」
「へぇっ。すごいじゃない。いいよ一緒に来てよ。良いチャンスだよ」
もともと今日の夕飯は一人寂しく食べる予定だったのだ。足立さんに直接会えるというミーハー心と好奇心、おまけに悠里の言葉に背中を押されて了承の回答を返す。
「分かった。じゃあ、わたしこれから返事してくるから、その間に着替えていてね」
そう言って俊也に目配せして退場する瞳さん。
『愛里』が“俊也”であることを知っている数少ない人間の一人なだけに、着替えの時に一緒するのは抵抗があるのだろう。
そしてドアが閉じた瞬間、
「もうっ! アキちゃんってば可愛すぎっ!」
令嬢っぽい姿のままの俊也が飛びついて来た。
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「では今日はお疲れ様でしたー」
「お疲れー」
居酒屋と料亭の中間、といった感じのお店で、ドラマ撮影のスタッフさん、俳優さんたちと一緒に乾杯を。
「そっちのコもどうぞ」
「ダメです。アキちゃんは二十歳前だからアルコール厳禁で」
隣に座っていた若いスタッフのお兄さんがビールを奨めてきたのを、俊也がインターセプトしながら言う。
「えぇ~。そんな堅くならなくていーじゃん。……それじゃあ、愛里ちゃんに」
「残念。私もまだ未成年です」
顔の前で小さくぺけ印を作りながら、そんな攻防を繰り広げる俊也。
2歳年下の弟である俊也が『姉』で、兄である俺が『妹』。深く考えると頭がおかしくなりそうな状況。
そういえばあと1週間ほどで悠里の誕生日があるけど、その『双子の妹』である『瀬野愛里』も、設定的には同じ日に20歳になる。実年齢が18歳の俊也は酒を飲むことになるんだろうか。酔って男の素が出たらまずいし、何か断り文句を考えるんだろうけど。
「今時珍しいくらいきっちりしてるんだね。ところでアキちゃんっていうんだ。悠里ちゃん愛里ちゃんの妹かな?」
「そうです。両親が再婚して妹になった子です」
「へぇ~。義理の妹なんだ。どこか似てるから実の妹かと思った」
「わぁっ。ありがとうございます☆ そんなこと言われたの初めてです。嬉しいです」
とっさに喜んで、でも男としてこれ喜んでいいのか内心悩む。まあ、『アキ』としての反応はこれでいいだろう。
「やっぱりモデルとかやってるの?」
「はいっ。デビューして3ヶ月の下積み中ですけどね。……あ、食べていいですか?」
「どうぞどうぞ」
「いっただきまーす☆ あむあむ」
「そっか~。スタイル抜群だし、笑顔が可愛いし、オーラあるし、きっとすぐ有名になるんだろうな」
「ありがとうございますっ!」
「ねぇ、彼氏とかいるの?」
「恋人ならいますよぉ。世界で一番かっこよくて素敵な人です」
「ははっ。愛されてるなあ。うらやましいよ」
その相手は今、俺をほったらかしにして監督さんと一生懸命お話し中。仕事熱心なのは好感ポイントだけど、俊也と場所を変わってくれたらよかったのにとも思ってしまう。
しかしはて。てっきり愛里(俊也)に近づくためのダシに使われているのかと思っていたけど、これ俺自身が粉をかけられているのか。
「それにしても、美味しそうに食べるねえ。モデルさんってダイエットしてる印象あったけど、いい食べっぷりだ」
「まあ、それは人それぞれですね。普通に食べる人もいれば、本当に拒食症な人もいます」
「あたしの場合、コルセットつけるやっと仕事が終わったので、今日がダイエット解禁日ですっ。頑張ってもっと太らないと」
「あ、アキちゃんあのコルセット大丈夫だったの?」
「まあ、なんとか。あのですね、ウェストがこーんな細いドレスを着るお仕事があってですね。そのためにこれまでひもじい思いを……よよよ……」
「フルクロースで17インチのコルセットだから、誇張でもなんでもなく、それくらいのサイズですね」
「へぇ~、そりゃ細いや」
両手で作ってみせた輪っかを見て、感心したように言うスタッフのお兄さん。
その後もろもろ会話して、他の人もやってきて混じったりもしつつ、宴も半ばになったころ──「ここ、いいかな?」と声をかけられる。
「どうぞっ……えっ足立さん?!」
「それじゃ、お邪魔させてもらうよ」
そう言って、俺の隣に腰を下ろすダンディな俳優さん。
近くで見ると本当にイケメンだ。もう結構な齢なのに引き締まった身体を保っていて、胡坐の状態で正座して座る俺を軽く見下ろすくらいに背が高い。つけている男物の香水の匂いが微かに漂う。
「今日は無理にお誘いしちゃって悪かったね」
「いえ、ずっと憧れだった人に声をかけてもらえるだなんて嬉しすぎます。うわぁ。本当の足立さんだぁ」
「今時の若い娘にしては珍しいね。そう言ってもらえると光栄だ」
「父の撮ってたビデオを何度も何度も繰り返し見て、お小遣いで映画見に行ったとか」
当時見た記憶のあるドラマのタイトルを幾つか思い出しつつ挙げると、「へえ。それはすごい」と嬉しそうな声で言ってもらえた。
憧れの人の隣に座り、直接声をかけてもらえる。心のどこかで期待しつつ諦めていたシチュエーションに心が弾むのを止められない。……女物のぞろぞろしたワンピース姿で、化粧もして、女らしくちょこんと正座して、女声・女言葉で女のフリをする罰ゲーム状態なのは勘弁して欲しいけど。
口に塗ったグロスの存在が、何故か突然妙に気になりだす。
「アキちゃん乙女の顔してる♪ 可愛いな。ちょっと嫉妬しちゃうけど」
俊也のチャチャが入るけど、どうなんだろう。ウィスキーのロックを傾けながら俺を見る足立さんの視線に身体がほてる感じがして、つい両手を頬に当てる。
「ま、君をお誘いした理由なんだけど、今日の演技を見て感心したんだ」
「今日、ですか……?」
「そ。お嬢様学校の生徒役のエキストラ」
「あ、そっちですか。……んー。でもあたし、座ってただけですよ?」
「そう。君はただ座っていただけだ。それなのに、『大正時代の平凡なお嬢様』を見事に演じて、しかも完全に空気になっていた。……これ、実はなかなか出来ることじゃないよ?」
「ありがとうござい……ます?」
あの足立さんが、肩が触れ合うような位置に座って、テレビとかで聞き慣れた低い声で自分のことを褒めてくれる。ある意味天にも昇るような気分。
「しかも聞いたらエキストラ初体験だっていうし。普通の人はカメラを向けられると、どうしても意識が向いて堅くなるからね。現に、君たちのマネージャーさんが目立ってしまってNGを受けていただろう。ある意味あれが普通なんだ。まあ、彼女は目立ってナンボのモデルさんだからっていうのもあるだろうけど」
そこで一旦言葉を切って、グラスを少し傾ける。
「きっと、君には女優の才能がある。実際にモノになるかどうかはこれからの努力次第だけどね。モデルやめろとまでは言わないけど、女優の世界も目指してくれないかな?」
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「あー。疲れたー」
夕食会のあと、3人で入ったホテル。先に風呂に入る2人を見送って、ベッドに仰向けに倒れこむ。
『アキ』としての演技からようやく解放されて、男の素を出せる喜びに浸る。
服は相変わらず女物だし、化粧も落とせてないし、あたりに漂うのはオードトワレの女の子らしい匂いだけれども。
今日は本当に色々あった。
『母娘』で朝食を作って、ヨーロッパのお姫様みたいな姿になって、OLさんの格好をして、デンパナンパ男の怪電波を浴びて、大正時代の女学生姿で悠里たちの撮影に参加して、17歳の女の子として足立さんと会話を交わして。
でも結局、最終的に一番疲れたのは夕食の席かもしれない。
あのあと過去のドラマ撮影時のこぼれ話とか披露してくれて、大きく盛り上がったまではいいけれど、酔いが回るにつれ俺の肩に腕を回して口説いてくるし。俺が本当に女なら、今頃は別のホテルの別の部屋で寝ていたかもしれなかった。
女優を目指せと言われても、頭の悪さには自覚のある俺のこと、台詞を覚えられる気がしない。
そしてそもそも、俺が『女優』を目指してよいものかという……
悠里たちと交替で風呂に入り、彼女らが持ってきた弁当箱も洗って外に出ると、すでに2人とも寝息を立てていた。双子の美少女にしか見えない姿でピタリ抱き合って。
彼女たちを起こさないよう、俺も静かにベッドに横になると、すぐに睡魔が襲ってきた。




