SS28 「すいろ」
雪の降った夜、買い物帰りに足を踏み外して水路に落ちた。
かぼそい電灯の光を浴びて雪が薄く光り、黒い水面をアスファルトと見間違えたのが運の尽きだった。
深さ1mほどの水路に落ち、倒れこんだ足と手が水に漬かる。幅も1mほどの農業用の細い水路だ。
幸い、水の勢いは大したことはなかったが、落ちた衝撃と水の冷たさで暫くは動けなかった。
更に悪かったことは落ちた衝撃で手を離してしまい、買い物袋が流されたことだ。水路は僕が落ちた辺りから地面の下に隠れ、買い物袋も既にその闇の中だった。
リンゴも牛乳もデザートのチーズケーキも闇に消えた。
水路から這い上がって道を歩いた。
手元に残ったのは小分けにしていた小さな買い物袋だけだが、スーパーマーケットに戻る気にはなれなかった。羽織っていたジャンパーの裾が水に漬かったのでポケットをひっくり返して水を出さなければならなかった。防水性の高い素材が逆に仇となった形だ。上着のポケットにレシートなどの小さな紙屑を突っ込む癖があるので尚更酷い状態だった。腰の部分は濡れなかったので、尻ポケットに入れていた携帯電話に殆ど水がかからなかったのは不幸中の幸いだろうか。
その時電話が鳴った。
電話は友人からだった。話している状態ではないと思ったが、踏み出すことに靴の底からグズグズと水が染み出すような状態では話しているほうが、気がまぎれると思い直した。
「今日、会社で大変な目にあってよ」
「へえ・・・・・・」
情けなくて水路に落ちたことは言う気になれなかった。
電話は他愛もない内容で俺は適当に聞き流しながら、流れていったチーズケーキのことを考えていた。あのケーキはどうなるのだろう。魚が食うのだろうか?
でも、プラスチックのケースに入っているから食いにくいだろうな、と思ったとき、目の前に人影があることに気付いた。それは大柄な男で、厚手のコートを着て、ニット帽を深く被っているので顔が見えなかった。そして、全身が濡れていた。
一歩歩くごとに靴から染み出す音が聞こえた。男は僕の前に立つと手にした物を前に置いた。それは濡れたスーパーの買い物袋だった。男が置いた瞬間、水と共にプラスチックのケースが袋から流れ出た。男はそのまま立ち去って行った。大きなゲップを一つ残して。
「どうかしたのか?」
僕が無言になったのに気付いて電話の相手が尋ねた。
「いや、ちょっとね」
俺は近づいて袋の中を確認した。ケースの中のチーズケーキは一欠けらも残っていない。
野菜もビニールの包装はあるが、中身がない。
「・・・・・・ゴミの分別を注意されてた」