第五話:真珠湾攻撃
ついにここまで来ました。
1941年12月7日、機動部隊がハワイの飛行哨戒圏内に突入した。
Xデーを翌日に控え、連合艦隊司令長官・山本五十六大将から激励の電文が送られてきた。
「皇国の興廃繋りてこの征戦にあり。粉骨砕身各員その任を全うすべし」
かつて日本海海戦に臨んで、時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎が掲げたZ旗と同じ意味である。
「赤城」のマストにもDG旗が掲げられた。Z旗と意味は同じだが、それと悟らせないための措置であった。
1941年12月8日午前0時。ついにこの時がやってきた。
昨日に引き続いて天候に大きな変化はなく、飛行に支障はないものと思われた。
「急げ、甲板に集合だ!」「モタモタするな!!」
午前0時40分、各空母甲板上に第一次攻撃隊搭乗員が整列する。
第一次攻撃隊は淵田美津雄中佐率いる総勢183機である。
(九七艦攻89機(爆装49/雷装40)、九九艦爆51機、零戦43機)
午前1時30分(ハワイ時間12月7日午前6時)、零戦隊が先行して飛び立った。
その後を追うように攻撃隊が発艦し、艦隊上空で編隊を組むと、
攻撃隊は淵田機を先頭に、艦隊上空をぐるりと一周すると、真珠湾目指して飛び去っていった。
「オアフ島だ!オアフ島だぞ!」
目的のオアフ島の海岸線が遠く見えてきた頃、信号銃が一発、空に向かって放たれた。
信号は一発なら奇襲、二発なら強襲と決めてあった。
午前3時10分(ハワイ時間12月7日午前7時45分)、第一次攻撃隊は奇襲態勢を整え始めた。
しかし、この土壇場で攻撃隊にハプニングが起きてしまう。
先の信号銃に気づかなかったのか、零戦隊が動かなかったのである。
零戦隊に向けて淵田がもう一度信号銃を撃つと、ようやく気づいたのか、零戦隊も攻撃態勢に移り始めた。
だがこの二度目の信号銃を二発目と誤認した急降下爆撃隊は、強襲と判断して急降下態勢に入ってしまう。
この混乱に淵田はやむを得ず、予定より早いがト連送を指示した。
ト連送とは「全軍突撃せよ」という意味の暗号電文である。
午前3時23分(ハワイ時間12月7日午前7時53分)、未だ米軍に目立った動きは見えない。これを見て淵田は艦隊に向けて打電する。
「トラ・トラ・トラ」(我奇襲に成功せり)
刹那、各隊は各々が目指す攻撃目標に向けて突撃を開始した。
雷撃隊も戦艦群を攻撃すべく、真珠湾に停泊中の米艦艇に雲霞のごとく殺到した。
雷撃隊は次々と魚雷を投下し、艦艇スレスレを飛び去っていく。
その背後からやや遅れて爆音が轟き、黒煙がもうもうと立ち昇った。
雷撃隊に続き、急降下爆撃隊、水平爆撃隊が追い討ちをかけた。
そのため、かろうじて難を逃れた艦艇も新たに餌食となった。
奇襲は成功した。
第一次攻撃隊から遅れること1時間15分、第二次攻撃隊が艦隊から発進した。
第二次攻撃隊は島崎重和少佐率いる167機である。
(九七艦攻54機(全て爆装)、九九艦爆78機、零戦35機)
第二次攻撃隊は生き残った艦艇や軍事施設に襲い掛かり、オアフ島全体が黒煙に包まれた。
この頃には米軍も日本軍の攻撃だと気づき、反撃を始めていた。対空砲火が火を吹き始めた。
その後、一旦機の収容を終えた日本軍は再攻撃を決定。
午後3時30分(ハワイ時間12月7日午後8時)、第三次攻撃隊が艦隊から発進した。
第三次攻撃隊は淵田中佐率いる153機である。
(九七艦攻108機(全て爆装)、零戦45機)
第三次攻撃隊はテルミット弾を投下、燃料タンクを焼き尽くした。
その火は工廠や生き残っていた艦隊にも広がり、真珠湾は基地機能を喪失。
米太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将は戦死した。
かくして日本軍による「真珠湾攻撃作戦」は成功のうちに終了したのであった。