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第四話:開幕

11月27日(日本時間11月28日)、第2回野村吉三郎・来栖三郎・ルーズベルト会談が行われた。


ルーズベルトは「乙案」の拒否を伝え、『満洲からも撤退せよ』ということを要求。


これにより日米交渉は破談。日本政府はルーズベルトによる要求を事実上の最後通牒であると受け取った。

東郷外相は日本側が最終案として提示した乙案が拒否されたことに失望し外交による解決を断念した。

そして12月1日の御前会議。


東條首相は

「日米交渉に努力してきたものの、米国は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、満洲国の否認を要求する等、新なる条件を追加し帝国の一方的譲歩を強要して参りました。若し帝国にして之に屈従せんか、帝国の権威を失墜し支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果と相成る」と述べた。

そして「帝国は現下の危局を打開し、自存在自衛を全うする為、米英蘭に対し開戦の已むなきに立ち至りましたる次第」と説明した。

会議の結果、対米英開戦が決議された。ハル・ノートが提示される以前にハワイオアフ島真珠湾に向けて出航していた機動部隊へ12月2日午後5時30分、連合艦隊司令部から真珠湾攻撃の命令「ニイタカヤマノボレ1208」が発せられた。


12月3日、マレー半島攻略の命令「ヒノデハヤマガタトス」が発せられた。

12月7日、マレー半島攻略部隊がスマトラ島ドゥマイを出港。同日、東郷外相、野村大使に交渉打ち切りを伝える「対米覚書」を訓令。

同日深夜(米国時間12月6日)、野村大使、ハル国務長官に「対米覚書」を手交し、日米交渉決裂。

12月8日午前2時、「米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書」が発せられ、米国と英国に宣戦を布告。


1941年12月8日午前1時30分(マレーシア時間1941年12月7日午前0時)、マレー作戦開始。

1941年12月8日午前2時40分(ハワイ時間1941年12月7日午前7時10分)、真珠湾攻撃開始。


ここに太平洋戦争が開幕した。

ついに太平洋戦争が勃発しました。

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