第九話「森の魔女」
ようやく正ヒロイン登場。
もう手遅れかな?
「ごめん。わたし、また考え無しだった……」
「いえ、僕の不注意でもありますから」
少年はスゥを攻めても仕方ないと考え、状況の打開を試みる。
まずは跳躍。
森の上に飛び出して、リバーフォレストのある方向を探った。
広葉樹林の枝葉が天井になっているが、空間遮蔽があるので邪魔にはならない。
「どうだった?」
「駄目です、さっぱりわかりませんでした」
思った以上に遠くに来ていたせいで、地理がわからない少年では判断のしようがなかった。
スゥを背負って跳んでも、結果は変わらない。
「わたしのせいだ……お姉ちゃん失格だよ」
「そんなこと……あ、確か地図があります!」
彼が取り出したのは、俺が持たせた世界地図と地方地図だった。いずれも羊皮紙製、正真正銘王都ディスティアで発行されたものである。
スゥが広げて、少年が松明で地図を照らす。
「どう、クーちゃん?」
「うーん、多分だけど、さっき見えた山がこれで、リバーフォレストがここだから、この辺?」
位置は依然として不明瞭だったが、リバーフォレストの方角はわかった。
「でも、これだけじゃ……」
「いや、方位磁石も空間収納にあったはず。これでリバーフォレストのある方へは戻れますよ!」
少年は、何とか自力で活路を見出した。
俺を頼るだろうと思っていたが、極力自力解決を模索するのが少年の方針のようだ。
ふたりは松明を掲げながら、木漏れ日の中を歩き始めた。
無事に帰れそうな雰囲気になって、談笑しながら進んでしばらくした頃。
「ねぇ、クーちゃん。今、前のほうで何か動いたんだけど……」
「僕も見ました。念のため、結界石の準備をしてください」
少年達は木々の合間の闇の中に、何かを見つける。
それは、ふたりのいる方に近づいてきた。
がさがさと地面の葉を散らかすような音とともに、子供ぐらいの影が現れる。
「あっ、ゴブリン!」
「知ってるんですか?」
「家畜をたまに盗んでいくやつだよ!」
松明に照らされて浮かび上がってきたのは、醜い顔と乱ぐい歯。
この世界において、もっともポピュラーなモンスターだった。
ゴブリンには暗視がある。
ふたりの姿を先に見つけて、近づいてきたのだろう。
「う……臭っ……」
「水浴びもしないっていうけど、本当なのね……」
スゥもゴブリンに放つ悪臭に顔をしかめながら、少年の後ろに隠れる。
少年もまた、スゥを庇うようにゴブリンの前に立ちはだかった。
「ケ……ケケ……!」
そんなふたりを見て、ゴブリンは笑っていた。
連中は臆病だがサディストだ。
自分より弱い者を見つけると、甚振り殺そうとする。
ゴブリンにとって、ふたりは憂さ晴らしに格好の獲物だったのだ。
「こういうとき、どうするのがいいんでしょう?」
悠長なことを言い始める倉木少年。
初めてモンスターを見るというのに、やけに冷静な反応だった。
「一匹なら脅かせば逃げてくって、お母さんが言ってたよ!」
「そうですか。一応、結界石を使ってください!」
「わかった!」
スゥは素直に結界石を握って、白いドーム状の力場で周囲を覆った。
「ギッ!?」
ゴブリンは警戒して後退る。
初めて見る光景に驚いたようだが、逃げる様子はない。
一方、後顧の憂いを絶った少年は安堵の息をついた。
彼が恐れていたのはゴブリンではなく、スゥの身に何かが起きること。
未知の脅威に怯えるどころではなかったようだ。
少年は改めて、左手に松明を掲げてゴブリンの姿を観察する。
ゴブリンは小柄だが頭が大きく、猫背で、先端に石のついた棍棒を持っている。
土で汚したような茶色の鎧を着込んでおり、まったく手入れされていない。
山賊相手に大立ち回りを演じた少年が物怖じするような相手ではない。
だというのに、倉木少年は一向に動こうとしなかった。
ゴブリンのどんよりと曇った視線をまっすぐに受け止めながら、腰を落とす。
――どうした。何かトラブルか?
(いえ。僕らはまだ彼に、何もされていませんから)
彼、ときた。
モンスター相手に、無意味な博愛精神を披露しようというのか。
(攻撃されたら、ちゃんとやり返します)
俺の訝しりを察したらしい。
まあ、そういうことなら俺も傍観するだけだ。
ゴブリンはじりじりと間合いをはかるように、一歩一歩近づいてくる。
子供が相手だからといって警戒を解かないのは、ゴブリンの面目躍如といったところか。
「ケケ!」
ゴブリンが奇声をあげた。
米粒ほどの凶暴性を発揮して、少年に向かってくる。
矮躯なゴブリンは歩幅も短く、足も遅かった。
ゴブリンは少年に向かって棍棒を振り下ろした。
工夫もなく、どこかに当たればめっけものレベルの、ただ振るうだけの一撃。
少年はそれをゆらりと半身を逸らして躱し、松明の先端、つまり炎の灯った部分で棍棒を持ったゴブリンの右手を叩く。
「ゲェア!?」
一瞬のことだったので、ゴブリンが熱さを感じる暇はなかった。
純粋な打撃の痛みで棍棒を取り落とす。
怯んだゴブリンの眼前に、今度は炎が迫った。
少年が松明を突きつけたのだ。
咄嗟に後ずさろうとするゴブリンの動きに合わせて、少年も前進する。
どんなに逃げても炎の熱さが目の前から離れないので、ゴブリンは慌て始めた。
「ゲヘッ」
後退し続けたゴブリンの背中が、木の幹にぶつかる。
衝撃で、周囲の落ち葉がふわりと舞った。
うち何枚かが、松明の炎でちりちりと音を立てる。
「キイィ……!」
目の前の炎の眩しさと熱さから逃れる事もできず、ゴブリンはよろよろと腰砕けになった。
這って逃れようとすると、すかさず進行方向に松明の炎が現れるので、ついにゴブリンは逃げるのを諦めた。
少年に向かって、何かを求めるように上目遣いし始める。
少年は、それを降伏だと認めた。
「ギビタグバベレバジブング、バエレ(死にたくなければ自分の巣、帰れ)」
自動翻訳されたゴブリン語で要求を伝えた後、一歩、二歩と下がる。
ゴブリンは、悲鳴をあげて一目散に逃げ始めた。
松明の照明範囲から外れて、暗闇の中へと紛れ込んでしまう。
「ふぅ」
「すっごい。あっという間だったね」
結界を解いたスゥが、少年の下に駆け寄ってくる。
結界石の使い方を完全に覚えたようだ。
「仲間を呼んで戻ってくるかもしれないです。すぐに離れましょう」
「うん!」
ゴブリンとの遭遇をさらりとクリアし、少年達は帰路を急いだ。
「ねぇ、本当に合ってる?」
「うーん……」
眉根を寄せて不安を訴えるスゥに対して、少年は唸ることしかできなかった。
方角は合っているはずなのに、一向に森を出られる気配がない。
それどころか、木々は捻じれ、不気味な紫色の霧のようなものが周囲を覆い始めた。
もはや視界を遮るのは闇だけではない。松明の明かりだけで先を見通すことは――
……待て、紫色の霧だと。
――迷いの結界に間違いない。魔女だな。
(魔女ですか?)
――この世界に住むモンスターの一種だ。元は人間の女だが、力を求める過程で闇に堕ちた者をそう呼称する。
俺は手早く説明を済ませながら空間に干渉し、結界の効果を抑制した。
「あれ? 霧が消えて……ねえ、クーちゃん!」
変化に気づいたスゥが、少年の袖を引っ張った。
「神様が何かしたみたいです」
少年も急激に変化していく風景を、きょろきょろと見回した。
――もう一度、方角を調べてみろ。
(はい! ……あれ? 全然違う)
――そっちが正しい方角だ。
(え、ええと)
――いそげ。結界は一時的に抑制しているだけだ。解除して結界主に気づかれては元も子もないからな。
少年は釈然としない顔をしていたが、すぐに俺の指示を実行した。
スゥの手を引いて、事情を道々説明しつつ、それまでとは反対の方向へと進む。
「神様って、そんなこともまでできるの?」
「みたいですね……」
「いいなぁ。わたしも願い事とか叶えてもらえないかな?」
「神様にばっかり頼ってちゃダメですよ。ちゃんと、自分でできることはやらないと」
少年はスゥにではなく自分に言い聞かせるように呟いた後、念話を送ってきた。
(神様、さっきは、どうしていきなり……)
――唐突に干渉して悪かったな。
(いえ、それはいいんですけど……)
――魔女はお前が苦戦するほどの相手ではないが、厄介な魔法能力を使う。スゥを連れた状態で遭遇すべきではない。
その後、結界を抜けてから街道に出るまで、時間はかからなった。
逆に言うと、魔女の棲家はリバーフォレストからそう遠くない場所にあることになる。
――ゴブリンが徒党も組まず、こんなところをうろついていたのも気になる。俺の方で調査するから、しばらく森には近づくな。
(わかりました)
少年たちはリバーフォレストに向かって街道をゆく。
既に夕方だが、ダネを心配させる前に帰ることができるだろう。
確か、地図によると『宵闇の森』といったか。
人里を出れば、こういう厄介な場所がいくらでもある。
それが異世界ベイダの厄介なところであり。
俺にとっても未知の多い、面白い場所だと言える。
少年が山菜に舌鼓を打っている頃、俺はベイダに介入用の超小型端末を送った。
端末は森に住んでいた虫や小動物、梟、そして狼達の体に空気を介して入り込む。
彼らの五感を共有しながら脳に単純な電気信号を送ることで、こちらの命令を聞かせることができる。
魔女の棲家のあたりに目立ちにくい羽虫から偵察に送り込む。
魔女の結界は虫にも通用するようだったので、少年の持つセイケンを介して再び結界を抑制した。
おおよそ二時間ほどかけて、魔女の棲家とその周辺の地形を把握する。
魔女の棲家は如何にもといった雰囲気のネジ曲がった屋根の小屋だった。
煙突から、紫色の煙が出ている……あれが、結界を作り出す源だ。
次に狼を数匹、魔女の縄張りをぐるぐると回らせながら、罠の有無を確認する。
魔女は結界によほどの自信を持っているのか、外側に罠らしきものはなかった。
いよいよ小屋の中だ。
小さなコノハズクを一羽だけ、小屋の窓に向かって飛ばす。
換気用だったらしく、コノハズクは簡単に中へ入ることができた。
「あら……?」
はばたき音に声をあげたのは家主……魔女だ。
その女は、若く美しい外見をしていた。
無論、見た目通りの年齢ではないだろう。
紫を基調としたローブに、ところどころ黒い装飾。
髪は赤みがかった茶色で、ウェーブがかかっている……が、あまり手入れされた様子がない。
魔女は、古ぼけた木でできた椅子の上で革の装丁の本を読んでいた。
おそらくは何らかの魔術書だが、コノハズクの視覚からでは魔力情報まで読み取れない。
「珍しいわね。こんな子が、うちに紛れ込んでくるなんて」
そう呟く魔女から一旦視線を外させ、コノハズクに小屋の中も観察させる。
中は外から見た通りの板張りの小屋で、壁際の棚にはさまざまなキノコや薬草、そしておそらくは毒草などが並べられていた。
他の棚には本や、モンスターと思しき頭蓋骨などが陳列されており、おおよそ魔女と聞いて連想されるものが揃っていた。
暖炉にかけられた大鍋の中に紫色の液体がぐつぐつと煮え立っていて、そこから沸き立つ煙が煙突の中へ吸い込まれている。
魔女は本を閉じ、近くのテーブルに置いてから立ち上がってコノハズクを見上げた。
俺は、それに呼応するようにコノハズクをテーブルの上にとまらせる。
「私が怖くないの? フフ、面白い子ね」
好奇心に笑みを浮かべた魔女が、コノハズクに顔を近づける。
ひょっとすると縊り殺されるかもしれないが、それならそれで魔女の残虐性を確認することができる。
だが、コノハズクをおとなしくさせていると、魔女は俺が思いもしなかったことを言い出した。
「……そうだ。あなた、私の使い魔にならない?」
その提案は……望外の幸運だ。
使い魔になると魔女に制御されるようになってしまうが、こちらとの知覚共有は健在だ。
しかも、魔女自身も使い魔と感覚を共有する。
つまり、魔女のバイタルデータをこちらで逐一チェックすることができるようになる。
それにしても、無警戒な。
他の魔女から送り込まれた使い魔の可能性を考えないのか。
「実は最近ちょっと寂しくてね。いいでしょ?」
案外、見た目通りの年齢なのかもしれない。
こうして俺は、魔女の観測を項目に追加した。