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第八話「スゥの問いかけ」

もうヒロインでいいや。

 なんだかんだ眠気に勝てなくなった少年は程無く眠りの世界に旅立った。


 そして朝。

 倉木少年はごそごそとベッドからい出る。

 さすがに寝不足気味は否めず、目をこすりながら欠伸あくびをしていた。


「歯を磨かないと……」


 少年は空間収納インベントリから歯ブラシと歯磨き粉を選択、手に取った。

 それらは当然この世界にはないもので、俺が事前に用意したものだ。


「水はどこかな……あ」


 少年はベッド脇の床に水の入った桶を見つけた。

 ダネが朝早くに川で汲んできた水である。


 それを見て、少年はここが自分の家ではないことを思い出した。


「あら、クラキ。おはよう」

「おはようございます!」


 小屋の中に部屋の括りはないので、ダネが少年に気づいて挨拶した。

 少年も負けじと元気な挨拶を返す。


「おお、朝から元気がいいねえ」


 ダネは暖炉にかけられた大鍋に向かって腰を曲げ、長い木串を回していた。

 漂ってくる香りに、少年は思わずくんくんと鼻をひくつかせる。


「いいにおい……」

「これかい? 昨日と同じ鹿肉のスープなんだけどね。気に入ってくれたみたいで何よりだよ」

「鹿……このあたりにいるんですか?」

「いるとも。このあたりでの主食さ」


 ダネは木串を回す手を止めて、少年が発見した桶を指さした。


「とりあえず、その水で顔を洗っておくれ」

「はいっ」

「それが済んだら、お寝坊娘を起こしてやっとくれ」


 少年がベッドのほうを振り返ると布団にくるまった少女が寝息を立てていた。

 昨晩の羞恥に赤らんだ顔をぶんぶん振って、妄想を打ち払う。

 改めて桶の水にしゃがみ込み水面に映った顔を見た。


(洗顔用なら、清潔かな?)


 そう考えて、今度はガラス製のコップを取り出して桶から一杯分の水をすくい取る。 口をゆすぐのに使うつもりだろう。

 一度コップを床に置いてからダネの言いつけどおりに顔を洗うと、熱くなっていた顔はだいぶマシになった。

 呼吸を整えてからスゥを起こしにかかる。


「スゥさん、朝ですよ」


 少年は布団をめくらないように気をつけながらスゥの肩を揺する。

 だが、一向に起きる様子がない。

 寝言すら言わず、死んだように眠っていた。


 さすがに少年が不安を抱き始めた頃、ダネが少年の後ろから顔を出した。


「しょうがないね。ずいぶん無理もしたみたいだし……」

「大丈夫なんでしょうか?」

「疲れてるときはこんなもんだよ」


 ふたりは互いに頷き、スゥを寝かせておくことにした。


「何かお手伝いできることはありませんか?」


 少年は他人の家にお世話になったときの礼儀作法を思い出して自ら進み出る。


「ホントなら命の恩人にさせるのもなんだけどねえ……」

「いいんです! 僕のことは特別扱いはしないって、昨晩決めたじゃないですか」

「それなら、薪の替えを持ってきてもらえるかい? わたしはしばらくは鍋を見ているからね」

「わかりました!」


 少年は裏手に取り置きの薪置き場があると聞いて外に出る。


「わ……」


 まだ少し寝ぼけていた少年を燦燦さんさんとした光が出迎えた。


「……星も綺麗だったけど、青空もすごいステキだな」


 少年は手の平をかざして陽光に透かしながら天を仰ぐ。


 どこまでも広がる青空と前面に連なる山々。

 それらに折り重なるように白い雲が風に乗って流れていく。

 耳を澄ますと、木々の間から鳥の鳴き声と川のせせらぎが聞こえてくる。

 少年は春風の運んでくる草いきれの香りを大きく吸い込んだ。


「神様、おはようございます!」


 何事かと思えば。


――おはよう、倉木君。だが、声に出さずとも……。

「わかってますって!」


 なら、何故無駄な労力を払うのか。

 意味がわからない。


「よーし、今日から頑張りますよ!」


 少年はなにやら気合を入れた。

 ともあれ、少年の新たな日常は爽やかな朝から始まった。




 少年はスゥ親子の生活を助けながら、リバーフォレストでの最初の一日を過ごした。

 前日の戦いが嘘のような、うららかなひとときだった。

 とはいえ、生活レベルが著しく異なるこの世界で安楽に過ごせたという意味ではない。


 水道がないから水は川に汲みに行かねばならない。

 ガスもないので、一度消えた火は時間をかけておこす必要がある。

 夜の暖房には薪が必要だ。今は春先だからいいが冬場なら生死に関わる。

 薪は木々の加工工場を経営する一家から薪用の太木を分けてもらって、通常は自分で割る。

 無論、金を多めに払えば加工済みの薪を買えるが、スゥ親子にそんな余裕はない。

 

 男のいないこの家では、薪割りはスゥの仕事なのだという。

 それでもまだ自分たちは食べられるだけマシな方だと言うスゥ達に、少年は大きなショックを受けていた。


 その話を聞いた次の日。


――水は空間収納インベントリに水筒があるぞ。

(川で汲んできます)


――火おこしなら発火の短杖ワンドを使ったほうが効率がいい。

(自力でやってみます)


 少年は俺の提案をすべてはねのけ、この世界での普通の暮らしを実践した。

 何故か身体強化フィジカルブーストも切って薪割りまでしていた。あまりにも不合理なので、


――何故、そんな無駄なことをする?


 と聞いてみたところ。


(え? 神様が好きにしろって言ったんじゃないですか)


 と、逆に俺が悪いみたいに言われた。

 まったくもって不可解だ。


 尚、この時点ではスゥの家に一泊だけ泊まることになっていたはずだが、少年の記憶からは完全に消えていたことを付記しておく。

 スゥ親子の思う壺だった。


 忙しい時間はあっという間に流れ、異世界生活三日目の夕餉ゆうげ

 メニューはまた鹿肉出汁のスープだった。


「長い間、あたしが動けなかったからね。スゥひとりじゃ、木の実を取りに行くのも難しくてね……」


 と、ダネが申し訳なさそうな顔をした。


「じゃあ、明日は山菜摘みにいかない?」


 そんなスゥの提案で、次の日は森に出かけることになった。


 四日目ともなると倉木少年の存在は集落全員の知るところとなっていた。

 余所者に少々排他的なリバーフォレストだが、少年の場合はスゥを助けた小さな英雄としてあたたかく迎えられている。

 もちろん足を怪我したスゥを無事に送り届けた旅人として、だったが。

 山賊退治のくだりはスゥが吹聴していたものの、笑い話として流されている。


「どうしてみんな信じないのかな?」


 不機嫌そうに籠の中にキノコを放り込むスゥに、少年は笑って応える。


「スゥさんだって、見てなければ信じられないでしょう?」

「確かにそうかも。あ、それ食べられるよ」


 少年も集落全員に自分の活躍を吹聴しようなどとは思わなかったし、信じてもらえなくてもトラウマを思い出すことはなかった。


「スゥさんとダネさんが信じてくれれば、それでいいです」


 それが少年の忌憚きたんのない本音だったのだが、スゥは少年の台詞に関して別の不満を口にした。


「その、スゥさんって何とかならないの?」

「何とかって、何がです?」

「他人行儀過ぎ! わたしはもうクーちゃんって呼んでるのに!」

「やめてくださいよ。それ、すっごく恥ずかしいんですから……」

「だーめ。クーちゃんったら、クーちゃんなの。だから、クーちゃんもわたしのこと、スゥさんって呼ぶの禁止」


 スゥの言い分は理不尽極まりないが、気の優しい倉木少年はまともに取り合った。


「ええと、じゃあ……スゥ?」

「えー。呼び捨てはちょっとなー。おねーちゃんがいいなー」

「それはさすがに……僕、十三ですし」


 ようやく歳を言えたことにほっと一息の倉木少年。

 だが、スゥにはまるで逆効果だった。


「それでもわたしがいっこ上じゃない。おねーちゃんって呼べ、この〜」

「わわっ、危ないです!」


 またも後ろから抱きつかれる倉木少年。

 すっかりスゥは少年の背中が気に入ったらしい。ここ最近の定位置だった。

 少年もすっかり慣れてしまい、いちいち赤くならなくなった。


「ねぇねぇ、クーちゃん」


 いつもはちょっとしたスキンシップで終わりなのだが、今日のスゥはなかなか離れない。


「わたしね、ずっと弟が欲しかったんだ」

「そうなんですか」


 スゥの父親は彼女が物心つく前に戦争で死んだらしい。

 父親に怒られる云々の話は母づてに聞いたものだった。

 故に、弟など望むべくもない。


「ねえねえ、クーちゃんはお姉ちゃんが欲しいって思ったこと、ない?」

「そ、そうですね……兄はいますけど、姉はいなかったので……いればいいのにと思ったことはあります」


 それを聞いた少年の友人は姉なんてロクなもんじゃないと力説していたが、彼とも例の件で離れ離れになった。

 少年は戻らぬ友を思い出して悲しそうな顔になったが、スゥはそれを別方向に解釈した。


「クーちゃん」

「はい?」

「わたしじゃ、だめかな」


 倉木少年も何が、とは聞き返せさなかった。


「わたしじゃ、クーちゃんの大切な人には、なれないかな」


 この問いかけに即答するには、少年は若すぎた。

 そして共に過ごした時間も、まだ短い。


「……なーんてね。嘘!」


 時間切れだ。

 スゥは黙りこくった少年から、身を離す。


「えっ、そうなんですか?」


 スゥの目まぐるしい変化に、少年は目を白黒させた。


 女性からの質問には時間制限が付き物だ。答えの内容も大切だが、答えるのにかかった時間によっても男の評価は変わる。

 少年はまだ、そのことを知らない。


「さ、行こ?」

「あ、待ってください!」


 スゥは先程までの雰囲気を吹き飛ばすように、くるっと身を翻して駆け出した。

 少年が追いかけてくるのを背中ごしに見て笑う。


――まだ、出会ってからそんなに経ってないもんね。


 スゥも、少年の結論を急いではいないのだった。




「あの、本当にこっちで大丈夫なんですか?」

「平気平気!」


 ふたりは森の奥の方にまで足を踏み入れていた。

 そこはすでにリバーフォレストの伐採範囲から外れている。

 鬱蒼と葉を茂らせる広葉樹が陽光を遮断し、大地に闇をもたらしていた。


「暗いですね」

「クーちゃん、松明ある?」


 言われて両手に松明を取り出す倉木少年。

 炎が、落葉で埋め尽くされた地面を照らし出す。


「あれ、ひょっとしてこの間のやつ?」

「あ、はい。空間収納インベントリに入れた物は状態ごと保存できると神様が」

「なんか変なの。火がついたままなんて」

「火を付ける手間は省けますよ。あ、これも」


 少年はスゥにもう一本の松明と結界石を渡した。

 スゥがまたしても無謀なことをしているのではと直感した少年は、各種強化を起動し、いざという時に備えていた。


 一方、怪我がすっかり良くなったスゥの足取りは軽い。

 彼女は少年の存在に絶対の信頼を寄せている。

 だから、普段は踏み入らない森の奥まで探検しても大丈夫と考えていた。平気という台詞は彼女にとって嘘ではない。


 幸い倉木少年が危惧していたような事態に陥ることなく、冒険は順調に進んだ。

 スゥは普段見つけられないような木の実が拾えてご満悦だったし、少年とて冒険に心躍り始めていた。

 だからこそ二人共、もっと根本的な問題に気付かなかった。


「大漁だったねー」

「これなら、しばらくはもちますね」

「じゃ、そろそろ帰ろっか」

「お願いします」


 少年の笑顔に、スゥは目をぱちくりさせた。


「えっと、何をお願いします……なのかな?」

「え? 帰るんですよね?」

「えっ?」

「えっ?」


 互いに顔を見合わせる少年少女。


 この状況は、二人のそれぞれの勘違いから生まれた必然。


 すなわち、迷子だった。


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