第七話「悶々のクラキ」
注:スゥはヒロインではなくモブです。
訂正:スゥはヒロインではなくモブの予定でした。
「今日は泊まっていって!」
「ダメです!」
スゥの誘いを、倉木少年は頑なに断った。
「どーしてー?」
目をそらす少年に回りこむように、顔を覗きこむスゥ。
少年はさらに逃げて、家の内壁に追い詰められる。
「その……とにかくダメなんです!」
「なーんでー?」
スゥは、豹変した少年の様子を訝しんでいた。
彼女は、少年のことを異性として意識していない。
だが、少年はなんやかんやあって煩悩を刺激されている。
少年にとってもこれが恋ではなく、ただの性欲に過ぎないことは明らかだった。
だからこそ、ダメだということらしい。
「クラキ君みたいな大恩人を放り出すわけにはいかないよ? 天国のお父さんに怒られちゃう」
「うっ……」
スゥは意図せず、しかし的確に少年を追い詰める。
彼にとって、置き去りにした両親の話はいろいろな意味で弱点だった。
「いいんだよ、クラキ。自分の家だと思って寛いで行ってちょうだいな」
スゥの母親は、溜まっていた家事をテキパキこなしていた。
先ほどまで病人だったのが嘘のようだ。
もっとも、この快復には彼女自身が一番驚いている。
此処に鏡があれば、自分が数年若返っていることに気づけたかもしれない。
「じ、じゃあ……今夜だけ」
少年が折れると、スゥの表情がぱぁっと華やぐ。
母親と一緒に手を叩いて、作戦成功を喜んでいた。
(神様ぁ)
――女ぐらいで、情けない声を出すな。
(ふえぇ……!)
俺のすげない返事に、少年は狼に追い詰められた子羊のような鳴き声をあげた。
自分のこめかみをぐりぐりしながら、テーブルに突っ伏してしまう。
「なんか、かわいいなぁ」
「そうだね、かわいいねぇ」
スゥ親子はそんな倉木少年を見て、暢気に盛り上がっている。
――かわいいか?
俺には到底理解できない。
その後、肉で出汁を取ったスープが振る舞われた。
改めて再会を喜ぶ親子だったが、少年を放っておいてくれなかった。
なにしろ、今日のスペシャルゲスト兼メインディッシュなのだから、美味しくいただかねばならない。
「どこから来たの?」
「こことは、違う世界からです」
「へえー、どんな世界?」
「ここよりも、いろいろな物があって……車とか、ビルとか……」
「よくわかんないけど、なんか凄そう!」
少年を待っていたのは、質問攻めだ。
倉木少年も根が真面目だからか、正直に答える。
スゥはおかしな顔ひとつせず、異世界の話を聞いていた。
「異世界の話、信じてくれるんですか?」
「うん。どうして?」
「だって……」
少年はスゥが素直に話を聞いてくれていることに驚いていた。
こんな荒唐無稽な話、信じてもらえないだろう、と。
また、あの嫌な想いをするんだと覚悟していた。
「だっても何も、クラキ君のお話、とってもおもしろいよ?」
少年は意外そうにしているが、スゥにとっては当たり前の反応だった。
一介の村娘に過ぎないスゥにとって、リバーフォレストは世界のすべてだ。
外での出来事は、すべて吟遊詩人の唄う物語と同じ。
外は危険で、王都ディスティアに行ったのも子供の頃、父に連れられて一度だけ。
母の薬を買いに行ったのだって、彼女なりの一大決心だったのである。
話の続きをせがむスゥに押されて、倉木少年は結局すべてを話してしまった。
俺のことも含めて、だ。
まあ、別に秘密にする必要はないので構わないが。
「ここには、コームダインという人を探しに来ていて……そうしないと、元の世界に帰れないんです」
「それじゃあ、ご両親も心配しているだろうねえ」
そして、母親も娘と同じだった。
倉木少年の話をホラだと疑わない。
無論、これまで築いた信頼が前提ではあるが。
「それにしても、その神様はひどいねえ。こんな子供をひとりだけ放り出して!」
もっともな意見だ。
それでも言い訳をさせてもらうと、俺も元の世界に帰りたいと望む者を召喚する予定はなかったのだ。
だが、わざわざ死ぬために戻るという者を簡単に見捨てては、俺の存在意義に関わる。
倉木少年に同情するような心は持ち合わせていないが、彼も俺が救うべき魂のひとつであることは間違いない。
「確かに、ちょっとだけ恨んでます。でも、僕を助けてくれたの……あの人だけだったんです」
彼が俺に抱く感情は、感謝とあこがれだ。
無論、俺も今初めて知ったわけではなく、これまでもそうと知った上で何かと利用させてもらっている。
「神様は力をくれました。スゥさんを助けられたのも、神様のおかげなんです」
少年は、改めてその心の中を語る。
おそらくは、俺にも聞こえるように。
「あの人はなんでもできるけど、それでもなかなか叶えられない望みがあるみたいなんです。だから、僕は全力でそれに応えてあげなくっちゃ……」
少年の決意表明に、ふたりはしばらく黙りこんでいたが。
やがてスゥ親子は目を見合わせて、頷き合った。
「いい子なんだねえ、クラキは」
「でも、寂しがりやなんだね」
親子は席を立って、倉木少年の元にやってきていた。
何事かと二人を交互に見る少年。
「いいよ、クラキ君」
この家の椅子に、背もたれはない。
だから、スゥは倉木少年の首に手を回して、後ろから抱きつくことができた。
「あ、あの……スゥさん?」
「わたしが、お姉さんになってあげるね」
少年が背中にスゥの柔らかさを感じるのは、今日二度目である。
だが、あのときと違って今は平時だ。
自然と意識してしまう。
だが、スゥ親子の少年に対する囲い込みは始まったばかりだ。
「自分の家だと思ってくれていいんだよ。なにしろ、スゥの命の恩人なんだからね」
母親までもが少年の隣にやってきて、彼の頭を撫で始めたのだ。
「どこか旅に行かなきゃいけないなら、それまでの間でもいい。うちはいつでも歓迎だよ……男手もないしねえ」
さり気なく自分側のメリット混ぜて、少年の心のハードルを下げてきた。
娘とは一味違う、大人の手管だった。
現に、倉木少年も彼女たちの助けになるならいいかもしれないと、考え始めている。
(か、神様……大丈夫なんでしょうか?)
――何度も言わせるな。好きにしろ。
別に世界中を旅して回ってコームダインを見つけ出さなくてはならない、というわけではない。
俺が干渉しているのは、高次宇宙を伝う曖昧な運命そのものだ。
出会うときは出会うし、出会わない時は出会わない。
少年がこの世界にさえいてくれるなら、問題などあろうはずがない。
「そ、それなら……ほんのちょっとの間だけ、お世話になります……」
「やったね、母さん! 家族が増えるよ!」
おいスゥ、やめろ。
「それなら、早速いろいろ手伝ってもらおうかねえ。言っておくけど、それはそれ、これはこれ。厳しくいくからね」
「は、はい! ええと……」
「ああ、そういえばまだ名乗ってなかったね」
スゥの母は不敵な笑みを浮かべて、手を差し出した。
「あたしはダネリスっていうんだ。ダネでいいよ」
「あ、はい! よろしくお願いします」
少年はこころよくダネの手を握った。
こうして、少年のリバーフォレストでの日常が始まった。
「う、うぅん……」
だが、そう簡単に異世界生活最初の朝はやってこなかった。
少年の目の前では、スゥが寝苦しそうに喘いでいる。
(どうして、こうなっちゃうのかな……)
――ベッドが二つしかないなら、仕方がない。
(僕は床で寝るって、言ったのに!)
一つ屋根の下、同じベッドに女の子とふたりきり。
倉木少年は、男子であれば誰もが一度は夢想するであろうシチュエーションを強いられていた。
スゥは倉木少年を子供……というより弟のように感じている。
恋愛感情は、まったくない。
これで年齢が実はひとつしか違わないと知れば、また変わってくるかもしれないが。
だが、倉木少年はそうはいかない。
スゥの裸を見たり、抱きつかれたり、同じベッドで寝たり。
これで意識するなとは、俺にも言えない。
(やっぱり、ダメだっ!)
倉木少年は頑張って寝る努力をしていたが、無駄だった。
ベッドから這い出ようと掛け布団を捲って……。
「あ……」
スゥの肢体が見えてしまった。
無論、裸ではない。
それでも、薄手の布一枚を羽織るだけの寝間着では、大人になり始めた女性のラインを隠し切れない。
思春期の少年を妄想させるには充分だ。
「~~~!」
少年は声にならぬ声をあげて、布団を被った。
(こんなの、最低です)
――ごく健全な男子の反応だ。
自己嫌悪に眉根を寄せる少年に、俺は淡々と事実だけを述べる。
(でも、好きでもない人を見て興奮するなんて……)
――お前は一体どういう情操教育を受けてきたんだ?
率直な疑問だったのだが、少年は何が不満なのか頬を膨らませる。
(神様は、デリカシーがなさすぎですっ)
そんな失礼な思考を垂れ流し、頭の先まで布団を被った。
ふてくされたようだ。
強靭な精神力を持っているといっても、所詮は子供か。
しかし、この手の話題が弱点となると誘惑に対する対策を強化しておいたほうがよさそうだ。
精神遮蔽の効果で魅惑魔法は防げるが、古典的なハニートラップにはあっさりと引っかかってしまう。
惚れた腫れたの問題は、一概に記憶操作をして解決することが難しい。俺も経験で知っている。
幸いにして少年は、多感な割には一途で堅物そうだ。
誰かしら適当な雌をあてがい、番にしてしまった方が後々のためかもしれない。
いっそ、少年とスゥの性欲を上昇させ、ここで既成事実を作ってしまうのもいいか。
邪魔な母親は深い眠りに落としておけばいい。
既成事実さえできれば、運命に干渉せずとも結婚まで持ち込むのは難しくない。
どうする……実行するか?
(あの~……)
俺が今後に備えた計画を練っていると、再び少年が話しかけてきた。
――今度はなんだ?
(お願いですから、話し相手になってください)
どうやら、俺と会話することでスゥの存在を忘れようという腹づもりらしい。
――デリカシーがない相手と話をしたいのか?
(それはその、ごめんなさい。怒ってますよね)
――怒ってなどいない。
単に少年の今後の未来を憂い、早めに手を打っておくべきかどうかを懸案していただけだ。
(ほ、本当にごめんなさい。その……僕はこういうことには、厳しく言われてたので……)
どうやら、まだ俺が怒っていると勘違いしているようだ。
少年は言い訳がましく、己のルーツを弁明する。
だがやはり、両親の教育の賜か。
生来の気性も関係あるだろうが、このような希少種が生まれたのは家族環境にも一因がありそうだ。
そうなると自分の欲望の赴くままにスゥと関係を持ったら、少年の心に深い傷を残し、成長を阻害しかねない。
それは望ましくない。
計画実行はやめておこう。
――気にする必要はない。
俺が返答すると、少年から安堵の気配が伝わってきた。
今の思考を読んで判明したが、少年は俺に見捨てられることを何より恐れているらしい。
釘を差しておくことにしよう。
――倉木君。
(……はい?)
――お前を見放す事は有り得ない。俺は常に、お前とともにある。
(~~~ッ!?)
少年の心が突如として、声にならぬ悲鳴をあげた。
セイケンも少年の体温の急上昇を感知し、警告を発する。
頭がやかんの如く沸騰した少年は、無制動な感情を大量に吹き零れさせた。
どうやら、俺の一言が少年の何かに触れてしまったらしい。
(何言ってるんですかっ。ばかっ、ばかっ、神様のばかっ)
俺がわざわざ気を回したというのに。
馬鹿呼ばわりとは、どういう了見なのか。
――いいだろう。お前がそういうつもりなら、少し調教してやる。
(……へ?)
俺はセイケンを介して、少年のいる世界に働きかける。
まず、深い睡眠についていたスゥを、浅い睡眠に誘導。
次は、彼女に夢を見させる。彼女の希望に沿うように調整したところ、幼児化した倉木少年を抱きしめてご満悦になる夢になった。この女の頭の中はどうなっているんだ? まあ、内容を弄る手間は省けたが。
ともかく序々にスゥの覚醒を促す。こうすることで、寝ぼけた状態……夢と現実の区別が曖昧になる。
つまり、どうなるかというと。
「むに……クラキく~ん……」
「えっ……!?」
突然、スゥが少年の背中に抱きついてきた。
「ちょっと……スゥさん!?」
咄嗟に離れようとする少年だが……。
――俺を散々馬鹿呼ばわりした罰として、一晩そのままでいろ。
(嘘でしょう、神様!?)
俺の指令により、少年の心は世界に絶望したときより一際大きな悲鳴をあげた。
スゥはそんな倉木少年を、幸せそうな顔で抱きまくらにしている。
完全には起きてないので、半分夢を見ている状態だ。
腕だけではなく、足まで使ってがっちり少年をホールドしていた。
――安心しろ。望みどおり、話し相手にはなってやる。
(この状態で、神様に一晩中見られるってことですか……っ)
少年は、何故か極度の興奮を覚えた。
それでいながらスゥに対するお預けを食らったことに対して、それほど苦しんでいるようには見えない。
ひょっとして、この少年……。
「クラキくんめ、えへへ~」
「うううっ……」
スゥは少年に体全体を擦り付けるてくる。
夢とはいえ、まったく羞恥心を感じていないあたり、少年はとことん愛玩生物扱いだった。
(神様)
――ん?
(僕、頑張りますね……っ)
このような仕打ちを受けながら、彼が俺に送ってきた気持ちは感謝だった。
まったく、どこまでお人好しなのだろうか。
――ああ、頑張れ。
戦え、少年。
戦わなければ生き残れない。




