第三十五話「神の矛盾」
一方、少年の方はと言うと……。
「ぶがっ!」
最後の刺客の顔面を壁に叩きつけているところだった。
鈍い音が響き渡り、壁面にびちゃりと赤い斑点が広がる。
「うーん……殺さないようにするのって、やっぱり難しいものですね」
少年が呟きながら無造作に掴んでいた後頭部を離すと、刺客の体はずるずると崩れ落ちた。
かろうじて息をしているものの、顔は原型を留めぬ無惨な姿に変わり果てている。
――手加減は随分うまくなったな。
「えへへ。がんばりましたもん」
俺の皮肉混じりの茶々入れを褒め言葉と受け取ったらしく、少年は笑顔でガッツポーズをとった。
「狭い場所での戦いでうまくできる自信は、まだまだついてないですけど……」
照れ隠しに頭をかきつつ、少年はあたりを見回す。
戦場となった裏路地は完全に地獄絵図と化していた。
最後の刺客が叩きつけられた壁はもちろん、周囲の壁面も一様に血の赤で彩られている。
刺客はというと全員が頭部から血を流し、意識を絶たれていた。
へこんだりヒビの入った壁に垂れる血痕の先には例外なく刺客たちが倒れている。
犠牲者の倒れ方や出血箇所こそ微妙に不規則なものの、手口だけは見事に統一されていた。
喉のむせ返るような死屍累々。
光景とは裏腹に、一人も死んでいないのが逆に不気味だった。
最近の少年の閉所における戦術は至ってシンプル。
敵を掴んで障害物にぶつける。
ただ、それだけ。
それだけなのだが、少年はその作業を丹念に、丁寧に、愚直に、そして淡々と繰り返すのだ。
掴み、叩きつけ、ぐしゃり。
掴み、叩きつけ、ぐしゃり。
掴み、叩きつけ、ぐしゃり。
ひたすら同じことをルーチンワークのように。
その間、生真面目な少年は表情ひとつ変えない。
「運動エネルギーが使えないなら、位置エネルギーを利用しろ」
ミネルヴァにそう言われて以来、閉所環境において少年は同じ戦術を使うようになった。
いくら体格の問題で閉所で攻撃力をフルに発揮できないと言っても、身体強化で向上した筋力に変わりはない。
だから掴んでしまえば、敵は逃げられないわけだ。
そのまま握りつぶすこともできるが、より手っ取り早いのは頑丈な大質量に直接叩きつけることだ。
閉所ということは、条件を満たす障害物は必ずある。
今回"武器"として選ばれたのが狭い路地を挟む建造物の石壁だったのも、当然の帰結だ。
障害物が脆いなら、最大質量である『地面』を使えばいいというわけである。
「ばけ、ものめ……」
「あれ? まだ寝てない人がいたんですか」
少年が声に気づいて振り返った。
鼻面を潰された男がなんとか起きあがろうともがいている。
まるで死にかけのオケラのようだった。
「子供のくせに、どんな鍛え方をして、やがる……」
男の言いたいことはわかる。
レゼド王国の刺客たちは下手な冒険者よりも手練れだ。
そんな自分たちを力で組み伏せ強引に壁に叩きつけて意識を刈り取る……子供どころか、大人にだってできる所行ではない。
少年はつかつかと男に近づいて、これが答えだとばかりに男の頭を掴んだ。
力を込める。
「あぎいいいいいい!?」
「あなたたちですよね? 子供たちをさらって、教団に引き渡したのは」
「が、ああああああっ!!」
少年の声が聞こえていないらしく、男は叫び続けた。
ただのアイアンクローだが、身体強化によってトロールすらもねじ伏せる怪力だ。
叫ぶことしかできまい。
少年が力を緩めると、男はぜえぜえと息を整えた。
潰れた顔に脂汗が浮かび、血と混ざり合って嫌な臭いが立ちこめるが、少年はまったく頓着しない。
「邪神に捧げられるとわかっていて……知ってて浚ったんですか? それとも……」
「し、知らん、邪神なんてなんのことかあぎゃああああああああ!!」
「嘘、やめてくださいよ。あなたの心は神様を通して流れてくるんですから」
万力のように頭を締め上げつつ、最近ではすっかり慣れたマインドリサーチ拷問を実践する少年。
「別に答えなくてもいいんですよ。他にも聞ける人はいるんですから」
少年の浮かべた笑顔は、虫の脚をむしりとる無邪気な子供のそれだった。
「や、やった……確かにやった……子供を浚った……!」
男は小便をちびらせながら、あっけなく陥落した。
「何のために?」
「邪神教団の生け贄にするためだって……それだけだ! 本当にそれしか聞いてなぎええええええええええええええええ!!」
男は嘘をついていない。
なのに、少年は力を込めていた。
何故。
「子供を……本来あなたたちが守らなきゃいけない子たちを、なんで……!」
……ああ、なるほど。
どうやら少年はトラウマを刺激されたようだ。
我を忘れて、男を殺そうとしているのだろう。
「ぎが、ぎぎ、やめでええええええええええ!!!!」
男があまりの理不尽に絶叫する。
…………。
哀れではあるが、止める義理はない。
トマトケチャップのように男の頭が爆ぜたところで、俺には何の痛痒もないのだから。
少年の気が晴れるなら、むしろプラスだ。
故に俺が処刑執行を傍観していると……。
「クーちゃん」
いつの間にか、スゥが少年の背後に立っていた。
「もうやめてあげて。その人はじゅうぶん報いを受けたよ……」
そして、ゆっくりと背中から腕を回して抱きしめた。
どうやら、スゥは少年の説得を試みるつもりのようだ。
だが、そんな安い台詞で少年の怒りがおさまるはずもない。
イジメのトラウマを刺激された少年は、俺の言葉でもそう簡単には止まらないのだ。
何を言ったところで――。
「………………わかりました、姉さん」
……。
……。
……止まった……だと?
少年が手を離すと、男は血の泡を吹いて気絶した。
「――その後、少年はリーダーへの尋問を実施した。彼らに誘拐と少年襲撃を命じたのは宰相ゲイネリアス。王弟だ」
(なるほどな)
俺はミネルヴァと記憶同期を行なった後、情報共有をはかっていた。
現実の時間では刹那で終わるが、俺たちの感覚としては実時間の会話とそう変わらない。
(となると、王弟によるクーデターといった路線が順当だな……)
「同意だ」
俺は意味もなく創源の草花を撫でていた。
ひと撫でする頃には、ミネルヴァとの会話も済んでいるだろう。
「奴はリストアップした中で最も疑わしい人物だ。継承問題時の兄王との軋轢、現王妃との不貞の関係……あげ連ねたらきりがない」
(教団が接触を持っているのは、奴で間違いなさそうだな。城内の管理端末はどうなっている)
「例の捕虜から拡散は済ませたが、王弟はまだ管理端末感染者と接触していない」
信徒には密かに俺の管理端末を植え付けてある。
動物と違って人間を完全に操ることこそできないが、彼らの五感を通して周囲の状況をトレースすることはできる。
さらに、分裂増殖した管理端末が城内を掌握すれば、王室関係者の思考もマインドリサーチによってすべて筒抜けになる。
(感染者を協力者に仕立てるまで、どれぐらいかかる)
協力者。
冒険者ギルド長フェルナンドのように、俺たちに協力的な態度を取るよう調整された感染者のことを指す。
魔法によって心を操るのではなく、俺たちに接触するとドーパミンやオキシトシンを始めとしたホルモンを分泌するよう促すだけ。
感染者に負担を与えない実に人道的な手法だ。
「怪しまれない程度に心に変化をもたらすなら一週間、急ぐなら二日だな」
(急ぎだと過剰介入になるか?)
少年を送り込む以前から、こういった協力者を仕立てて準備を整えてきたのだが、少年が活動を始めてから協力者を作るのはこれが初めてだった。
やり過ぎればコームダインに気づかれ、元の木阿弥となるからだが――
「いや、王国全土に広げるならともかく城内の要職数人に絞れば問題あるまい。出入りする高級貴族の中には王弟と政敵関係にある公爵もいるようだからな。可能であればそいつを使う」
(わかった。こちらも本殿の位置を特定した。これより制圧にかかる)
同期完了。
俺は草花を撫で終わった。
「…………」
何ともいえない奇妙な心境だった。
無論、レゼド王国一連の事件などに気を揉んではいない。
俺は理解できなかったのだ。
少年がああも簡単に止まったことに。
スゥが少年を止めてしまえたことに。
ああ、そうか。
これは戸惑いだ。
俺がまだ人間だった頃にはあった、感情とかいうモノだ。
邪魔だと判断し、捨てたはずのモノだ。
「すべて奴に押しつけてきた筈だが……」
残りカスがあるということか?
あるいは、新たに芽生える余地があるということか?
「……そんなものは、いらん」
感情を理解する必要はない。
ただ、識るだけでいい。
そうでなくては、コームダインを追いつめることなどできない。
コームダイン。
そう、俺はヤツを仕留めなくてはならない。
いや。
あるいは俺が駄目でも、彼がいる。
「少年……お前は救世主になるのだ。ならなくてはならない」
あるいは、この願い自体が既に感情なのかもしれなかったが、このときの俺は自分でも矛盾に気づいていなかった。
少年たちは倒した刺客たちに管理端末を感染させた。
刺客を感染者にすれば、捕虜とは違って王弟と接触するかもしれないからだ。
「観光どころじゃなくなっちゃったねー」
大急ぎで『希望の灯火亭』を引き払っていると、スゥが荷物を背負いながらためいきをついた。
「ごめんなさい姉さん」
「ううん、さすがにそんな気分じゃないもの。しょうがないよ!」
少年は申し訳なさそうに目を伏せたが、スゥはどこ吹く風とばかりに笑い飛ばした。
「悪いヒトたちをやっつけるんだもん! わたしもがんばるからね!」
「本当はこんなはずじゃなかったんですけど」
「なにそれ。わたしを巻き込みたくなかったとか、そういう話?」
スゥはムッと顔を膨らませて、きょとんとする少年に顔を近づけた。
「大丈夫だよ。血の臭いがすると足がすくむし、誰がが死ぬところを見るのは嫌だけど……クーちゃんのお姉さんを名乗るには、それぐらい慣れないと駄目だもんね」
「僕は……」
尚も言い募ろうとする少年に、スゥは彼の口元に人差し指を立てた。
「さ、行こう?」
仕上げに警報の短杖を振ってから、二人は部屋を後にした。
成人がきっかけだというわけでもなかろうが、スゥもすっかり逞しくなった。
やはり女は強いのだ。
だがそこで、くぅーと奇妙な音が鳴る。
「今のって……」
「聞かなかったことにして!」
少年のつぶやきにスゥが赤面した。
食事を摂る暇もなかったから、この程度の生理現象は仕方ない。
なんとも格好の付かない娘だ。
外はすっかり夜も更け、人通りも減ってきていた。
彼らは一路、ある場所へと向かう。
「えっと、この辺かな?」
到着したのは王都を囲む外壁の一画。
「姉さん、下がってください」
そこは一見何もない壁だったが、よく見ると煉瓦と煉瓦の隙間に小さな意匠を凝らした紋章のようなモノがあった。
少年が刺客からはぎ取った指輪を当てると、壁面が石のこすれ合う音を立てて横にずれ、地下への入り口が姿を現した。
「これが……」
「あわわ、すごい仕掛け」
そう、ここが壁と外を繋ぐ経路。
安全なはずのディスティアで起きた誘拐事件の犯行に必須な脱出ルートだ。
今回は門から直接出るリスクが高い為、連中の使った通路をそのまま利用させてもらうことにしたのだ。
「……」
少年は開いた通路を眺めながら動かない。
「どうしたの?」
怪訝に思ったスゥが声をかけるが、少年は通路の闇を見つめたまま立ち尽くしていた。
――どうした。必要な手は打ったのだから、ディスティアにはもう用はあるまい。何をためらう?
俺が声をかけるとようやく、少年が念話を返してきた。
(神様、さっき壁についてた紋章が何かわかりますか?)
――? さあな。
別にとぼけたわけではない。
俺とて、ベイダという世界のすべてを知っているわけではないのだ。
必要だと思う知識を事前に仕入れているだけだし、すぐに調べられるというだけだ。
――指輪の方は、レゼド王国の紋章が入っている。それに関するものではないか?
(そうですか。できれば、調べてください)
少年の勘が何かをささやいたというわけか。
まあ、そういうことなら画像検索をかけてみるとしよう。
セイケンに記録された映像から先ほどの紋章を抽出固定してから、ベイダのデータベースで洗う。
結果はすぐに出た。
――少年、先ほどの紋章は……守護者のものだ。
(……っ!! それは本当ですか)
――だいぶ古いタイプのようだがな。間違いない。
少年が驚いている。
なんとなく気になったが、守護者の紋章とは思っていなかったようだ。
「クーちゃんってば!」
話に置いて行かれていたスゥが少年の体を揺する。
「ほら、ぼーっとしないの!」
「え? ああ、すいません。行きましょうか」
空間収納から松明を取り出して入り口に踏み込んで行く少年たち。
――だが、どういうことだ?
彼らを創源から観察しながら、俺は別のことを考えていた。
レゼド王国の印章指輪で守護者の紋章の描かれた隠し通路が開く、その意味を。




