第三十二話「アレーネのためいき」
「なんだか、大変なことになっちゃったね……」
スゥがベッドに腰掛けながら、どこか不安そうな面もちで枕を両手に抱きしめる。
「ごめんなさい。僕が勝手なことしたせいで、今日はあんまり観光できませんでした」
「ううん、クーちゃんは気にしないでいいよ! これはこれですごく楽しいし」
少年の謝罪に明るく振る舞うスゥが、あらためて部屋を見回した。
「おっきくてきれいな部屋だよね。この部屋だけでうちより広いよ」
「ほんとですね。すごいです」
少年たちは王都に来て最初の夜を宿の部屋で迎えている。
宿はフェルナンド支部長が用意してくれた。冒険者に紹介されるような宿の中でもサービスやセキュリティに気を遣っているという『希望の灯火亭』だ。
いろいろあってアレーネ達が合流するのは明日になってしまったが、彼女達の部屋も予約済みである。貸し出し用の儀式場も地下に備えており、壁に囲われた王都の中ではしばらく拠点として利用することになるだろう。
「王都観光なら、明日でも平気だよ。洗礼はお昼だけですぐ終わるみたいだし」
そう言いながら笑顔を振りまくスゥはさながら天使のようだった。
少年が少しどぎまぎしながら、スゥを横目でちらちらと盗み見る。
「ところで姉さん。その格好……」
「これ? 宿の女将さんがサービスだって用意してくれたの。変かな?」
彼女はいつもの野暮ったい村娘の格好ではなく白いワンピースの寝間着に身を包んでいた。髪はゆるくウェーブがかかっていて、ほのかにいい香りが少年の鼻孔をくすぐる。
「そんなことないです。すごく似合ってます……」
少年は顔を伏せてもじもじしている。
普段と雰囲気の違うスゥにとまどっているようだ。
「じ、じゃあ僕はそろそろ自分の部屋に」
「えっ? いっしょに寝ないの?」
逃げるように部屋の扉へ向かおうとする少年に、驚きの籠もった声がかけられた。
「だってほら、えっと。姉さんだってもう大人になるんだし……」
少年は咄嗟に思いつきの逃げ口上を使った。
子供同士ならともかく、大人はそんなことをしないという、少年のつたない知識による言い訳だったが。
「そっか……クーちゃんが嫌なら、しょうがないよね」
スゥは別の解釈をした。
少年がとりわけ背が小さいことを気にしていることを知っている彼女は、彼も自分と同じで子供扱いが嫌いだと思いこんでいる。
(今までは姉弟同然の子供同士で気兼ねなく寝てたけど、大人になったらクーちゃんに嫌がられちゃうんだ……)
スゥも小さい頃は母親といっしょに寝ていたが、いつしか大人と寝るのは子供っぽいのだと教えられて自主的にひとりで寝るようになった。
少年もきっとそうなのだと、スゥは勝手に想像していた。
「べ、別に嫌ってわけじゃ……ない、ですけど」
少年は俯くスゥに慌てて振り返る。
もちろん、スゥのことが嫌なわけではないと言っているのである。
少年はむしろ、スゥにイケナイことをしてしまわないか、傷つけてしまわないかを恐れているのであって。
もちろんスゥは少年の言葉を「子供扱いが嫌じゃない」と捉えて、顔を上げる。
「じゃ、いい?」
顔を上げたスゥは上目遣いで少年を見つめる。
「……はい」
おわかりいただけただろうか。
このように少年は最終的にスゥにほだされる宿星の下に生まれついたのだ。
俺が半年もの間、幾度となく観測してきた光景である。
少年も男だ。スゥのやわらかな感触とあたたかい体温に包まれると、この異世界でも安心して眠れるのだと本当はわかっている。
少年はランタンの灯りを消すと、スゥの待つベッドへと入る。
いつものようにスゥが少年を抱き枕代わりにして、すぐに寝息を立て始める。
最初のうちは興奮と戦っている少年も、やがていつものように眠気に負けて夢の世界へと落ちていく。
少年たちが眠っている間、ミネルヴァはアレーネ連れて王都の郊外に来ていた。
ミネルヴァの上級瞬間転移で全員を連れてきたのである。
「ねーねー、ミネルヴァー。明日でもいいんじゃないー?」
「そういうわけにはいかん」
目をこすりつつ眠気と戦いながらアレーネが不満を訴えるが、ミネルヴァは聞き入れない。
「誘拐した連中が王国の中枢に関わっているなら、うかうかしていれば尻尾を掴めなくなるかもしれん」
「子供たちが運ばれた小屋……だっけ? 何かあるとは思えないけど……」
男から子供たちを運び出した小屋の場所は聞き出してあるので問題はない。
ちなみに御者の男はミネルヴァの肉体石化で石にされている。
「別にミネルヴァだけでもいいじゃない」
「お前は契約を忘れたのか」
「はいはい、わかってますよっと……」
ミネルヴァの魔法行使はベイダの基準と比較すると反則的だが、盗賊や野伏のような痕跡追跡能力はない。
手がかりさえあれば追跡魔法を使うこともできるが、手がかりかどうかを判断するのはアレーネの方が得意だ。
「あれね」
アレーネが打ち捨てられた丸太小屋を見つけて指差した。
ミネルヴァが探知魔法で敵がいないことを把握すると、一人と一羽は小屋に近づいていく。
「どうだ?」
「……明らかに使われてない場所なのに足跡がかすかに残ってる。出入りがあったみたい」
錠前がかけられていたが、使い魔の開 錠であっけなく開いた。罠などが仕掛けられている様子もない。
中は埃が積もっていたが、ところどころに人のいた痕跡が残っており、子供が保管されていたとおぼしき場所は汚れが少ない。
男の証言の裏付けが取れた形となったが、しばらく調査しても手がかりは得られなかった。
「小屋そのものに怪しい痕跡はないわね。本当に子供を一時的に集めておくのに利用しただけみたい」
「相手も守護者の信徒が捕まったことはギルドの発表した情報から知ったはず。もう誘拐犯も同じ場所は使わんだろうな」
そう言いながらもミネルヴァは念のために警 報をかけてから、アレーネともども小屋から離れた。
アレーネが小屋から続く足跡を追跡したが相手もその道のプロらしく、途中で痕跡は消えてしまっていた。
「どうするの?」
アレーネが疲れた様子でミネルヴァの意を伺う。
「誘拐事件そのものはひとまず解決したが、倉木君としては再犯を防ぐために犯人を捕まえたいという意向だからな。調査は進める」
「また誘拐が起きるかもしれないってこと? でも、相手だって慎重になるんじゃないかしら」
「どうだろうな。まだわからんが……」
子供達を親元に返せば、いずれ犯人側にも失敗は知られる。だから今回はギルド側やジャックにも口止めをしていない。
事件はひとまず守護者の信者の仕業として解決を見ることになった。
だからこそ、犯人が手口を変えて事件を起こす可能性はある。
連中は王都側と教団側で互いに連絡する手段を持っていると仮定する。
ならば、あの虜囚の男から教団のアジトを聞き出して、そこからさらなる情報入手を狙うのが最適か?
「しばらくは目と耳を増やし、相手の出方を伺うとしよう……」
「そうね。久しぶりに楽しめそうだし」
使い魔に頷いた魔女が不敵に微笑み、夜の闇の中へと消えていく。
まるで彼女自身が王都を陥れる悪役であるかのように。
王都にきて最初の朝がやってきた。
リバーフォレストで早起きに慣れている少年はスゥとともに階下へ降りる。
「おはよー」
「あっ、アレーネさん!」
宿の食堂では一足先にアレーネが朝食をとっていた。
『希望の灯火亭』は朝食付き。少年とスゥも食べにきたのだ。
「いひひ。相変わらずクラキはかわいいねー! ハグしていい?」
「え、それは……」
「ダメっ!」
アレーネの不貞を阻止すべく動いたのはスゥだ。
指をわきわきさせる魔女の前に健気にも両手を広げて立ちはだかる。
「はいはい。冗談ですよっと。スゥちゃんの大事なクーちゃんをとったりしないって」
「むーっ……」
妨害されたアレーネは気を悪くするでもなく、にこやかにスゥの頭を撫でた。今日成人式を迎える少女はからかわれて不服そうに唸っている。
「そ、それでアレーネさん。どうでしたか?」
これ以上はいけない。
少年は自らの予感に従い、賢明にも話題を変えた。
「あんまり芳しくはないわね。捕まえた男の言うとおり小屋はあったけど、そこから追跡するのは難しそう」
「そうですか……」
少年達が席に着くと、看板娘が朝食を運んできた。
どうやらメニューは日替わりらしく、特に注文しなくても運ばれてくるようだ。追加で金を払えばアラカルトを頼めるようで、アレーネは朝っぱらからぶどう酒を追加していた。
「あの捕虜が子供達を連れて行くはずだった儀式場も引き払われてる可能性が高いわ。それでも一応、ミネルヴァと一緒に調べにいくつもりよ」
「僕も……」
「だーめ」
身を乗り出す少年の台詞をアレーネが阻んだ。
「君にはお姉さんを守るっていうお仕事があるでしょ?」
「そ、それはそうですけど」
「ペルもいるんだし、何か出てきても大丈夫よ」
器用に木製フォークをくるくると回したかと思うと、刃先を少年に向けて止める。
「ミネルヴァが予想したとおりに事が動くなら、王都でもクラキの出番があるわよ。お祈りしてなさい」
「そんなの、起きない方がいいに決まってます……」
少年は昨晩、ミネルヴァから今後起こり得る展開について聞いている。
少年の言うとおり当たらないに越したことはない予想ではある。
「にゃんのひょひょ?」
事情を知らないスゥがサラダをほうばりながら首を傾げた。
なんのこと、と言ったらしい。
「うーん……まだ起きると決まったわけじゃないからね」
「???」
「姉さん。行儀が悪いから、口の中に食べ物を入れたまましゃべらないでください。またダネさんに叱られますよ」
スゥは少年の言葉に目を見開き、慌てて咀嚼を始めた。
噛み終えたサラダをごっくんと嚥下すると抗議を再開しようと頬を膨らませる。
「わたしだけ仲間はずれなんてひどい。教えてよ!」
「うーん、わかりました。ただ、ここじゃちょっと言いにくいから、後で教えます」
「絶対だよ?」
スゥの念押しにたじたじになりつつ、少年が不安そうに虚空を見上げる。
(大丈夫ですよね?)
――スゥが知る必要のないことではあるが、秘密にしなければならない情報というわけでもない。好きにするといい。
少年は俺のお墨付きを得て今度こそ安堵の息をついた。
満を持して別の話題に水を向ける。
「それより、今日は神殿に行かなきゃいけないんですから。お昼でしたっけ?」
「お昼から夕方ならいいって聞いたよ。そんなに慌てなくていいって」
だいぶタイムスケジュールに余裕がある。
もともと時間が厳密に計られているわけではないこの世界だと不思議ではないが。
「じゃあ、昨日の続きで王都を見回ってみませんか?」
「いいの? 誘拐のこと、調べたりしないといけないんじゃ……」
「いいんです」
提案に遠慮がちになるスゥに、少年は笑顔で頷いた。
「いろいろあって、姉さんには迷惑をかけちゃいましたし」
「迷惑だなんて、ぜんぜん思ってないよ! それよりわたし、役に立てたかな?」
「はい、とっても助かりました!」
「そっか。うん、よかった!」
手を取り合って喜び合うふたりを見つめるアレーネの視線はどこか胡乱だった。
テーブルに行儀悪く頬杖をついて、ため息を吐いている。
(あーもー……早く結婚しちゃえばいいのに)
その考えには概ね同意する。




