第三十一話「守護者の影」
ミネルヴァはペルにアレーネがちゃんとできるまで見張るように言いつけると、王都ディスティアに向けて羽を広げた。
予定通り洞窟から宵闇の森までゲートを使い、そこから飛び立つわけだが。
「さすがにこの体で王都まで直接飛ぶのは堪えそうだな……」
いかにこの世界のあらゆる魔法を使いこなせると言っても、所詮、ミネルヴァの肉体は年端もゆかぬコノハズクのものに過ぎない。
ふつうに飛んだら羽を休めねばならず、時間もかかってしまう。
「雲 形 態」
だからミネルヴァは長距離移動魔法を使うことにした。
長ったらしい詠唱を省略して呪文名だけを唱えると、ミネルヴァの肉体がもくもくと煙のように変わる。
雲 形 態はオーガマジシャンが使っていた空気形態の上位魔法で、風で拡散する心配がない。気流に乗れば超高速移動も可能になる。
王都と森はおおよそ二十マイル程度で、徒歩でも六時間ほどと、そこらの辺境に比べればかなり近い。雲 形 態を使えば一時間とかからないで移動可能だ。悪天候だと使えないが、幸い空は快晴である。
ミネルヴァは雲化した肉体で空高く舞い上がり、風を掴むと一気に加速していく。
流れる雲とともに天駆けるミネルヴァ。
直射日光の輝きの下、青空と同化したコノハズクは鳥よりもはるかに速いスピードで王都に向かう。
彼は鳥目なので本来明るい場所では目がくらんでしまうが、今は光量を調節する魔法を併用しており、遠く眼下を見下ろせる程度に不足はない。
(……む?)
ミネルヴァが空の蒼穹ではなく地の翠緑を注視していたのは、いつか街道沿いでもない真下に広がる山々に少年を送り届けることがあるかもしれないと、瞬間転移先を頭に記憶しておくためだった。
だから、それを見つけたのは偶然である。
(なぜこんな場所に馬車が?)
行商人などが利用するものに比べると妙に品質のよさそうな馬車が、山々を縫うように伸びるろくに整備もされていないあぜ道を移動している。
なんとも不釣り合いで奇妙な光景だった。
(冒険者がどこかにダンジョンアタックをかけるのかもしれないが……)
ミネルヴァは急降下した。
馬車の正体を確かめ、頭にひっかかる何かを取り払うためだ。
事前に創源での会話を同期していたから、もしやと思ったのだろう。
雲形態を解き、馬車の背後へと回り込む。
幌布で馬車の中は見えなかったが、この程度のなら物質透視で問題なく中を確認できる。
馬車の中には大人の男が二人、子供が三人いた。
まず大人の男は御者と同じく軽装の革鎧を装備しており、腰には短剣と棒にトゲ付き鉄球をはめ込んだ棍棒……モーニングスターが下げられている。
人相は見るからに凶悪で、荷物に腰掛けながら子供たちをニヤニヤと見下ろしていた。
子供たちの背が座っている大人より特別低いというのではない。彼らは手足の腱を斬られた上にロープで縛られ寝かされていたのだ。猿ぐつわをされているが、恐怖と絶望に染まった表情と頬に伝う赤くなった涙の跡が見て取れる。
(有罪。少年に知らせるまでもないな)
御者を含めて敵は三人。
ミネルヴァは即断した。
「ん、あ?」
最初に異変に気付いたのは御者だった。
進行方向に突然紫色の雲が出現し、自分の方に向かってくるのだ。
進むか停まるか判断する暇もなく、馬車は雲に飲み込まれた。
どすん、と何か大きなものが倒れる音の後、男たちの小さな呻き。
雲が過ぎ去った後、そこには倒れた馬と停車した馬車。
透視によって一部始終を観察していたミネルヴァは己の成果を確かめて静かに頷く。
御者も、馬も、男達も、子供も、全員眠っていた。
ミネルヴァが発動したのは無詠唱の睡 眠 雲。雲を吸い込んだ相手を眠りに誘う秘術魔法だ。
初級の魔法なので本来ならこんなにあっさり制圧することはできないのだが、ミネルヴァが使えば実質抵抗不能の広範囲無力化魔法と化す。
雲によってもたらされるのは魔法的な眠りではなく自然の眠りなので起こせば目覚めるし、戦闘中であれば剣戟の音でやはり目覚めてしまうが、今回のような非戦闘員を殺傷することなく範囲に巻き込めるのが利点だ。
「さて、どうするか」
とりあえず制圧した後、ミネルヴァ=俺は思索に耽り始めた。
ここに少年がいたら放置することは有り得なかったので、とりあえず制圧したのは正解でいい。
だが彼をここに連れてきて男達を皆殺しにし、子供達を助けるのが必ずしもベストとは言えない。
(このまま尾行を続ければ、男達が子供をどこに連れて行こうとしたのかがわかるか?)
わかるだろう。
しかし、それは選択肢として良質ではない。
少年が無惨な子供達を放置しておくことを許すわけがない。
俺達が子供を利用したことが少年に知られれば、せっかく築いてきた良好な関係も悪化してしまう。
よって子供達の解放は最優先。必達事項である。
(男達には死を与えるべきか)
それは是。
だが、手を下すのは少年に任せるべきである。
彼が殺すと判断すれば殺し、生かすと判断すれば生かす。
代理人の意志は最大限に尊重すべし。
(ならば、ひとまず状況を維持して倉木君に知らせる。一名は虜囚として情報を引き出すために拉致する)
それが尚是。
ミネルヴァは子供達の怪我を治癒した後、馬車を力 場 籠で覆って馬車の安全を確保。
王都へと飛び立ちながらアレーネへの念話を送り始めた。
「……こいつは……どういうこった」
「浚われた子供たちです」
ミネルヴァから事情を聞いた少年はフェルナンド支部長に連絡して、ジャック達を馬車へ案内した。
てっきり怒りで飛び出していくかと思いきや、話を聞いた少年の決断は「ジャックに知らせる」ことだった。
あくまで仕事を受けたのはジャックだから、だそうだ。
少年は義理を通したつもりなのだろうが……。
「お前がやったのか? これは」
ジャックは馬車の状況を調べた後、仲間とともに子供達を保護し、男二人を縛って確保した。
「いえ、僕の仲間が偶然見つけたそうです」
「偶然、ね……」
少年は嘘をついていなかったが、ジャックはそう考えなかった。
「ここを通る連中がいることを知ってて、張り込んでたんじゃないのか?」
「え? いや……」
ふつうに考えて、こんな辺鄙な場所に偶然通りがかるはずがない。ジャックの訝りももっともだ。
少年は一瞬「この人は何を言っているのだろう」ときょとんとしたが、すぐ悲しそうに目を伏せた。
本当のことを言っても必ずしも信じてもらえるわけではない……それを思い出したからだ。
「本当に偶然です。僕の仲間は空を飛ぶ魔法使いで、王都に向かう途中だったんです」
それでも少年は信じてもらいやすい嘘より、出来過ぎの真実を話すことを選んだ。
「ほう。で? その仲間はどこにいるんだよ」
「それは……」
少年は言い淀んだ。
彼はミネルヴァが今どこで何をしているのか知らない。
「……お前を子供扱いしたことについては謝る。それに子供達も助かった。礼を言う」
「あ、いえ、そんな」
ジャックが頭を下げると、少年はあたふたと手を振る。
「だけどな、こういうあてつけみたいなのは気に入らないぜ」
ジャックが顔を上げると、僅かに浮かんでいた少年の笑顔が凍り付いた。
返事に窮した少年が嘘を考えていると判断したようで、不愉快そうに顔をしかめている。
「そんな! 僕はそんなつもりじゃ……」
「話はそれだけだ」
ジャックは踵を返し、子供達の下へ向かった。
「ま、待っ――」
少年は引きとめようと手を伸ばすが、口を出かけた言葉とともに降ろされる。
(ダメだ……わかってもらおうなんて、ムシの良すぎる考えだ)
今回は倉木君にしてはかなり気を遣い、精一杯に譲歩したと言える。
それでもジャックにしてみれば自分の仕事を取られたことは間違いない。
彼の矜持を傷つけまいとするなら、少年は正体を明かさずに馬車の場所だけを伝える必要があった。
責められるほどのことではない。
それが後ろめたいと感じる少年は、まだ子供。
ジャックも少々大人げない反応だ。
彼も大人の図体こそしてはいるが、また子供。
「あんまり気にしないでいいわよ」
気を落とす少年の背に艶のある声がかけられた。
ジャックと入れ替わりに現れたのはジャックパーティの紅一点。
軽装に短剣を装備した盗賊風の女だった。
「あ、えっと……」
「ネア」
女は少し念押しするように名乗った。
こうして少年に名前を言うのは二回目である。
「すいません」
「そりゃ一度に四人も覚えられないわよね。許したげる」
謝罪する少年にネアは気を悪くした様子もなく、にまにまと笑った。
「あいつね、照れてんの。素直じゃないのよ」
「そうなんですかね……」
納得のいっていない顔でジャックを見つめる少年。
彼はショックから抜け切れていない子供達をあやしている真っ最中だった。
「だってほら、君のその格好」
「あ、これですか」
ネアに指を差された少年は普段の村人のような麻服ではなく、革鎧を着用していた。そして腰には防御用短剣。
「ジャックに言われたんでしょ?」
ネアの指摘の通り、ジャックから注意された少年が王都で一通り揃えた装備だった。
「あいつ、君がそのカッコして来たとき、嬉しそうな顔してた。だから、気にしないでいいの」
「……ありがとうございます、ネアさん」
少年は納得していない。
それでも自分を気遣ってくれたことには、素直に感謝を伝えた。
(そうだ……どう思われたって、僕は)
口元を引き結ぶ。
その視線の先では、ジャックにあやされた子供達に笑顔が戻り始めていた。
一方そのころ、アレーネの洞窟。
「くっ、俺は何もしゃべらんぞ」
三人目の虜囚、すなわち現場からいなくなっていた御者の男が岩に縛り付けられていた。
もちろん誘拐事件の情報を得るために、ミネルヴァが連れてきたのである。
情報を入手するために少年に妥協させたのだ。
「ふぅん、いい心がけね」
アレーネがそんな男を愉快そうに見下ろしながら、手の中の短杖をくるくると弄んでいた。
「じゃあ、トロールの餌にでもしちゃおうかしら」
「ふん、好きにするがいい。我が主ハーン・ディルグへの信仰を見せてやる」
「へー、守護者ハーン? ずいぶんわかりやすい奴を拝んでるのね」
ハーン・ディルグ。
ベイダで知られる八邪神が一柱だ。
欲望と虚栄の守護者であり、供物とした生け贄に応じて願いを叶えるとされている。
この時点であの子供達がどういう運命を辿るはずだったのか、わかろうというものだ。
「じゃあ、早速試させてもらおうかしら? 貴方の信仰心と私の短杖、どっちが強いか」
アレーネはサディスティックな魔女らしい笑みを浮かべると、御者の男に向かって短杖を振った。
すると、先ほどまでの敵意むき出しの男の表情が茫洋としたものに変化した。アレーネを見上げると、さらにそれが恍惚へと変わる。
「ああ、貴女はなんて美しいんだ。ぜひ俺を踏んで罵って!」
「げ。なにこいつ、すっごく気持ち悪いんだけど……」
男の変化に、術をかけた当人のアレーネが引いた。
「ああ、もっとだ、もっと罵ってくれ!」
「ミネルヴァ、どういうことよ!」
助けを求めるように肩上の使い魔に文句を言うアレーネに、ミネルヴァは呆れたようにため息をついた。
「知らん。大方、魅了効果でこの男の本性が表に出てきたとか、そのあたりだろう」
「うう、だから私は嫌だったのに」
アレーネが渋い顔で男に向き直る。
尚、この男を人間魅了の短杖の実験台にしようと言い出したのはアレーネ本人である。
「と、とにかく。あんたが知ってること、全部しゃべってもらうわよ! えーと、この薄馬鹿下郎!」
「ああ、いい! 喜んでお答えしよう!」
アレーネは頬をひくつかせながら、男の語りに耳を傾ける。
「まず我々は守護者様を信仰している教団の者だ」
「邪神教団ってことね?」
「そうだ。王都で生け贄となる純粋な子供達を集め始めていたのだ」
「まあ、そういう邪神だし王都で動くのも納得できるけど……」
邪神教団は通常どのような場所でも弾圧されていて、大きな共同体……とりわけ王都などには出没せず、国の支配の行き届いていない辺境の集落などで暗躍する。
しかし、欲望と虚栄の守護者はその性質上、支配者層にも隠れ信者がいる。アレーネの呟きはそういう意味だ。
「集め始めたってことは、王都で活動を始めたのはここ最近かしら?」
「うむ。守護者の御子がお告げを受けたのだ。王都において我らの力を欲する者が現れると」
アレーネが目を見張った。
それはつまり、守護者自らが信徒の祈りを叶えるべく、己の手足の教団を差し向けたということになる。
「我らは王都で確保された子供達を神殿に運ぶ途中だったのだ」
「王都は壁で囲まれてるわ。どうやって子供たちを運び出したの?」
それはアレーネからしてみれば率直な疑問であり、少年の懸念でもあった。
だが、男は首を横に振る。
「我々は知らない。本当だ。子供達は王都郊外の小屋に運び込まれる算段になっていて、我々はそこから子供を運び出した。どのように子供がそこにやってくるのかまでは知らないのだ」
王国にいる守護者の信徒は、浚った子供達を王都ディスティアの壁の外に出している。
抜け道を知っている者でなければ成立しないし、そんな道があるとすれば王国の最重要機密だ。
そして、その信徒のために守護者はわざわざ教団を遣わした。
アレーネがミネルヴァに視線を送る。
「これ、そういうことよね……」
「ああ、間違いない」
ミネルヴァもアレーネの予想に深く頷く。
「守護者の信徒はレゼド王国の政治中枢に巣食っている」




