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第二十六話「アレーネの鼓動」

「何よ、今の」


 アレーネは驚きを通り越して絶句していた。


「あれは――」

「いや、やっぱりやめ。知らないほうがいい気がしてきた」


 説明を始めようとしたミネルヴァを遮って、顔を覆うアレーネ。

 竜骨を完全消滅させた光に対する根源的な恐怖が彼女をそうさせた。

 恐れも諦めも知らぬはずのペルでさえ、がたがたと巨躯を震わせている。


「ふぅ、終わりました。いやあ、ちょっと怖かったです」


 そんな空気になっているとは知らず、少年が笑顔で戻ってきた。

 

「クラキ、貴方……」


 アレーネはまるで普段と変わらないクラキを呆然と見つめている。


「どうしたんですか、アレーネさん?」


 小さく首を傾げる倉木少年を見て、アレーネはやがて意を決したように呟いた。


「ごめん。どう言葉をかけたらいいのか、わからない」

「わぷっ」


 アレーネが少年の頭を抱き寄せた。


「ちょっとの間、こうさせて」


 少年の抗議が来るより早く、アレーネが釘を刺した。

 しばし口をぱくぱくとさせていた少年だったが。


「……はい」


 やがてアレーネから漂う香りと包み込むような柔らかな感触にほだされ、目を閉じた。




「ミネルヴァ……貴方が何者なのか、これ以上詮索する気はないわ。でも、これだけは言わせて」


 少年はペルとともに、敵の生き残りがいないか捜索に出かけた。

 指示したのは俺ではなくアレーネだ。


 彼女はミネルヴァとともに儀式場に残っていた。

 俺に話があるらしい。


「あんな子供に、なんてモノ持たせてるの」


 アレーネは儀式場のろうそくに火を灯しながら、呆れたように呟いた。


「……ほう。アレが何かわかるのか」


 そっち方面は無能かと思っていたが、認識を改めるべきかもしれない。


「少なくとも、一個人が持っちゃいけないものだってのはわかるわよ」


 魔女特有の直感というやつか。

 そういえば、バーネラも直感を防御に応用していたな。


「なんでクラキは平気な顔してられるのよ? あの白い光、どう考えてもやばいでしょ」

「教えてないからだ。彼はあの光の意味を知らない」


 少年には白い光を纏わせたセイケンは神も殺せる、といったさわりだけだ。


「どうして教えてあげないの?」

「その必要がない。あるいは、俺にとって不利益になるからだ」

「……ミネルヴァって、やっぱひどいやつね。私みたいな美少女ばかりか、あんないたいけな子供まで利用してっ!」


 責めるというより、イジケているように見えるのは俺の気のせいだろうか。

 彼女から流れてくる感情には全く悪感情がない。

 それどころか、これは……。


「俺をどう思おうが構わんが、強制契約ギアスを忘れるなよ」

「……わかってるわよ。別に逆らおうってわけじゃないわ。光のことはクラキに言わないし、あの子に協力すればいいんでしょ?」


 アレーネが手の甲に刻まれた契約印を眺めながら、諦め半分といった様子で嘆息する。


「まったく、どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないのか……」

「その割に嬉しそうだな」

「なっ。そんなわけないでしょ!」


 ミネルヴァの指摘に顔を赤くするアレーネ。


「わ、私は強制契約ギアスを受けちゃったし、貴方は私の使い魔だもの。私は……そう、見張り! 貴方達がとんでもないことしでかさないか見張る責任があるの!」


 わけのわからない理屈を並べ立てるアレーネ。

 彼女の心を読みとる限り、まったくの嘘というわけでもなさそうだが。


「物は言い様だな」


 ミネルヴァが、何かを悟ったように呟いた。


「ううー……」


 アレーネが居づらそうにもじもじしている。


 なんなんだ、こいつらは。

 そもそも心を読める俺が理解できていないのに、なにゆえ読心情報のないはずのミネルヴァがすべてを察したような顔をしているのか。


 たまにこういうことがあるのだ。

 俺は無駄だろうと思いながらも、情報取得のためにミネルヴァに介入する。


「ふむ……」


 情報を同期した。

 アレーネは「我々と一緒にいたいが素直に言いないので照れ隠しであのような妄言を吐いた」らしい。

 少なくとも仮想人格ミネルヴァはそう推測していた。


「わからんな……」


 だが、理解できないことも予想通り。

 仮想人格が覚醒すると、いつもこうなのだ。


 戦いのために心を捨て去った俺には、心も情報として知ることしかできない。


「ん、どうかした?」

「お前と俺が何を考えているのか、わからん」

「はぁ? 何言ってるのよ……」


 しばらく首を傾げていると、アレーネがくすっと笑ってミネルヴァを抱え上げた。

 

「何をする気だ」

「お互い、何を考えてるかわからないのをあれこれ想像するのが面白いんじゃない」


 そして、少年にしたようにミネルヴァを抱きしめた。

 羽毛を通してアレーネの体温が伝わってくる。


「どう、聞こえない?」

「心臓の鼓動音が聞こえるな」


 俺の解答にアレーネはまたも嘆息する。


「もうちょっと情緒深く言ってよ……まあ、ミネルヴァらしいけど」

「何が言いたい」

「私もミネルヴァも、経緯はどうあれ今を生きてる。こうすると、お互いよくわかるでしょ?」


 ミネルヴァの体を通して、各種情報が俺にもフィードバックされる。


 柔らかな肌の感触。

 体温のぬくもり。

 早鐘はやがねする心臓の音。


「やはりわからん」

「わからなくていいのよ」


 俺が同期を解いてからも、ミネルヴァは大人しくアレーネに身を委ねている。

 アレーネの慈しむような視線が小さな使い魔を見守っていた。




 少年達が合流した後、ミネルヴァは早速洞窟の改装を始めた。

 入り口を永続幻影パーマネントイメージで隠し、永続化のアレンジを加えた警報アラームをかける。


「やはり、儀式場があるとベイダの魔法は捗るな」

「どうせ本当は自力でできるんでしょ?」

「作業効率は下がるが、できなくはない」


 さらに数体のストーンゴーレムを作成し、各所に配置した。


「これで、ここは我々のものだ。特に儀式場はアレーネの好きに使ってくれていい」

「はーい。お言葉に甘えさせていただいちゃうわね」


 アレーネは魔法の袋から、さまざまなアイテムを取り出して、儀式場の棚に陳列し始めた。

 ここがアレーネの色に染まるのに、そう時間はかからないだろう。


 その間、倉木少年とペルは大空洞で戦闘訓練をしたり、必要と思われる躾をしている。

 特に人の肉の味を覚えて欲しくない少年は、湿地帯のモンスターを狩って与えたりもしていた。


「精が出るようだな」

「あっ、神様」


 少年の返事にミネルヴァが不服そうに目を細めた。


「俺のことはミネルヴァでいい」

「え? でも」

「この姿の俺を呼ぶときはそう呼べ。いいな」


 まるで反抗期の子供のような言い草だった。

 仕方がない、俺も一言添えるとしよう。


――以後、ミネルヴァと俺は別々だと考えろ。いいな。

(え? あ、はい。わかりました)


 少年はまだ首を傾げていたが、俺は構うことなく念話を切った。


「そんなことより、少年。帰りのことだが」


 念話を聞いていたミネルヴァが、話が済んだタイミングで切り出した。


「また歩くんですよね?」

「いいや。その必要はない。俺は一度見た場所なら瞬間移動テレポートできる」

「えっ!?」


 ミネルヴァはベイダの上級瞬間転移グレーターテレポートが使える。

 ただの瞬間転移テレポートの魔法と違い座標誤差なし、なんとなく見た場所にも戻ることが可能だ。


「転移で跳べるのは通常なら術者だけだが、範囲化のアレンジを加えれば全員で跳べる。だから、一度冒険した場所なら歩く必要はない」

「そ、そうだったんですか」


 瞬間転移は中級の魔法なので、短杖ワンドにすることができない。

 長杖スタッフなら可能だが、これは魔法使いにしか使えないので少年に持たせても意味がない。


 む。


 ならアレーネに持たせれば戦力アップに繋がるだろうか。

 長杖スタッフならば事前にチャージした回数までは本人の魔力と関係なしに使うことができる。


 いや、彼女の場合はそもそも未熟すぎて、長杖スタッフを制御できない可能性が高い。

 短い夢だったか。


「君はついているぞ。これは俺がミネルヴァとして動くことができるようになった副産物だ」


 ミネルヴァの言うとおりだった。

 本来なら、ここまで俺が直接的に手を貸せるような介入端末は早期に用意できない。

 介入を担当するチートホルダーと良好な関係を築くことが大前提だが、約六割の連中は俺を信用せず、勝手に行動し始める。

 信用はしても、過度な口出し自体を嫌う者も多い。


 倉木少年は希有な例なのだ。


「ただし、こことリバーフォレストは頻繁に行き来する可能性が高い。だから転 移 魔 法 陣テレポーテーションサークルを設置する」

転 移 魔 法 陣テレポーテーションサークル?」

「特定の地点を転移で結びつける魔法だ。目的地がはっきりしているなら、この方がいい」


 ミネルヴァはさらりと説明したが、転 移 魔 法 陣テレポーテーションサークルはベイダの遺失魔法、すなわち古代に失われた魔法である。

 使い手は不老化した賢者や寿命のないエンシェントエルフなどに限られる。


「新しい場所に行ったら、この大空洞に魔法陣を設置するから、そのつもりでいろ」

「うわあ、なんだかゲームみたいでわくわくしてきました!」


 魔法陣の設置はすぐ完了した。

 魔法陣といっても不可視なので、間違って踏み込まないよう少年とペルに指導してから、目印をつける。


「早速戻ってみてもいいですか?」

「ああ。出口は宵闇の森の儀式場跡に作った。ここに戻るときは誰かに見られないように注意しろ」

「わかりました! 行こうか、ペル!」

「ペル、ボスと、いく!」


 少年はペルを連れて転移した。

 久しぶりの帰郷にスゥも喜ぶことだろう。


「何してるのー?」


 ちょうどそこにアレーネが一仕事終えて戻ってきた。

 蒸れて熱いのかローブを脱いで胸と腰に帯を巻いたセクシーな姿だった。

 少年が見たら卒倒するかもしれない。


「ん? ああ、お前にも説明しておこう」


 ミネルヴァが淡々と事情を説明する。

 遺失魔法を使えることに関してはあっさりスルーされた。さすがに慣れたらしい。


「なんでペルも普通に行かせてるのよ!?」


 だが、少年が転移したくだりになると突然声を荒げ始めた。


「何か問題が?」

「トロールなのよ!? リバーフォレストが大騒ぎになるじゃない!」


 アレーネの懸念は当然だ。

 トロールがリバーフォレストに侵入などしたら阿鼻叫喚の地獄絵図になる。


 だが、その程度のことは俺もわかっているし、少年も心得ているはずだ。

 こんなこともあろうかと形態変化ポリモーフ短杖ワンドを持たせてある。

 ペルを無害な動物にでも変身させてしまえばいいのだ。


 そのことをアレーネに伝えると、彼女は呆れたように腕を組んだ。


「あの子のことだから、そのままリバーフォレストに行ってもおかしくないわよ」

「……そうだな。一応、念話で伝えておこう」


 ふたりとも考えすぎだとは思うが。

 俺はミネルヴァの意を汲んで、少年に念話を飛ばした。




 結論から言おう。

 俺が念話で伝えるまで、少年はペルをそのまま連れて行くつもりだった。


 その程度の常識はあると思っていたのだが、俺の分析が甘かった。

 アレーネの判断能力も改めて再評価せねばならない。


(大丈夫ですよ。話せばちゃんとわかってもらえます)


 とは少年の談である。

 何がわかってもらえるというのか。


――スゥとダネリスは大丈夫かもしれんが、他の村人からは確実に奇異の視線で見られるぞ。

(でも)

――ペルに石を投げるような者だっているかもしれん。君はそれでもいいのか。

(うっ……)


 他人と違えば虐められる。

 そのことを知らぬ少年ではあるまいに。


(わかりました、ちゃんとします)


 少年は顔を上げ、ペルに一声かけた。


「ハウギ、ダ、アギ?(どんな姿がいい?)」

「ガラギ、ラギ!(ボスと同じがいい!)」


 少年は頷いて、形態変化ポリモーフ短杖ワンドを振った。

 ペルがもくもくと煙に包まれる。


――まさか、自分と同じ姿にするのか?

(いえ。僕と同じってことは、人間ってことだと思いますよ)


 俺の自動翻訳では、そこまでニュアンスを読み取れない。

 少年は何故わかるのだろう。


「ワーッ! ベーラギ! グッナギ!(わあ、やったね! すごいね!)」


 ペルも新たな姿にはしゃいでいる。

 気に入ったようだ。


 少年はペルに再三大人しくするように釘を刺してから、リバーフォレストに入った。

 時間帯はすでに夕方で、少年は特に誰とも会うことなくスゥの家に到着した。

 ドアをノックする。


「……おや、クラキかい?」


 扉を開けて出迎えたのはスゥの母、ダネリスだった。

 若干驚いたように口を開けていたが、すぐに笑顔になる。


「ただいま戻りました!」

「クーちゃん!? クーちゃんだ!」

「姉さん、ただいま」


 すぐにスゥが飛んできて、少年を抱きしめた。

 ちょっと照れながらも、少年はスゥの愛情をたっぷり受け止める。


「クーちゃん、その子……だれ?」


 スゥが少年の後ろに控えるに気づいた。


「グルル……!」


 四つん這いの低い姿勢で唸り声をあげているのは、緑の髪が特徴的な、野性味溢れる褐色の少女。

 彼女こそがペルの人間形態だった。


「だ、駄目だよペル! 僕は攻撃されたんじゃないよ!」


 慌てて少年がペルを制止する。


「ラ、アギ……」


 事前に躾ていたおかげか、ペルはすぐ大人しくなった。

 少年はスゥに断りを入れて、彼女の抱擁から離れてペルの頭を撫でた。


「ガラギ、バーラギ、バギ……?(ボスの巣? ボスの部族?)」

「バギバギ、ラギ、バーラギ(そうそう、そうだよ)」

「クーちゃん、何言ってるの?」


 スゥに巨人語はちんぷんかんぷんだった。


「ごめんなさい、もう大丈夫です」


 ペルを大人しくさせた少年は、彼女をスゥとダネの前に押し出した。


「この子はペル。僕の……妹、かな?」

「そーなんだ!」


 今の説明で納得したらしい。

 いや、それはいくらなんでもおかしいだろう。


「じゃあ、私にとっても妹だね!」


 スゥの頭はどこまでお花畑なのか。

 

「よろしくね、ペル!」

「ギギ……?」

「すいません。この子、僕らの言葉はわからなくて。僕が翻訳しますから」


 そんなことをしなくても、スゥに渡したペンダントを使えば彼女を自動翻訳の対象にすることができる。

 俺は特に断りを入れず、スゥに巨人語を修得させた。


「ラギ、スゥ、ダダイ、ナギ?(わたし、スゥ。あなたは?)」

「スゥ! ラギ、ク・ペルギ・ダグ!(スゥ! あたし、蜘蛛を引き裂くもの!)」

「ワー、ク・ペルギ・ダグ! ベラーギ!(蜘蛛を! すごい名前だね!)」

「あ、あれ?」


 何故か会話を弾ませた少女ふたりに困惑する少年。


 そんな彼の背中をバンバンと叩く者がいた。

 スゥの母、ダネリスだ。


「世の中、不思議なことがあるもんだねぇ」


 からからと笑う姿は、まさに肝っ玉母さんと呼ぶに相応しい。

 病人だった頃の面影は欠片もなかった。

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