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第二十四話「はじめての攻撃魔法」

「これはひどいわね」


 現場に到着したアレーネの第一声がそれだった。

 無惨な光景に顔をしかめ、悪臭に鼻を摘みながら辺りをきょろきょろと見回す。


「あれっ、ミネルヴァ。クラキは?」

「倉木君はもう洞窟に先行した」

「いい、におい、ペル、食べたい」


 ペルが血塗れの肉片を拾って、くんくんと臭いを嗅いでいる。


「それ人間だし、クラキが怒るわよ?」

「やーっ! ボス、怒る、怖い!」


 アレーネの指摘に、ペルが慌てて赤黒い肉片を放り投げた。

 面々はそのような不謹慎なやりとりで会話を弾ませながら死霊術師やスケルトンだった残骸を跨ぎ、再度洞窟へと踏み込んでいく。


「中もとんでもないことになってるわね」


 アレーネの言うとおりだった。

 洞窟の通路にも様々な肉片が転がり、灰が散らかっていた。


「この灰、またあの子が死体を操ったのかしら?」

「いや、死霊術師の方だろう。あのメイスを手にした少年が今更そんな小細工を使うとは思えん」

「よっぽど気に入ったのね」


 ミネルヴァの答えに苦笑いを浮かべるアレーネ。

 事実、残っている死体のほとんどは爆散しているか、頭が陥没しているか、洞窟の壁に叩きつけられて赤いシミになっているかのいずれかだった。


「血、舐めるだけ、いい?」

「もう、しょうがないわね。クラキにはナイショよ?」


 アレーネがペルを甘やかし出した。

 あれほど気味悪がっていたのに、会話できるようになった途端これか。


「でも相手が魔法を使う以上、クラキだって無傷じゃ済まないでしょ」


 ペルを置いて先に進みだしたアレーネが肩上のミネルヴァの体を撫でながら、なんとはなしに呟く。


「いいや、あの子には魔法も通用しない」

「……嘘でしょ?」

「あれを見ても、そう言えるか?」


 ミネルヴァが揶揄した先。

 そこは倉木少年のメイスが破損した、先ほどの広間。

 先行していた倉木少年と死霊術師たちとの戦闘が繰り広げられていた。


「小僧、丸焼きになれ!」

「魂を有効活用してやるよ!」


 死霊術師たちが四方から火炎放射フレイムスロワーを少年に向けて噴射している。


「ちょっ、あれ、大丈夫なの?」

「よく見ろ」


 少年は炎の中心で涼しい顔をしている。

 よく見ると、彼の握りしめるメイスの柄頭からは鎖が消えていた。

 おそらく、部分的に空間収納インベントリを使って鎖だけ消しているのだろう。

 まだ教えていない応用方法のはずだが、自分で見つけたらしい。


「くそっ、なんで魔法が効かない!」

「そう見えるだけだ、続けろ!」


 死霊術師たちは火炎放射フレイムスロワーを維持し続ける。

 それが少年の狙いだとも気づかずに。


「あの子、なんでおとなしくやられてるの!?」

()()いるんだ。今に見ていろ」


 魔力切れした死霊術師たちが、次々に炎の噴射を止めた。

 ぜいぜいと息切れしながら、健在の少年を見て絶望的な表情を浮かべる。


「終わりですか? ありがとうございました。少しお返ししますね」


 刹那、少年を中心に炎が吹き荒れる。

 周囲の死霊術師たちは一瞬で火だるまになった。悲鳴を上げながら燃え尽きて、黒い墨に成り果てる。


「なによあれ……」

「先日ペルを倒す決め手が少なかったからな。()()()()()んだろう」


 唖然とするアレーネに、ミネルヴァがどうということはないとばかりに一声鳴いた。


 バーネラと戦ったときは空間遮蔽フィールドのエネルギーを廃棄していたから炎を回収できなかった。

 今回は空間収納インベントリに直接炎を蓄え噴射したのだ。

 あの分なら、まだ温存しているだろう。


「魔法を吸収して、それをいつでも使えるなんて……ほんと反則ね」


 アレーネが戦慄するのも無理はない。ベイダには魔法を遅延発動する方法はあっても、魔法を貯蓄する方法は巻物スクロール短杖ワンドぐらいしかないのだ。


「あっ、神様! アレーネさん!」


 少年が手を振った。

 少しぼうっとしていたアレーネがはっと気づいて、慌てて駆け寄る。


「随分暴れてたみたいね……」

「新しいメイスが血に飢えてるみたいで」

「血に飢えているのはお前だ」


 にこやかに笑う少年に、ミネルヴァが間髪入れずに突っ込んだ。


「はしゃぎすぎだ。少しは自重しろ」

「えへへ、ごめんなさい」


 続くミネルヴァの小言にも、少年はちろりと舌を出す。

 まあ、雑魚を蹴散らす快感に酔いしれるのも、チートホルダーの通過儀礼のようなもの。

 少年の場合、むしろ遅すぎたくらいだ。


「どうだ、アレーネ。少しはバーネラを倒したという話、信じる気になったか?」

「そうね……魔法が効かないっていうなら、確かに……」


 ミネルヴァの問いかけにアレーネが考え込むように口元を覆う。

 まだ一抹の不信はあるようだが、あと一息といったところか。


「あれ、ペルは?」


 ようやく少年がトロールがいないことに気づいた。


「あの子なら……」


 アレーネが説明しようとしたとき、ちょうどドスドスと音をたてながらペルが追いついてきた。

 その口元は真っ赤に汚れている。


「ああっ、何やってるんですか!」


 少年は空間収納インベントリから布を取り出すと、ペルをしゃがませて口を拭ってやる。

 相手がトロールでなければ世話を焼くお兄ちゃんに見えなくもないのだろうが。


「人間は駄目だって言ったじゃないですか」

「アレーネ、舐めるだけ、いい、言った」


 少年の手がぴたりと止まり、ペルが身を震わせて硬直した。

 危機を察知したアレーネが忍び足でその場を離れようとするが、あっさりと回り込まれる。


「ア・レ・ー・ネ・さん!」

「ご、ごめんなさーい!」


 何故か死霊術師の巣喰う危険な洞窟をなごやかなムードで進む一行。

 最初の緊張感はどこへやらだった。




「侵入者が戻ってきただと……?」

「は、はい。既にかなりの数の高弟こうていがやられております」


 少年がアレーネとペルを正座させてお説教をしている間に、俺が潜伏させていた羽虫の端末が洞窟再奥の儀式場へと到達した。

 ろうそくの灯りにかろうじて照らされているのは、仮面を被ったローブ姿と、その弟子と思しき死霊術師。

 闇の中に浮かび上がるシルエットは、彼らが光の下では生きられない存在であることを克明に表していた。


「魔術師ギルドの回し者か……?」


 仮面の人物は、おおよそ人間とは思えぬ声を発していた。フードを目深に被り、肌を露出している箇所は一切ない。

 よく見れば、仮面には蛆や百足ムカデが這い回っている。おそらく、死霊術師の上位職である蟲術師ヴァーミンスターだろう。


「わざわざ連中が、こんな湿地帯にまで刺客を送り込んでくるでしょうか?」

「わからんぞ……新しく就任したというギルドマスターは、何かと得体の知れない噂を聞くからな……」


 弟子の懐疑に蟲術師ヴァーミンスターは仮面の奥で蟲を蠢かせた。


「仕方がない……『竜骨』を蘇らせるぞ……」


 竜骨だと。

 聞き捨てならない単語だ。


「しかし、あれは制御が効くかどうか……」

即時屍鬼作成インスタント・アンデッドならば……時間がくれば灰になる……使い捨てるのは惜しいが……」

「魔力が足りない分は弟子どもの魂で補いますか。なるほど」


 蟲術師のアイデアに弟子が頷いた。


「すぐに儀式を執り行う……」


 蟲術師がろうそくの火を吹き消すと、あたりに闇と静寂が訪れる。




「……ふむ」

「どう?」


 ミネルヴァが『千里眼』を終えて、アレーネに頷く。


「どうやら、ここの死霊術師どもは『竜骨』を隠し持っているらしい」

「なんですって!?」


 アレーネが悲鳴にも似た叫びをあげると、少年が小首を傾げた。


「竜骨ってなんですか?」

「その名のとおり、ずっと昔に死んだドラゴンの骨よ」


 アレーネが人差し指を立てて少年たちに説明し始めた。

 その額には嫌な汗が垂れ始めている。


「ドラゴンの骨と鱗は最高の素材になるのよ。竜骨がどれほど完全な状態で残っているかはわからないけど、アンデッドとして蘇らせたら絶大な力を振るうでしょうね」


 俺もベイダのドラゴンはデータでしか知らないが、この世界においても最高峰のモンスターのはずだ。

 少年はともかく、アレーネとペルがアンデッド化した竜骨との戦いに巻き込まれたらひとたまりもない。


「でも、竜をアンデッドとして使役することなんてできるのかしら?」

「連中に制御するつもりはない。暴走させて、それを俺たちにぶつける腹積もりだ」

「……ねえ、さすがに逃げた方が良くない?」


 アレーネが弱気になり始めた。

 なまじこの世界の常識に精通しているから、自分の置かれた状況を正確に把握できてしまったのだろう。


「アレーネ、逃げる、情けない。ペル、戦い、喰らう」


 一方、ペルは無知で無謀だった。

 実際に遭遇すればともかく、話を聞いただけでは力の差が理解できないようだ。


「だってドラゴンよ? いくらクラキが強くても、勝ち目なんてないわ」

「そ、そうなんですか」


 倉木少年はアレーネの言い分を素直に聞いていた。


「バーネラ……姉さんだって、ドラゴンには手を出さなかったのよ? 即時屍鬼作成インスタント・アンデッドで蘇らせるっていうなら、いっそのこと時間切れを狙うのがいいかもしれない」


 アレーネの言い分には一理ある。


 手に入れた情報を最大限有効に利用するならば、ここは魔法の時間切れを狙うべきだろう。効果時間が切れて一度灰になった死体は死霊術で蘇らせることができないからだ。

 問題があるとすれば、暴走した竜骨が洞窟そのものを破壊し、儀式場を利用できなくなる可能性が高い点だが……。


「逆に言うと、それを倒せればアレーネさんが信じてくれるってことですよね」

「……あ」


 少年の一言にアレーネが失敗した、という顔になった。


「いや、あのね」

「時間切れなんてとんでもない。僕はやりますよ」


 アレーネは自分で言ってしまったのだ。

 竜骨に勝てればバーネラより強い、と。


「えーっと……」


 アレーネが助けを求めるように使い魔を見るが、ミネルヴァは首を振るように体を揺らすのみだった。


「少年がやりたいと言っている以上、俺に止める気はない」

「ち、ちょっとぉ……」

「信じろ。お前の安全は保証する」


 ミネルヴァは自信満々に請け負う。

 確かに今なら俺が介入しなくても、仮想人格だけで彼女を守りきることもできるだろう。


「う、うん……わかった」


 アレーネは頬を染めながら、こくんと頷く。

 これで方針は決まった。


「じゃあ、竜骨を探して倒しましょう!」


 少年は力強く宣言したのだった。




 少年は死霊術師やアンデッドを蹴散らしながら進んでいく。

 スケルトン以外にもゾンビが出てきたが、もちろん敵ではなかった。


「死霊術師が出てこなくなりましたね」

――弟子を生け贄に使うと言っていたからな。


 儀式場へのルートは俺の方で把握している。

 その途中に竜骨と思しきものはなかったので、儀式場の奥に秘蔵しているのだろう。


「……ここ?」

「そうだな」


 儀式場に着いた。

 かなり広い空間だが照明はなく、アレーネの持っている松明たいまつではとても照らしきれない。


 先行した少年は暗闇の中でアンデッドどもと接触、一方的な殲滅を開始した。

 暗闇の中でも十全な戦闘力を発揮できるのは、ミネルヴァの視覚を同期しているからだ。少年の目にはミネルヴァの視界範囲が明るい白黒に見えている。


 また、先ほどからペルも暴れたがっていたので、いくつか魔法付与エンチャントして戦闘に参加させている。

 元力完全耐性エナジー・イミュニティで「火」と「酸」が効かなくなっているから、ほぼ無敵だ。

 ちなみにトロールには生来の暗視能力があるので照明は不要である。


「むー」


 アレーネは不服そうに頬を膨らませていた。

 もちろん彼女は不参戦である。


「ねえ、ミネルヴァ。なんだかいたたまれない気分になってきたんだけど……」

「今更だな」


 今までも指をくわえて見ているしかなかったのだが、ペルの参戦によって自分だけが怠けているような気分になっているらしい。


「ミネルヴァだって使い魔なんだから、私に魔力を譲渡できるでしょ? そうすれば、私だって――」

「確かに魔力のみちは通っているが。感覚共有すらおぼつかないお前が、俺の魔力を制御できるのか?」


 ミネルヴァの指摘に言葉を失うアレーネ。

 剣戟と爆音、トロールの咆哮が響くたびに、儀式場のアンデッドはどんどん数を減らしていく。


「なにより、俺が直接行使した方が早い」


 ミネルヴァが無造作に羽根をかかげる。

 すると次の瞬間、闇を引き裂くような神々しい光がスケルトンとゾンビたちを次々と撃ち貫き、塵に返していった。


「えっ、今……何をしたの?」


 アレーネの愕然とした呟きが漏れる。

 

「対アンデッド用に拡散アレンジした魔力弾マジックボルトだ」

「そんな。詠唱もなしに、そんな多様アレンジなんてできるわけ……」

「俺をこの世界の常識ではかるな」


 魔力弾マジックボルトはベイダの秘術魔法アーケインの攻撃魔法の中でも基礎中の基礎、魔力の弾丸を発射するだけの魔法だ。

 その威力は魔術師の成長とともに頭打ちになるが、俺とミネルヴァはその限界を突破することができる。

 ベイダの魔法にはさまざまなアレンジを加えることができるが、習得自体も修行が必要だし、本来自分が使える魔法よりも数段ランクの劣る魔法にしか適用できない。

 アレーネが驚いているのは音声省略、対アンデッド化、拡散誘導のみっつのアレンジを同時に適用できる魔法が理論上ないためである。


「これでわかっただろう。お前は俺の使った魔法を自分が使ったんだという顔をしていればいい」

「あんまりな言い草ね……でも、しょうがないか」


 アレーネが自嘲気味に笑った。

 別に今に始まったことではない。

 彼女にとって、魔法を使えないのは当たり前のことだからだ。


「だが、どうしてもというのなら」


 む?


 ミネルヴァが何を思ったのか、肩を竦めるような動作をしたかと思うと、唐突にアレーネに魔力を送り始めた。


 仮想人格ミネルヴァ……何を始める気だ?


「え、これ……」


 アレーネが自分の体の火照りを確かめるように体をかきいだく。


「魔力弾一発分だ。やってみるか?」


 ミネルヴァの嘴がわずかにつり上がった。

 ごくりと生唾を飲み込む音が聞こえる。


「私が……魔法を……」


 アレーネに魔法を使わせる。

 それ自体、何の意味もない行為だ。


――いや、そうか。


 仮想人格はベースとなった生命に引きずられて、突飛な行動をすることがある。

 俺と違う動機によって行動し、個性を獲得し始める。


 本来ならもっと時間がかかるが、アレーネのケースは少々特殊で使い魔の精神が抑圧されていない。

 ミネルヴァと俺の人格の相性も良かったのだろう。


 つまり、ミネルヴァは哀れみと戯れから、アレーネに魔法を使わせようとしているのだ。


「早くしないと、少年が全滅させてしまうぞ」


 ミネルヴァが愉快げにアレーネを急かした。


 幸いというべきか、儀式場の魔法陣から次々にアンデッドが召還されてきており、まだ標的は何体か残っている。

 それでも少年とペルの敵ではない。

 召還術式の効果時間が切れる前に全滅するだろう。


 アレーネが緊張した面持ちで右手を掲げた。

 標的はペルを背後から切りつけているスケルトン。


「魔力よ、我が敵を――」


 間違えようのない最もシンプルな詠唱を唱え始める。


「撃てぇっ!」


 アレーネの詠唱完成とともに、魔力弾マジックボルトが発動した。

 彼女の右手から魔力の弾丸が小さな輝きの尾を引きながらスケルトンの背骨へと吸い込まれる。

 所詮は落ちこぼれ魔女の初級魔法。劇的な効果はなかったものの、スケルトンのバランスを崩すことに成功した。

 その隙が役に立ったというわけではなかろうが、ペルの振るった長い腕がスケルトンをバラバラに吹き飛ばした。


「は、はは……」


 アレーネは乾いた笑いとともに脱力し、ぺたんと座り込んだ。

 肩から落ちそうになったミネルヴァが羽ばたいて、アレーネの目の前に降り立つ。


「やった! 私やったよ、ミネルヴァ!」

「ああ、初めてにしては上出来だ」


 アレーネが動く目標に命中させられる確率は半々といったところだったが、悪くない成功体験だ。

 ミネルヴァも素直に誉め称えている。


「ありがとう!」


 アレーネが場もわきまえずミネルヴァを抱きしめる。


「おい、よせ。苦しい」


 大きな胸を押しつけられ、小さなコノハズクは身悶えするように抗議した。


 それでもやめようとしないアレーネに契約印が起動しそうになる。

 ミネルヴァがカッと目を見開いて、印を抑止した。


 解放されたいなら、そのまま痛みを与えればいい。

 我が分身ながら、実に不合理だ。

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