第二十一話「ベイダの死霊術師」
あれから数日。
トロールの一件以来、アレーネの少年に対する態度が変わった。
何がと言われると難しいが、有り体に言えば彼のことを子供扱いしなくなった。
初な反応をする少年にセクハラを働いたりはするものの、一人前の男として扱っている。
だが、俺に対する態度は変わらない。
俺が神だと聞いても、いつもどおりだった。
「ねーねーミネルヴァー」
少年が寝静まった頃、アレーネはわざわざ起きてきて俺を見上げた。
「……五月蠅い。気が散る」
夜の見張りは夜目の利くミネルヴァの役目になっている。
今もこうして木の枝にとまって目を光らせていた。
「いいじゃない、ちょっとぐらい。警報もあるんだし」
「……何の用だ」
一応許しが出たと思ったのかアレーネはくすっと笑うと、俺に背を向けるようにして木に寄りかかった。
「あのさ。どうして、私のところに来たの?」
「前に話しただろう。たまたまだ」
「……そっか」
アレーネはため息をついた。
やけに長い間に首を傾げていると、今度は矢継ぎ早に質問してくる。
「本当に神様ってやつなの? 八正神? それとも八邪神?」
「クラキとはどういう関係なの?」
「例のコームダインって結局なんなわけ?」
等々。
そういえば、クラキきゅんではなく呼び捨てになったのか。
「なんかとんでもない祖霊か何かだと思ってたけど、そういうわけじゃないのね?」
ミネルヴァから介入している俺はアレーネの意図が読めないまま、淡々と答えていく。
「異邦者や来訪者という表現が一番近い」
「そうなの。不思議なこともあるものねー。とりあえずクラキを派遣した理由とか、全力でどっかんしない理由は何となくわかったわ」
「そうか、それは何よりだ」
「まあ、そんなのどーでもいいんだけど」
…………。
「では、先ほどの質問攻めには何の意味があった?」
「意味なんてないわよ? ミネルヴァと話したかっただけだし、話題はテキトー」
…………。
「……何怒ってるのよ?」
「怒ってなどいない。理解に苦しんでいるだけだ」
「貴方、女の子にモテないでしょ」
「モテる必要などない」
「あっそう」
俺は疲れない。
そのように自分の精神を調整してある。
だが、疲れた気分にはなりたくなった。
「ところで……あいつ、いつまで着いてくる気かしら」
「さあな」
アレーネが言っているのはトロールのことだ。
今もここから五十メートルほど離れた闇の中に佇んでいる。
少年に敗北してからというもの、あのトロールはこちらと一定の距離を保ったまま、体を引きずってついてきている。
復讐に燃えているわけでもなく敵意もないので放置している。
少年が鹿肉の余りを持って行くと恭しく喰らったりもしていた。
「まさかとは思うけど、トロールを餌付けするような力とかまで与えてないわよね」
「断じてない」
少年が欲しがるなら魔物魅了の短杖を創造して渡してやっても良いが、そのような要望は受けていない。
「おそらくは、トロールの習性か何かだろう」
「連中を手懐ける方法なんて、聞いたこともないわよ?」
「なら、倉木君が見つけだしたのかもしれん」
あるいは魔物を使役する者たちなら知っているかもしれない。
そういった技術は秘伝だろうから、アレーネが知らなくても無理はない。
その後も何の益体もない会話に付き合わさた。
明くる朝、労苦から解放されたミネルヴァは少年の肩で眠りについていた。
「おつかれさまです、神様」
――ミネルヴァと言ってやれ。俺自身に眠りは不要だ。
トロールは相変わらずついてくるが、少年はあまり気にしていないようだった。
アレーネは不気味がっていたが、トロールがもう敵でないことはその日の夕方に証明された。
ジャイアントスパイダーの襲撃を受けたとき、トロールが突進して大蜘蛛を血祭りにあげたのだ。
そして自分で狩った蜘蛛を爪で引き裂き、その半分以上を少年に渡してきた。
「くれるんですか? ありがとうございます」
少年はトロールの贈り物に眉一つしかめることなく、笑顔で受け取っていた。
「いろんな意味で大物なのね、クラキって……」
その光景を見届けたアレーネは何とも言えない顔をしている。
「はい? 何か言いました?」
「なんでもないわ」
同意を得られる相手を疲労で長寝させたことを、彼女は今更ながらに後悔していた。
荒野を抜けると湿地帯に到着した。
ここまで来れば目的地はそう遠くない。
死霊術師の洞窟はこの近くにある。
「グルル」
トロールが唸り声をあげている。
どうやらここのあたりは縄張りではないようで、不安そうに周囲を見回していた。
「さっきは、ありがとうございます。もういいですよ」
少年が礼を言っても立ち去らず、トロールは首を傾げた。
言葉の意味がわからないようだ。
「うーん、どうしましょう」
「トロールは知能が低いけど巨人語が通じるって聞いたことがあるわ。私は喋れないけど」
途方に暮れる二人。
ちょうどミネルヴァが目を覚ましたので、俺は彼の口を借りる。
「なら、セイケンの自動翻訳項目に巨人語を加えればいい」
「あっ、そうか」
仮想人格に言われて空間収納内のセイケンにアクセスする少年。
少年の頭の中にステータス形式のイメージが浮かび上がる。
(えっと、どうすれば?)
――セイケンの自動翻訳タブの項目はチェックボックス形式になっている。その中の巨人語にチェックマークを入れればいい。
(あ、これですね)
設定を終えた少年がトロールに向き直った。
ついでなので、俺とミネルヴァも巨人語の自動翻訳に対応する。
「ケッツ、バーラギ、ダダイ(もう帰っていいですよ)」
「ケッツ、ナナイ、ラギ!? ガラギ、ダ、バギ!」
会話を終えた少年が困った顔でアレーネを振り向く。
「なんて言ってるの?」
「自分だけ帰るなんてとんでもない、群れのボスは僕だとか……」
「あちゃー……」
「やはり手懐けてしまったようだな」
アレーネが顔に手をあてて頭を振り、ミネルヴァが呆れたように羽を広げた。
「ど、どうしましょう?」
「連れて行けばいい。いい盾になる」
「えっ!? 僕を慕ってついてきてくれてるのに、そんなかわいそうなことできませんよ!」
少年はミネルヴァの名案をあっさり一蹴した。
「なら、俺は知らん」
「もうっ! 神様なんかに聞いた僕が馬鹿でしたっ」
少年の機嫌を損ねてしまったようだ。
頬を膨らませながら、再びトロールのもとへ向かう。
「ダダイ、ナネー、ナギ?(名前はなんと言うのですか?)」
「ラギ、ナネー? ムイ(名前? ないです)」
「ワー……ナイ、ベンギ。ナネー、ダ、キルギ、ラギ(ああ、それは不便ですね。僕が決めてもいいですか?)」
「アギー(いいですよー)」
会話の意味がわからないアレーネは不安そうに少年たちの様子を見つめていた。
「大丈夫かしら?」
「どうやら、責任を持って世話することにしたようだな」
「……嘘でしょ?」
「俺もそう思いたい」
その後も、少年とトロールのやりとりは続き。
「ペルにもう人を襲わないって約束させました。大丈夫です」
少年は爽やかな笑顔でそう言った。
背後にはトロールが付き従っている。
少年がもう距離を取る必要はないと教えたからだ。
「ペル……?」
アレーネが怪訝そうに腕を組んで首を傾げる。
「彼女につけた名前です。ク・ペルギ・ダグ。巨人語で《蜘蛛を引き裂く娘》という意味ですよ」
「そ、そう。女の子だったのね」
にこやかにトロールを紹介する少年に、あのアレーネですら引いていた。
「ちゃんと序列も覚えさせましたから、アレーネさんにも従ってくれますよ!」
「私は巨人語わかんないって言ってるじゃない!」
こうして何故かトロールのク・ペルギ・ダグが仲間に加わったのだった。
……本当か?
どうしてこうなった。
「とにかく、ここからは湿地帯。足場のぬかるみがとにかく厄介よ」
ようやく気を取り直したアレーネが解説に入った。
「水棲モンスターもいるから、水場には絶対近寄らないようにしてね」
「気をつけます」
少年が翻訳してク・ペルギ・ダグ……略してペルに伝えた。
言葉を理解できる点において、並の動物より充分に賢いといえるかもしれない。
「何かあったときは、ここに戻ってくるようにしましょう」
アレーネは比較的見晴らしが良く、ぬかるんでいない地面にベースキャンプを作ろうと提案した。
「それなら、治癒方陣を作っておくか」
ミネルヴァが両羽を広げた。
「ヒールサークルですか?」
ミネルヴァが少年の質問に応えるかわりに何事か念じる。
すると、地面に光り輝く魔法陣が生み出された。
「……貴方、秘術魔法だけじゃなくて祝福魔法まで使えるの?」
秘術魔法は最もメジャーな魔法体系で、魔術師、死霊術師、魔女などはすべて秘術魔法を使う。
祝福魔法は神格への祈りによって奇跡を行使する魔法のことで、僧侶や神官が使用できる。
この両方を使える者は伝説上にしか存在しない。
「仮にも神を名乗る者が使えないでどうする?」
「あっ、はい」
仮想人格も随分とおしゃべりになってきた。
端末との融合も完全に完了したようで、俺がインストールしておいたベイダの魔法も使えるようになった。
いちいち俺がミネルヴァに介入しなくても良くなってきたのは素直に喜ばしい。
「治癒方陣に入れば傷を癒せる。ペルの火傷も治せるから、再生能力を復活させられるぞ」
「あっ、それはいいですね!」
少年は早速ペルをサークルに立たせた。
トロールの体が一瞬で元通りに全快する。
「ちょっ!?」
アレーネが目を剥いた。
「べラーギッ!(すごいっ!)」
「ワー、グッナギ、ペル(わあ。よかったね、ペル)」
「え、え、え」
少年とペルが素直に喜んでいる隣で、アレーネは言葉を失ったままおろおろしている。
「それじゃ僕、ちょっと偵察に行ってきます」
「座標は覚えているか?」
「大丈夫、ちゃんと予習しましたからっ!」
言うが早いか、少年はダグにここに留まるように言い含めて風のように走り去った。
「……ねえねえ、ミネルヴァ」
途方に暮れた様子のアレーネが話しかけてきたのは、それからすぐ後だった。
「私の記憶が確かなら、治癒方陣って休憩のついでにちょっとずつ時間をかけて傷を治す魔法だったと思うんだけど」
「これも説明が必要か?」
「……いえ、いいです」
殊勝な態度だ。
いつもこうならいいのだが。
その頃、少年は水の上を走っていた。
体が沈む前に足を前に出しているから……ではなく、水上歩行のポーションを飲んでいるからだ。
その証拠にいつものような超高速ではなく、水しぶきも立たないような常識的な速度で移動している。
アレーネに絶対に近づくなと言われた水場を走っている件についてだが、少年は宣言どおりきちんと気をつけている。
「ん、大きいのがいる」
少年はそう言うと、目の前の水場だけを迂回した。
生命探知のポーションを飲んで、一定範囲内の生命のオーラを視覚的に捉えているのだ。
岩の影に隠れていたり、水の中に潜んでいてもオーラだけは視ることができる。
「ん、あれかな」
倉木少年が洞窟付近に到着した。
姿勢を低くして、手頃な岩場に隠れる。
洞窟付近には不吉な紋様が描かれたローブを羽織った死霊術師が二人いて、ちょうど何か会話をしている様子だった。
まだだいぶ遠いので、少年の位置からでは会話内容まで聞き取れない。
岩に隠れながら生命探知で他に伏兵がいないかを確かめるが、死霊術師は二人だけのようだ。
――気をつけろ。生命探知ではアンデッドの位置まではわからん。
(あ、そうですね)
少年は油断なく静音クロスボウを取り出した。
死霊術師の片割れに狙いを付ける。
静音クロスボウはその名のとおり音を一切出さないクロスボウだ。
発射音やボルトが風を切る音だけではなく、命中した相手も無音化する。
だから標的の倒れた音で他の敵に気づくことはできない。
そして急所を外したとしても、音を出せなくなった標的は助けを求められない。
それが魔法使いなら詠唱を唱えられないので魔法すら使えなくなる。
尚、俺の強制契約と同様、無音化は呪文抵抗できない。
当たれば仲間に解呪してもらえない限り、音声省略を取得していない魔法使いは詰みだ。
少年は死霊術師の会話が終わって、互いが目を離した瞬間を狙い撃つ。
ボルトが死霊術師の片割れの心臓に突き刺さった。死霊術師は為す術もなく静かに崩れ落ちる。
もう片方は……まだ気づいていない。
少年は戦果を誇ることなく、無言でボルトを再装填し始める。
クロスボウの弱点は連射が効かないことだ。
連射型クロスボウであるリピーターでは射程が犠牲になるため、標準装備ではクロスボウとなっている。
「……あっ!」
――気づかれたようだな。
生き残りが相方の死体に気づいたのは偶然だった。
何かを言い忘れたのか、倒れた死霊術師の方を振り向いたのだ。
異変に気づいた死霊術師はすぐさま魔法を唱える。
ゆっくりと、倒れていた死霊術師が起き上がった。
(生き返った!?)
――いや、あれは即時屍鬼作成だ。短時間、死体を下僕として使役できる。
(そうなんですか)
即時屍鬼作成は秘術魔法に分類される魔法で、死霊術師が好んで使う魔法だ。
死霊術師とは、秘術魔法の中でも特に死霊術を得意とする連中なのだ。
死体を自在に使役する。
つい先ほどまで会話していた相手の死体であろうとも、何の迷いもなく己の下僕とする。
それが、ベイダの死霊術師。
この最も忌み嫌われる魔術師集団は、人里から離れた砦跡、洞窟などに巣食っている。
「でも、これで終わりです。お疲れさまでした」
しかし、少年にとってそんなことは関係ない。
冷静に再装填を終えたクロスボウを構え、周囲を警戒する死霊術師に向けて発射する。
額にボルトを受けた死霊術師は糸の切れた人形のように倒れた。
蘇った死霊術師も灰と消える。
「術者が死ねば呪詛以外の魔法は切れる、でしたよね?」
――合格だ。
害虫駆除を終えた少年は、実に嬉しそうに笑った。
オーガでもわかる巨人語講座①
「ケッツ、バーラギ、ダダイ」
「ケッツ、ナナイ、ラギ!? ガラギ、ダ、バギ!」
ケッツ=帰る、帰れ。
バーラギ=巣、家、縄張り。
ダダイ=お前、てめえ。
ナナイ=ナイの最上級。絶対にやらない、やりたくないという意味で使われる。
ナイ=しない、やらない、やだ。
用例:ズルギ、ナナイ、ラギ!
意訳:働いたら負けだと思っている!
ズルギ=狩りを含めた労働全般。
ラギ=俺様、自分。
ガラギ=ボス、主人。
ダ=ダダイの短縮形。知能が低い巨人はたいていこちらを使う。
バギ=群れ、部族、集団、集まり。
尚、巨人に文法の法則などはなく主語述語がしゃべり手の気分で適当に並ぶが、伝えたい言葉を先に言う傾
向が強い。
「ダダイ、ナネー、ナギ?(名前はなんて言うんですか?)」
ナネー:名前
ナギ:何、なんだ
「ラギ、ナネー、ムイ(名前はない)」
ムイ:無、ない
「ワー……ナイ、ベンギ。ナネー、ダ、キルギ、ラギ
(ああ、それは不便ですね。僕が決めてもいいですか?)」
「アギ(いい)」
ワー:感嘆詞
ベンギ:便利、重宝する、よく使うという意味。ここでは否定と組み合わせて便利ではない、つまり不便という意味になっている。
キルギ:決定する、決める
アギ:了承する、それであっている




