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第二十話「トロールの襲撃」

 アレーネの予測通り、最初の三日間はとんとん拍子に進んだ。

 特にこれといった遭遇もなく、平和な旅が続いている。


 このあたりではモンスターよりも野生動物との遭遇が危惧される。

 動物は魔女を本能的に避けるのだが、それでもアレーネは警戒を怠らない。

 冬眠空けの熊などは気が立っていると襲ってくる可能性があるのだそうだ。


 観察していてわかったが、彼女は明らかに魔法使いというより狩人向きだった。

 生け贄や儀式を嫌い自然を愛した少女は、魔法に頼らずに生きていく方法を学んだのだろう。

 才能というより経験の賜物だ。


「さて、ここから先は街道を外れて荒野に入るわ」


 少年とアレーネは立ち止まって地図を確かめる。


「あれ? もう少し街道を進んだほうが近道なんじゃ」

「この先には山賊がアジトにしそうな砦跡があるのよ。あるいはゴブリンとか、もっと危険な生物が住み着いてる可能性もあるけど」


 地図を指差しながら、アレーネが肩を竦める。

 これまでアレーネが迂回の判断を誤ったことはない。

 少年は無言で頷いた。


「じゃ、おさらいしましょ。街道を外れたあとに注意すべきことは?」

「えっと、道がないから迷いやすいから方角をよく確認すること、ですよね」

「そうそう。磁石の動きが妙だったらすぐ言って。そういう場所が稀にあるからね。もうひとつは?」

「モンスターに注意します」

「正解」


 アレーネが笑顔で何度も頷いた。

 少年はうまく答えられて、ほっとしている。


「これまでは待ち伏せされそうな場所は避けてこれたけど、荒野では不意の遭遇がかなり増えるわ。だから私はいつもこれを使うの」


 アレーネが袋から瓶を取り出した。

 中身は紫色の液体だ。

 少年が興味深げにのぞき込むと、突然アレーネが少年に向かって薬品を振りかけた。


「わっ、つめた」


 少年は驚いたが、空間遮蔽フィールドの反応はなし。

 害のある物ではないようだ。


「ごまかしのポーションよ。劇的な効果はないけど、半日は持続するわ」


 アレーネはそう言いながらもう一本取り出して、自分にも振りかける。

 

「近くに来ない限り、私たちの姿は景色に溶け込んで見えるわ。透明になるわけじゃないけど、モンスターや不穏な輩を先に発見できる可能性が高くなるの」

「すごいですね、アレーネさん」

「生き残るための知恵よ。たいしたことじゃないわ」


 少年の瞳が憧れに輝くと、アレーネはこのぐらいはさも当然だとばかりに手を振った。


 こうしてふたりは街道を外れて、荒野を進む。

 荒野といっても何もないというわけではなく、木々や岩場、川や高低差のある坂や崖などが入り組んでいる。

 見晴らしが悪く隠れる場所がどこにでもあるし、足場を踏み外すと怪我では済まない場所もある。

 街道よりもはるかに危険だ。


「綺麗ですね……」


 少年は高台から広がる雄大な景色に胸を震わせた。


「クラキきゅんって、本当に違う世界から来たのね」

「えっ、どうしてですか?」

「このぐらいならいくらでも見られるもの。もっと凄いところ、いっぱいあるわよ?」

「わあ……楽しみですっ」


 少年はまだ見ぬ世界にときめきながら、道なき道をゆく。

 しばらく歩いていると、遠くの茂みが動いた。


「あ、鹿ですよ」

「この辺では一番多い動物よ」


 少年はリバーフォレストの主食が鹿だと聞いたことを思い出し、懐かしくなった。

 鹿はごまかしのポーションが利いているのか、少年たちに気づいていない。


「今晩の晩ご飯に、一匹狩っとく?」

「そうしましょうか」


 アレーネは人差し指をちろりと舐めて、天を指差した。


「何をしてるんですか?」

「風向きを確かめてるの。風下に立つと臭いでばれるからね」


 アレーネを伴って、風上に移動する少年。

 空間収納インベントリから取り出したのはホブゴブリンが持っていたショートボウ。

 スタッフスリングでは威力が強すぎると判断したようだ。


 少年の射った矢はあやまたず首あたりに命中し、鹿の息の根を止めた。


「なるほど。弓の心得もちゃんとあるみたいね」

「ひととおり何でも使えると思います」


 関心するアレーネに謙遜するでもなく少年は答える。

 少年の技能には数多くの武具の達人のデータが反映されている。

 彼自身の実力というわけではないから自慢する気になれないのだろう。


 だが、アレーネは倒れた鹿に歩み寄る少年の背中を興味深げに見つめた。


(あの景色で驚いてたような子が、気負いなく動物を射れるものなのかしら? )


 アレーネの疑問はもっともだ。

 もちろん、少年自身に動物を殺めた経験などない。

 これは俺の施した細工から派生した副産物だ。


 少年は俺に殺人への忌避感を奪われている。

 一番尊い命である『人命』を空虚化されたことで、相対的に他の命も軽くなっているのだ。

 だから人だけではなく、動物やモンスターの命を奪うことにも躊躇を見せない。


 この処理は少年だけではなく、他のチートホルダーにも実施している定例事項だ。

 殺す殺さないで葛藤する時間などロスでしかない。


「っ! 待って、クラキ君!」

「え?」


 アレーネが何かに気づいて少年を呼び止める。 

 次の瞬間、遠くの岩陰から飛び出してきた。


「トロール!」


 アレーネがモンスターの名を叫んだ。


 そいつはゴリラのような姿をしていた。

 ただし体毛は一切なく、体色は緑。

 異様に長い腕の先からは三本の鋭い爪の生えた太い指が延びている。


「そいつも鹿を狙ってたんだわ! 逃げて!」


 トロールが長い腕を振りながら、その体格に似合わぬフットワークで少年に……いや、倒れた鹿に接近してくる。

 口元からは鋭い牙と獲物を前にして分泌された涎が飛び出していた。


 普通の子供ならトロールの恐ろしげな姿に腰を抜かすか、逃げ出してしまうだろう。

 だが、少年は悠然と歩みを進めた。


「逃げる……? それは、違うんじゃないですかね」

「……えっ?」


 ざわり、と。

 少年のまとう気配が変わる。


 アレーネが少年の変化についてゆけずに唖然と立ちつくす。


「あいつは僕らが仕留めた獲物を横取りしようと向かってきているんです。ここで退くのは、相手が自分より格上だと認めることになるんじゃないですかね」


 少年が己の意志を表明するように、トロールと鹿の間に立ち塞がった。


「グギ!」


 トロールがごまかしのポーションの欺瞞効果の有効距離以上に接近した。

 ここで初めて少年に気がついて、邪魔者を挽き肉に変えるべく標的を切り替える。


「やめなさい、そいつは……!」

「相手もやる気です!」


 少年は瞬時に装備を入れ替える。

 一番使い慣れた鉄のメイスとホブゴブリンから奪ったミドルシールドを構え、腰を落とす。


「ガアアッ!!」


 トロールは本能のまま滅茶苦茶に打ちかかってきた。両腕の爪を力任せに振り下ろしてくる。少年は落ち着いた動きでトロールの懐に盾をぶつけた。シールドバッシュと呼ばれる盾を使った戦闘技法であるが、トロールはたまらず吹き飛ばされてたたらを振む。

 身体強化フィジカルブーストした少年の方が力は上だ。


「……あ」


 アレーネは少年が軽々とオーガ用装備を持ち上げていたことを思い出した。

 トロールの怪力を、しかも突進の勢いをつけた攻撃ごと吹き飛ばしてしまうなど常識はずれもいいところである。

 実のところ、少年はこれでも盾を壊さない程度に加減しているのだが。


 少年はすかさず反撃に移り、トロールの左肩にメイスを振り下ろす。


「ウギ」


 トロールは打撃を受けて多少怯んだが、まるで戦意が衰えない。痛みを感じている様子もなかった。

 少年もゴムを殴りつけたような奇妙な手応えに眉を顰める。


「打撃じゃだめ! トロールは脂肪と筋肉の塊みたいなやつなの! しかも……」


 打撃を受けた部分は赤い血が滲んでいたが、みるみるうちに元通りの気色悪い緑色に戻っていく。


「再生してる!?」

「普通に戦ったんじゃ勝ち目はないわ! 火か酸がないと、あいつの再生を止められない!」


 トロールが今度は自分の番だとばかりに躍り掛かってきた。矢鱈滅法やたらめっぽう、長い腕を振り回す。トロールの攻撃は技と呼べるものではなく本能のまま暴れるだけ。少年は最小限の動きで攻撃を捌いていく。


「火か酸があればいいんですね」


 少年はトロールを適当にあしらいながら、メイスの代わりに火のついたままの松明を取り出した。物は試しとばかりに叩きつける。


 トロールの体皮は脂肪であり、可燃性の油脂ゆしである。

 剣で攻撃すると切れ味が鈍ってくる厄介な体質だが、火が燃え移るとトロールの体は炎に包まれ、その間は再生能力が働かなくなる。

 今回も例に漏れず、トロールはその身を炎で包まれた。


 だからといって攻撃を緩めてくるわけでもなく、盛大にダメージを受けるわけではない。むしろ怒り狂って体当たりしてきた。少年は盾で押し返し、トロールの鼻面はなつらに再びメイスの一撃を加えるが、それでもトロールは怯まない。


「どうしてっ!? ちゃんと火はついてるのに!」

「武器が弱すぎる」


 アレーネの叫びに、肩のミネルヴァがコメントした。


 トロールはオーガほどの力はないが、柔軟性のある外皮と再生能力から大きな脅威であると見なされている。

 そんな相手に対して、たかだかその辺の山賊が使っていたような鉄のメイスでは充分な威力が出ない。

 トロールの弾力性のある外皮を抜き切れないのだ。


「でも、力だってすごいのに……」

「あの手の敵に力だけではダメだ。それに、戦い方も彼本来のスタイルではない」


 そう。

 おそらくそれが、この程度のモンスターに苦戦している()()()()()最大の原因だ。


 少年はこれまでの戦いにおいて速さで翻弄したり、スピードの勢いを乗せた攻撃で敵の急所を破壊してきた。

 それが無理なときでも隙を作ってからの必殺攻撃で仕留めている。

 如何に力が強化されているとはいえ、少年の体格では質量も重さも足りず、体のバネだけでは充分な攻撃力を発揮できない。


 だからこそ少年は常に移動する。

 位置エネルギーや運動エネルギーをふんだんに利用する。

 そういう戦法を本能的に選び、好んでいるのである。


 だが、今回の少年は守りの戦いをしている。

 しかも相手を素通りさせないために空間遮蔽フィールドまで切っているから、少年の持ち味がすべて死んでいる。


「だったら、あんな鹿なんて放っておけば……」

「戦う理由を捨てるぐらいなら、最初から撤退を選んでいる」


 おそらく少年の中では、あそこを動いたら負けなのだ。

 一見、非効率的に見えるやり方も少年の中では一本筋が通っているのだろう。


 トロールは少年が定位置から動かないのを見て数歩下がり、燃えた部位を岩にすり付け強引に火を消してしまった。その程度の知能はあるようだ。


 現在、少年にはトロールを一気に焼き尽くせるような装備を与えていない。

 直接的な攻撃力が必要なら、セイケンがあれば事足りると考えていたからなのだが……。


「倉木君。セイケンの光刃で一気に仕留めてはどうだ?」


 俺は試しにミネルヴァを介して少年に指図してみた。

 セイケンを使えば少年のハンデもトロールの再生能力も一切関係ない。


「……神様、これは僕の戦いです。僕の()にさせてください」


 だが少年は俺の念話をはねのけ、再び飛びかかるトロールに相対した。


「やはり、か。そう言うだろうと思った」

「……どういうことよ?」


 俺の呟きにアレーネがが首を傾げる。


「あの子には最初から、トロールを殺す気がないんだ」


 少年の目的はトロールを殺すことではなく、屈服させること。

 トロールが諦めるか、少年が退くか。

 これは我慢比べなのだ。


 俺は口出しせず戦いを見届けることにした。


「この鹿は僕が仕留めた。そう簡単には渡さない!」


 少年の叫びとトロールの咆哮ほうこうが荒野にとどろいた。




 戦いはそれから一時間以上にも及んだ。

 馬鹿の一つ覚えで正面から打ちかかってくるトロール相手に、少年は松明や発火の短杖ワンドで傷口を燃やしたり、酸の入った瓶を叩きつけてダメージを蓄積させていった。


 一方、少年には傷ひとつない。

 息も乱していないし、最初に立ち止まった場所から一歩も動いていない。


 一発一発は小さいが、トロールは炎や酸で受けたダメージを再生できない。

 先ほどよりも動きが精細を欠いている。


「あっ!」

「終わったようだな」


 アレーネの叫びにミネルヴァが一声鳴いた。

 トロールが膝を突き、動かなくなったのだ。

 体皮のところどころは黒く焦げたり酸でただれて、再生が完全に止まっていた。


「僕の勝ちです」


 少年は傲然ごうぜんとトロールを見下ろした。


「信じられない……飢えたトロールは諦めを知らないのに」


 アレーネが呟く。

 それはつまり、トロールを限界ギリギリまで追い詰めた者がいないと言うことだろう。

 再生能力の高いトロールは、倒せる技量があれば殺すのが普通だ。


 少年はトロールがそれ以上襲いかかってこないのを確認すると、悠然と背を向けて鹿を空間収納インベントリに入れる。

 そのまま振り返ることなく、アレーネのもとに戻ってきた。


「大変お待たせしました!」


 少年は笑っていた。

 運動して一汗かいたら気持ち良かったと言わんばかりの笑顔だった。


「お、おかえり。すごかったわね」

「いえ、全部神様からもらった力のおかげですから」

「その神様ってさっきも言ってたけど、いったい何なわけ?」


 アレーネの問いに少年は何かを思い出したようにはっとして、ミネルヴァに向かっておずおずと向き直った。


「あ、あの……神様」

「なんだ」


 ミネルヴァが少年の瞳をのぞき込む。


「その。わがままに付き合わせてしまって、すいませんでした!」


 少年はミネルヴァに向かって頭を下げた。


 確かに。

 セイケンを使わないのはいいとしても、もっと戦いようはあった。

 例えば先に鹿を収納してしまえば、あのような立ち回りをせずとも高速戦闘でトロールの四肢を切断し、再生する前に首を刎ねることもできた。


「いや、よくやった。お前の踏ん張り勝ちだ」


 だが、仮想人格ミネルヴァは少年を誉め称えた。

 ミネルヴァの自我が俺の仮想人格と融合し、俺よりもまっすぐな考えを口に出すようになってきたようだ。


 ……まあ、それもよかろう。


「……はいっ!」


 少年は一瞬驚いたように顔を上げたが、すぐに満面の笑顔で元気よく返事をした。


 少年は結局、トロールを殺さなかった。

 殺人の忌避感を奪っても、彼の中に根付くルールまでは変えられなかった。

 価値観を奪われて尚、自分を曲げない。

 この少年は、一体どこまで俺の興味を掻き立ててくれれば気が済むのだろうか。


「……ミネルヴァが神様?」


 やりとりの一部始終を見聞きしたアレーネがぽつりと呟く。


「そうですよ」


 少年が何でもないことのように返す。


「嘘よね?」

「ほんとです」

「本当だ」


 少年とミネルヴァが、お決まりになってきた台詞に間髪入れず合いの手を入れた。


「えー……」


 アレーネが微妙な顔で肩のミネルヴァを抱き抱え、目を合わせる。

 ミネルヴァは抵抗するのも億劫おっくうなのか、されるがままになっている。

 俺が介入していてもそうしただろう。


「あ、そうだ」


 少年は何かを思い出したように鹿とナイフを取り出した。

 アレーネは何事かと少年の背中越しにのぞき込む。


「何してるの?」

敢闘賞かんとうしょうです。あのトロールもすごくがんばりましたから」


 少年はナイフで鹿の首を切り裂き、器用に血抜きする。

 このような職能も、セイケンからインストールされたデータのたまものだ。


 血抜きを終えた少年は鹿の頭を落とし、トロールに向かって放り投げた。

 トロールは目の前に落ちてきたごちそうに目を見開き、這いずって近づくと一気にしゃぶりつく。


「ふーん」


 アレーネが面白いもの見たとばかりに悪戯っぽく目を細める。


「そういうのって、自己満足じゃないかしら?」

「ま、まずかったですか?」


 ちょっと照れ臭かったのか、少年が頭を掻いた。


「さあ?」


 アレーネはくすくすと笑った。

 やがてトロールを迂回するように歩き始めたかと思うと、俯く少年を流し見た。


「私は好きかな、そういうの」


 肩越しに微笑む魔女は、俺のよく知るアレーネだった。

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