第二話「山賊の受難」
王都の警備が行き届かない場所には山賊が蔓延る。
どのような経緯でそうなったのかを追求する者はいない。
無法者は無法者、よくある話だ。
そして無法者が街道を旅する行商人や旅人を襲う。
これもよくある話である。
だが、うら若い村娘が護衛もつけずに王都に赴くのは。
これは、なかなかない話である。
だからこそ山賊も気合を入れて村娘をアジトまで攫ってきたのだ。
「へへ……久しぶりの女だよな」
「たまんねぇ……くへへ」
山賊のアジトがあるのは打ち捨てられた廃鉱だった。
歩くと鉄の匂いのする土煙が上がり、山賊たちの体臭で不快な臭いが充満している。
「あ、あああ……」
村娘はそれなりの広さのあるスペースに連れて来られていた。
十数人の山賊たちに取り囲まれて怯えきっている。
「お願いです、帰してください……!」
幸いなことに彼女はまだ無傷だった。
攫った当人たちも娘には手をつけずに我慢した。
山賊が博愛精神に富んでいたわけではない。
頭の許可を取らずに先を越したら、見せしめに殺されると知っていたからだ。
村娘の容姿は美しいというほどではないが愛嬌があってかわいらしい。
しかし、特別情感をそそるようなプロポーションというわけでもない。
むしろ娘は少女と呼んでも差し支えない年頃で、男の相手を務めるには若すぎる。
「そいつはできねぇ相談だぜ。俺たちはずいぶんとお預けなんだ」
だが倫理もへったくれもないような下衆には、悦ばせる材料にしかならないようだ。
哀れな少女の運命は既に決まってしまったのだろうか。
「わたしはどうなってもいいです。ですがどうか、この薬を母に届けるまでは……」
娘は病床の母親の薬を買って王都から帰る途中だった。
そうでもなければ街道を女ひとりで歩くなどという愚かな真似はしないだろう。
「へえ、泣かせる話じゃねーか」
上半身裸のスキンヘッドの巨漢がニヤリと笑う。
「おい、その薬を渡せ。そうしたら部下に届けさせてやる」
「頭! マジですかい」
頭と呼ばれたスキンヘッドは鷹揚に頷き、大物っぷりをアピールする。
子分たちも一斉に囃し立てた。
「……わかりました。お渡しします」
恐怖で怯える娘は雰囲気の熱に当てられたようだ。
一縷の望みに賭けて、娘はポーチの中から貴重な薬を取り出す。
それは皮袋だった。中身は薬草を粉末状にしたもので、彼女の母親の病気によく効くと医者に処方された代物だ。
少ない稼ぎをかき集めて、なんとか買うことができたのだった。
そして、袋を受け取った頭は……。
「そーれ」
袋のヒモを解き、袋を逆さにした。
薬の粉が無情にも地面にこぼれ落ちていく。
「ああっ、何を!!」
娘は駆け寄ろうとするが、子分に拘束されて地面に押し付けられてしまった。
「オレはな。絶望した女が泣き叫んでるのを甚振るのが好きなんだよ。悪いな嬢ちゃん」
下卑た笑みを浮かべる頭。
娘の愚かさを嘲笑う子分たち。
それを、娘の意識はどこか遠い場所で聞いていた。
――ああ、母さん。ごめんなさい。
娘の心は母への謝罪で満たされていた。
こんな男を信じて薬を渡してしまった自分の馬鹿さ加減に涙する。
そんな彼女の嘆きですら、男たちには興の肴でしかない。
「さて、と。お前ら、こいつを好きにしていいぞ」
「さっすが頭! 話がわかるぅ~!」
いよいよ、時が来た。
男たちが我先にと娘に群がり始める。
「やめて……触らないで!」
「おとなしくしな!」
誰かが娘の頬をはたいた。
娘が痛みと驚愕に目を見開く。
頬が赤く腫れ上がった。
どこか遠いところに意識を置いていた少女。
痛みで現実に覚醒した。
だがだからといって、できることなどない。
手足は男たちに拘束され、何もできずに衣服が無残に破かれる。
聞こえてくるのは男たちの哄笑ばかりで、いっそ耳を引きちぎってしまいたいと娘は願った。
だが自分に迫る理不尽な暴力の前に、少女はただ叫ぶことしかできない。
「誰かっ、誰かーっ!!」
「ははっ、叫んでも誰もこねーよ!」
少女の虚しき行為は、廃鉱に木霊するばかりである。
本来であれば、この声を聞き届ける者はおらず、よしんば聞いたとしても娘を助けに来る酔狂な者など、この世界にはいない。
だが。
「……いいえ」
今日だけは違った。
「ここにいます。たったひとりだけ」
落ち着いたアルトボイス。
山賊の屯する廃鉱に似つかわしくない、少年の声だった。
全員の注目が、廃鉱の入り口の方に向く。
そこには、ひとりの少年が立っていた。
「だ、誰だ! いつからそこにいやがった!」
「見張りがいたはずだ……どうやって侵入しやがった」
「珍妙な格好してやがる……イコクのモンか……?」
少年は山賊から見て明らかに異様な姿をしていた。
この世界の住人が知らないのも無理はない。
それは、ある世界でガクランと呼ばれる制服だったからだ。
「話は聞かせて頂きました。皆さん、間違っています!」
少年は多人数の大人……しかも剣や斧、メイスといった危険極まりない凶器を腰に挿した野卑な男たち相手に、臆することなく声を張りあげた。
「あぁん、なんだァ?」
「コイツ……よく見たらガキじゃねーか」
娘への暴行をひとまず棚上げにして、山賊たちは奇妙な闖入者に絡み始めた。
とはいえ、一番近い山賊でも十メートル――この世界には別の単位が使われているが、ここでは敢えてそう表記する――ほど離れている。
「弱い人を寄ってたかって傷めつける。悪の行為です」
山賊たちが知る由もないことだが、それは少年が最も忌み嫌う行為であった。
すぐに飛び出して行かなかったのは、頭が薬を部下に届けさせるという話を、彼も信じたからである。
「ハッ、ボクぅ~? これから俺たちは大人のお楽しみなんだよ」
「邪魔するってんならぶっ殺すぞ!」
「ママのおっぱいでもしゃぶってな! まあ、この女のがしゃぶりたいってんなら混ぜてやってもいいけどよ~」
順番待ちで遠巻きに見ていた山賊のうち三人ほどが入り口の方に向かう。
それぞれ特徴はモヒカン、舌ピアス、刺青。
たかが子供だと舐めているのか腰の武器を抜いていなかった。
「助けて……お願い…………」
娘の位置からは山賊たちが邪魔で少年の姿が見えていない。
それでも自分を助けに来てくれた者の存在を感知していた。
例え子供とわかっていたとしても彼女は縋っただろう。
「大丈夫です。すぐに終わりますから」
心強い言葉とともに少年は微笑んだ。
「あぁん? 何がすぐに終わるんだ? ええっ? 言ってみろ、コラ」
モヒカン男が少年の喉元を掴もうと手を伸ばす。
少年の戯言を黙らせ、苦痛に喘がせるつもりだったらしい。
だった、と過去形を使ったのには理由がある。
「……へ?」
モヒカンの伸ばした右手が、なくなっていたからだ。
手首から先が完全に消失している。
だというのに、痛みをまるで感じないことにモヒカン男は混乱した。
「ひっ……あ、あれ?」
少年から手を引っ込めると手は元通りになっていた。
モヒカンは不思議そうに手首を動かしたり、擦ったりしている。
「おい、何やってんだよ」
「いや、今、俺の手が……」
混乱するモヒカンに構わず、少年は目を伏せる。
「話してわかってもらえる……そんな幻想は、もう僕も抱いていません」
次の瞬間。
「あ、が……?」
舌ピアスの男が呻き、よろよろと崩れ落ちる。
「お、おい……」
「どうした、ガダナー……」
モヒカン男と刺青男が、倒れた舌ピアスに注意を逸らした。
その刹那。
少年は右手でモヒカンの、左手で刺青の腰にあった短剣を抜いて、持ち主の大腿にそれぞれ突き刺した。
「ぎ、あ――!?」
「いっ――!?」
少年は痛みに悶えて身を捩ろうと姿勢を低くしたふたりの頸部に、手刀を落とす。
意識を刈り取られたモヒカンと刺青は、舌ピアスの身体にもたれかかるようにして積み重なった。
他の山賊には何が起こったのか見えなかった。
少年は短剣を刺してから首への一撃までの流れるような動作を一瞬で済ませたのだ。
そもそもからして、舌ピアスが腹、首に一撃ずつ貫手を受けて倒れたことも理解できていない。
あっという間に山賊三人組を無力化した少年――倉木楓弥は。
「ですから皆さん。地獄で、後悔して下さい――」
子供特有の残酷な笑顔を浮かべた。
「こ、このガキ!!」
「なにしやがった!?」
混乱しながらも、倉木少年を脅威と認識した山賊が数名、各々の武器を抜く。
ロングソード、バスタードソード、ハンドアックス、バトルアックス、メイス、ダガー……いずれも手入れの行き届いていない粗悪なシロモノだ。
「何の冗談だよ、お前ら、オイ」
一方で、三人組の悪ふざけと勘違いしているのは、未だに娘に覆い被さろうとしている連中だった。
少年は優先順位を即断した。
――まずは、あの女の人を助ける。
人質に取られるかもしれないとか、そういうリスク計算は一切ない。
自分がしたいこと、すべきことがイコールなのだ。
少年が山賊たちの視界から消えた。
まるで違う時間を生きているかのように、少年は山賊たちの間を駆け抜ける。
「消えたぞ!?」
「どこに行きやがった!」
山賊たちが倉木少年の消失に驚愕し始める頃には、娘の近くの山賊に飛び蹴りが炸裂していた。吹き飛んだ山賊が衝撃に肺の空気を根こそぎにされて呻き、吹っ飛んで壁に叩きつけられる。
その光景を確認することなく、少年は空中で一回転してから着地。次なる獲物に向けて、駆け抜けざまに山賊のひとりからスリ取っておいた投擲用ダガーを数本、指と指の間に装備。軽く手を振るようにして投げつける。娘を押さえつけていた山賊たちのの右手、左足、右肩にひとり一本ずつ突き刺さった。
「がっ!」
「いてえっ!?」
「ぐっ!!」
ダガーの激痛に娘から離れた山賊たちに少年が襲い掛かる。
少年の右足刀が、右手を抑えて呻く山賊の左膝の骨を無慈悲に砕く。体勢が崩れ頭の下がった隙を少年は見逃さない。新たなダメージに叫ぶ暇すら与えず、延髄に右後ろ回し蹴りを叩き込んで沈める。
身長差を埋めるべく蹴りの勢いを利用して浮かび上がった少年は、空中で左回し蹴りを繰り出して、すぐ側にいた山賊の顎部を狙う。右肩のダガーを抜こうとしていた山賊は錐揉み回転しながら地面にキッスした。
左足の腿にダガーが貫通していた山賊は、尻餅をついて悲鳴を挙げていた。少年は気持ちゆっくりと歩み寄って、右のつま先で思いっきり山賊の顎先を蹴り飛ばした。山賊は仰け反ったまま気絶する。
こうして娘の周辺に群がっていた山賊は一掃され、ようやく周囲の連中も事態を理解した。
「こ、この小僧がやったのかよ、これ……」
「どういうことだ、オイィ!!」
状況を把握するのが遅すぎた。
七人がやられ、既に山賊たちは半壊している。
無論、最初からわかっていたとしても結果は変わらなかっただろうが。
「落ち着けお前ら! 全員で一気に行くんだよ!」
スキンヘッドの頭が檄を飛ばす。
彼も少年が只者ではないことを悟り、背中のグレートアックスを構えた。
倉木少年は上着のポケットから小さな石のようなものを取り出すと、泣き腫らす娘に向かって放る。
娘はキャッチできなかったが、自分の胸元に転がった石をおそるおそる手にとった。
すると石が俄に輝いて、娘を中心に光の膜が形成された。
「持ってて。それがあれば安全だから」
少年は優しい声で囁きかけた。
「あ、あなたは……」
娘が正気を取り戻し、破れた胸元を抑えながら半身を起こす。
「正義のヒーロー……になれたらいいなあ、って思ってます」
少年は自分の言葉に照れて赤くなった。
……いや、娘の胸が見えて興奮したらしい。
思春期とはいえしょうがないやつだ。
「この野郎、フかしやがって! 生きて帰れると思うな! 野郎ども、かかれぇ!」
頭の号令一下。
山賊どもは一斉に襲いかかる。