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第十七話「空転のアレーネ」

 宿の主人は少年を森のさえずり亭に運び込み、ふたつある客室の片方に寝かせた。スゥは看病を名目にちゃっかりくっついて入れてもらった。

 かくして、ふたりは森のさえずり亭への潜入を果たしたのだった。


「う、うう……」

「大丈夫?」


 少年が目を覚ますと、目の前にスゥの無邪気な笑顔があった。


「わわっ」

「いきなり寝ちゃうから、びっくりしちゃった」

「えっと、僕は……?」


 少年はスゥから事の顛末を聞いて、己のふがいなさに頬を掻いた。

 照れ隠しに見回した部屋の中は狭い。衣類の類をしまうタンスと私物を入れておく錠前つき宝箱チェスト以外には、少年の寝かされている堅いベッドしかなかった。

 そして、本来ならふたりを見守っているべき大人である宿の主人はいない。無駄に茶目っ気を利かせ、少年たちをふたりっきりしたのだ。


「えへへ。今日二回目のクーちゃん寝顔だ」


 倉木少年が気を失っていた時間は十分近かったが、スゥはそれほど心配していなかった。


「はいっ。どーぞ」


 そして、少年が起きたら渡すように言われていた水を差し出す。


「あ、ありがとうございます」

「ちょっとは落ち着いた?」


 スゥは飲み終わった倉木少年の頭を撫でた。


「え? あ、あの……」

「ごめんね。さっきはいきなりだったからびっくりしちゃって」


 さすがのスゥも少年が気絶した原因が自分だとわかっていた。

 謝罪しながら少年の頭を抱き寄せる。


「クーちゃんと姉弟みたいになれて、ほんとに嬉しい」

「……ぁぅ」


 もう駄目だった。

 この美人というほどでもない凡庸なる娘に、倉木少年は完全に参ってしまっていた。

 それが恋なのかどうかは少年にも俺にも判断がつきかねるが、好意であることに違いはない。


「きゃっ」

「すいません……」


 少年もついに自分からスゥの背中に手を回して抱きついた。


「いいよ」


 スゥは少年のリアクションに慈母のような笑みを浮かべ、心底愛おしそうにその頭を撫で続けた。




 こうなってくると、俺の中でもスゥに対する評価を変える必要がある。

 倉木楓弥には現在、世界ベイダへの代理干渉をさせている。

 異世界に単独で赴き長期間活動する彼のようなチートホルダーにとって、頑張る理由(モチベーション)は最も重要である。

 その中でも、現地で守るべき相手を作ることはかなり有効だと異世界召喚の統計により実証されている。


 これまでの倉木少年は元世界への帰還が最大理由だったが、それがここ最近、急速にスゥへと傾倒し始めている。

 少年は元世界よりも、こちらで過ごす時間に幸福を感じているのだから当然といえば当然である。

 少年が行きずりで助けた村娘が、ずいぶんと大きな位置を占めるようになったものだ。ただただ関心するばかりである。


 しかし、だからこそスゥに万が一にも死なれては困る。

 少々の介入リスクを背負ってでも、ここは――


「ねー。ミネルヴァってば」

「……む」


 創源ソウゲンで思索に耽っていた俺の意識がミネルヴァに吸い寄せられた。

 ミネルヴァは今まで眠っていたらしい。

 睡眠を邪魔され、少し不機嫌そうに主人アレーネを睨む。


「まだ来ないの? バーネラを倒したやつ」

「取り込み中だ」


 まあ、しばらくあのふたりは放っておいていいだろう。若い二人に任せて、というやつだ。


「子供、子供ねぇ……ほんとに子供なの? 未だに信じられないわ」


 仮想人格ミネルヴァから引き継いだ記憶によると、アレーネは森のさえずり亭に来てからというもの、ずっと愚痴を言いながら過ごしているようだ。

 俺の口車に乗ってリバーフォレストに来たわけだが、俺が手配した子供クラキがバーネラを倒したのだという話を未だに信用できていないらしい。

 バーネラという捌け口がなくなった分、今度はミネルヴァに彼女の鬱憤が飛び火してきているみたいだ。


「よく飽きもせず、同じことを何度も何度も言えるものだな」

「あいつとは、自分で決着をつけたかったのよ。貴方が余計なことをしなければ……」


 彼女とて、それが言っても詮無せんないことであると自覚はしている。

 自分の中でまだ整理がついていないのだろう。


「これが最善だ。俺に間違いはない」

「ほんと、自信過剰よね。貴方って」

「そうではない。俺の為すことはそのときそうは思えなくても、結果として必ず正しくなるよう因果が規定されている。それだけの話だ」

「それはそれで随分な言い方だと思うわよ……」


 あからさまに呆れた視線を送ってくるアレーネに、俺はミネルヴァに羽根を竦めさせることで応える。

 高次元領域に至っていない彼女に理解を求めたところで仕方ない。


 ちょうどそのとき、部屋の扉がノックされた。


「はーい、どちら様?」


 アレーネが誰何すいかする。


「あのー……すいません。倉木という者ですが」

「あとクーちゃんの姉のスゥですっ!」


 もう来たか。

 どうやら、お楽しみは子供らしくお預けにしたようだ。

 とっととねんごろになればいいものを。


「……子供の声」


 アレーネが小さく呟き、使い魔を見る。

 俺はミネルヴァに瞬きさせて合図する。


「今、開けるわ」


 アレーネが腰掛けていたベッドから立ち上がり部屋の扉を開けた。

 彼女の前に立っているのは、もちろん少年とスゥだ。


「あの……はじめまして。倉木楓弥といいます」

「お、おなじくはじめまして。リバーフォレストの、ええっと」


 倉木少年はやや緊張の面もちで、もじもじと自己紹介した。

 スゥも初めて見る魔法使いを前にうまく言葉が出てこないようだ。


 一方、アレーネは倉木少年を見たまま、表情を変えずに固まっている。

 だが突然、


「いい」


 と呟いた。


「……はい?」


 アレーネの妙な反応に、倉木少年が小首を傾げる。

 

「かわいいぃぃッ!」


 今度ははっきりそう叫んだかと思うと、いきなり倉木少年をがっしり掴んで部屋に引きずり込んだ。


「えっ?」

「へ?」


 一瞬の出来事だった。

 少年もスゥも反応できない。


「やっだーこの子かわいすぎぃ! クラキきゅんって呼んでもいいかしら!?」

「い、いやちょっと、その!」


 アレーネはだらしなく涎を垂らしながら、少年に頬摺りし始めた。

 彼女の豹変に少年はされるがままだ。


 そうか。

 この女、ショタコンだったか。


 それもまた良し。


「や、やめて。クーちゃんを離して!」


 スゥもアレーネの暴挙にしばし目を丸くしていたが、涙目になりながらアレーネの腕を引っ張る。

 だが、所詮は子供の力。アレーネは歯牙にもかけない。力を使っていない少年も同様で、大いなる母性の象徴たる双丘そうきゅうをこれでもかと押しつけられ、抵抗どころではなかった。


「今日は女難のようだな、倉木君」

「ふぇっ?!」


 俺はミネルヴァの口を使って話しかける。


「神様! た、助けてください!」

「ふむ、どうしたものか」


 俺としてはアレーネと少年を如何にうまく繋ぐかが悩みどころだったので、これはこれで都合のいい展開だ。

 強制契約ギアスを使えばアレーネを従わせる事はできるが、これはあくまで保険。今までも能動的な協力者に仕立て上げる方がうまく行っている。


「い、いや……やめて……っ」


 スゥが泣き出した。


 ふむ。

 彼女スゥは俺にとっても重要な要因ファクターとなった。アレーネの関係が悪化しても面倒だ。

 仕方がない。


「そこまでにしておけ、アレーネ」

「ひっ!?」


 アレーネが素早い動きで少年から飛び退いた。

 強制契約ギアスの刷り込みのおかげで、わざわざ契約印を発動する必要はない。

 見るがいい少年、しつけとはこうやる。


「主人がとんだ粗相をした。すまなかったな」

「うううっ……ひっく。もう帰ろう、クーちゃん……」

「だ、大丈夫。ほら、もう平気ですよ」


 俺の謝罪にも、なかなか泣きやまないスゥを少年が慰め始めた。

 スゥのスキンシップで慣れているせいか、少年の復帰が早い気がする。


「って……フクロウがしゃべってる!?」


 スゥの立ち直りも早い。

 子供というのは、何故こうもコロコロと表情が変わるのだろうか。


「コノハズクだ」


 スゥの間違いを訂正しつつ、俺は言葉を続ける。


「この女の使い魔のミネルヴァだ。もっとも、主人は魔力不足でろくな魔法も使えず、俺の制御もできぬ落ちこぼれだが……」

「お、おあずけ……おあずけいやぁ……」

「まあ、見ての通り残念な女だ」


 ミネルヴァが飛び立って、スゥの肩にとまる。

 これは俺が命令したのではなくミネルヴァ自身が勝手にそのように動いたのだ。 

 どうやらスゥを慰めたいらしい。


「彼女も相当欲求不満が溜まっていたのだ。どうか、俺の顔に免じて許してやってくれ」

「え、えと……うん」


 結果的にそれがよかったようだ。

 スゥはおそるおそるミネルヴァに触れ、かすかに笑った。


「あれ。私、ひょっとして悪者……?」

「見ればわかるでしょう」


 少年とアレーネは、いつの間にか普通に話していた。

 何が毒で何が薬になるか、わからないものである。




「申し遅れちゃったわね。私はのアレーネよ」


 なんとか正気を取り戻したアレーネは、ふたりを部屋に招き入れた。

 スゥはまだ少し警戒していたが、少年ともどもベッドに腰掛けている。


「それで、貴方たちが例の子供ってことでいいのかしら?」

「たぶんそうです」

「例の子供?」


 アレーネはふたりの反応を見比べて、俺が言っていたのが倉木少年の方だと気づいたようだ。少年の顔をまじまじとのぞき込もうとする。

 スゥが少年をかばうように抱き寄せて抗議するように睨みつけるが、アレーネはまるで動じない。


「ふーん……やっぱり信じられないわね。こんなきゃわいい子が……」

「涎を拭け」


 俺の指摘でようやく気づいたらしく、アレーネは慌てて口元を拭った。


「ええとその……アレーネ、さんは。わたしたちが来ることを知ってたんですか?」


 毒気を抜かれたスゥが率直な疑問を口にした。


「ええ、まあね」

「魔法使いってやっぱりすごいんだ……」


 素直に関心するスゥに、さすがのアレーネも微妙な顔になった。なにしろ、彼女自身にはほとんど何の力もないのだから。


「まあ、とにかく。貴方たちが来ることはミネルヴァが教えてくれたんで知ってたの」

「ほえー」


 スゥが如何にもよく分かっていなさそうな返事をした。


「それで、一応確認させてもらいたいんだけど」


 ようやく本題だ。

 アレーネは少年に視線を移す。

 先ほどから緊張した様子で黙り込んでいた少年が一瞬だけ肩を振るわせた。


「森で魔女を倒したのは、貴方で間違いないの?」

「……はい。間違いないです」

「本当に?」

「ほんとです。嘘はつきません」


 問答は実にあっさりしたものだった。


「はあぁぁぁ……」


 アレーネがため息をつきながら、床を見るように頭を下げた。


「あの、アレーネさ――」


 少年は何かを言いかけた。

 おそらく、実姉を殺害したことを気に病んで謝罪を口にしようとしたのだろう。


「悪いけど」


 だが、最後まで言い切る前にアレーネが言葉を被せた。


「まだ信じられないわ。実際に見てみないことにはね」


 アレーネが備え付けの宝箱から丸められた羊皮紙を取り出し、少年に渡した。


「あの、これは」

「地図よ。この集落からずっと東に行ったところに、ある死霊術師ネクロマンサーがひっそりと暮らしてる洞窟があるの。もちろん、そいつが使ってる儀式場もあるわ。赤く点をつけたあたりね」


 少年は地図を広げてアレーネの言葉を確かめた。

 スゥも隣で覗き込んでいる。


「だいぶ遠いですね」

「徒歩なら一週間ってところね」

「これが何か?」

「貴方に行ってきてもらいたいのよ」

「え?」


 地図から顔をあげた少年に、アレーネは人差し指を突きつけた。


「貴方が本当に魔女を倒したのなら、儀式場を破壊したのも貴方ってことになるわ。だから、貴方には私の儀式場を弁償する義務がある」

「あっ……ああああああああっ!!」


 まさか気づいていなかったのか、少年。


「だから貴方には死霊術師を倒して、代わりの儀式場を確保してきてほしい」


 アレーネが少年を見据えた。


「はい。僕は――」


 少年はすぐに返事をしようと口を開きかけたが、

 

「……って、貴方に頼めば、ミネルヴァは絶対断らないって言ってたわ」


 またもアレーネが遮った。


「アレーネ、何故種明かしをする? それは少年に言わなくてもいいことだ」


 俺はミネルヴァを使って冷静に指摘する。


「バーネラを倒した子供なら、死霊術師を倒すことぐらいは簡単だ。そもそも、儀式場なしではお前はただの役立たず……俺に協力するには儀式場は必要だし、お前にとっても都合がいいと言ったはずだ」

「さっき言った通りよ。信じられないって言ったでしょう? こんなかわいい子供に死霊術師のところに行けだなんて、死ねって言うのと同じじゃない!」


 だからこそ実際に力を見せる機会として、創源を使えばどうとでもなる儀式場の代わりを見繕ってやったというのに。

 視野狭窄しやきょうさくにも程がある。


「儀式場のことなんて別にいいわ。また適当に探せばいいし。この子がバーネラを倒したかどうかも、どうだっていい。貴方にもちゃんと協力する。文句ないでしょ?」


 ……やれやれ。

 これだから女は厄介だ。 

 どう動くか予想しづらく、ぎょしがたい。


「その子、大事な子なんでしょう? ちゃんと側で守ってあげなさい」

「え、ええと」


 自分ではいいことを言った気分になっているのだろう。

 アレーネはお姉さんぶった口調で諭した。

 これには少年も戸惑うばかりである。


(神様ったら、普通に言ってくれればよかったのに)

――アレーネに依頼させることに意味が……いや、もういい。我々で勝手にやるぞ。

(はいっ)


 まあ、責任を感じた少年が断るはずもない。

 アレーネがなんと言おうと、少年が死霊術師を滅ぼすことは確定したのだ。

 あとは適当に契約を盾にして、アレーネをついてこさせれば……。


 アレーネがご高説を垂れ、少年が苦笑し、ミネルヴァが呆れ、俺が今後の計画を巡らせている中。


「……どうしてみんな、クーちゃんを信じてくれないの?」


 スゥの小さな呟きが漏れた。

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