第十六話「スゥの幸せ」
ちょっと少なめですけど、投稿します。
ちなみに、スゥはメインヒロインに昇格しました。アレーネェ……。
宵闇の森での騒動から一夜。
リバーフォレストでは、いつもと変わらない静かな朝が始まる。
「クーちゃん、起きて」
スゥの素朴な微笑みが、倉木少年のまどろんだ瞳に映り込む。
「おはよう!」
「……おはようございます」
目をこすりながら少年が半身を起こした。
「クーちゃんがわたしより寝てるなんて、珍しいねっ」
スゥは自分が倉木少年を起こすことができて、ご満悦の様子だった。
少年は元から規則正しい生活をしていたせいか朝に弱いスゥよりも早起きしていた。
彼女が起こせる機会は貴重だったのだ。
「昨日はちょっと、いろいろありまして」
体の調子を確かめるように腕を回しながら、スゥに笑顔で応える少年。
いつものようにダネにも挨拶し、顔を洗い、着替えようと空間収納から服を取り出そうとして。
少年の手が止まった。
「……なぜ見てるんです?」
少年がジト目を送る先に、にこにこ笑いながら少年の様子を伺うスゥがいた。
「えっ?」
「いや、だから。着替えるから、後ろ向いててくださいって」
本当に意味がわかっていない様子のスゥにちょっぴり赤面しつつ、少年は抗議の声をあげる。
いつもならスゥが寝ているし、ダネは気を遣って席を外してくれるから着替えを見られる心配はない。寝坊が思いもしない弊害を生んだようだ。
「クーちゃん、ひょっとして恥ずかしがってるの?」
「当たり前じゃないですか!」
からかうように顔を覗きこんでくるスゥ。
慌てて目を逸らす少年。
「ふーん」
だが、彼の行動は「クーちゃんのお姉ちゃん」を標榜するスゥに新たな燃料を投下してしまった。
少女が悪戯っぽく笑う。
「でもわたしも、クーちゃんにおっぱい見られてるよね?」
「……っ! な、何を言い出すんですか!」
予想外の単語に慌てふためき、バランスを崩してベッドに倒れ込む倉木少年。
本人はM字開脚になっていることに気づいているだろうか。
「わたし、全然恥ずかしくないよ? クーちゃんに見られても」
む。
スゥ、それはいけない。
「ううっ……」
少年も男だ。
そこまで言われるとさすがにショックを受けたのか、がっくりと肩を落とした。
「だーかーらー。クーちゃんも恥ずかしがることないってば。ほらほら、早く着替える」
「ああっ、何するんですか!」
スゥはベッドに乗り込んで少年を脱がしにかかった。
少年は本気を出せばどうということもあるまいに、ロクな抵抗もせずに脱がされて下着姿にされてしまう。
「うううっ……」
あまりの恥辱に少年の顔を真っ赤に染めながら手で隠そうとしている。
どうやらスゥの胸を見てしまった罪悪感を思い出して抵抗できなかったらしい。
――愚かだな、実に愚かだ。
(か、神様っ、ひどい……っ)
――すまない。うっかり念話を送ってしまったようだ。
(絶対わざとでしょう? ううう……)
まあ、わざとだ。
俺の意見を率直に伝えることも時には必要であろう。
少年は涙目になりながら服を着替える。
異世界に降り立ったときに着ていたガクランではなく、リバーフォレストの職人が仕立ててくれた簡素な服だ。
持たせておいた布が役に立った形である。
いじける間もなくスゥにせかされ朝食の時間。
ダネが作った肉野菜スープを食した後、突然スゥが食卓から立ち上がった。
「クーちゃんも食べ終わった? じゃ、行こう!」
「へ? 行くってどこへ……」
「森のさえずり亭!」
その名は少年も既に見知っている。リバーフォレストに一軒しかない宿屋のことだ。
「行くのはいいですけど、食器ぐらい片付けましょうよ……」
「あっ、そうだね! ごめん母さん」
「いいよ、これぐらいなら。気をつけて行っといで」
ダネは満足気にふたりを見送ってから、テーブルの食器を片付け始めた。
「いいもんだねぇ……」
ダネはしみじみと幸せを噛み締めていた。
(病を患ってからスゥに無理させてきたし……これぐらいのどうってことないよ。今の自分達の笑顔は全部クラキがくれたもんだ。神様には感謝しないとねぇ)
少年がスゥを助けたのはたまたまだから、感謝される謂れなどないが。
一応、どういたしまして。せいぜい長生きするといい。
リバーフォレストは小さな集落であるが、世界を旅する吟遊詩人や木材の購入に来る商人などがやってくることもある。
『森のさえずり亭』という看板を下げた宿屋兼酒場ができたのは、そういった宿泊客を見込んでのことだ。
とはいえ、実際にいつも外部の客人がやってくるわけではない。
普段の『森のさえずり亭』はリバーフォレストの労働者たちの溜まり場であり、集落に住む人々が安酒とつまみをつつける憩いの場だ。
余談だが、ダネの快復祝いも『森のさえずり亭』で催された。集落のほぼ全員が参加したため少年が挨拶していない住人はもういない。
そんな地元密着型の宿に珍客が現れた。
彼女は吟遊詩人でもなく商人でもない。黒いローブ姿は明らかに魔法使いだった。
リバーフォレストなどの迷信深い田舎において、魔法使いは歓迎されない。もっとも、魔法を使わなければ問答無用で追い出されることも少ないのだが。
女は普通に宿賃を払ってパンと酒を買った。
最初はみな警戒していたが、物珍しさからあっという間に噂が広まる。
リバーフォレストの全員に話が伝わるまで一時間とかからなかった。
「宿に魔法使いの女が来た」
これを聞いて目を輝かせたのがスゥである。
「クーちゃんだって、こっちに来てから魔法使いに会ったことないでしょ。わたしもね、初めてだから見に行きたいの」
宿への道中、スゥはしゃべり通しだった。
「でも、そういうの危ないんじゃないですか?」
「だからクーちゃんを連れてくの!」
聞きようによっては酷い発言だが、もちろんスゥに悪意はない。
あるのは純粋な信頼だけだ。少年も苦笑している。
(神様、宿屋にいるのってアレーネさんでいいんですよね?)
−−そうだ。くれぐれも名前を呼んだりするなよ。彼女はお前のことを知らない。
(はいっ!)
−−わざわざここまでお膳立てしたんだ。ミスはするな。
(わがままを聞いてくださって、ありがとうございます!)
スゥがついてくるのはハプニングだったが、許容範囲だ。
少年はもともと、宿の彼女と再会する予定なのである。
森のさえずり亭は他の家よりも一回り大きい、丸太で組み上げたロッジのような作りをしている。
扉の近くでは数人の男たちが聞き耳でも立てていた。
「あっ、クラキ」
男のひとりは倉木少年とも仲のいいウッドエルフだった。
この後は狩りにでも行くのか、狩猟弓を背負っている。
「おはようございます。何してるんですか?」
「ここは危ないぞ。スゥも帰った方がいい」
「えーっ!」
突然の勧告にスゥは大層不服そうな声をあげた。
「アレー……魔法使いの人が、何かしたんですか?」
「いや。でも何かあった後じゃ遅いだろう? もし暴れだしたら矢を食らわしてやろうと思って、こうしてみんなと見張ってるんだ」
それが自分の役目だとばかりに胸を張るウッドエルフ。
自信があるのだろう。彼はリバーフォレストの中なら一番の弓の使い手だ。
「それじゃ、魔法使いさんには会えないの!?」
「駄目だ駄目だ。ふたりとも、家に帰るんだ」
少年たちは大人たちにすげなく追い返されてしまった。
「うーん、どうしましょう」
「こんなのってないよ!」
スゥはおかんむりの様子だったが、少年の方は慌てない。
アレーネはしばらくリバーフォレストに逗留させることになっている。
リバーフォレストの大人たちの警戒が解けてからゆっくり合流しても、何の問題もないのだ。
だが、もうひとりの少女は違った。
「ねえ、裏口から侵入しちゃわない?」
「えっ!?」
ここにきてスゥが大胆なことを言い出した。
「でも、怒られませんか?」
「そんなの、山賊に捕まったときに比べればどうってことないもん。さ、行こ! こっちだよ」
少年の答えを聞く間もなく、スゥが森のさえずり亭を回りこむように走りだした。
(か、神様……)
――イレギュラーだな。判断は任せる。
少年はほんの少し逡巡したが、すぐに追いかけた。
行くにせよ止めるにせよスゥに追いつかなくてはならない。
裏口は正面より小さな木製の扉だった。
近くには薪や野菜の入った樽などが並べられていて、頻繁に出入りする人がいるのか錠前はかかっていない。
宿の者が休憩する時に使うのか、切り株の上には飲みかけのエールの入った木製ジョッキが置かれていた。
「ねえ、よしましょうよ」
少年はスゥを止めることにしたようで、説得を試みた。
「でも、このまま帰るのってなんか悔しいよ」
だが、スゥの意志は固い。
ふざけたりせず、まっすぐに少年の視線を受け止める。
「クーちゃんに会ってから、どんどん世界が広がってて……それをここで止めたくないの。お願い、クーちゃん」
ただの村娘に過ぎないスゥにとっては刺激的な日々が続いている。
初めての連続に正常な判断ができなくなっているのだ。
大人であれば、生き急ぐ若者をここで諭しただろう。
だが、少年は子供だった。
「わかりました。皆さんにはふたりで謝りましょう……ね、姉さん?」
「……クーちゃん!」
瞬間、スゥは魔法使いのことなどどうでもよくなった。
その感激をストレートに少年に伝えるべく、両手を大きく広げたかと思うと少年をおもいっきり抱きしめた。
「あっ、ち、ちょっと……!」
「好き。クーちゃん、本当に大好き! ずっと一緒にいてね!」
しつこいようだが、これでもスゥに恋愛感情はない。
いや、ある意味ではそれを飛び越えて深い愛情を抱いていると言えるかもしれない。
ともかくスゥの行動と言葉に少年は顔を真っ赤にしてパニックを起こし、動けなくなってしまった。
案の定、少年にはハニートラップ耐性がない。
こんなことでは魔痴女を相手にできないだろう。
やはり少年の成長を阻害してでもスゥとカップリングすべきなのではないか……。
「……あー。お前ら、何しとん?」
飲みかけのエールを思い出して取りに来た宿の主人が裏口から出てきた頃には、少年は目を回して気絶していた。




