第十四話「絶対の格差」
オーガマジシャンは小屋に向かっていた。
部下たちのものと思しき悲鳴が次々と聞こえてきたからだ。
バーネラはアレーネが見つかったら連れて来いの一点張りで、儀式場から動こうとしなかった。
だが、オーガマジシャンに不満はない。
バーネラは強く、残酷で、強大な力を持っている。
彼にとって尊崇の対象であった。
「なん、だ?」
オーガマジシャンは小屋へ向かう途中、前から歩いてくる小さな影を目撃した。
部下のゴブリンだろうか。
いや、それにしては頭が小さすぎる。
「にんげんの、こども……? うま、そう」
エルフではないが、人間の子供もうまい。
御馳走が歩いてくる光景に涎が垂らす。
だが、彼はオーガではなくオーガマジシャンだった。
本能と食欲に支配されそうになった頭を、すぐに理性で制御する。
子供が歩いてくる方向には、小屋があったはずだ。
悲鳴が聞こえてきたのも、そちらからだ。
部下があんな子供にやられたとは到底信じられないが、あの子供が生きてこちらに向かってきていること自体がおかしい。
オーガマジシャンは、油断しないことにした。
「えあ、ふぉーむ」
オーガマジシャンは生来、擬似的な魔法能力を持つ。
いくつかあるが、透 明 化と暗闇生成以外はいずれも一日に一回しか使えないので、使用する場面は慎重に選ばねばならない。
今回は体を空気化する魔法能力を用い、宙に浮かび上がった。
先ほどまで歩いていた子供が、こちらに向かって走ってくる。
その手には不釣り合いな鉄のメイス。
なにかの血に塗れていた。
「やは、り」
オーガマジシャンは己の判断の正しさに頷いた。
この子供は獲物ではなく、敵だ。
迷わず、誘眠の擬似魔法を使用する。
オーガマジシャンが腕を掲げて印を組む。通常の魔法は詠唱と動作を必要とするが、擬似魔法の場合は動作だけで良い。
だが、子供は高い呪文抵抗能力を持っており、彼のスリープはあっさり打ち消されてしまった。
それでも、オーガマジシャンは慌てない。
自分は飛行している。子供か接近してきたところで攻撃は届かない。
仮に弓などの遠隔攻撃で攻撃されても、物理攻撃を透過できる空気形態になっているから安全だ。
いざとなれば透 明 化を使って逃げればいい。
――……と、あのオーガマジシャンは考えている。
俺はオーガマジシャンの思考を余すことなく少年に伝える。
(そういうことでしたら!)
子供……いや、倉木少年は空間収納から短杖を取り出し、左手に装備した。
もちろん、発火の短杖などではない。
「くらえっ!」
少年が短杖を振るうと、突風がオーガマジシャンを襲った。
「ウゴオオオオッ!!」
オーガマジシャンの顔が苦痛に歪んだ。
突風の短杖は本来なら相手の体勢を崩したりする程度の効果しかないが、オーガマジシャンは空気形態を使っている。この魔法は物理攻撃に対しては圧倒的な防御力を得られるが、強風に弱くなる。自分の体をバラバラに吹き飛ばされてしまうからだ。
空気形態の最大の弱点を的確についた、倉木少年の見事な判断だった。
「グウウッ!」
とはいえ、さすがは上位のモンスター。オーガマジシャンは、この程度では参らなかった。
悔しげに空気形態を解除すると、全身が血だらけのオーガマジシャンが物質化する。
満身創痍ながらも背中に背負った両手剣、グレートソードを抜く。勿論人間サイズではなく、オーガ用のサイズだ。八相に構え、少年を待ち受ける。
オーガの間合いは、人間よりもはるかに広い。
ましてや相手は子供。
少年が自分の間合いに入るより先に、真っ二つにできる。
――と、あのオーガマジシャンは考えている。
(どうでもいいですけど、なんかこれズルくないです?)
――ズルくない。
何故ならオーガマジシャンはただ待ち受けるだけでなく、一時的にグレートソードを片手に持ち替えて自分の持つ最大の擬似魔法を放ってきたからだ。吹 雪。オーガマジシャンから少年に向かって一陣の白い風が吹き荒れた。落ち葉を舞い上げることなく凍りつかせながら少年に迫る。
無論、呪文抵抗と空間遮蔽を抜くことができるはずもない。擬似魔法を見た瞬間にそれを理解していた少年は、迷わず真っ直ぐ突っ込んでオーガマジシャンの間合いに踏み込んだ。
「なめ、るな! この、ちびすけが!」
己の最強魔法が突破されて尚、オーガマジシャンは己が負けるなどとはついぞ思っていなかった。氷結魔法で体の動きが鈍った少年のメイスの射程に入る前に、圧倒的パワーで叩き切る。彼の頭の中にあったのはそれだけだ。実際は寒さすら遮断され何の効果もなかったのだが、彼は気付かなかった。
左から右にかけて横に薙ぎ払われる力任せの斬撃。少年は迷うことなく、その斬撃に飛び乗った。
振り抜かれた剣の上に少年が乗っているとは思わず、オーガマジシャンは視界から消えた少年の行方を首を巡らせる。その間に長い刀身の上を駆け抜け、腕を経由して肩に飛び乗り、オーガマジシャンの右耳目掛けてメイスを叩きつける少年。
「ッ!?!」
オーガマジシャンは声ならぬ声をあげ、膝を折った。頭の中をかき乱されるような痛みと、鼓膜が破れたときのショックで朦朧としている。少年は綺麗に宙返りしながら地面に降り立った。
奇妙だ。
少年の膂力なら、オーガマジシャンの頭部を爆散させる程度は造作も無いはず。
わざと手加減をしたようだ。
「……僕のこと、チビって言いましたね?」
少年は膝立ちのオーガマジシャンにつかつかと歩み寄りながら、にっこり笑った。
ああ、そういうことか。
オーガマジシャンは余計な一言のせいで、楽に死ぬ機会を失ったらしい。
「人が気にしてることを! 許しません!」
少年の右手がブレた。メイスを振り抜かず、太鼓を叩くような要領で高速かつ執拗にオーガマジシャンの大腿を叩き続ける。
「グウウッ」
たまらず大腿を庇おうと体を丸めるオーガマジシャン。少年はそれが狙いとばかりに全身を滅多打ちにした。腰、鳩尾、肩甲骨、二の腕、敢えて頭を狙わずそれ以外の部位を破壊していく。
「オ、ア……」
オーガマジシャンは自慢の外皮を次々とへこませながら、血の海に沈んだ。
終わりだ。
――脳と耳朶に深刻なダメージ、及び全身打撲か。死んだほうがマシだな。
(この人が悪いんですっ)
少年はオーガマジシャンをボコボコにしても、怒りが収まらないらしい。
俺も余計なことを言わないほうが良さそうだ。
ぷんすか怒りながらも、ちゃっかりオーガ用のグレートソードを回収するあたり、少年のコレクター精神は相当のものなのかもしれない。
――そういえば君は、打撃武器が好きなのか?
(狙う場所によって殺すか殺さないか、決められそうですから)
斬撃や刺突では、出血で相手を死なせてしまいそうだから、だそうだ。
そういえば山賊戦のときも、ナイフは突き刺したままにして出血を抑えていた。腕を斬られた奴も一応止血していたから、嘘ではないのだろう。
少年の力でやられたら打撃でもショック死することはあるだろう、という至極当然のコメントは控えることにする。
まだ、夢を見てもいい歳だ。
――なら、セイケンをそのまま使ってもいいのではないか?
(あんまり汚したくないんです。神様にもらったものですし……)
そこで赤面してモジモジされると、こちらもどう反応していいかわからない。
「さっ、バーネラをやっつけにいきましょう!」
少年は残ったボス目掛けて駆けだした。
儀式場からは、何やら不気味な魔力が立ち上っていた。
台座を囲む石柱を囲い込むようにして、黒く、淀んだ靄がうねっている。
もちろん、台座の目の前で冒涜的な呪文を唱えているのはバーネラだ。
「……子供?」
――見た目に騙されるな。中身は正真正銘、邪悪の権化だ。
少年は木々に身を隠しながら、バーネラの様子を伺う。
(神様。あれは、何をしているんですか?)
――儀式の下準備だな。おそらく、あそこでアレーネを生贄に捧げるつもりだ。
(そんなこと、させません)
少年が共有した記憶の中には、バーネラが如何に吐き気を催す邪悪であるかという、アレーネとの会話も含まれている。
よって、少年が説得を試みたり、アレーネと仲直りさせるなどという愚挙を頭に思い浮かべることはない。
少年は、空間収納から無言でスタッフスリングを取り出した。
先ほどと同じように、暗視の有効射程外から直接狙撃を試みるようだ。
少年はスタッフスリングのゴムを引き絞り、髪を振り乱しながらハッスルしているバーネラの動きが止まる、その一瞬をじっと待つ。
「ぱぁるうぅぅぅッ!」
それまで激しいダンスを踊っていたパーネラが、天を仰ぎ見るように両手を広げた。
(……今だ!)
最善のタイミング。
ベアリング弾が空を切りながらバーネラの顔面へと吸い込まれていく。
少年の射撃は、狙いもタイミングも完璧だった。
だがバーネラの頭を吹き飛ばすはずだったベアリング弾は、石柱のひとつに命中……打ち砕いた。
(避けた!?)
――直感で回避したようだな。
見れば、バーネラはブリッジして弾道を回避していた。
魔法的、呪術的に強力な存在や一部の盗賊などに不意打ちは通用しない。
あの魔女も例外ではなかったようだ。
「なんなんだいいぃ、お前はあぁ?」
バーネラはすぐさま跳んで、四つん這いになった。そのまま、かさかさと這うような姿勢で接近してくる。速い。蟷螂を捕まえたときの瞬発力からして、白兵戦でも侮れない相手だ。
バーネラは身体硬化魔法を唱えた。四つん這いでも使用できていることから、動作省略のアレンジを加えてあるようだ。これによって鱗状鎧と同等の防御力を備えることになるが、倉木少年からしてみればだからどうしたという話だ。
少年は足を止め、敢えてバーネラを待ち受けた。しっかりと腰を落とし、メイスを構える。
「フシャアアア!」
バーネラはすぐさま襲いかかろうとせず、口から火炎の魔法を噴射してきた。無論バーネラは少年を焼き殺すつもりだが、空間収納によって熱と炎は届かない。
「このっ!」
炎によって視界は閉ざされたが、同期視覚によって位置情報をロストすることはない。少年は一気に踏み込んで、必殺のメイスをバーネラの頭頂めがけて振り下ろす。しかし、バーネラはまたも少年の高速に対して直感で反応した。地面についた手足のバネで急激に飛び上がり、樹上へと逃れる。
「ヒーッヒヒヒヒ! 坊やあぁぁ、アンタすごいねえぇぇぇッ!!」
虫のように木の幹を這いまわりながら、少年を見下ろす魔女。空を切ったメイスをしまいながら、樹上のバーネラを見上げる少年。
「その身のこなしいぃぃ、只の子供じゃあああ、ないねええぇぇぇ……?」
最初の狙撃と交錯を経ただけで、バーネラは戦いを仕切り直した。
白兵戦では少年に敵わないことを即座に悟ったのだ。
「何者だいぃ?」
この不快ながらも油断のならない相手に、少年も如何に攻めるか頭を巡らせている。
「通りがかりの者です」
「ヒーッヒヒヒヒ! 嘘がヘタだねええぇぇぇッ!!」
バーネラが嘲笑とともに手印を切り呪文を詠唱した。
それは冒涜的な呪語だった。自動翻訳の対象外なので、幸い少年が言葉の意味を解することはない。それでも不快な響きと気配に顔を顰める。詠唱が終わると、バーネラを中心に光が弾けた。
「これはっ!?」
それらは避ける間もなく少年へと吸い込まれていくが、何も起こらない。
「さあ、どうだいぃ~?」
「どうだい、と言われましても……」
勝ち誇るバーネラに、少年は困惑するばかりだ。
「おやあぁ? おかしいねえぇ……」
そんな少年を見て、魔女も首を傾げる。
――前にも言ったが、魔女は厄介な能力を持っている。
(今のが、そうなんですか?)
俺は改めて魔女について少年に説明した。
魔女が最も得意とする魔法は、幻惑と心術。
外見を欺き、心を惑わすことこそが魔女の真骨頂である。
見た目からは想像もできない膂力と鋭い毒爪など、オマケのようなものだ。
(つまり、バーネラさんが使った魔法は僕に幻を見せる魔法?)
――いや、今のは魅了魔法だな。どちらにせよ、君には効かない。
既にオーガマジシャン戦でも披露したとおり、クラキ少年にはセイケンによる絶大な呪文抵抗能力が付与されている。この世界の魔法程度なら、有害だと判定された時点で打ち消されてしまう。
今回のような精神作用の魔法なら、精神遮蔽によっても防ぐこともできる。こちらは魔法以外にも凝視攻撃などにも防御効果を発揮する。
「ヒーッヒヒヒヒ! とんでもない奴が来たもんだねえぇぇ、クーヒヒッ!」
何が可笑しいのか、バーネラは樹上にぶらさがりながら腹を抱えて笑い出した。
「でもだねええぇぇぇぇッ、あたしもぱぁるを前にして逃げるわけにもいかないのよねえええええぇぇぇぇぇッッ!!」
バーネラが跳んだ。樹から樹へ、枝から枝へ飛び移り、少年を翻弄しようとする。この際、自分の分身を幻影として何体も投射して本体がわからないような工夫も施されていたが、勿論少年には何の効果もない。
バーネラは変則的な動きで少年を囲いながら、爆裂火炎球の魔法を何発も繰り出してきた。火球が地面に炸裂するたび、少年を巻き込んで吹き荒れる炎。落ち葉が燃え上がり、広葉樹林が燃え盛る。
「ケーヒャーッヒャッヒャッヒャ!! さあさあ、どうするどうするねええええぇぇぇぇッ!!」
バーネラは、この三次元爆撃殺法に手応えを感じているようだった。確かにこの世界に数多存在する魔女でも、ここまで素早い者はいない。強力な魔法を連発してもまるで限界を見せない魔力といい、一体どれほどの魂を捧げてきたのやら。
バーネラは確かに強力な存在だ。
それはしかし、この世界を基準にした時の話。
(…………)
――倉木君?
倉木少年の心の声が、先程から聞こえない。
ただ、少しずつ沸き上がってくる感情は伝わってくる。
これは……怒りだろうか?
俺が創源で首を傾げた次の瞬間。
少年の姿が、消えた。




