第十三話「旋風のクラキ」
無双回です。
一陣の風と化した倉木少年は、宵闇の森をひた走る。
邪魔な木々を空間遮蔽で透過しながら、まっすぐに。
動物たちからリアルタイムにもたらされる情報によって、少年は一切迷うことなく目的地に向かう。
バーネラたちの位置情報も含め、森の情報は完全把握している。
広葉樹林の闇の中、松明も持たずにいられるのはそのおかげだ。
少年はまず小屋でも儀式場でもなく、アレーネにもっとも近いゴブリンのペアへと突貫する。
「バザ!?(なんだ!?)」
ゴブリンが叫んだのと、そのゴブリンの胴体が激しい爆音とともに四散したのは、ほぼ同時だった。
倉木少年の攻撃はシンプルだ。
走った勢いのまま、ゴブリンの胴体を槍で突き刺す。
それだけだ。
ただ時速百kmを超えるスピードで突撃を敢行した結果、ゴブリンは歩いていた場所から十数メートルほど吹っ飛んで木に衝突、原型を留めない肉塊と化した。
少年が使った武器はショートスピア。山賊のアジトで調達した戦利品のひとつだ。
投げ槍として使える片手用の槍を、今回は両手で構えている。
運動エネルギーと位置エネルギーを一点に集中できるが、先の攻撃に耐えられず、先端が折れてしまっていた。
だが、少年は構うことなく、もう一匹に向かって折れた穂先を残った柄ごと投げつける。
「グゲ!?」
刃先がなくとも、それで充分。
ゴブリンは槍の残骸が首に突き刺さり、血の泡を吹いて倒れた。
ゴブリンの死を見届けた少年はスピードを緩めながら、次の集団へと向かう。
次は、ホブゴブリンが二匹に、ゴブリンが三匹。
全員、先ほどの爆音で警戒していたが、高速接近する少年を見てぎょっとする。
一瞬の隙だが、少年にはただの棒立ちに見えた。
今度は、グレートアックスを取り出す。
川の水で血糊を洗い流したので、新品同様の輝きを放っていた。
まず、斥候として突出していたゴブリンの上半身が粉微塵に吹き飛んだ。
少年はすり抜けざま、無造作に大斧を振るっただけだ。
それでも膂力、速度、質量を伴った強烈な一撃なのだから、まともな生き物が受ければ爆発四散するのが道理というものだ。
今度は残りの集団に向かって、大斧をなぎ払う。
落ち葉を巻き上げながら迫る破壊の暴風に、ホブゴブリンたちは反応すらできなかった。
ミキサーにかけられた挽き肉のように、周囲の木々を赤く彩る。
ここで少年はようやく、足を止めた。
(神様。アレーネさんに早期接触する可能性のある集団は殲滅しましたっ。あとは……)
――小屋周辺に残っている勢力、だな。そこを潰せば、バーネラとオーガマジシャンにすぐ合流できる敵はいなくなる。
(わかりましたっ! 僕は小屋に向かいます)
これは倉木少年にとっては、戦いではない。
狩猟だ。
必要なだけを狩り、追い詰め、収穫するのみ。
少年は小屋の近くまで到着すると、木の陰に身を隠す。
アレーネの小屋は、オーガによってバラバラに破壊されている。
既に動物たちの同期情報でわかっていることだったが、少年は歯噛みした。
(……アレーネさんは、あの小屋で本を読むのが好きだったんですよね)
――そうだな。
(不思議です。僕は直接知ってる人じゃないのに……)
少年はミネルヴァの記憶を通して、アレーネに感情移入している。
彼女と過ごしたミネルヴァの二週間は、彼とアレーネの二週間でもあった。
それ故に、少年はオーガ達に怒りを燃やす。
――記憶の共有とは、そういうものだ。もっとも、同じ記憶でも人によって受け取り方は違う。
(そうそう、強制契約なんて、かわいそうですよ。あとで解除してあげてくださいね?)
本当ならそのあたりはボカす予定だったのだが、緊急だから仕方がない。
水浴びのシーンだけは、あらかじめ削除しておいて正解だった。
「小屋の近くにオーガが二匹、少し離れたところにホブゴブリンが二匹。ゴブリンは結構散らばってますね……五匹ですか」
言いながら、少年はスタッフスリングを取り出した。
わかりやすく言うなら、パチンコだ。
もっとも、少年が身体強化を使った時の筋力用に調整した特別製だが。
少年は専用ベアリング弾を装填し、群れのはずれの方にいるゴブリンを狙い、限界までゴムを引き絞る。
他のゴブリンたちの視線が標的を向いていない絶妙のタイミングで、ベアリング弾を発射した。
それは、無音の砲撃だった。
くしゃっと果実を握りつぶしたときのような小さな音とともに、ゴブリンの頭部が爆ぜる。
残った体が倒れた音にも、他のゴブリンは気づかない。
同じ調子で群れから外れたゴブリンを仕留めていく倉木少年。
だが、四匹目の胸部に大穴を開けたとき、ホブゴブリンがたまたまそちらを振り返った。
「ビッ! デギュザ!(なにっ! 敵襲だ!)」
ホブゴブリンは一声叫ぶと、彼ららしい訓練された動きで周囲を警戒し、木を遮蔽にした。他のホブゴブリンもそれに習う。
オーガは敵はどこかと、無闇矢鱈に咆哮していた。
彼らの暗視はおおよそ二十メートル。その外側から狙撃している少年の姿を視認することはできない。
少年は慌てることなく標的をオーガに切り替えた。
目一杯に引き絞り、射撃。
「パガッ」
オーガが奇妙な声をあげた。
少年が狙ったのは、目だ。
オーガは分厚い外皮に覆われているが、目は無防備である。
ベアリング弾はオーガの右目から侵入し、その回転でもって脳をぐちゃぐちゃに破壊した。
オーガは自慢の近接戦闘力を発揮することなく、一撃の下に葬られた。
隣の仲間が倒れたことに気づいたオーガが、少年のいる方へ走りだした。
ベアリング弾の速度は視認できないほどではないから、弾道を追ってきたのだろう。
生き残りのゴブリン、ホブゴブリンも向かってきている。
少年はスリングをしまい、跳躍した。
忍者のように枝を渡りながら、彼らの視界に入らないよう樹上に潜伏する。
少年は付近に走ってきたオーガたちを、上からじっくり観察する。
そして、ホブゴブリンが真下に来た瞬間、ふわりと宙に身を躍らせた。
少年はセイケンの落下速度抑止機能をカットし、重力を上乗せしたメイスをホブゴブリンの脳天めがけて振り下ろした。
悲鳴すらあげずに頭部を陥没させたホブゴブリンは、そのまま地面に勢い良く叩きつけられる。
危なげなく着地した少年に、今度はゴブリンが首根っこを掴まれた。
「クギャッ!?」
少年はもがくゴブリンに構わず、ホブゴブリンとオーガがやってくる前に再度跳躍。
もちろん、ゴブリンも一緒にだ。
「バンジャザ! ギッタギビモザ!?(なんてやつだ! 一体何者なんだ!?)」
ゴブリン語で驚きの叫びをあげるホブゴブリン。
だが、その言葉に対する返答はなく。
代わりとばかりにホブゴブリンめがけて、先ほどのゴブリンが落ちてきた。
いや、飛んできた。少年がゴブリンの体を投擲したのだ。
「ギャギ!!」
「ググガ……!」
ホブゴブリンとゴブリンがもつれ合って倒れる。
この時の衝撃で、ホブゴブリンは右足、ゴブリンが肋骨をもっていかれた。
「ババ、ベ!(馬鹿が、どけ!)」
ホブゴブリンが痛みに悶たのは一瞬。
ゴブリンに文句を言いながら顔を上げると、今まさにオーガが少年に襲いかかるところだった。
オーガの武器は樫の木で作った巨大な棍棒、グレートクラブだ。
オーガの膂力は凄まじい。殴られた大抵の人間は赤いペーストに変わる。
「ウガアァァァ!」
野蛮な叫びとともに、オーガが少年に向かってグレートクラブを思いっきり振り下ろした。
少年はそれに対して、武器を構えるでもなく、ただ左手を掲げるのみ。
オーガは知能が低いなりに、勝利を確信していた。
彼らオーガは、腕力だけには絶対の自信があるのだ。
ずん、という音とともに地面が陥没し、落ち葉が吹き荒れた。
凄まじい衝撃に木々も一斉に葉を落とし、吹雪の如く舞い散らせる。
だが地面が陥没したのは、グレートクラブが少年を叩き潰したからではない。
少年がオーガの体重と怪力の乗った一撃を、左手だけで受け止めたからだ。
少年自身は涼しい顔で立っており、彼の周囲だけがクレーターのようにくぼんでいた。
「ガ、ガ……」
オーガは慌てた。
オーガがどんなに力んでも、グレートクラブがビクともしないのだ。
――空間遮蔽を使えばいいだけだろうに、無茶をする。
(力がどれぐらいなのか試すのに、良い相手かなと思っちゃいました)
俺の突っ込みに小さく舌を出しつつ、少年はオーガがグレートクラブを自分の方に引き寄せようとした瞬間を見計らい、クラブを勢い良く押し上げた。
バランスを崩したオーガが、大きくのけぞる。
「よっと」
少年はまるで散歩に出かけるような足取りでクレーターから脱出し、無防備なオーガの右膝に向けてメイスを叩きつけた。
「ウゴアアアアァァァァッ!!」
オーガが悲鳴とともに、背中から地面に崩れ落ちる。
少年は更に左足首もメイスで破砕。オーガの移動力を完全に封じた。
それでも足りないとばかりに、今度はオーガの胸に飛び乗って、瞬時に両肩の骨を砕く。
オーガは苦痛と衝撃に咆哮することしかできない。
山賊から奪ったメイスは、その骨砕きの機能を存分に発揮していた。
「これも、もらいます」
少年はオーガが取り落としたグレートクラブまで収拾した。
――前から思っていたが、武器を集めるのが好きなのか?
(はい! それに使えそうなものは使わないと、もったいないですよ。あとで他の武器もちゃんと拾いますからねっ)
少年はまだ見ぬ武器にときめきつつ、今度はホブゴブリンたちの方へ向かう。
「ズグギス……(強すぎる)」
ホブゴブリンは完全に士気崩壊し、鬼神の如き少年に戦いた。
ゴブリンは這う這うの体で逃げ出そうとしていたが、少年のメイスに頭を叩き割られて沈黙する。
「グリラセネ。ヨグセグラリザバギンデグベゾ(すみませんね。直接の恨みはないんですけど)」
丁寧なゴブリン語で返し、少年はホブゴブリンの折れた右足に視線を落とした後。
すぐさま踵を返した。
「ゾグギボザ?(どういうことだ?)」
ゴブリンだけを殺し、自分とオーガにとどめを刺さずに立ち去る少年を怪訝に思いながら、ホブゴブリンはなんとか立ち上がろうと身を起こす。
だが、その動きが止まった。
木々の合間から次々と現れた狼に、目を奪われたのだ。
狼達は四肢を砕かれたオーガに群がり、牙を突き立てる。
「オゴオオオオ、アガガー!」
なんとか藻掻こうとするオーガだが、手足が動かなくてはどんなに怪力でも無意味だった。
生きながらに食われていくオーガに、ホブゴブリンは恐怖のあまり腰を抜かした。
まさか、まさか。
ホブゴブリンが嫌な汗を流しながら背後の気配に振り返ると、そこにも数匹の狼がゆっくりと向かってくるところだった。
飢えて、目を血走らせた狼達が、大口を開けながら、ゆっくりと。
「アア、ババ。ゾンバババ!(ああ、ばかな。そんなばかな!)」
今更、戦う力も逃げる力も残っていない。
ホブゴブリンはなんとか狼達から逃げようと、骨折した右足を引き摺りながら這いずる。
腰を抜かしていなければ、せめて歩くことぐらいはできたのにと考えたとき。
ホブゴブリンは気づいた。
そう。
あの少年は逃げる力が残っていたゴブリンには、とどめを刺した。
自分と、あのオーガは足をやられていたから放置した。
つまり、こうなるとわかっていたから殺すまでもないと見逃したのだ……。
そんな哀れなホブゴブリンの背中にも、無数の狼が躍りかかった。
宵闇の森に、またも断末魔が轟く。




