第十二話「諦念のアレーネ」
アレーネの心情を描くのが難しい。
うまく伝わるでしょうか……。
アレーネは、ほとぼりが覚めるまで場所を変えるつもりらしい。
儀式場は惜しいが、連中が去った後にまた戻ればいい。
家を壊されたとしても、また魔法で組み立てればいい、と。
「こうやってね、いつも逃げてるのよ」
アレーネは勝手に身の上話を喋り始めた。
契約なので仕方なく、彼女の隣にミネルヴァを舞い降りさせる。
「あいつ、まだ私を追ってきてるのよね」
今回は違うけど……などと言いながら、アレーネが川沿いの岩場に腰掛けた。ローブから生足をあらわにはだけ、ちゃぷちゃぷと水遊びを始める。
「その話は、前にも聞いた」
ミネルヴァは不服そうに目を逸らした。
パール・アレーネは、追われている。
姉であるアンバー・バーネラに、命を狙われている。
何度も聞かされた話だ。
「なんでか言ったっけ?」
「……いや。理由は、まだ聞いていなかったな」
「大したことじゃないからね。ただ単に、私が必要なだけよ。生贄として」
アレーネは何を思ったか、足で川の流水をおもいきり跳ね上げた。
水飛沫が陽光に照らされて、きらきらと輝く。
ほんの少しだが、虹も見えていた。
「親族を祖霊に捧げる儀式……バーネラは、血喰の魔女になるつもりか」
「ご名答~。もう母さんと妹が殺された。あとは私だけってわけ」
落ちこぼれ魔女は、重い過去を何でもないことのように告白する。
笑っていたが、空元気にも見えた。
「それが、あの愚痴の根源というわけか」
「さあ? 違うんじゃないかしら? 私の尺度からすれば、母さんも妹も死んで当然の奴らだったし。家族揃って、典型的な魔女だったわ。私以外は……ね」
アレーネはそんな自己分析を披露して、肩を竦めた。
彼女とて、自分の方が異端だということを自覚しているようだ。
何故、他の魔女と違う生き方を選んだのか。
一度だけ聞いたが、その理由は教えてもらえなかった。
「ただ、あんな奴に殺されてなるものかってね……ホント、それだけなんじゃないかしら?」
アレーネは笑う。
裏腹に、体は震えていた。
俺と出会ったときも、恐怖を感じていたようだったが……あれも姉に怯えていたのだろう。
ミネルヴァがバーネラと無関係と知り、安心したのも合点がいく。
「……こんなのが、いつまで続くのかしらね」
その呟きは小さく、ミネルヴァの聴覚でなければ聞き取れなかった。
「何か言ったか?」
「なんでもないわ」
アレーネは俺の問いに首を横に振る。
「あ、そうそう。あのゴブリンども、どうしてる?」
話題を変えたくなったのだろうか。
彼女は俺に千里眼をせがんできた。
無論、実際は端末を使った偵察のことである。
「……ああ、少し待て」
宵闇の森の動物や虫たちの五感は、すべて俺の手中にある。
それらを合わせて一括演算処理すれば、森の中で何が起こっているのかを正確に知ることができる。
ゴブリンの数は増えていた。
しかもホブゴブリン以外にも、別のモンスターが加わっている。
「……オーガがいる」
「オーガ!? ゴブリンと一緒にいるの? それって……かなりヤバイんじゃないかしら?」
アレーネが言葉を失う。
オーガは体長三メートルほどの大型亜人で、最大の特徴は怪力。
一応は巨人種に数えられるが、彼らと違って人を喰う。
好物はエルフの子供で、獲物をできるだけ苦しめるために凄惨な食べ方をするといわれている。
オーガも確かに脅威だが、アレーネが焦ったのはそこではない。
オーガは他種族に雇われることはあっても、自分より弱い存在の下につくことはない。
つまり、連中を率いている者の中にもっと上位のモンスターがいる可能性が高い……そのことを彼女も理解したのだ。
「……ひとつ、はっきりしたな。連中はこことは違う地方から移動してきている」
オーガはもっと南の地方に棲息している。
連中がいたら、この辺にリバーフォレストなどという集落が存在できるわけがない。
「ねえ、連中の狙いって、近くにある人里かなにか?」
「リバーフォレストか? あそこを襲うために、わざわざ……」
せいぜい五十人ばかりの集落を襲うために遠征など、考えられない。
目的は別にあるはずだ。
「まさか……」
ふと思うところがあって、視覚を蟷螂に移した。
そう、アレーネの使っていた儀式場の近くに配置しておいた端末だ。
俺の予感は悪い方向に的中する。
普段は無人の儀式場。
台座の前にひとりの女が立っていた。
真っ黒のローブを羽織った、小柄な人影。
フードの奥で酷薄な笑みを浮かべているのは、少女だった。
「クク、アハハッ。やーっぱりぃぃ、この近くにいるのねええぇぇ……?」
少女は台座に愛おしそうに触れながら、狂ったような嗤い声をあげる。
その声は歳相応ではなく、しゃがれた老婆のものだった。
「わかる、わかるよおぉぉ? このクソちみったれた魔力の痕跡にぃぃ、そして残り香! 間違いなくアンタだねえぇぇ、ぱぁぁるぅーー」
少女がフードを払いのけて、台座に頬ずりし始めた。
「愛しいよおおぉぉ、ぱぁぁぁるるぅぅーー」
石で自分の皮がすりむけようと、血が出ようと、まるで斟酌しない。
やがて普通の人間なら目を覆いたくなるような自傷行為を終えると、少女はズル剥けになった頬を撫でた。
それだけで、美しい白い肌が元通り現れる。
「さぁてえぇぇ、そこで見てるのはぁぁ、だ~れえぇだぁい?」
ゆっくりとした動きで体を傾け。
次の瞬間、猫のような素早さで蟷螂……俺の端末を捕まえた。
「ひ、ひひひひ。アンタなのかいぃ、ぱぁる?」
蟷螂は暴れたが、両手でしっかりと捕まえられて身動きがとれない。
苦し紛れに鎌をたてても、少女はまるで怯まなかった。
「いや、違う! アンタはだれだぁぁあああ!!」
少女は急に癇癪を起こし、華奢だが鋭い爪を生やした手で、蟷螂の右前脚をもぎ取った。
「だぁれだ、だれだ、だーれだあああ♪」
鼻歌を歌いながら。
ぷちり、右前脚。
ぷちり、左中脚。
ぷちり、右中脚。
ぷちぷち、左後ろ脚と右後ろ脚はまとめて。
「痛いかいぃ? 怖いかいいぃ!? ヒーッヒヒヒ!!」
蟷螂を達磨にした少女は哄笑した。
心底、楽しそうに。
「バー、ネラ」
消え行く蟷螂の命が、野太い声を拾った。
「おおぅ、なんだいいぃ? あたしゃね、今お楽しみなんだよねえええぇぇ」
バーネラと呼ばれた少女が振り返る。
そこにいたのは茶色にくすんでイボだらけの巨人……オーガマジシャンと呼ばれる、オーガの亜種だった。
オーガよりも大柄で知性も高く、擬似的な魔法能力を使う。
こいつらはよく魔女と手を組んだり、番になったりする。
やはり、オーガがゴブリンについていたのは……。
「ぶか……ども。こや、みつけた」
このオーガマジシャンは人語に疎いのか、片言でそう言った。
「おおぅ、そうかえ! それで、いたのかい! 愛しのぱぁるは」
「いな、かった……」
「ヒーヒヒ!」
ぐしゃり、と。
バーネラの手の中で蟷螂が潰れた。
観測が強制終了される。
「…………」
どう伝えたものかと思案しながら、アレーネを振り返る。
彼女は、岩の上で両肩を掻き抱くように蹲っていた。
ローブがめくれ上がって、水に濡れた足と尻が丸見えになっていることにも構わず。
お化けを見た子供のように、震え上がっていた。
「……あいつが、来てる……」
「わかるのか」
「今、感じた……あいつの、禍々(まがまが)しい魔力……」
血縁だからか。
波長の近い魔力は察知しやすいものだ。
「また追ってきたんだ……人里近くなら今度こそ、見つからないと思ったのに……しかも今度は、手勢まで引き連れて…………」
先ほどまで強がっていたアレーネはいない。
歯をがちがちと鳴らし、その瞳も絶望に染まりきっていた。
だが、その震えがぴたりと止んだ。
「ああ、そうなのね……」
表情も彫刻のように固定され、流れ落ちた涙だけが彼女の感情を物語る。
そして何やら、吹っ切れたように呟いた。
「やっぱり、逃げられない」
それきり、何も言わなくなった。
しばらく待ったが、無為に時間だけが過ぎていく。
俺はアレーネの急激な様相の変化に首を傾げつつも、ミネルヴァを介して助言を伝えることにした。
「一刻も早く、ここを離れるべきだ」
宵闇の森の動物たちで戦力になるのは、せいぜい狼ぐらいだ。
ゴブリンだけならともかく、オーガまでいる手勢には無力だ。
現状俺の手持ちに、彼女を守るだけの力はない。
アレーネも、諸手を上げて俺の意見に賛成するだろう。
「いいえ」
そう、思っていたのだが。
「行くわ……あいつのところに」
「何……?」
譫言のように呟き、カモシカの子供のようにふらふらと立ち上がる。
「……血迷ったか?」
ミネルヴァの嘴から、そんな言葉が漏れでていた。
この女は、姉の影に恐怖している。
先ほども、家にゴブリンが迫っただけで逃げ出すような、そういう女だ。
なのに何故だ?
まったくもって不合理だ。
行ったところで勝ち目などないし、確実な終わりが待ち受けている。
しかも、安楽な死は有り得ない。
「ゴブリンだけならともかく、あいつが来た……何の関係もない集落の人達が、また殺されるわ」
そんなセンチメンタルな理由で身を投げ出すのようなタマでもなかろう。
この女は、自分がかわいいタイプのはずだ。
「お前は自己犠牲に向かう自分に酔っているだけだ。逃げるのが、もっとも懸命な判断だろう」
「手厳しいわね……まあ、そうなんでしょうけど」
アレーネは、弱々しく笑い。
「でもね……もう疲れたのよ。いろいろ。いろいろね……」
そう胸の内を吐露した。
彼女が何を考え、何を想い、逃げ、怯え、生きてきたのか。
そのようなもの、俺はまったく興味が無い。
しかし、感情を読み取れずとも理解する。
この女は、諦めたのだ。
俺が、あらゆる世界で、見てきた目だ。
そう。
幾度と無く。
「契約、ごめん。守れそうもないわね」
彼女がそう言った瞬間、強制契約の契約印が作動する。
俺への協力を違えると明言したためだ。
「ぐううっ……!」
契約印は、地面でのたうち回るほどの激痛をもたらす。
現に最初の契約印発動の際、アレーネは失禁した。
二度目は、痛みのあまり意識を手放した。
だが、今回は。
今回は苦痛に顔を歪めながらも、何故か歩みを止めない。
持ってきた大袋も持たず、ばしゃばしゃと元来た浅瀬を渡っていく。
「よせ、死ぬぞ!」
ミネルヴァは、いや、俺は叫んだ。
このままではバーネラの元に辿り着く前に、彼女は俺の印に殺されてしまう。
「ごめん、ミネルヴァ。こればっかりは、譲れないんだ……」
「くっ……」
仕方なく、俺は契約印を抑えこむ。
強制契約を切らずとも、苦痛を与えるか与えないかは術者の任意で決められる。
「……ありがと」
水に濡れた彼女の笑顔は、陽光できらきらと輝いていた。
振り向いたアレーネは、これまで見せたどんな表情でもなかった。
少なくとも自分を嵌め、強制契約を結ばせた相手に対して向ける顔では、断じてない。
「短い間だったけど、楽しかったわ……じゃあね、私の使い魔さん」
水を吸ってすっかり重くなったローブを引きずっていく。
ミネルヴァでは、見届けることしかできない。
バーネラは、彼女をすぐには殺さないだろう。
甚振り、詰るか。
あるいはゴブリンやホブゴブリンに陵辱させた後、オーガに四肢でも食らわせるか。
もっと酷い拷問で傷めつけるか。
それら全部か。
いずれにせよ、バーネラの延命魔術によって死ぬこともできず、アレーネは泣き叫ぶことになるだろう。
彼女の魂は転生すら許されず、バーネラの力への渇望へと費やされるのだ。
「だが……」
一羽残されたミネルヴァが呟く。
「我々の手の届くところで、そのような結末は起こり得ない」
俺はミネルヴァから意識を離し、創源へと還る。
そして、それまでミネルヴァとして過ごした記憶すべてを、倉木少年と共有した。
――こういうことだ、倉木君。リバーフォレストに大きな危機が迫っている。
(……もう、向かっています)
――こちらの手違いで、足手まといが行く。すまんな。
(……いいえ、彼女は絶対に死なせません。あの人は、僕と……)
少年は何かを念じかけて、やめた。
俺も、みなまで聞かない。
どういう言葉が続くか、想像がついたからだ。
(だから……アレーネさんが来る前に、すべてカタを付けます)
少年は走る。
風より早く。
音を飛び越え。
木々もすり抜け。
ただ、その先へ。




