第十話「魔女の使い魔」
残念巨乳お姉さんって、需要あるのかな?
魔女はここ数日、コノハズクを使い魔にするための準備を整えているようだった。
使い魔契約の魔術は、それほど時間がかからない。
ただ、魔術の発動に必要な材料が足りなかったらしい。
森に出かけては、キノコや草、動物の死骸などを調達している。
それ以外の時間は本を読んだり、近くの湖に出かけて水浴びをしているようだ。
さすが魔女といったところで、彼女の裸体は蠱惑的だった。
少年には刺激的すぎるので、後々共有する情報からは削除しておく。
とりあえず、俺が想像していた邪悪な側面は殆ど見られない。
俗世を離れ、静かに暮らしているようだった。
ちなみにコノハズクは鳥籠の中に入れられてしまったので、観測は別の端末に担当させている。
だが今日に限って、魔女はコノハズクを外に連れ出した。
どうやら、儀式に必要な材料が揃ったらしい。
「最近、狼をよく見るわね……結界がうまく作用してないのかしら?」
魔女が呟いた。
狼の眼光が、捻くれた木々の合間から覗いていることに気づいたようだ。
狼は行動範囲だけを制限して、適当に放ってある。
半ば野生の状態だが、本能的に恐怖を感じるのか、魔女に近寄ろうとはしない。
魔女自身も、言うほど狼の存在を気にかけていなかった。
魔女が向かっているのは、石柱が円状に並べられている場所だ。
ストーンヘンジのような、という表現が一番的確だろうか。
中央には、石でできた人間がひとり寝転がれるサイズの台座がある。
ここが魔女の儀式場であることは、事前の調査で判明していた。
魔女は台座の上に鳥籠を置き、その周囲に必要な材料を配置する。
俺はコノハズクの視点も維持しつつ、近くの蟷螂に魔女の観測を引き継いだ。
「さて、始めましょっか」
魔女は料理でも始めるようなノリで、儀式を始めた。
儀式といっても使い魔契約は簡単な方なので、五分ほどで終わる。
ところが彼女は言葉とは裏腹に、かなり真面目に儀式を行っていた。
その真剣味はたかが使い魔契約の割には仰々しく、妙な迫力がある。
「我が名はパール・アレーネ。汝を我が使い魔として使役する者なり!」
儀式の締めの文言により、彼女の名前が判明した。
宝石名はパール、名をアレーネ。
ごくありふれた魔女の名前だ。
彼女は俺が抱いていた魔女のイメージとはかけ離れている。
故に魔術師の可能性も考えていたのだが、それはないようだ。
ともあれ、コノハズクは無事にアレーネの使い魔になったはずだ。
その証拠に、それまで茶色だった体色が、やや赤みを帯びたものに変わっている。
俺が無理矢理制御を奪うこともできるが、現時点では必要あるまい。
コノハズクを端末制御から解放し、アレーネに委ねた。
「今日からお前は、私の使い魔。名前は……そうね、ミネルヴァなんていいんじゃないかしら?」
梟系の使い魔につける名前としては王道だった。
アレーネは自分でも気に入ったのか、満足気に頷いていた。
一方ミネルヴァは何かを訴えるように、主人を見る。
「ん? どうしたの?」
アレーネが前屈みになって、ミネルヴァに目を合わせる。
すると使い魔は嘴でつんつんと鳥籠をつつき、開けるよう主人に催促し始めた。
「わかったわかった。すぐ出してあげるわよ」
アレーネは鳥籠を開けて、ミネルヴァを解放した。
するとミネルヴァはすぐさま飛び出して、何処かへと羽ばたいていく。
…………は?
「ち、ちょっと! どこ行くのよ!」
アレーネが抗議の声を挙げる。
「待ちなさいよ―!」
必死で追いかけるアレーネ。
だが、無情にもミネルヴァの姿は木々の闇に消えてしまった。
アレーネは肩で息をしながら、両手を膝について前傾姿勢をとる。
見た目通りそれほど体力はないようだ。
体格の割に豊かな乳房が揺れる。
「……またなの?」
また?
まさか、この女……。
「なんで、うまくいかないのよ……」
へなへなとしゃがみ込み、項垂れるアレーネ。
「あの子なら、ひょっとしたらうまく行くかもって思ったのに……」
それはここ数日で初めて聞いた、彼女の弱音だった。
俺はミネルヴァの体内端末から、使い魔の状態をリサーチした。
魔力のリンクはきちんとアレーネと繋がっていて、使い魔化自体は成功している。
だが、使い魔に生じた自我を制御するだけの魔力が足りていなかった。
魔女の魔力は、生贄にした魂の純度で決まる。
だが、彼女は生贄を用いていない。
月齢に合わせてに行なうミサなども重要だ。
しかし、彼女はミサもしていない。
彼女は魔女でありながら、魔女らしくない。
要するに、アレーネは落ちこぼれだったのだ。
さて、脅威度判定はもう充分だ。
このまま放置しても、まったく問題ないだろう。
だが、考えようによっては現地の傀儡を増やす良い機会かもしれない。
確かめるとしよう。
俺は半ば野生に帰ったミネルヴァを再制御し、家に帰ったアレーネの元に向かわせる。
「えっ、ミネルヴァ……?」
驚きに顔を上げるアレーネ。
どうやら相当ヘコんでいたらしく、目尻には涙の跡があった。
「お前、帰ってきてくれたの?」
最初に出会ったときのように、テーブルの上にとまったミネルヴァに、おそるおそる近づいてくるアレーネ。
ミネルヴァは動かない。
俺が、動かさない。
「よかった……」
アレーネは、嬉しそうだった。
歓喜に胸がいっぱいになったのか、ミネルヴァをそっと抱き寄せる。
彼女にとって使い魔が戻ってきたことは、大きな意味のあることなのだろう。
だが、俺は同情心からミネルヴァを戻したのではない。
「……アレーネ」
「えっ……!?」
突然、ミネルヴァが口を開いた。
驚いたアレーネが反射的にミネルヴァを手放した。
使い魔はばさばさと音を立てて飛び上がる。
「なんで!? どうして使い魔が……」
使い魔は通常、喋らない。
だから、彼女が驚くのは当然だった。
ミネルヴァを本棚の上にとまらせ、主人であるアレーネを睥睨させる。
「俺はお前の使い魔であると同時に、使い魔ではない」
「何言ってるのよ……」
勿論、ミネルヴァが意志を持って喋っているのではない。
俺が喋らせているのだ。
使い魔を端末にするもうひとつのメリットが、これだ。
魔法生物は普通の動物と違って、発声器官の構造に関わらず、魔法によって人語を喋らせることができる。
「これは、夢なのかしら……」
アレーネはあらぬ方向を向いて、何やら譫言を言い始めた。
俺は、彼女が混乱から立ち直るのをじっくり待つことにする。
彼女はしばらく独り言を呟きながら頭を抱えていた。
それがぴたりと止まったかと思うと、突然自分の頬を抓る。
「痛い。夢じゃないわ」
古典的な方法だが、それ故に有効だった。
アレーネはミネルヴァ……つまり俺に向き直る。
「わかったわ、ええ。ちょっとびっくりしたけど大丈夫よ!」
目は泳ぎ、体もがたがた震えていた。
「本当か?」
「あ、ちょっとごめん。まだダメかも」
アレーネは顔をそらし、ミネルヴァに向かって手を突き出した。
もっとクールかと思っていたが、崩れると脆いようだ。
「えっと。お前……いや、貴方はミネルヴァでいい……のよね?」
「そうだな……」
少し考える。
「そういう風に捉えてもらって構わない」
アレーネの理解の及ぶ範囲で話を進めた方がいい。
そう判断した。
「貴方、私の敵? それとも味方?」
「奇妙な質問をするものだな。仮にも、自分の使い魔に向かって」
「答えて!」
苛立ったのか、アレーネが叫ぶ。
最初にミネルヴァを見たときには、まるで無警戒だった。
喋り始めてから危惧するようでは、遅きに失する。
「まあいい。今のところ、そのどちらでもない」
「そう……」
アレーネは俺の答えを思案するように、口元を手で覆った。
端末越しでは心を読めないため、彼女が何を考えているかはわからない。
「まあいいわ。姉さんなら、こんなまどろっこしい手は使ってこないでしょうし」
「姉さん?」
何やら新しいキーワードが出てきた。
思わず聞き返す。
「ああー、今の反応でわかったわ。貴方、無関係ね」
アレーネの緊張が、目に見えて解けた。
どうやら、彼女にとって『姉さん』というのは敵らしい。
「敵でも味方でもないっていうなら、何が目的なのよ?」
「俺が聞きたいことはひとつだけだ。お前、こんなところで何をしている?」
コミュニケーションを取って質問に答えさせれば、監視を続ける意味はさらになくなる。
無論、嘘を吐かれる可能性は残るが、裏付けを取るのは難しくない。
そう考えての、口頭質問だった。
「何って……暮らしてるのよ?」
この女……一から十まで説明しないとわからないのか。
「見ればわかる。どうしてお前のような魔女が、人里近いこんな森に潜んでいるのかと聞いている」
「ああ、そういうこと」
ようやく質問の意味が飲み込めたらしい。
何故か大きな胸を張って、偉そうに答える。
「もちろん、隠れてるのよ。敵からね」
「敵というのは、姉さんとやらか?」
俺の問いに、アレーネは目を見開いた。
「どうしてわかったのよ!?」
「わからいでか」
ミネルヴァが、俺の感想に反応して大きく羽根を広げた。
「やるわね」
色々と残念な女が、まるで認め合った強敵を見るような目で見てくる。
こいつは、使い魔相手にそれでいいのか?
「ちなみに、この場所を選んだのは、ちょうどいい儀式場があったからよ」
元からあった遺跡を流用したということか。
さらに話を聞いたところによると、小屋は自分の魔法で建てたとのことだった。
確かに材料の木材さえあれば、イメージで組み立てる魔法はある。
魔力も、そこまで必要ない。
「概ね理解した。聞きたいことはそれだけだ」
会話による評価試験は終了した。
結論。
この女は使えない。
リバーフォレストに悪意を持っているようでもないし、やはり放っておいて問題ない。
無能故、倉木少年の協力者として仕立てる必要もなさそうだ。
「ま、待って! まだこっちには質問があるわ!」
「……何だ?」
特に答えてやる義理もないが、ミネルヴァに首を傾げさせる。
アレーネはわざとらしくしなを作って、流し目を送ってきた。
「貴方結局、私の使い魔にはなってくれるの? くれないの?」
「くれない」
俺は、にべもなく答え、ミネルヴァを羽ばたかせる。
「ま、待ってよ!」
「何だ!」
頭が痛くなってきた俺は、ミネルヴァの制御を手放して野生に返そうかと本気で考え始めていた。
「行かないで……!」
今度は目に涙を浮かべ、祈るように手を合わせてきた。
「無駄だ」
少年ならいざしらず、俺には何の効果もない。
アレーネもさるもの、泣き落としが駄目とわかるとケロリと素に戻っていた。
「じゃあ、せめて話し相手に――」
「断る」
すべて言い終わる前に遮る。
「お願い! 何でもするから!」
ん?
「今、何でもすると言ったな?」
「え? ええと……」
俺の反応が露骨に変わったことに困惑するアレーネ。
「その言葉、魔法使いとしては失言だったな」
方針変更。
プランBだ。
「いいだろう。お前には協力してもらうとしよう」
ミネルヴァ……俺の言葉が終わるのと同時に、アレーネの右手の甲が輝き始める。
「え、ちょっ……!?」
光は一瞬でおさまり、彼女の手の甲には複雑な紋様が刻まれていた。
「まさかこれ、契約印!?」
驚愕に叫ぶアレーネ。
「さすがに知っていたか。お前には強制契約をかけさせてもらった」
「え……じゃあ、これが私にあるってことは、こっちが下僕ってこと!?」
「言質を取った以上、契約は契約だ。《話し相手になる代わりに、俺に協力する》……それが契約内容だ」
「そんな……詠唱もなく、呪文抵抗すら意味を為さない強制契約なんて、詐欺じゃない!」
騙して悪いが。間接的に操れる駒は俺にとっても望ましい存在。
直接洗脳ではないから介入露見のリスクが低く、俺にとってもデメリットが少ない。
たとえそれが役立たずであっても、首輪をつければ暴走を止めるのはたやすい。
「別に絶対服従しろと言っているわけではない。話し相手ができて、嬉しかろう?」
「えっと、私、どうなるのかしら?」
アレーネが冷や汗をかきながら、たじろいだ。
笑顔を浮かべてはいるが、頬が引きつっている。
「何、悪いようにはしない」
ミネルヴァの嘴が、笑みを刻むかのように歪んだ。




