表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
永久を統べる少年  作者: 水下たる
■本編
9/18

08 - 人が死ぬこと、子どもVS子ども

「なあ。ジャック。これじゃ歩きにくいんだけど」


 千秋は現在自分の身に起こっていることが受け入れ難くて、遠い目になった。


「だが、これだと離れる心配がない」

「いや確かにそうだけどさああ……」


 相変わらずのジャックの無頓着ぶりに、千秋の残り少ないプライドが悲鳴をあげた。

 二人は例えるなら、人ごみに溢れたアミューズメントパークを歩くカップルのような格好だった。即ち、千秋の腰にジャックの手が回り、身体を引き寄せるような形で密着している状態だ。片手がふさがっている状態で、咄嗟の対応が出来るのかどうかは謎である。

 危険が迫ったら、アミューズメントパークのキャラクター人形(大)を持ち運ぶように脇に抱えられるようにとか、そういうことだろうか。


「くそ。納得しようとしてる自分が怖ぇ」


 だが、セイカーの一言もあって、ジャックと離れるのは正直ごめんだった。確かにこれだけ密着していれば離れづらいし、離れたらすぐに分かるのだ。

 ジャックの提案を蹴ってまで、よりいい方法があるわけでもない。手を繋ぐのも、腕を組むのも、腰に腕が回るのと同じくらい嫌なのに、加えて自分で提案したという事実が入ってしまうのはつらい。

 そんなこともあって、千秋はジャックの腕の中に収まる形で、フィラートの街を歩いた。歩きながら演奏するパフォーマンス集団のお陰で、動くスピードは亀のようなのろさだ。

 蜜柑色に配色された街並みのなかには、楽器が並ぶ店がいくつか紛れている。競合しそうなものだが、どの店も同じくらい賑わっているから、需要は充分あるようだ。

 すれ違う音楽家が持っていたのは、ヴァイオリンに似て非なる別の弦楽器だった。千秋の記憶によると、流線形を描いた例のあの形は同じなのだが何かが違う。楽器を間近で見る機会など、千秋にはそうそうなかったから、材質と弦の角度が違っているような気がするくらいで、確信はできなかった。


「んー、すげぇなあ。楽器って、どういうので作ってるんだろう」


 ぽつりとつぶやいた千秋の疑問に、いつものジャックの説明が始まることはなかった。演奏で聞こえなかったのか、ジャックも知らなかったのか。

 楽器を作る誰か、楽器を演奏する誰か、自分の声を武器にする誰か。披露する場として街全体がある。千秋はこの街が怖いものだなんて、どうしても思えなかった。

 老若男女、身体つきも顔つきも違う人間たちが楽しそうに演奏している。それは千秋のなかのイメージ通りの音楽の在り方だった。その場にいることが一種の奇跡だと思わせ、その喜びを分かち合えるもの。


「音楽ってよく分かんないよな、演奏している今はさ、確かにここにあるのに、すぐに消えてなくなっちゃう。魔法みたいだよな。ちっと違うか」


 ジャックの相槌はなかったが、千秋は思いつくままに言葉を繋いだ。


「そういやさ、オレのいたとこではさ、音楽に治癒の効果があるって思われてた時代があったりさ、音楽で神や国家や偉い人を讃えたり、応援したり、ストレス解消したり、なんか今思うとすげー『魔法』って感じだった。ウソかホントか分かんないけど、お母さんのおなかの中にいる赤ちゃんに音楽を聴かせるといい、なんて話も聞いたことがある。不思議だよなあ。力があるんだろうな、なにか、すごい力が。この街もすげーパワフルだなって思う」

「そうか。千秋は気に入ったんだな。この街が」

「今のとこな。危ない目にも合ってないし、マイナスイメージは全然ねーな」


 千秋が答えると、ジャックは奇妙な表情をして「そうか」と頷いたあとむっつりと黙りこんでしまった。

 いつも変わっていない、とジャックは街の入り口で言っていた。彼には、千秋の目に映るのとは違う街の姿が見えているのだろう。

 ジャックはいったい何を経験して、素性の知れない千秋を助け、食べものの世話まで行うような奇矯な信念を獲得したのだろう。

 初めて出会った日の夜に、信念に反して千秋を殺そうとした時のジャックのぼんやりとした様子が思い浮かぶ。統一性のない、彼の内面の空間に何か正反対の性質が雑居している。

 千秋は過去を語りたがらないところから、それをなんとなく感じ取っていた。知りたいとも思ったが、踏み込む勇気もなかった。話題が尽きないのをいいことに、ジャックが話しやすい方を意図的に選んでいたのだ。けれど、それは正しかったのかどうなのか分からない。千秋が生きていくにはジャックの存在が必要不可欠なのに、その存在を確実に理解し信じることが出来るかどうか、分からなかった。


「あれ、キリルさんたちどこ行ったんだろ? って、オレらが移動してんのか!」


 ふと気付くと、千秋たちは広場へと押し流されていた。ちょうど噴水とオブジェが見えるから、広場の中央あたりだ。三人の兵士たちがいるはずの市場からはずいぶんと遠ざかってしまっていた。


「ヤバい。早く戻んないと、心配かけてるかも」


 兵士たちの視界から消えないことが外に出るときの約束だった。師匠曰く、自分で自分の身も守れない

 千秋はジャックを促して、市場に戻ろうと方向転換した。


 と、その時だった。ドンッ と――


「っ、千秋!」


 肩に衝撃をうけて、千秋の視界は地面と空を一回転した。右腕が地面の上を勢いよく滑る。


「いっ――つぅ!」


 じわり、と右半身が熱を持った。とくに、右腕の違和感が強い。全体重を受けて折れたのか、擦ったせいで傷ができたのか。

 慌てて身体を起こし右腕を確認する。曲げても回しても無事。折れてはいないようだ。ほっとしたと同時、おもむろに胸倉を掴まれた。


「おいおいおいおい、何ぶつかってくれちゃってんのー?」

「お坊ちゃん、謝罪要求するよー」

「お前のせいで機嫌よかったのが台無しだぜ」


 身体の大きなクマのような男と、卑屈そうな目つきの悪い男、いかにも小物めいたズル賢そうな男の三人組が千秋を取り囲んだ。

 胸倉を掴まれたまま無理矢理揺さぶられ、熊男が、アルコールの匂いをぷんぷんさせ、千秋の視界いっぱいを塞ぐまで顔を近付けた。

 真昼間から酒に酔い潰れるような男は、この世界でもどうやらロクなものじゃないみたいだ。

 強く抵抗したら手を出される可能性が高いな、と千秋は思った。


「悪かったっす。謝りますんで、放してください」

「はーあ?」

「フザけてんの? 何だよその目。あ? やんのかコラ」


 胸倉を掴んでいたクマ男が、眉根を寄せて拳を振り上げた。千秋は瞬時に身体を縮め、頭を守るように腕を交差させる。

 ひゅんっ、と風切り音がした。

 酔っぱらいのパンチ一発くらいは耐えれるだろう、と千秋は思った。が、男のパンチはいくら待っても千秋に襲い掛かることはなかった。

 男の握りしめられた拳は、今、地面の上に転がっていた。正確にはパンチを繰り出そうとしていた男の腕全体が、地面の上に落ちていた。まるでプラモデルやフィギュアの腕部分が外れて落ちたかのようだった。

 その腕は肩から切り取られていた。骨まで綺麗に切断されている。接続する部分がないだけでフィギュアの一部なのじゃないかと錯覚するくらいだった。


「ぐあああああ!?」


 ぶしゅっ、と鮮血が吹き出したとき、千秋は腕を一本失くした男から離れた位置にいた。ジャックが脇に抱えるようにして、千秋を回収したのだ。

 男の腕が切断されてから、離脱まで、瞬間の出来事だった。千秋の目にはさっぱり追いつけなかった。

 ジャックの手には、彼の愛用の剣があった。もちろん、男の腕を切ったのこそ、この剣だ。どういう仕組みなのか、血があまりつかずにただ鈍い光を放っている。


「ウヴォオオォオォオ、ウガアアアアアア!!」


 男が腕があったはずの場所を押さえて、尋常ならざる咆哮をあげた。叫ぶ間にも、みるみるうちに血だまりが出来ていく。走って逃げようとすれば血に滑って転び、痛さに悶え苦しんで転がり、やっと起き上がっても、肩が痛くて身体をよじってしまう。男が暴れれば暴れるほど血しぶきの飛ぶ範囲が増えた。蜜柑色の広場が、まるで色を塗り変える途中のように、赤の染みを広げていく。

 音楽で溢れていた広場は今となってはしんと静まりかえり、誰もが、急に現れた腕の無い男の顛末を見守っていた。

 この街では異常なほどの静寂のなか、男の咆哮だけが響いて――そして、いつか、途切れた。彼の最期のダンスは幕を閉じた。


「ヒイィ!?」

「何だ、何が起こった……!? どうしたっていうんだ……」


 クマ男の仲間のうち、一人は逃げだし、一人は呆然と立ち尽くしていた。ジャックはもはや一人となった卑屈そうな男に、千秋を抱えたまま近付いた。


「退け。千秋に触れるな。次は、お前の、首が飛ぶぞ」


 男はジャックの言葉に戦慄したかのように、ぶるぶると身体を震わせた。彼はぎょろぎょろと動く目で、ジャックの左右の手にあるもの――千秋と片手剣を捕捉する。と、先ほどの事件の犯人が誰なのかを知った。ヒュゥッ、と喉奥で息を飲む音が聞こえた。男は情けない声をあげて逃亡していった。


「大丈夫か、千秋」

「……うん。平気だ。……ありがとな」


 剣を収め、千秋をその場に立たせて、ジャックは千秋の右腕を確かめるように触れた。その恐ろしく優しい手つきに、千秋は泣きそうになって、ぐっとこらえた。

 衝撃だった。

 誰かの命が消える場面を見た。剣で腕を切り落としたせいで、誰かが死ぬ瞬間を見てしまった。

 手を下したのはジャック、原因は自分だ。昼間に酒浸りになるどうしようもない奴だったが、丁重にお断りをすれば、まだ平和的に話が済んだだろうに、『殺してしまった』、ジャックが。人一人の命を奪ったのだ。

 千秋の右腕を撫でる手は、いつものジャックと同じ、なのに、安心しきれない自分がいる。

 殺るか殺られるかの戦いをしたときに、人を殺してしまうなら、まだ分かった。けれど、ただ酒癖の悪い普通の男が絡んだからといって殺してしまうのは、何か、間違っている気がする。

 それとも、間違っているのは自分なのだろうか。


「チアキ様! ジャック様! ご無事でしたか」


 血に染まった広場から人々が離れるように、音楽もまた広場から逃げていき、広場以外は日常に戻っていった。

 警備隊を連れたキリルが駆け寄ってきて、千秋たちの無事を確認して安堵のため息をついた。


「兵の方には事情説明が済んでおります。宿の方へお戻りください」

「ああ。それは助かる。千秋の怪我の手当てがしたいと思っていたんだ」

「シリルとセイカーは、彼らの所属集団の有無を調べるために追っています。場合によっては駐在兵と治安部に連絡を入れねばならなくなりますので、戻る時間はお約束できません。充分にお気をつけくださいますよう」


 きびきびと敬礼して、キリルがどこかへ行ってしまった。殺したことに関する追及もなければ、責める様子は一切ない。無駄口を叩かず任務に戻るのは、兵らしいといえば兵らしいが、人間味が無いようにも思った。

 どうして誰も、ジャックを罪に問わないのだろう。このまま日常に戻っていいとでも言うのだろうか。


 千秋は宿の一室で、ジャックから治療を受けながら尋ねた。


「なあ……ジャック」

「どうかしたか?」

「なんつうか。街でチンピラに絡まれただけ、だったのに、あれ、やばいんじゃねえの? 犯罪とかなんないの?」

「犯罪?」

「殺さなきゃ死ぬような条件だったら、わかるけど。あんな、一方的に殺しちゃうのって、悪いことじゃねえの?」


 ジャックは目を伏せ、唇を震わせた。千秋の腕を握る指の力が、少しだけ強くなる。


「いや、別にジャックを責めてるわけじゃなくて、問題にならないのかなって、不思議に思っただけなんだ。あんなさ、ケンカする度にホイホイ死んでたら、国が成り立たなくなったりしないのかな、とかさ。大きなお世話だけど。国を維持させるためにはさ、みんななかよくルール守って、が基本じゃない? 法律に殺人罪が無いの? っていうか、法律が無いとかじゃないよね?」

「貴人以外の命は、千秋が思っているより、軽い」

「え……。ああ、でも、そうなんか……。正直、オレさ、お前に、助けてもらった。それは間違いないし、ありがたいな、ってのはあるけど。思うんだけど、でも、微妙っていうかさ。オレの国じゃ、殺人はすげー重い罪だったからさ、なんか……なんか……分かんなくて。やっぱ、ああいう状況じゃ、人、殺したらダメだと思うんだよ」


 軽いだの、重いだの、命を計る基準なんてどこにあるんだろうと千秋は思う。

 例えば。千秋にとって大事な命は、家族や親友、繋がりのある人の命だ。見知らぬ誰かの命が千秋にはあまり重要でなくとも、その家族にとっては価値ある命である。

 大事な家族を持つ誰かにとっての他人は、その人の家族にとっては大事な命である――考えていけば考えていくほど、それぞれにリンクする命の重みが想像できる。誰かの立場になって考える、自分の身に置き換えて考える――想像の力が、千秋が見知らぬ誰かの命を尊重しようと考えさせる原動力だ。

 だが、これは所詮、千秋だけに通じる論理なのだ。それなのに、自分が尊重すれば、他人ももちろんそうしてくれるだろうと、千秋は愚かにも期待してしまっていた。


「分かってるんだ……。オレの考えが何より正しいんだって言い張りたいわけじゃないんだ。ただ……ただ」


 死ぬのが怖い。罪や罰など、ただ命を奪われたくないがために持ちだしてきた、回りくどい防衛手段でしかない。

 あんなに簡単に人が死ぬなんて、千秋は知らなかった。

 鮮血をまき散らしながら踊る男の姿を思い出して、千秋の身体が小さく震えた。ジャックは千秋の震えが収まるまで、そのまま千秋の手を握り続けた。






■ ■ ■






 広場での一件から五時間ほど経った。ちょうど、いつも夕飯を食べていた時間。驚くほど正確に、千秋の腹の虫が悲しく鳴いた。精神はともかく身体は正直である。

 腹の虫をおさめるために、千秋とジャックの二人は宿の一階にある食堂へと足を運んだ。

 食堂入り口に近付けば近付くほど、パンが焼けるいい匂いがしてくる。久しぶりの旅行食からの解放。半ば義務的に食事を取りに来たのだったが、段々楽しみが増幅してきて、千秋はなんだかほっとした。離れていた日常が戻ってきたような気がした。


「見つけたぞ!!! おい! そこのおまえ、うごくな!」

「へ?」


 食堂の入り口でそんな声をかけられて、千秋はギクッと身体を硬直させた。おそるおそる振り返ってみれば、そこには強面でトレンチコート姿のベテラン警官たちが――いない。


「あれ?」

「どこみてんだ! しただ、した!」


 声に言われるまま視線を下げると、確かにそこには、いた。怒りで赤らんだ頬にそばかすが散った五・六歳くらいの少年が立っていた。ブラウンの髪を無造作に跳ねさせ、生意気にも大きな目でこちらをきっと睨みつけてくる。


「なんだ、子どもか。警察かと思ったぜ。マジびびったんだからな。ふー。そっかそっか。じゃあな」


 警察じゃないならいいな、と千秋は食欲に任せて回れ右をした。


「ちょ、まて! とまれ! とまれって」

「嫌だ。お兄さんはね、今ね、すごくお腹が空いてるんだよね。ちょっと、一緒に遊んでやれねーわ、後でならいくらでも相手にしてやるから」

「あとでじゃだめだー、いま! いまがいい! とまれ!」

「はいはい。むーり。メンゴメンゴー」

「とまれっていってんだろー! きーけーよー!!」

「うぉ!? ぐふっ!!」


 食堂半ばまで少年を無視して進んだのが悪かった。子どもながらの猪突猛進タックルが腿裏を襲い。気をとられた隙に、鳩尾に容赦のない小さな拳がピンポイントで刺さる。


「ぐっ……は……、お前っ、何すんだ。食べた後だったら確実に吐いてたぜ……。マジ食堂でリバースとか勘弁」

「とまれっていったのにとまらなかったおまえがわるいんだかんな!」

「はー? 知らねえよ。何で止まんなきゃいけないんだ。フザけんな」

「このちぇいすさまがとまれっていってるんだから、とまるべきだろ! ふざけんなよ」

「だって腹減ってたんだもーん。仕方ないだろー」

「はらへってても、ちぇいすさまのたのみはきくんだよ」


 五歳児対十七歳の低レベルな争いは、双方睨みあいとなり一向に収まる気配を見せなかった。


「千秋。いつまで続けるつもりだ」




 宿についている食堂というよりも、食堂についている宿、と言った方が正確だったなと千秋は思う。

 メニューは一律で、ビーフオアチキンの選択肢すらないのだが、それでも文句ないくらいに美味い。食堂だけを利用している客も少なくはないみたいだ。

 ただ、この街の住民を考えればホテルで一食とる、なんて金があったら酒場に行って酒を浴びるように飲むだろう。酒場はどうだか知らないが、利用客の棲み分けがきちんとされているので、食堂は至って平和なものだ。外から聞こえてくる音楽に耳を傾けながら、静かに食事をとるような人間ばかりだ。

 千秋の正面にいる人物以外は。

 正面では、ラーメン丼大の器が傾いたまま、ガツッ、ガツッ、ガツッ、と奇妙な音を出していた。器とスプーンがぶつかり合う音だ。


「おい、静かに食えよ。チェイス様」


 千秋が声を掛けると、奇妙な音が止み、まるで息継ぎみたいにぷはっと丼からチェイス少年が頭を出した。いや、丼に身体ごと入っていたわけではない。丼を傾け、そのなかに頭を突っ込むようにして食べていたのだ。証拠に、顔どころか髪の毛にまで食べカスがいっぱいついていた。

 チェイスはもぐもぐと口元を動かしながら、強気に千秋を睨んだ。


「んぐっ、むぐ。だって、めし、はやくたべないとだろ」

「そんなに腹減ってたのか?」

「ばかか? まものとか、ほかのやつらに、めし、とられるかもしれないだろう」

「いやいやいやいや。ここには魔物いねーし、誰もお前の分取らねえよ。自分の分あるだろ」

「そ、そうなのか」

「周り見りゃ分かるだろ」


 チェイスは大きく頷き、素直にキョロキョロと辺りを見回した。テーブル席とカウンター席。厨房。食事をとる宿泊客や常連客。こちらに注視している者などおらず、また食べ物の匂いにつられてやってくる魔物などは気配すらなかった。

 どんな生活送って来たんだよ、と千秋は思う。そりゃ、妹とおかずの取り合いが発生することはたまにあった。というか、妹の苦手な野菜を食べてやる代わりに、千秋が妹のおかずを一個頂戴していたのが、段々千秋がおかずだけをもらうようになって喧嘩になっただけの話だが。チェイスの言っている『とられる』というのは、やっと確保できた一食分を丸ごと強奪される、という意味なのだろう。誰かの身を盗んで食べるから、『早く食べなきゃいけない』のだ。

 千秋はそっと隣のジャックを見てみたが、彼は無関心に食事を進めていて、チェイスを見ようともしていなかった。子ども至上主義者だし、千秋にしたようにあれこれ世話をするかと思ったのだ。事情を尋ねようともしないし、落ち着き払った態度は、まるで子どもがいないかのようにふるまっているみたいに見える。


「あー、それで、チェイス様。オレなんかになんの用なんだよ?」

「ようはねー」

「は? あるから声かけて来たんじゃねーのかよ? 用がないのにオレ、鳩尾にパンチ食らったの」


 どうしても今すぐ聞けと騒ぐのでご飯を奢ったのに、ただの無心だったのか。千秋はさっきの仕返しに、ぺしっとチェイスの額を軽くはたいた。


「いてて。ようはあるよ。あるんだけど、おまえに、ようはねーの」

「ん?」

「おれがようあんのは、そっちのでかいつよいほうだ!」


 びしっ、と、チェイスが小さな指をジャックに向けた。と、初めてジャックがチェイスの言葉に反応し、顔をあげた。


「私にか」

「さっきのひろばのやつ、みたぜ。ちょうつえーのな! ひゅって。ほいって。つえー!」


 チェイスの瞳がきらきらと輝いた。千秋は広場と聞いて血の気が引いた。興奮し腕を空中で振りまわすチェイスの動きからは、伝聞からではない確かにあの場の様子を見届けたのだろう真に迫ったものがある。

 相手に抵抗させる隙もあたえず一方的に暴力を加えることができるのは、確かに、強い証なのだろう。チェイスはジャックのいかにすごいか、少ない言葉を繰り返すことで称賛した。飾り気のない瞳からは、恐怖など一切見られない。確かに、ジャックは強い。けれど、その強さはあんなシーンだけで評価していいものじゃない。

 押し黙ってしまった千秋に気づかずに、チェイスは言葉を続けた。


「おまえは、つえーやつだ。おれがみとめた! それで、ぜったいおまえじゃなきゃだめだとおもって、『いらい』しようとおもって、さがして、やっとみつけたんだ」

「依頼?」


 ジャックが聞き返すと、自信たっぷりだったチェイスの顔が、くしゃりと泣きそうに歪んだ。チェイスはテーブルの縁にばんっと小さな手を突いて、そのままがばっと頭を下げた。


「たのむっ! おれのねーちゃんを、たすけてくれ!!」






■ ■ ■

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ