07 - フィラートの街
千秋の剣の師匠役は、ジャックではなくキリルが受け負った。ジャックがどうしても首を縦に振らなかったからだ。陽が暮れるころに野営地を選んでいたのが、千秋の剣の稽古のために数時間早められることとなり、結果的に旅程は少々遅れることとなった。約二倍、二週間後の到着となるだろう。
陽の入りと同時に終える稽古の終わり、初心者の千秋は心身ともにクタクタになってご飯の途中で寝てしまうのが常だった。
「……千秋。寝るな」
千秋が目を閉じたまま腕に凭れかかってきて、ジャックはほとんど期待せずに義務感だけで声を掛ける。やはり疲れ切った少年は夢の中に飛び立ったままだった。
ジャックはため息をひとつつくと、千秋の斜めになった手から、今にも落ちそうになっていた皿を奪い取って、彼の身体が万一にも当たらない安全なところへと避難させた。
「ははは。チアキ様は今日も寝てしまわれましたか。これで六日連続ですね」
「キリル隊長。稽古がガチすぎるんじゃありませんか?」
「しかし、ご本人の要望の通りに訓練内容を組んだのです。チアキ様の目指す目標が目標ですから、こちらとしてはまだ足りないくらいですよ」
「だからって、ねえ? 夕食口にされないんじゃ、バランス偏っちまいます。ほどほどに、実現可能なトコに落ち着けましょうよ」
キリルとシリルそしてセイカー、リチャードの私兵三人の会話を聞きながら、自身の膝を枕代わりにして千秋の身体を寝かせていたジャックは、ふとそのなかのひとつに興味を持った。
「目標とは?」
「あれ、聞いてらっしゃいませんでしたか。ジャック様のお役に立てるよう、『自分で自分の身を守れるくらい強くなる。あわよくば一人くらい倒せそうな感じで』だと仰っておりましたよ」
「あわよくばって、おいおいおい」
「チアキ様らしい……。貪欲だあ」
キリルの言う目標は、たしかにジャックが聞かされたものとほとんど同じだった。より高い目標を定めたようだが、一朝一夕にできることではない。剣の構えと取り扱い方法の基礎から始まった講座だ。たった二週間では剣を振れるようになるかどうか、といったところが関の山だろうと誰もが思っていた。
「チアキ様は物覚えのよい方です。とても素直に、熱心に指導を受けて剣を振るってくださいます。確かに二週間ではまったく無謀な目標なのですが――、それよりもまず、彼には剣を使う者として致命的な欠点がある」
「……千秋では、人を殺せない。生き残るために他者を傷つけるなど、出来ないだろう」
「そうですね。ジャック様が一番分かってらっしゃるでしょう」
当事者の居ない場での正確な判断を、千秋は知る由もない。ジャックは苦々しい気持ちを隠せずに、膝の上に置いた頭を撫でた。
■ ■ ■
二週間後。
一行は無事、フィラートに到着した。ティザーン王国の南方、最西端にあたる街である。五人はほとんど最速で駆けてきたモレーの足を緩め、フィラートの門で簡単な出入り審査を受けるために準備をした。
「ん?」
千秋は、フィラートの街だと紹介された低い外壁の中に近付くにつれ、楽しげな音が聞こえてくるのに気づいた。管楽器、打楽器、歌声と、様々な音が自己主張して混じり合いながら耳に響いてくる。
だが、ひとつひとつが聞きとりづらく、それらが思い思いに弾いているのか、指揮がなく分裂してしまっているのかすらも判然としなかった。
「なんか鳴ってんな。なあ、ジャック。これ、お祭りかなんかやってんの?」
「いや。フィラートはこれが普通なんだ。昼夜を問わず、街のどこかで音楽が聞こえることから、<音楽の街>と呼ばれている。この街は、魔道国のほか、ヘイズワナ小国とジ=レオン王国の二つと近い。流れ着いた民が交流することで文化が時間を掛けて混じり合い、この地固有の文化を作り出した。その最も代表的なものが、音楽」
「お、お、楽しそうじゃん! へぇー。音楽の街かあ~。夢があるー。色んなトコからココ目指して、音楽といえばココ! みたいなことなのかな。平和そう」
音楽は言語を理解する必要のない文化だ。リズムと抑揚、奏でる音色で感情を表現できる。異文化の人たちとの交流をするにはこれほど分かりやすく有用なものはない。
癒しをもたらしたり、打ち解け合うところにある、優しいもの。千秋にとって、音楽はそんなイメージだった。
だが、ジャックは千秋の言葉に首を振って否定した。
「いや……逆だ。この街の民は等しく音楽にしか関心がない。多様な民族が集まる街では、どの国の民が特別多くやって来ようと別段気にも止めないし、年中鳴り響く音楽で誰かの悪だくみも聞こえない。この街にしかない特殊な環境には、犯罪の温床となりうる条件が揃い過ぎている。<無知と謀計の街>などと呼ぶ者もいる」
「ありゃー? 夢が無い……」
裏事情から見えてくる街の姿が卑劣きわまりなくて、千秋はがっかりした。耳に聞こえてくる音がただの濁った音のような気がしてくるくらいだ。愉快そうな音は、軽薄さと盲目で出来ているのだ。
だが――、犯罪を生む無自覚な音楽家たちのなかには、生きるための術が音楽の道しかない、なんて人も中にはいるのだろう。彼らは、どんな気持ちで音楽を選んだのだろうか。
千秋は音楽家たちを純粋に羨ましいし、応援したいと思う。今現在の千秋は、この世界で何もできていないからだ。
「何年振りに来たが……、この街は変わらないな。余計ひどくなったような気もする」
「何度も来てるんだ?」
「ああ。三ヶ国に面しているから、立ち寄る機会は多い」
旅人ならではの答えに、千秋は感心して頷いた。たしかに、この世界にはモレーをはじめ魔物を使えば世界一周なんてすぐさまできる。往復なんかもしたんだろう。旅行の話をジャックに聞いてみるのも楽しそうだ、と千秋は思った。
やがて門番からの軽いチェックを終え、千秋たちはフィラートの街へ入った。
フィラートの街なみは赤味の混じった蜜柑色だった。街ごとにカラーが違うのか、と千秋は半ば感動して見とれた。王都からの道のりで入った小さな村はみな不均等な石造りの家や今にも崩れそうな木の家に住んでいて、カラーを揃えるという具合ではなかった。色があるだけで、発展度が見てとれる。
街中に入っていくと、たまに、蜜柑色ではない地味な色合いの家が見受けられた。王都のようにきっちりと、とはいかないみたいだ。
城門からの大通りなせいか人通りは多い。さらに、弦楽器やら、管楽器やら、気の赴くまま演奏する独奏家が道の脇に何人も並んでコンサートを行っていた。不協和音のようで、互いに刺激し合っているのが分かるので、それぞれがいないと成り立たない独特な空気感があった。楽器の演奏技術でバトルが行われているような変な印象だ。
「な。ジャック。これからどこいくんだ」
「宿だ。予定では、二泊、あるいは三泊する」
「結構泊まるんだな。うす」
モレーはけして珍しくはないポピュラーな移動用の魔物であるが、宿につくまでに少し好奇な視線を受けた。貴族があまり来ないのか、貴族用にアピールしたいと思っている野心のある音楽家だろうか。千秋は何か嫌な感じを受けた。二人乗りしているせいだとは思いたくない。
いくつかあった宿の中から、千秋たちは広い小屋を持った宿を選んだ。モレーを繋げておくのに必要だからだ。
千秋はさすがに慣れた身のこなしでひらりとモレーから飛び降りた。すると、なぜかむわりっと蒸し暑い空気が身体をつつみ込んだ。すぐに額にじわりと汗が滲む。
「あれ、なんか、あっつい? ベタつく感じがする」
「ああ。モレーに乗っている間は防護の魔法を使っていたから、その効果が切れたんだな」
「へー……、知らんことで色々してくれてたんだな。さんきゅ」
礼を言うとジャックは事もなげに肩をすくめて見せた。ガタイのよい男がやると、ハイウッド映画のアクション俳優のように見える。改めて、そういえば二枚目だったっけな、と千秋は思った。
顎に髭が生えているところを見たことがないし、髪型はいつでも整っている。身なりにも気をつけられて、世話好きで、剣の腕は一流、知識もある、となんだか非のうちどころのない男だ。マンガの登場人物みたいだ。ただ、千秋に対する過保護ぶりと、暗い中で傍にいる者を殺しかけるところは、どうにか直すべきだとは思うが。いや、現状千秋が生きているから、夜のほうは治ったのかもしれない。
いつものように、千秋とジャックは同じ部屋だ。最初こそ疑問もあったのに、いつの間にか不思議に思わなくなってきた。ジャックが世話をしてくれることに段々慣れつつあるんだろう。どんどんダメ人間になっていくような気がした。
「おー、すげ。広い広い。やっべー、テンション上がるー」
アルバートの屋敷で宛がわれた部屋がもっとも豪華で広かったが、この宿の部屋もなかなかだ。千秋はベッドに駆け寄り、枕とベッドのふかふかを確認する。
「千秋は部屋の中が広いと落ち着きがないな」
「う。いーじゃねーか。だって、広いとワクワクすんだよ」
千秋は自覚のある性格を言いあてられてうろたえた。
より広い自分の空間を持つ、ということが千秋は好きだった。幼少期から、棒で地面に線を引くだけの陣地取りゲームだとか、誰にも知られない秘密基地とその別荘などといった遊びを好んでいた。家に自分の部屋を作ってもらったときにも、テリトリー巡回と称して街を自転車で駆けまわる遊びをしていた。今でも、本質的には何も変わっていないのだ。
「あー、暑いな。窓開けようぜ」
話題を切り換えようと、窓に寄った。蜜柑色に挟まれ、灰色や焦げ茶色の小さな建物がぽつりぽつりと存在を主張するかのように建っている。それは美しい景観のなかの、見逃してはならない綻びであって、千秋の心のなかにフィラートの街の闇を想像させた。目に見えてはっきりとわかるのに、彼らは自分を騙し気づかないふりをしているだけではないのか。
「うへぇ、窓開けてもあっちぃー。気候変わってると移動したって感じするな」
窓枠を開くと、生ぬるい風とともに、絶え間なく続く演奏の波が千秋たちのいる部屋に吹きこんできた。
誰かが目立とうとすれば競うように音楽が増幅し、ふっと音楽が止まりかけると細かく小鳥が囀るような可愛らしい笛の音が静寂を彩るように空気を振動させる。戦う相手であり、<音楽の街>を作る仲間同士でもあるかのような、一体感だった。日常的なパフォーマンスのひとつなのだろうか。
千秋がどこから聞こえてくるのかと探した先に、人が溢れる中央広場が見えた。どうやら音の発生源はそこらしかった。
「魔法を使って部屋を冷やすという手もあるぞ?」
「あー、それ、クーラー的なやつなのかな、それとも扇風機的なやつなのかな……? ってか、今はいいや」
ジャックは「今、暑いのではないのか」と言うような不思議そうな顔で、あの黒い巾着袋片手に千秋の傍に立った。千秋は心の内を読まれるのが恥ずかしくて、少しだけ視線を彷徨わせた。
「ジャック。オレ、ちょっと外出てぇんだけど」
「外に?」
「ダメか?」
「いや……。駄目というわけではないが、何の用だ。買い物か。兵にやらせればよかろう。なぜ出たい」
いつも通り千秋の身の安全を優先してだろう、ジャックはあまりいい顔をしなかった。千秋はそれでも、彼らに会わなくてはいけないような気がしていた。
「買い物ってより音楽聴きに行きたいんだ。散歩程度の時間でいいからさ、頼む。このとーり!」
「……相談してみよう」
ぱちんと顔の前で手を合わせ、拝むように頭を下げると、保護者係はため息を深くついて、同行者へ意見を求める旨を提案した。
千秋たちが向かいのキリルの部屋を訪ねると、兵士三人が揃って買い物リストを作っていた。兵士のやる仕事にしては地味な作業だ。まるで下働きのような仕事をさせてしまっているなと千秋が思って、一番近くにいたセイカーにそう言うと、
「買い物というのは、街の人間に話を聞く機会づくりですよ。情報収集で必要な作業です。リストを作るのは、市場でなら買う品物のメモを広げていても、書きこんでいても不自然でないからですね。仲間内だけの暗号を決めておけば、口頭で伝えずともメモのみで連絡を取り合うことも可能です」
と、もっともらしい説明をされてしまった。プロに問題ないと言われてしまえば素人が口出しすることではない。そういうものか、と思って納得した。
「街へ行きたいと?」
千秋とセイカーが話をしている間、ジャックから訪問の理由を聞いたキリルは、ジャックに負けず劣らずの渋い顔をした。
「チアキ様。この街は、どこにいても耳が楽しい代わりにすべての地域で安全だと言いきれない状況にあります。率直にいって危険なのです」
「危険なのは分かってます。でもさ、ホラ、オレ、キリルさんに剣習ったじゃないすか。少しは護身できますから。日が暮れるまでとか言わない、ちょっと街を見て、音楽聴くだけでいいんすよ」
「ジャック様はどう思われますか?」
「心からの賛成はしない。が、止めはしない。私は守るだけだ」
キリルとしては千秋を止めるための援護を求めていただろうに、ジャックはいつも通り自分基準の意見を出す。どんな状況でも守れる自信があるからこそできることだろう。キリルはジャックを責めることもできずに、眉根を寄せて諦めたように首をふった。
期待と不安で「どうすか」と尋ねてくる千秋を、キリルは弟子の扱いに困った師匠のような気持ちで見返した。
「そうですね。分かりました。では自分と部下が食糧を購入している市場通りでのみ、移動をしてください」
「ほんとっすか!」
「ただし、自分たちの目の届く範囲に必ずいてください。そして、自分の教えた剣術については、基本の型のみですから、実戦で使える段階までいっておりません。過信はいけません。命取りです」
「う、ういーっす。生意気言ってサーセンっした……」
剣術の師匠にこうも率直に言われては、実戦で使おうとするな、と釘を刺された形になる。
自分がどの程度の技量なのかというのは、実際の戦いを経験したことのない千秋には分からなかった。練習で打ち合う相手はキリルだけで、言うまでもなくキリルのほうがうまかった。ジャックは練習風景をずっと見てはいたけれど、アドバイスも感想も言ってくれたことがなかった。
ジャックの足手まといにならないようにと習ってきたはずが、まだまだ鍛練が足りないらしい。当然だ。剣士たちが生涯を通して精進するのだろう道を、たった二週間で極めようというのが無茶なのだ。
だが、今すぐにでも能力が欲しかった千秋にとっては、自分の努力が認められていないようで虚しかった。
「魔道国と近いこともあって、少し離れた場所に兵士が常駐する砦を作り、この街にも大勢警護の兵がおりますが、正直手が足らないほどだといいます。我々の他は頼りにならないでしょう。お気を付け下さい」
「おす」
キリルの忠告に加え、シリルがきびきびと情報をくれて、千秋は気持ちを切り替えて強く頷いた。全員が全員、危険を示唆してくるのだから、身を引き締めなければならない。
これまでの道のりは、三人も兵士がいらなかったのじゃないか、と思えるほどには平和すぎた。三人が同行した理由は、この街の存在にあるのかもしれない。
「くれぐれも、ジャック様と離れないように、ですよ。チアキ様」
「そういうのってフラグじゃねーかなー……。いや、マジ一人になるのだけは勘弁っす」
セイカーが付け加えた一言に、千秋は思わず口元を引きつらせずにはいられなかった。好き好んでトラブルに巻き込まれたくはない。
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