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永久を統べる少年  作者: 水下たる
■本編
6/18

05 - 千秋の決断

 ネルが千秋たちの部屋まで迎えに来たとき、千秋はジャックに魔法で水気を乾かされている最中だった。タオルで拭いただけで十分だと言ったのに、何かというと『リチャード様』とやらが訪問するために譲らないのだ。

 外見年齢十歳の少年に、他人に甲斐甲斐しく世話される身にもなって欲しい。男としてのプライドがどんどん削られていっている気がする。

 支度が済んでいない客人たちに、ネルは時間がない旨を淡々と告げ、クローゼットから二人分の礼服を出すとジャックと千秋にそれぞれ着るように指示した。千秋の着替えを手伝おうかと、ネルの使用人らしい申し出もあったが、断固として拒否した。それは恥ずかしすぎる。

 結局のところ、正しい着方が分からず、ジャックに直される羽目になったのだが、ネルに手伝われるよりはマシだ。

 ティザーン王国の礼服というのは、重ね着のオンパレードだった。太ももあたりがパッツパツになりそうなきついスラックスに、さすがに平安時代の十二単とまではいかなかったけれど、燕尾服のような背中だけが長い服を段々短くしていったものを四枚も重ねて着た。首元にはヒラヒラしたスカーフを巻いてフィニッシュ。ヒラヒラが好きな国民なんだろうか。

 ジャックはヒラヒラしたスカーフを身につけなかった。代わりに、郵便マークを丸で囲ったモティーフの赤い装飾ピンズを左の胸元につけていた。どこかで見た形だとおもったら、王都に入るときの兵士の装備に描かれていた紋章だ。王国の紋章なのだろう。


 再び迎えに来てくれたネルを案内にして、広間入り口まで辿りつくと、腕組みをして待っていたアルバートが駆け寄ってきた。

 アルバートの背後でもヒラヒラした重ね着の尾がたなびいている。礼服だ。ジャックと同じくスカーフは巻かずにピンズをつけている。王国の紋章と、千秋が見覚えのない鳥類を象ったものの二種類だ。


「遅い。何をしてたんだ。リチャード様がお待ちだよ」


 アルバートの叱責に、ネルが「申し訳ありません」と深く礼をした。説教をする間も惜しいのか、アルバートが手を振るう動作をして、ネルを追い払った。


「アルさん。ネルは悪くないっす、オレたちが……つか、オレが準備に手間取っちゃって時間食ったんです」

「ああ、千秋。礼服を着たんだね」


 きらん、とアルバートのあの目が自分に注がれて、千秋の身体にゾゾゾッと悪寒が走った。千秋はササッとジャックの背後に移動して、アルバートから距離を取った。


「千秋、黒のあの民族衣装も素敵だったけれど、『この国』の礼服のほうが君の肌によく似合ってると思うな。可愛いね」

「は、はあ……。アルさん、褒めてくれてんすか、それ」

「もちろん、褒めているに決まっている。ジャックの後ろに隠れないでよ、見えないじゃないか」

「褒めてくれて、どもっす。いや、隠れてるわけじゃないんすけど。ちょっと、アルさんに近付くと、悪寒がするんで……」


 アルバートが思わせぶりに視線をくれて、屋敷入口で腰を撫でられた感触を思い出して、千秋は喉奥で情けない悲鳴を上げた。落ち着かせるようにジャックがぽんぽんと頭を撫でてくれたが、あまり効果はなかった。万能じゃないらしい。


「つれないねぃ。いいけどね」

「アルバート、リチャード様とのお目通しを頼む」

「はいはい」


 さっきまで時間が無さそうだったくせ、ジャックに窘められるとアルバートはつまらなそうに肩をすくめた。

 アルバートはすっと姿勢を整えると、ノックをして内部の注意を引いた。


「……リチャード様。ジャックと例の子どもを連れて参りました」


 館の主人にふさわしいような、真面目な横顔に、さっきまでのふざけた空気は残っていない。真面目にすればできるんじゃないか、起伏が激し過ぎる、と千秋は脱力した。


「ああ。通してくれて構わないよ」


 アルバートに応じたのは、通りのよい、自信に充ち溢れた声だった。リチャード様か。ジャックが千秋に事あるごと、説得材料として引っ張り出してきた人間だ。魔法風呂にジャックと抱き合って入らなければならなかった理由のひとつでもある。

 館の主人であるアルバートがまず入り、続いてジャック、千秋が広間へ入ったのは最後だった。

 アルバートとジャックという長身たちに隠れて、リチャードの顔がよく見えない。


「久しぶりだね、ジャック。会えて嬉しいよ」


 広間の中から応対した声の主が、気さくな様子で近づいてきた。例によってあの尾長の礼服だ。誰よりも重ね着が多いことが見ただけで分かる。

 アルバートよりは劣るが、千秋よりは上背があり、すらりと足が長い。ガチガチの武闘派というわけではないが、それなりに戦いをしてきたような筋肉のつき方をしている。

 目元が優しげに垂れ、睫毛が長く鼻が高く顎のとがった、いかにも華やかな顔だった。髪は銀色で、入念に手入れを施されているのか彼が動くたびにサラサラと揺れている。

 この場にいる誰よりも優しげな顔つきをしているのに、ジャックとアルバートにはない、上に立つ者ならではの力強さとでもいうのだろうか、命令しなれていそうな雰囲気があった。なんとなく近付きがたい感じがした。


「リチャード様。お待たせしまして、大変失礼いたしました。お目通りが叶い光栄にございます」

「堅苦しい挨拶はいいよ。今の僕は単なるきみの友人リチャードでしかない」


 ジャックの話す言葉が、敬語なのに千秋は驚いた。さっぱり分からないが、おそらく正しい礼儀に則って喋っているのだろう。そうしなければいけない相手なのだろうか。何者なのだろう。

 リチャードはジャックの肩を親しげに叩くと、ふ、とジャックの背後にいた千秋に視線をずらした。


「おや。きみの後ろに隠れている可愛い子どもが、例の子だね」

「はい。千秋、挨拶を」


 ジャックが千秋の肩を抱くようにして、前へ促した。リチャードの正面に立たされて、千秋は正直、ジャックが敬語を使うような相手へまともな態度ができるだろうかと一瞬焦った。だが、挨拶をしないのも失礼だ。男は度胸だ、と腹をくくって頭を下げる。


「どうも。野々部千秋です。千秋が名前。お会いできて光栄です」

「ふふふ。初めまして、チアキ。リチャード・ティザーンという」

「ティザーン?」

「気になったかい? 何も知らぬとはいえ、洞察力がないわけではないらしいね。ティザーンとは、この国の名前であり、王族の名字だよ」


 あまりにサラリと言われたので、「はあ」と曖昧に相槌だけ打って流してしまうところだった。


「ん? いやいや、ちょ、ちょっと待ってください」

「ふふふ。おや。どうしたのかな?」


 リチャードは、生き生きとした楽しそうな笑顔で千秋の申し出を許した。その笑顔は、例えるなら、子どもが必死に考えているのを楽しむような顔だった。


「つまり、リチャード様は、王族で、えーと、王か、王の弟さんか、叔父さんか、お子さんか、甥っ子さん? ってことで合ってます?」

「どれだと思う?」

「そんなにお歳がいってなさそうだから……王子ですか?」

「正解。ふふ、ご褒美をあげようか」

「え? なんすか」


 リチャードはその手で千秋の顎をぐっと持ちあげるようにして、彼の頬に口づけた。


「ご、ご褒美……?」

「ご褒美」


 呆然と呟いた千秋の言葉を、リチャードが自信たっぷりに復唱した。


「ジャ、ジャックさん、タイムです。オレ、タイム使います!」

「……タイム?」

「おや?」


 サッカー及び他の多くの球技みたいにタイムで選手交代、なんてそんなルールはないが、使えるものなら使いたかった。千秋は今度こそ自分の意思でジャックの背後に隠れた。

 男にチューされるのがご褒美な世界なんて千秋の常識ではあり得ない。むしろ罰ゲームだ。この場を逃げ出さなかっただけマシだと自分でも思った。


「千秋。リチャード様との話はまだ終えていないのでは」

「ああ、いいよ。ジャック。彼はまだ緊張しているみたいだね。あまり風習にも慣れていないのかな。教えておいてくれてもよかったのに」

「千秋には必要のないことです」

「そう? ふふふ。では、アルバート、夕食にしないか?」

「畏まりました。すぐに用意させます。ジャックは向こうの席に千秋を連れて座ってくれ」


 恐怖にぶるぶる震える千秋をよそに、三人はそれぞれに言葉を交わして方々に散った。千秋はジャックに促されて、長テーブルの端に座るリチャードから見て左側の席へ移動した。内心はまだ頬チューのショックから抜け切れていない。


「貴族といい、王族といい、この国こんな変態ばっかで大丈夫なのか?」

「千秋。口を慎め」


 千秋がぼそり、と呟いた言葉に、すぐさまジャックから注意が入った。


「あ、ごめん。口に出てた? いやだってさ、二人ともへんた……変わってらっしゃるからさ」

「あれは貴き方々のお遊び、風習なのだ。お前は何も気にしなくていい。私がお前を守るから」

「いやそういうことじゃなく……ってか守ってもらえないとやっぱりオレ危ないんですかねえ!?」


 否定が入らないのはそういうことなのか。怖い。

 ジャックと同室にしてもらって本当によかったと千秋は心から感謝した。ケツの心配をするくらいなら、まだ首を絞められる方がマシである。ジャックが首を絞めたのは一度しかないが。


「二人ともずいぶん仲良しだね」


 こそこそ話していた千秋とジャックを眺め、リチャードが意地悪そうに言った。


「チアキ、僕の相手もしてほしいな?」

「ああああ相手? 相手? 相手ってなんの相手ですかね」

「もちろん、話相手だよ。他にあるかい?」

「や、ないです。もち、もちろん話相手ですよねー」

「ふふふ」


 変態王子相手にどう話をしていいやら、千秋は冷や汗をダラダラ流しながら乾いた笑いをあげた。千秋が怯えながら答えるたびに、変態がとても楽しそうに目を輝かせるのがとても怖い。


「千秋はどんな食べ物が好きかな。ノーヴェルヴィアから王都まで、旅でどんな食べ物を食べてきたのかな?」

「干し肉と、木の根っこみたいなやつと干し肉のスープ、無花果とか木苺みたいな木の実食べてました」

「ほう、それはそれは……干し肉ばかりだね」

「食材少ないんでしょーがないっす。宿に泊まったときは、麺料理がうまかったすよー! とんこつラーメンみたいで。あ、オレチーズインハンバーグとチーズバーガー好きなんでこってり好きなんすよ」

「ハンバーグ?」

「ん? 肉をミンチにして焼いた、肉塊料理ですよ。肉最強。肉だけ食べてても生きていけます、オレ」

「ジャック、きみと千秋はお似合いみたいだったね?」

「……」






■ ■ ■






 アルバートの屋敷の料理人が腕を揮ったディナーは、もちろん千秋がこれまでこの世界で食べてきたどの料理よりも豪華だった。

 フランス料理みたいな一枚プレートのオシャレな料理もあれば、下町のイタ飯食堂みたいな量の多い麺料理もあって、必死に食っても食いきれないくらいだった。プティングのような形をした、ワンホールケーキ大のデザートが運ばれてきたときには、食欲旺盛な千秋でも、もう食べきれないと涙目になったくらいだ。


「千秋。そんなに食べて、腹を壊さないか」

「え? だって、出てきたもんは全部食うのが礼儀じゃないの?」

「残して構わない。貴族の出す食事は自分の財力を示すために多めに作るんだ。もちろん、庶民は食材を余らせず、腹が膨れる程度の料理を作るのが美徳とされている。ゆえに、貴族相手の食事のときは、食べ残すことで『自分が食べきれないほどの料理でした』という感謝と敬意を伝えるのだ」

「うっぷ……な、なるほど。そうだったのか。早く言ってくれよ」


 目の前の食事を片付けることに必死で、テーブルマナーなんて一切気にしていなかったし、誰がどういう食べ方をしていたかなんて見てなかった。


「すまない。それほど腹が減っているのかと思っていた」

「うう。オレ庶民だから、出されたもん全部食べきるのがマナーだと思ってて、超必死だったんだよ。オレ、貴族と食事向いてねーわ」


 気が抜けたら腹が痛くなってきた。腹を押さえて俯くと、慰めにか、謝罪の代わりにか、ジャックが背中を撫でてくれた。

 何も知らないってことは、風呂でも食事でも死にそうになるということなのだ、と千秋は今さらながら実感した。このままだと戦闘じゃなくて日常生活で死ぬかもしれない。


「さて、素晴らしい食事をありがとう。アルバート」

「は。身に余る光栄にございます」

「ただ楽しいだけの時間は終わりだ。真面目な話をしよう。チアキ」


 貴族と王族の真面目な語らいか、と思っていたら、自分の名前を突然呼ばれて心臓が跳ねた。


「はい!?」


 千秋が顔を上げると、アルバートとリチャードは、すっかり真面目な顔でこちらを見つめていた。


「きみがどんな経緯でここへやってきたか。ジャックから大体の話は聞いているよ」


 ゆったりと話しだすリチャードの顔には、もうこちらをからかうような笑みはない。もうとっくに上に立つ者の顔だ。


「は……はい」

「僕たちはジャックに相談を持ちかけられたから、ここにいるんだ」

「相談、ですか」

「そう。チアキは知っているだろうが、ジャックはきみが目的を果たすまで守るつもりでいる。つまり、きみが自分の国まで帰るまでということだね」

「うす。そういう話、しました」

「僕たちが相談されたのは、きみを国へ帰す方法もしくはきみがノーヴェルヴィアに来た方法の手掛かりがないか、ということだった。簡単な話だね。ここまでは分かったかな?」


 千秋は途惑った。千秋自身はどうやって帰る方法を探したらいいか分からず、ただ日常を過ごしただけだったのに、ジャックはしっかり考えていてくれたのだ。


「んと、アルさんとリチャード様は、オレが自分の家に帰れるように、協力してくれるってことですか」

「うーん。同じようで、ちょっと違うかな。きみに協力するというより、ジャックに協力すると言ったほうが正しいね。もちろん、直接きみに会ってみて、とても気に入ったのは事実だけれど、それだけじゃ動けないんだ」


 リチャードの言う違いがどういうことか分からず、隣のジャックを伺うと、


「協力する代わりに、対価が払えるか、どんな有利な条件があるのか、ということだ」


 と解説してくれた。交換条件かと、やっと合点がいって千秋は頷いた。


「僕たちが自由に動ける時間には限りがあるからね。見合う利益が欲しい。今のところは、きみに協力することで僕たちに利益があるかどうかわからないからね。だが、ジャックにならある。つまり、ジャックのために僕たちは動くことになる」


 ジャックに続いて、リチャードが千秋にも分かるように言葉を足してくれる。厳しい判断基準だが、妥当だと言わざるをえないだろう。

 今の千秋には何もない。お金もないし、魔法が使えないし、小さな魔物一匹も倒せないだろうし、労働力として雇ってもらっても帰る方法を探さなきゃならないし、まだ書物を一冊も開いていないから読み書きも怪しいし、常識すら足りない。

 対価もなく、自分の信念で協力してくれるジャックのほうが変なのかもしれない。

 黙ってしまった千秋に、リチャードが機嫌を伺うようにやさしく微笑んだ。


「気に障ったかな?」

「いえ。考えてたんす。無条件に協力してくれるって言うと、何か怖ぇな、なんかあんのかな、って思うけど、そういうことなら納得できるなって。オレに何か返せるもんがあったらいいんすけど、オレは……何もないし。ジャックにも、迷惑ばっかかけてるし」


 王都までの旅費は全部ジャックが出していた。それでなくとも、巨大な魔物を一太刀で絶命させられるだけの剣士に、魔法風呂だの着替えだのと身の回りの世話をさせてしまっている。これが迷惑でなくて何だろう。


「千秋。私は私の信念に従って行動しているだけだ。<審判の葉>の願いを叶える権利を失わないためでもある。お前が気に病む必要はない」

「そうは言ってもさあ……。やっぱ気になるよ。自分のこと自分でできねーってのはさ」


 ジャックと千秋の間に重い沈黙が落ちた。千秋がこれまで見せたことがない態度にジャックは動揺していたし、千秋はうまく自分の感情を言葉で言い表せないことに焦っていた。

 二人の沈黙を破ったのは、やはりリチャードだった。


「チアキ。きみはいい子だね。対価を払いたいと思ってくれているんだね」

「はい。出来ることなら、自分のことだし、自分がなんとかしたいっす。や、ジャックがいねーと今のところ移動もできねーんですけど」

「では、これからの話をしよう。ことによっては、きみだけにしか出来ないことがあって、僕たちの利益になるかもしれない。重要なことだ。そうだよね、アルバート」

「はい、畏まりました。はぁい、チアキ、俺から説明するよ。分かんなくならないように、よく聞いてねぃ」


 リチャードからアルバートへ話し手が交代した。リチャードへの応対は落ち着いているなのに、千秋への言葉はハイテンションに戻っている。ギャップが激しすぎて、人格が変わっているんじゃないかと千秋は思った。


「チアキは遠い遠い魔法も魔物もない国から来たんだよねぃ。国からおそらく一瞬にして、<審判の葉>の麓近くに移動した。この移動の原因を、考えてみよう。移動した原因を探れば、帰り方もおのずと分かりそうだからね」

「うす」

「んじゃ質問。チアキとしては、これ、なにが原因だと思う?」

「え? 分かんないすけど」

「じゃあ三択にしよっか。いちーぃ、ガツンと一発殴られて拉致されて山に置き去り。にぃー、君は雲の国の住人で、上から落ちてきた。さぁーん、魔法。この中ならどう?」

「んー? 3の魔法、かな? ありえそうなのは」


 アルバートは横に首を振った。銀の三つ編みがゆらゆらと揺れた。


「ぶっぶー。魔法では、この現象は起こり得ないよん」

「え、あ、そっか。魔法の発動には力の込められた物質<マテリアル>と呪文<ヴェムノム>が必要で、それを知らないオレには、魔法が発動不可能だから、ですか」

「惜しい。他人に働きかける魔法がないわけではないよん。だから、チアキが魔法の行使者本人かどうかは関係ナシ」

「でも、アルさんは魔法じゃないって?」

「そそ。ちょっと考えれば、チアキにも分かるよ。いい? チアキのいたところから<審判の葉>までの間を想像してみて。すっごくすっごく色んなものがあるよ。邪魔だねー。行使者は、目に見えない場所に居る特定の人物を、周囲のありとあらゆるもの――大気や山や木々や建物、魔物や人々――を無視して引き寄せてきたってことになるね。しかも、ジャックは<審判の葉>に魔法の行使者を発見できなかった。<審判の葉>にすら、行使者はいなかったわけだ」

「えーっと……」

「これはね、俺たちにとっては理解できないことなのよ。もし可能だとして、膨大な<マテリアル>と複雑な<ヴェムノム>が必要になるんだ。めっちゃくちゃ大変。現実的にやろうと思ったら、どんだけの時間とお金が掛かるやら」


 魔法の絨毯の話をジャックとしたときを思い出した。<マテリアル>はすごく高価だし、使い切りで充電期間がかなり必要なんだった。一回実験してみても成功するとは限らないし、コストの方が圧倒的に掛かるはずだ。金に余裕のありそうなアルバートたちでさえ、現実的ではないと評するのだから、金持ちの道楽で片付けるわけにもいかない。


「うーん……。そんな大変なやり方で、呼び出されたのがオレじゃ、なんかおかしいですよね。さっきの話じゃないですけど、割に合わない。――じゃあ、オレ、どうやってここに来たんですかね。もしかして2だったり?」

「んー。俺はそうは思ってないよ。雲に国があるんなら、魔法を行使したり、魔物に乗って空へ飛んだ人々が発見しないわけがない」

「え、じゃあ1?」

「それが正しいかどうかはチアキが判断できるでしょ? 服が汚れていなかったり、外傷がなかったんだったら違うね」


 アルバートの言うことは正しい。確かに頭を殴られたような感じもなかったし、服はそのまんまだった。ただいつの間にか立っていた、という感じだったのだ。

 あれ? と千秋は首を傾げた。何かがおかしい。三択のすべてを今、考察し終えたような気がする。


「って、三択の中に答えないじゃないっすか!」

「あははー。答えは4番でしたー、テヘ」

「ウザッ」


 もはや古典的ともいえる引っかけ問題を出されるとは思ってもみなかった。アルバートがただウザい親戚の叔父さんに見えてきた。


「まあ、答えかどうかはまだ分からないけれどねぃ。リチャード様と、ジャックと俺。三人が一致した推理が4番ってだけよん」

「……4番、なんなんですか?」


 千秋が尋ねると、アルバートは心底嫌そうな顔をした。


「『魔道』によって転移されたのではないのか。ガルファン魔道国のクソ魔道士どもが関わっているのではないか」

「が、がる……? 魔道? なんすか?」

「ガルファン魔道国。『魔道』という、『魔法』とは違う原理で現象を起こす術を身に付けた魔道士たちがつくった国だ。陰気で秘密主義でクケケケとか変な笑い方する奇妙な連中だよ。俺あいつら、大っ嫌いだ」


 アルバートは嫌悪感と侮蔑を露わにして、吐き捨てるように言った。リチャードが窘めるようにアルバートの名前を呼んだが、この館の主人は「申し訳ありません」とただ謝っただけで、機嫌を直すことはなかった。


「あのさ、ジャック。魔道と魔法ってどう違うんだ? ちょっとよくわかんなかったんだけど。なんで魔法にできないことが、魔道でできるんだ?」

「魔法と魔道の違いは、<マテリアル>の代わりに行使者=魔道士の精神力が必要になるというところだ。<ヴェムノム>を知っていて<マテリアル>があれば誰にでも行使できるという魔法とは違い、魔道は素養がある者しか行使できない」

「へー? 素養ねえ」

「魔道士たちは、魔道に誇りを持っている。自分たちにしか使えない能力があることは、すなわち、神に選ばれた者、あるいは精霊に選ばれた者だと考えている。選民意識があるのだな。アルバートが機嫌を悪くしたのはこういう考えを嫌っているからだ。もっとも、ほかの要因もあるが――まあそれは今はいいだろう。ここでするべき話ではない」


 ジャックは話を誤魔化すように、言葉を濁した。

 何か、ジャックにもガルファン魔道国への因縁があるのだろうか。彼は『魔法』の話はしても、これまで『魔道』の話をしなかった。今までも必要に迫られて説明していただけなのかもしれないが、少しだけ引っかかる。

 もっとも、アルバートへの友人なりの気づかい、なのかもしれない。千秋には常識がないから、実際アルバートが魔道国へどの程度の感情を持っているのか想像できず、ふとした言動で傷つけていたかもしれない。


「『魔道』は謎が多い。魔道士たちはガルファンから出ることはほとんどないから、他国の人間は詳しいことを知らないのだ。『知られていない』は『出来ない』と同義ではない。ゆえに、魔法に出来ないことでも出来るかもしれない。実際、魔法に出来ない複雑なことが魔道に出来るという実例がある。お前に分かりやすいのは、自在に宙に浮くことだな。人を移動させる魔道があるかどうかは分からないが、調べてみる価値はあるだろう」


 証拠があるというなら、確かに千秋にも納得できる考えだ。ただ選民意識の高い魔道士たちへの嫌悪感だけで、悪事を魔道国のせいにしているわけではないようだ。だが、魔道への先入観のない千秋は、少しだけ信じがたいようにも思えた。超高価で力の強い<マテリアル>を手品のように服の下に仕込み、魔法とは違うと見せかけているだけかもしれないなんていう考えも脳裏をかすめた。

 考え込むように唸った千秋に、再びリチャードが口を開いた。アルバートは説明役を下ろされたのだろう、不機嫌な顔でむっつりと口を結んでいた。


「僕らはね、ガルファンがきみのように無垢な少年を何処から呼び出して何かを企んでいるかもしれないとにらんでいるのさ。つまり、きみだけが特別呼び出されたというわけではなく、きみの他にも犠牲者がいるんじゃないかってね。複数人いればもう国を挙げての誘拐だ。やっていることが盗賊どもとほとんど同じだよ」

「はあ……。でも、そんなことする意味ってあるんでしょうか」


 リチャードの言葉の切れ目を狙って千秋が疑問をぶつけると、アルバートが目を細めて吐き捨てるように言った。


「あるんじゃないの? 魔道士たちはいつだって数が足りない。選ばれなくっちゃいけないらしいからね。素養の有る者が少ないんだ。子どもを産めば生むほど素養のある者が増える可能性があるし、ほかにも――」

「アルバート。説明の途中だよ。千秋も、ガルファンは過去の事例からそうとられても仕方のない国なのだということだけ分かってくれればいい」

「申し訳ありませんでした」

「うむう……。説明どうもです」


 ガルファンの名前を出すだけで、広間の空気がピリピリする。なかなかグレーなことをしている国なのだろう。


「――この場合、僕らとしては、自衛のためにガルファンが何をしようとしているのかつきとめるつもりだ。具体的に言えば、ティザーン王国への侵害行為があるかどうか、または周辺各国への侵略行為があり、こちらの不利益があるかどうか、ということだね。こちらに害があると分かれば、証拠を押さえ、即刻計画を潰す」


 王国の話をするときのリチャードの眼には、冷酷な光が宿った。この世界の情勢がどうなってるか、千秋は知らなかった。不思議と、侵略だの戦争だの帝国主義だのという考えが今の今まで思考の外に吹き飛んでいた。

 平和ボケをしている、というのも勿論あるだろう。だが、魔物という誰がどう見ても種族の違う言葉を解しない脅威の生きものがいる時点で、敵は魔物だけだと思っていた。国同士で侵略し合っている場合なのだろうか。


「さて次に、僕が考えてきた推察を聞いてくれるかな?」

「え? 今のじゃなくてですか?」

「うん。今のはきみの他に被害者がいるって考えだったよね。僕が考えてきたのは、きみが特別な少年だった場合のことさ」

「オレが特別?」

「リチャード様、どういうことですか?」


 千秋とほとんど同時に、ジャックも驚きの声をあげた。アルバートは聞いていたのか、口を挟むことはない。


「ジャックもまあ、聞いておいてよ。暇な時間に考えてみたのさ。――ひとつ、『きみに魔道の素養があり、ガルファン魔道国がきみを特別に呼んだ』、ふたつめ『きみに魔道の素養があり、何らかの要因で無意識ながら自ら<審判の葉>に移動してきた』、最後に『修練者であるジャックの願いに応えて、<審判の葉>がきみを呼び寄せた』」


 リチャードが最後の推察を言い切らないうち、ガタッ、とジャックが席を立った。動揺したのか、口を開いたり閉じたりしている。


「どうかしたかな?」

「リチャード様、三つ目は……、まだ私は登頂しきっていません。叶うにしては、早すぎる」

「ああ、ジャック。きみも疑っていたんだね。ふふふ。わかったよ。二つ目は無視しようか」


 言葉が足りな過ぎて、千秋にはなんのことだか分からない。リチャードもジャックもそれ以上話を広げず、ジャックはそのまま席についた。自分に関わることなのに、秘密にされているようで引っかかるが、千秋としては、自分が深く関わっているほうがより気になるところだ。


「よく分かんないですけど、ひとつ目とふたつ目も無しじゃないっすか? オレに魔道の素養なんて無いですもん」

「そうかな? 分からないじゃないか」

「だって、オレの国には魔法も魔物も魔道も無かったのに、力だけあったなんて、ワケわかんないっすよ。いや、こっちにも超能力とかはあったけど、でもあれ結構科学的に証明されちゃってて、パチモンばっかってことになってたはず。つかオレ自分が超能力者だと思ったことないし。――もしも、あったとして。魔道が信じられてない世界で発動できんのかな? うーん」


 言い出したときは確信を持って違うと思っていたのに、言葉を足すにつれよく分からなくなってきた。さっきのジャックのように証拠もなしに、説得力のある説明を行うのは難しいようだ。


「僕たちも魔道のことはよく知らないからね。きみがどれだけ否定しても、分からないとしか言いようがない。可能性としては考えておくべきじゃないかな。……と、僕は思う」

「そうっすね……」


 千秋はため息をついて、完全降伏するように項垂れた。すっかり参ってしまった千秋の様子を見て、リチャードはふふふと笑った。


「なんにせよ、ここまでの推察において、不確定要素が多すぎるのがなんとも言えないね。僕たちがしたいのは、推理と答え合わせなんかじゃない。きみは元の国へ帰ること、ジャックはきみの願いを叶えること、僕とアルバートはジャックへの協力と国に害を及ぼすかもしれない脅威に対策を取ることだ」

「はあ、わかります。帰る方法が知りたいんだった」

「今までの話を聞いて、きみはどう考えた? 行きがどうだというのはまず置いておいて、代用できる方法があれば帰れるかどうか試したいとは思わなかった?」

「うっわ、なるほど。確かにそーだ!」


 そうだ。それが重要だった。原因に対する推理の正誤は結局関係ない。何も行きと同じやり方で帰らなくちゃいけないというルールがあるわけじゃない。帰れればいいのだ。

 バカ正直に原因ばかりを考えていた。こういう発想に至らせるために、わざわざ遠周りして説明したのだろうか。前知識がまったくないので、単刀直入に言われたら疑ったかもしれないが。ひとまず、ガルファン魔道国に絡む複雑な事情だけは知っておいていい情報だったのは確かだ。


「そこでだ。僕たちはまず、魔道のことを知る必要があると思わないかい、チアキ?」

「へ? 僕たちって?」


 千秋は伺うようにジャックを見上げた。ジャックは眉を寄せてリチャードの話を聞いている。


「もちろん僕、アルバート、そしてきみとジャック、あるいはティザーン王国を動かす人間」

「えっと、つまり、ティザーン王国の為に、情報を持ってこい。スパイ行為をしてこいってことですか?」

「そうだね。きみとジャックに、魔道国に入って魔道のことを調べてきて欲しいな。と、そういうことだよ。きみが来た原因かつ帰る方法を探るのには遠からず必要な行動だと、僕は思っているよ。やると言うなら、僕の私財で出来る限りの援助を約束しよう。代わりに、ティザーンへの利益になる情報が欲しい。――具体的には侵攻計画があるか否かだね。『侵攻計画がない』という情報も利益だと考えてくれていい。証拠確保もできれば頼みたい。ガルファンが何かを企んでいるとして、証拠がなければ国として動けないんだ。僕の動かせる兵の量と質にも限界があるからね」

「……リチャード様。私は」


 ジャックがたまりかねたように口を挟んだ。だが、リチャードは礼を失したジャックに厳しい顔で叱責した。


「黙っていなさい。ジャック。チアキに決めさせよう。彼が言い出したのだよ。対価を払いたい、と。違ったかな?」

「はい。相違ありません。リチャード様は正しい」

「さて。チアキ? ジャックのことは気にしなくていいよ。これは、僕の考えだが。魔道国へ行くことは彼のためでもある、きっとね。さあ、どうする?」






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