04 - 王都、アルバートの屋敷、魔法風呂の恐怖
王都の周辺にある家は木や土、あまり頑丈そうじゃない石のようなもので出来ていた。低所得者の家のようだ。ホームレスみたいな物乞いの姿もあって、ジャックは千秋単体で歩くことを許さなかった。何ごともなく抜けられたが、なんとなく珍しそうな目で見られていたから、千秋だけだったら面倒事に巻きこまれていたかもしれない。
王都の中に入るには城門に設けられた審査室でチェックを受けなければならなかった。千秋はジャックに頭を下げ続けるよう手で固定されてしまったため、中世っぽい兵士の甲冑と、胸に郵便マークを丸で囲むような紋章が刻まれているくらいしか見えなかった。
「ふむ。有効な書状のようだ。して、この度は何をしに? そちらの男子は?」
「友人であり我が身元保証人のアルバート・ウェルズ閣下に会いに。これは私の<愛子>だ。既に風の矢で連絡は済ませてある」
「なるほど。よろしい。通りなさい。よい滞在になりますように」
「感謝する」
短いやりとりでことが済んでしまった。空港でパスポートを見せて、審査チェックされるようなものなのだろうか。
千秋を表すときのよくわからない単語が少しだけ気になったが、暗い審査室からの扉を抜けて飛び込んできた光景に、そんな疑問はすっかり飛んでしまった。
「うわ! やべえ! なんかすげえ!」
城壁の内側は赤い街並みだった。焼きレンガや、材質不明のブロックで作られているようだ。低所得者のまちまちの家を見た後だから、その統一された光景は対照的すぎる。開いた口がふさがらない。
一戸建てもあれば、アパートメントもあって、商店もある。オシャレな街灯もあれば、待ち合わせで使えそうなよく分からないオブジェがあったりする。
なによりも目を引いたのは、広い通りをのっしのっしと歩く魔物の姿だった。見た目はウマのようなボディに、ワニのようなざらついた鱗肌をしていて、整えられた爪は道を痛めることがない。首と胴体に荷台を引く部品が取り付けられていて、人のぎっしりつまった箱型の大きな車を牽引していた。
「うお、魔物が歩いてる! やべえ! うおおお! 人がひしめいてる!」
「あれは乗り合い車だ。王都の決められた道を循環している。運賃が安いから、人気らしいな」
「あれ乗る? っつか乗りてえ。異世界の車、超ロマン!」
千秋は興奮を抑えきれずにフラフラ歩きだしそうになったが、ジャックの手が彼の襟を引っ張って止めた。
「乗らない」
「ええええー。なんでだよ。疲れたよ、あれ乗りてーよ」
「さっき元気に駆けあがっていたから、疲れてはいないだろう?」
「うっ」
「それに、あれは今から行く屋敷の前はけして通らない。生活エリアが違うから」
「エリア……?」
「行けば分かる」
ジャックに連れられ、王都の中を歩いた。歩きだした当初は、賑わう下町の風景に気を取られつつ、目を楽しませながら興味深く眺めていた千秋だったが、先へ行くにつれ段々と街の様相が変わってきたのに気がついた。
まず建築物の色が違う。赤茶に近かった城門近くの建物とは違い、落ち着いた深いワインレッドの色合いをしている。
形も簡素で簡単な建築材を積み上げただけの箱型の家ではなく、円筒形の塔がくっついていたり、多世帯住宅ふうの複数の建物が複合した形の家が増えてきた。これらの建物のなかに目的地があるとすれば、確かに『屋敷』という言葉で表すのが正しい。
外壁に彫刻がされていたり、窓枠ひとつにも装飾の宝石がはめ込まれていたり、庭持ちだったりと、ここまで来れば千秋にもこの地域がどんな地域なのかが分かった。富裕層の居住区だ。
ジャックはその豪華な屋敷たちのなかでも、極めて目につく色とりどりの花が咲く広い庭、小さな城のような『お屋敷』の前で立ち止まった。
「ここだ」
「え!? マジ!? ここ!? なんかすっげえ豪邸みたいな感じがするんだけど」
「王国の有力貴族の屋敷だからな」
「はあ……?」
一介の剣士になぜそんな有力貴族様とお知り合いになる機会があるんだ。と、千秋は呆然とジャックを見上げた。
ジャックは気にした風もなく、さっさと庭の中に入っていってしまう。剣とナイフを携えた旅装の剣士が富裕層の屋敷へ向かうさまははっきりいって異質だった。強盗のように見えなくもない。この世界だったら普通なのだろうか。
続こうかどうしようか千秋が迷った、そのときだった。バタン! と大きな音を立ててお屋敷の扉が開いた。
「ジャックちゃん! 来たね。待ちくたびれたじゃないか!」
銀の長髪を太い三つ編みにした、派手な外見の男が現れ、ガッ、とジャックにハグをした。外国スタイルな挨拶だし驚きはしなかったけれど、大人の男二人の抱擁を生で見ると微妙な気持ちになる。
「門番から連絡があってから三時間だよ。遅かったじゃないか? 何していたんだ」
「千秋の足と私の足では違うんだ」
「あ! そうだ! チアキ! 君が殺し掛けたっていうチアキはどこだよ?」
「……余計なことは言わなくていい」
「だって本当のことじゃないか。あんな衝撃的な話は忘れようにも忘れられないよね」
銀髪の男は、ムダに高いテンションで楽しそうに声を弾ませていた。第一に知り合ったジャックが冷静な人間だっただけに、第二の知り合いになりそうなこの人物が強烈過ぎて逃げ出したくなる。なんで千秋の名前を知っているのかとか、気になることがいっぱいあるが、それよりもなによりもテンションについていけなさそうなのが怖い。
ジャックから身体を離した男は、ぐるりと周囲を見回すと、千秋をすぐに発見した。キラリと獰猛な色が宿ったような気がした。
「君がチアキか。初めまして。ジャックの友人のアルバートだ。好きなように呼んでくれて構わないよん。アルバートかアルと呼ばれることが多いけどね。会えて嬉しいよ」
アルバートはジャックに負けず劣らず長身だ。鍛えてはいないらしくひょろりとしている。身体が資本の剣士と比べるのは間違っているだろうが、威圧感でいえば初対面のジャックに感じたときよりは弱い。
だが、威圧感とも恐怖とも違う、何か得体の知れなさを感じた。テンションに圧されて逃げ腰になっているからだろうか。
「あ、ども……。野々部千秋です。千秋が名前なんで千秋で。えーと、オレも会えて光栄です」
「そうか! じゃあ相思相愛だよねぃ。俺の家に住まない?」
「は?」
「俺の家のメイドにならない?」
アルバートは千秋の手を取ってぶんぶんと上下に振った。逃げようと思っても、細腕からは考えられないような力でがっちり掴まれていて無理だった。
「ね、いいでしょ。賃金もあげるしー。ありとあらゆる情報だって手に入れられる。旅を続けてるよりは益あると思うんだ」
「ひ、ひええ」
ぐいっと腕を引っ張られて、ぴったりと身体をくっつけられた。腰のあたりをさわさわと男の手が撫でてきて、千秋の頭は警鐘が鳴り響いた。冷や汗が止まらない。この人変な人、いや変態だ。分かった時には手遅れだ。
「アルバート。千秋から離れろ」
アルバートと千秋の間にジャックが割り込んで二人を引き離した。アルバートは自分の三つ編みの銀髪を手で弄びつつ口を尖らせた。
「ちぇー。分かったよ。可愛いから俺のものにしたかったのにな」
「ダメだ」
「はいはい。冗談だよう」
「じょ、冗談……」
腰を触られた千秋としては、笑えない冗談だ。あまり心を許したくない相手だというのが分かっただけでもよかったのだろうか。
「さて。入って。部屋を与えるから、着替えを済ませてきてねん」
アルバートはそう言って屋敷の中に翻し、二人を促した。千秋はジャックの後ろに隠れ、館の主人を警戒しつつ、背丈の三倍はありそうな大きな正面玄関をくぐった。
屋敷に入ると、体育館くらいの広さはありそうな玄関ホールが目の前に広がった。洋館ふうのつくりで、入り口から見て奥側に、二階へ続く階段が二つ見える。一階の扉は奥にひとつ、右手にひとつ、左手にふたつある。天井は高く、シャンデリアそのものにしか見えない装飾過多な照明が頭上につり下げられていた。どうやって火をつけるんだろう、魔法だろうか。
アルバートがどこからか取り出してきたベルを鳴らした。小ぶりの銀色のベルだ。チリン、と清涼感のある音がホールに響いた。
間もなく、十歳くらいの少年が現れ、アルバートと客人たちに恭しい礼をした。
「ネル、二人を客室へ案内しなさい。東側の部屋がいいだろう」
「はい。二部屋でよろしいですか」
「いや。一部屋でいい。千秋を一人にはしておけない」
館の主人と使用人のやりとりに、ジャックが口を挟む。
思い返してみれば、ここまでの道程で、ジャックと部屋を分けたことがない。小屋は簡素で屋根があるというだけだったし、宿は二部屋取る料金よりも一部屋取るほうが金が掛からなくて済むだろうし、どちらの場所でも盗賊や空き巣が出ないとも限らなかったはずだ。
だがアルバートの屋敷で同じ部屋になる必要性はなんだろう、と千秋は思った。豪華な屋敷だし、きっとセキュリティも万全だろうに。
「うわ、ちょー過保護……。ネル、彼の言うとおりに。二人の名前はジャックとチアキ。大事な友人だから、粗相のないようにね」
「はい。畏まりました。ジャック様。チアキ様。ご案内いたします。こちらです」
■ ■ ■
「うわっ、スゲエ。海外ホテルのスウィートルームみてえ。広っ。スゲー。ベッドが高い! 落ちるだろこれ! スゲェー」
館内部は言うまでもなく、ネルに案内された客室の豪華さは千秋の乏しい語彙ではスゲエと繰り返すだけでしか表現できない。
一応年下に見えたネルのいるところでは我慢していたのだが、彼が恭しい礼をして去ってからは興奮気味に部屋の中を探索した。
とくに気に入ったのが、ダイブするしかなさそうなベッドの高さだ。キチンとベッドメイクされたシーツに、汚れたままで飛びこむのは耐えたが、枕は耐えきれなくて触ってしまった。ふかふかだった。
「千秋。先に浴場で汚れを落としてくるといい」
「えっ!? もしかしてココ備え付けのバスルームあんの!? どんだけだよ! ふ、風呂はあるのですかね……。そろそろオレ汗くせぇし、あったかい湯船につかって垢すりしたいぜ」
「ああ……、湯か。お前は魔法が使えないのだったな。来い」
「そっか、お湯使うにも魔法がいるんだっけ。魔法技能必須の風呂とかオレいじめでしょ完全に」
入り口そばのドアを開けると、そこはすぐバスルームだった。撥水性らしきタイルは、裸足に冷たくて滑らかな感触だった。バスルームだけで、千秋の家の部屋よりも広かった。
「うわ広。あ、バスタブある。蛇口もシャワーもないのが異様すぎではあるけど、あんま変わんないな。排水溝……? ない? えーどうすんの? あ、魔法だから消えんの?」
ジャックが備え付けの棚からビー玉大の赤と青の石を取り出して、浴槽を覗きこむ千秋のそばに立った。
「脱いだ服はまずここへ置いておけ。着替えはあるから、汚れたものは洗うまで着るな。お前が脱いでいる間、湯を張ろう」
「ういっす。お願いしまーす」
着替えの説明までされるとは、親に世話を焼かれているみたいだ。ジャックが行使の言葉<ヴェムノム>を呟きながら、ビー玉を浴槽に投げ入れた。
興味をそそられる光景ではあるが、さっさと脱いでしまわねば時間がもったいない。魔法は<マテリアル>に込められた力のぶんだけしか使えない。つまり時間制限付きの風呂だ。千秋は垢や泥なんかで小汚くなった学生服を脱いだ。服が一着しかないからこそこんなに汚れが目立つのだろう。黒だったからまだマシなんだろうか。
全裸になって、魔法風呂にわくわくしながら振り向くと、なぜかジャックが上着を脱ぐ最中だった。
「うわ! なんでジャックまで脱いでんだよ!」
「お前が水没しないように……」
「いや風呂で溺れるのはさすがにオレもしねーって。どんだけ子ども扱いするんだよ」
赤ん坊を風呂に入れる親じゃあるまいし、そんなに溺れそうに見えるのだろうか。これまでは水に浸した手拭いで身体を拭いていただけだったから、確かにこちらにきてから初めての風呂ということになる。
ジャックがさっと肌着を脱ぐと、見事に割れた腹筋と盛り上がった胸筋が晒された。実用的っていってはおかしいけれど、飾りじゃない、生きるために必要な筋肉なんだろう。スポーツマンの鍛え抜かれた肉体を見る時の感動に似ている。
「ジャック、その傷」
背中から脇腹に掛けて、大きな太刀傷がついていた。肉が切除され皮膚がくっついたような古い傷だ。細かな切り傷や裂傷痕ももちろんあったけれど、やはり目を引くのはあの傷だ。
「スゲーな。戦いで負った傷なのか?」
ジャックも何の傷のことを言われたのか分かったらしく、傷痕にそって自分の脇腹を撫でた。
「……そうだな。過去の大戦で負傷したときの傷だ」
「ふーん。いーじゃん。剣士って感じで、かっけぇーよ」
死線をくぐり抜けられるほどの強さの証のようで羨ましい。千秋が褒めると、ジャックは困ったように微かに笑った。
照れてるのだろうか。ジャックの過去を、千秋は何も知らない。褒められるべきことだけではないのかもしれないけれど、あんなふうに笑えるなら、すべてを受け入れて今を生きているんだろう、と千秋は思った。ジャックは大人だ。
ナニのデカさの話ではない。
「じゃ、風呂先にいただきまっす」
「気をつけろよ」
「だから、溺れたりしな――ウボァ!?」
千秋はバスタブに『足元から』沈んだ。空の状態のバスタブを見て、大体このへんだろうと目算していたところに底がなかったのだ。お湯が容赦なく千秋の口に入りこんでくる。
溺れそうになって、縁に腕を掛けて必死に顔を出した。足をバタつかせてみたが、どこにも底がなかった。底なんて初めからなかったみたいに。
「だから、言っただろう」
ジャックが呆れたように千秋の脇に手を入れ、引きあげてくれた。口に入りこんだ水を吐き出して、ゴホゴホと咳をした。
「気をつけろ、と言ったはずだ」
「それは、聞いたけど、こんな深いとは聞いてねーよ! どうなってんだよ、亜空間かよ。溺れるかと思った!」
逆ギレはみっともないと自分でも思うが、文句を言わずにはいれない。一言、なぜ溺れるのかの説明があってもよかっただろう。ジャックは大事なところで言葉が足りない。
注意を怠った自分のせいなのは充分承知である。「魔法やばい」「魔法風呂怖い」「お風呂怖い」の三つが千秋に深く深く刻まれた。
ずぶ濡れで震える千秋の頭を、ジャックの手がぽんぽんと慰めるように叩いた。
「……お前は目に頼り過ぎている。ひとつの感覚だけに囚われるのは危ないことなのだ」
「ひとつの感覚」
「ありとあらゆるものを疑い、取捨選択し、よりよい選択をしなければ生き残れない」
まさか風呂で生死を分かつ重要なことを学ぶとは思っていなかったが。事実、死に掛けたのだから肝に銘じておくべきだ。
千秋は真剣に頷いた。
「千秋。アルバート相手ならどんな格好でもよいが、晩餐の場にはリチャード様もお出でになる。垢をきっちり落とさなくてはならない」
「は? リチャード様って誰?」
「私が抱えていてやるから、湯の中でしっかり汚れを落とすんだ」
「裸で抱き合うの!? そんなん絶対嫌なんですけど!?」
ぞっとしない提案に千秋は真っ青になって首を横に振った。
ジャックは何も言わずにじっと千秋を見つめた。「なら自分だけで出来るのか?」とその目が言っている。
溺れかけた身としては、逆らう権利すらなかった。
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