02 - 一蓮托生
パサパサした食べ物と飲み物を与えられて珍しがりながら食べた後、暗くなってきたので寝て朝を待つことになった。
見張りを立てなくて大丈夫か、と聞いたら、さっき発見した蒼い砂で描いた円が結界の役割を持つのだと教えられた。対人にはあまり効き目がなく、専ら魔物専用だという。なんでも円がある周辺を気にしなくなる性質があるのだそうだ。
「なにそれスゲー便利じゃん。じゃー安心だ。オレちょー疲れてるから、朝になっても起きなかったら、すんません」
「大丈夫だ。起きなかったら私が担いで運んでやってもいい」
「ソレやだなー。絶対回避してえ。死ぬ気で起きよう」
その日の夜のことだった。
「……んぐ!?」
千秋は息が苦しくて目を覚ました。あたりは真っ暗闇で、野生の動物の気配も感じない。たったひとつ、千秋の上に乗ったものだけを除いては。
大きなゴツゴツとした手で首根を掴まれ、上に圧し掛かられていた。頸動脈を押さえられているせいか、頭をめぐる血の量が少ないような感じがした。ガンガンと頭が痛くなってきて、必死にもがくが手足も押さえつけられていてまともな抵抗ができない。
意識が朦朧となっていきそうになるのを、目に全力を集中させて耐える。
「ぐ――、な、なん……?」
ふう、ふう、と荒い息が千秋の顔に掛かった。暗闇に慣れた目が、次第にその顔を朧げながらに映す。
すっきりとした鼻梁。男らしく肉の落ちた頬に、爛々と輝く金の瞳――。それは、今となっては千秋の知る唯一の人間だった。
「なっ、じゃ、ジャックさん!?」
「……? なぜ、私の名前を知っている」
「アンタが教えたんでしょ! さっきのことですよ!?」
「ああ……そうか、チアキか」
ふっと、首を押さえつけていた手の力が緩んだ。ゆっくりと拘束が解かれ、何ごともなかったかのようにジャックが千秋の上から身体を起こした。
「いや、『そうか、チアキか』じゃなくて。なんだったんすか。さっさとどいても、何もなかったことにしませんよ」
「構わない。いや、今のは――私が悪かった」
ジャックは言い訳もせず、素直に頭をさげてきた。寝込みを襲われた身としては、色々と問いただすつもりが謝られてしまって勢いをそがれてしまった形になった。
悔しいが謝る相手にこれ以上強い口調で責めるわけにもいかない。何が何だか分からないが、千秋は言葉を変えて皮肉ることにする。
「まさか、ジャックさん。変な趣味あったりしないよね?」
喉を摩りながらじろーっと横眼で睨むと、相手は目を瞬かせて首を傾げた。
「変な趣味、とは?」
「え? いや、変な趣味って言ったら変な趣味ですよ。えー? 他になんて言やいいの」
「すまない。私にそもそも趣味を持つ余裕はない」
「じゃなくて。そうじゃなくて。そのままの意味じゃなくて。ええっと……あ、性癖! 性癖、性的対象。えーっと、ジャックさんは、ヤるなら女がいいよね? 花街っていうか、えーと、娼館? あんのか知らないけど、そゆお金払ってヤらしてくれる店行ったら迷わず女の子発注するよね?」
直球の言葉を投げつけると、ジャックもようやく、千秋の言いたいことが分かったらしい。
「……男と性的交渉をした経験はない」
「まあ、ですよねー。よかったあああ。聞いといてなんだけど、そういう常識があんなら絶望だったっつーの」
深く深く安堵のため息を出す千秋に、ジャックは何か言いたげにしていたが、言葉を挟むことはしなかった。
「でもさ、なら余計なんでよって話じゃん。なんでオレの寝込み襲ったんすか? けっこう死に掛けたよ? ヤバかったよ」
「すまない。少し、寝ぼけていたようだ」
「寝ぼけて? ジャックさんが?」
千秋が呆気に取られて尋ねると、ジャックは頷いた。
「隣、すぐ近くに他の人物が寝ているのが、慣れなくてな」
「えー?」
「お前の寝息に驚いてしまった……んだろう。押さえつけて拘束するまで無意識にやっていた」
「人の首絞めるのは意識的だったんですかい。アウトじゃん。今のオレの感想、アンタ超アブナイ奴なんじゃないんですかって感じなんですけど……」
「ああ、妥当な感想だろうな。すまない。そうだな、本当に、危なかった。まったく許される行為ではないだろうな」
「や。別にいいんすよ。とりあえず生きてるしさ。元々ジャックに助けられた命だし、アンタが殺してもいーんだよ。なんとなくそんな感じはする。当面、アンタについてくことでしか、命長らえる方法思いつかないし、何されたってアンタにはついてくしかないんだよ。でもさ」
千秋は暗闇の中、意地悪くニヤリと笑ってやった。暗闇でもジャックがうろたえたのが分かったから、雰囲気は伝わったのだろう。
「オレ的にはここで死んだら超未練残るよ。祟る……って分かるかな。死んでも死にきれないっていうか、悪霊になって悪さするっていうか。オレ悪霊になんのは嫌だわ。だから、やめてね。気をつけてね。マジで」
ね、と千秋が語尾を念押しすると、ジャックは感心したように、小さく声を漏らした。
「ああ。分かった」
■ ■ ■
朝が来て、腹ごしらえをすませると、ジャックの先導に従って川沿いに山を下った。ジャック一人なら木の生い茂った森の中を突っ切って近道が出来るらしいが、より安全にゆくには、多少遠周りでも、無理せず見晴らしのいい場所を選んでゆくほうがいいらしい。千秋もそれには賛成だった。
道中とりあえずこの世界で生きていけそうな常識をジャックから聞きだすことにした。
「あの魔物の名前か。イオニアベルグという。イオアニアという種の魔物の、とくに大きく凶暴に成長した雄の個体の名称だ。雌はイオニアベルーン。一説によるとイオアニアという魔物が成長するまでには条件があり――」
「あー、もういいす。分かりました。聞いても覚えられないことが分かりました。もういいや、とりあえず超強い魔物ってことだよね」
「いや、弱い部類に入る」
「えー!? うっそ、マジで!?」
「確かに巨大で、鋭い爪と発達した筋肉から繰り出される引っかきと串刺しは即死レベルの攻撃だ。だが、あのイオアニアという種は知能が低く、大ぶりな攻撃しかしないし、『魔道』を用いることはけしてないからな。長距離で攻撃したり、崖を崩落させて落下ダメージを与えたりといった方法で、一般人が討伐した話も多いから、脅威としては少ないな。もっとも、事前情報と準備のない者は命を落とすに充分だから、討伐依頼が無くなったことはない」
あんな大きな生物が依頼無くならないくらいいるなんて、この世界の危険度どうなってんのと千秋は内心嘆いた。
「そういえば、ジャックはなんでここの山ノーヴェルヴィアにいたの? ジャックの話によると、ここの山は危ないんじゃん? えー、と、なんとかベルグの討伐依頼ってので来たの?」
「ああ、いや。イオニアベルグを倒したのはお前を助ける成り行きなのだが――」
と、一度ジャックは言葉を切った。言い淀むような、説明する言葉を探すような口ぶりで再度口を開く。
「この山が別名を<審判の葉>というのは話したな。なぜそんな別名があるのか、という話に関わる」
「自然の摂理に裁かれる、ってやつ?」
「似たようなものか。力試しの山、修行の山、と言えば分かりやすいか? 不思議なことだが、この山は、麓に近い方には弱い魔物が、上に登っていくにつれより強い魔物が出るようになっている」
「あー。分かる分かる。RPGによくそういうダンジョンあるよね。サブクエとかサブマップみたいな感じでさ……っていってもジャックは分かんねーよな。ははは」
千秋の言葉は理解できなかったらしいが、ジャックは同意を得られたものとみて話を続けた。
「<審判の葉>に挑む人間は大抵、願掛けをして行くものだ。自分の信念だけを唯一の指針として登り、困難に立ち向かい、頂上に立った人間にのみ、願いが叶えられるという」
「へええ」
元いた世界と比べてしまうのもなんだが、作り話としてはよく耳にするような形だ。願いを叶えるための対価として何を払うか、という話だ。悪魔に願えば命を差し出すんだろうが、この世界では山の頂上にたどり着いた猛者だけが得られるものなんだ。
誰が願いを叶えてくれるのか、という疑問は考えてもムダだろうか。そもそも『魔法』みたいな便利な力がある世界で、叶えたい願いなんてあるんだろうか。
「じゃあ、ジャックは願いがあるんだ? ちなみにどんな願いなの?」
「――それは……。いや、今は話せない。すまない」
「いや、いいよいいよ。オレのとこもさ。言ったら願いが叶わなくなるかもーって脅しみたいな言い伝えあるし。ジャックの願いが叶わなくなったら困るよな」
千秋は両手を交差するように振って「この話はナシ!」と宣言した。
「っていうか、オレたち麓の村に向かってるんだよな? 挑戦者は一度山を降りても願い、有効なのか?」
「気にすることはない」
「や、無効化されたらどーすんだよ……。もー」
「私は私の信念に従っている」
「まあ、そーいうルールだったっけねえ」
都合良く捉えすぎのような気もするが、ジャックが気にしないと言ったのだから千秋がああだこうだ口を挟む権利はないだろう。
「そいや、ジャックってなんの仕事してんの?」
「旅人だ」
「旅人? それって仕事?」
「仕事ではない。今の自分の生き方を端的に表現する言葉だった。各国各地を回っている」
「へー。観光すんのが好きなの?」
「いや。目的がある」
「旅の目的って……えー、武者修行、強い奴を見つける旅だ。世界中のお宝求めて三千里」
「違うな」
「商いをやってそうもないし……地図つくるとかですか?」
「いや」
並んで歩きながら、千秋はぽんぽんと言葉を繋いでいく。帰ってくる言葉は段々と少なくなっていったが、千秋としてはそれでも構わなかった。
「じゃあー、えっとねー」
と再び目的当てクイズをしようとした時、ジャックがはあ、とため息をついた。
「……そんなに気になるか?」
「え? あー、ごめん。これも聞いちゃマズかったヤツ?」
「いや。そういう訳ではないのだが、言っても楽しい話ではないからな。お前のような純粋な子どもに話して聞かせようとは思わん」
「じゅ、ジュンスイな子どもって」
単なる『子ども』扱いよりも悪化したような気がする。
微妙な言い回しに千秋の顔がこわばると、ジャックは腕を上げて千秋の頭をぽんぽんと叩いた。千秋とジャックの身長差は、頭ひとつぶんくらいあった。ちらりとジャックの顔を見ると、金色の目がふっと優しげに細められた。
「収入を得る手段についてのみ考えるならば、私は剣士と言い換えてもいいかもしれない」
「あ、それっぽい!」
「雇い主はいない。魔物の討伐依頼や短期の傭兵依頼の報酬でその日暮らし、だ。目的はあるが、今すぐにしなければならないものでもない。日々生きて、徐々に目的達成に近付ける。そんな毎日を送っている。剣が無ければ私の収入源はもっと少なく、もっと不自由に生きなければならなかったろうな」
「へええ。なんかスゲー。剣の道一本って感じなんだ。かっけぇ」
千秋が感心して手を叩いて喜ぶと、ジャックがサバイバルナイフで行く道を遮るツタを手なれた手つきで切り裂きながら千秋に水を向けた。
「お前は? お前は何をして生きていた」
「む、難しいこと聞くなあ……」
学校。部活動。宿題。ゲーム。母の作った料理が並ぶ食卓を四人家族で囲む。生意気な妹のトンカツを一切れ奪う。たまに深夜のサッカー中継見て、就寝。我ながら至ってフツーな、どこにでもいる男子高校生のスケジュールだったと思う。
だが、ジャックにそんな説明をしても分からないだろう。
「……なんだろ? オレ、何して生きてたかなあ。うーん。まあ、オレのことを表すなら高校生とか、学生って言うね」
「学生? 何を学んでいたんだ」
「まあ、色々。母国語とか、計算とか、地理とか、社会の仕組みとか、科学とか。なんか生きてくのに必要なこと」
「生きるのに必要なことを知らなかったのに?」
「オレの元々いた国での常識っ。この国の常識じゃねーよ。木の実が木から落ちるスゲーみたいなことだよ」
「それのどこがすごいんだ?」
「オレも説明できねーから! あ、オレのことアホだ、みたいな目で見んな! かわいそうな目で見んな! やめろ!」
「そんなことは思っていない」
否定するジャックの顔は、そのくせ楽しんでいるような感じがした。がるるる、と唸ってみたが、ジャックにそんな脅しが聞く訳もない。当然だ。
「お前は幸せな国で生まれ育ってきたらしいな」
「ん? なんで?」
「生きるのに直接繋がることではないことを、生きるのに必要だと教えられて生きてきた。これが成立するのだから、環境がまったく違うのだろう、ということはなんとなく察することが出来るからな。木の実を木から直接もぐ方法や、木の実を狙ってきた動物を捉えて干し肉にする方法を学ぶ我々とは違うのだろうな」
ふと、ジャックが考えるように髭ひとつ生えていない顎を撫で、金の瞳に千秋を映した。
「さっき、私の旅の目的を聞いたな。お前はどうする? 当面は、私についてくるとして、最終目的だ」
「……あ。そうか。どうするかな。んー……」
ふと、頭に浮かぶのは父、母、妹の三人の家族の顔だった。ゲームを借りっぱなしの友人にも申し訳ないし、ちょっと可愛いなと思ってたクラスメートの女の子の顔もちょっとだけ思い出す。
死ぬならあの世界だと思っていた。千秋が生きて、死ぬべき世界は、こんな、魔物だの魔法だのがある世界じゃないはずだ。死ぬのは怖い。半日もたたないうちに既に二度、千秋は死にそうになっている。もうこりごりだった。
「なんとかして、元の世界に戻りたい」
「分かった。私もそのつもりで、出来る限り協力しよう。伝手がないこともないんだ」
「うん。ちょっと面倒かけるかもしんねーけど、頼んます!」
「ああ。<真理の葉>の制約に誓って、私の信念を貫き、おまえが元の国に戻れるまで、おまえを守ることを約束する」
物々しい誓いの言葉をもらってしまったが、昨夜の様子を見る限り、寝ぼけたジャックに殺されるなんて虚しい結末も、やっぱりちょっとありそうな気がする。すごくアテにならない。
が。今の千秋には彼を頼るよりほかはなかった。
千秋は深く頷いて、ジャックと固く握手を交わした。
「一蓮托生ってやつだ」
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