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永久を統べる少年  作者: 水下たる
■本編
17/18

16 - 千秋にできること

■ ■ ■

■ ■ ■






 千秋は、ハンバーグの夢を見た。いや、正しくはハンバーグそれ自体じゃなくて、ハンバーグ料理が乗った食卓を、家族四人で囲んでいる夢だ。

 妹が、千秋のハンバーグの方が大きいといって生意気な口を聞いたので、彼女の大事にしているポテトフライを奪ってやったらものすごく怒って叩いてきた。痛い。痛い。すごく痛いが、あの穴から落ちたほどの痛みじゃないなと千秋は思った。

 穴に落ちた? ハンバーグを食べながら千秋は首を傾げる。なんで穴に落ちたんだっけ? 舗装された道路を通って学校を行き来するだけの生活で、なぜ穴に落ちることがあるんだろう。マンホールの蓋でも開いていたのだろうか?

 食卓の脇で、サッカー中継のテレビがついている。千秋の楽しみにしていた、日本人選手の移籍後初出場の試合だ。試合は盛り上がっているのに、歓声も実況も聞こえない。千秋はそれが残念だとはなぜか思わなかった。

 ハンバーグを食べる。味がしない。穏やかに生活をする父、母、妹。聞こえてこない実況中継。部屋の隅に転がった、サインボール。着信している自分のスマホ。

 何か、すべてがどうでもいい。別の世界のことのように、感じた。






「……あれ?」


 千秋が夢から覚めると、そこは自分の部屋ではなかった。風を感じて横に顔を向けると、自分の部屋にはない大きな両開きの窓がある。ヒラヒラとレースがはためき、爽やかな風を感じさせてくれる。千秋にはその部屋に見覚えがあった。


「ここは……」

「千秋。目が覚めたか」


 声を掛けられ、千秋ははっとした。千秋の足元方向から、浅黒い肌の男が歩いてくる。


「ジャック」


 やけに軽装だった。いつもの胸当てだけの装備すら外し、シャツ一枚にタイトなズボン姿だ。武器らしい武器はベルトに挟まれた小型ナイフ一本のみ。

 ジャックは千秋の枕元へと腰掛けると、大きな手のひらでそっと髪の毛を掻きわけ、額に手を当てた。


「熱はないか」

「うん、大丈夫だ」

「喉が渇いたりはしていないか?」

「あ。水飲みたい」


 千秋の言葉に、ジャックはわかったと頷くと、すぐに来た方向に戻っていった。


「ネル。アルバートに千秋が目覚めたと伝えに行ってくれ」

「はい。畏まりました」


 千秋の見えないところで、ジャックとネルのやり取りが聞こえた。

 ネル? 千秋はうすれかかった記憶を呼び戻す。アルバート。ティザーン王国の王都で出会ったハイテンションな変態貴族だ。ネルは、アルバートの使用人の少年だ。

 ネルがいるということは、ここは、アルバートの屋敷だろうか。そう思って部屋の中を見回してみれば、高級ホテルのスイートルーム風な豪華絢爛の調度品たちは、ジャックと一緒に泊まった部屋そっくりだ。


「千秋? どうした?」

「あ、ここ、アルさんのお屋敷なんだなと思って……。オレたち、フィラートの街まで行ったよな?」


 ジャックは水差しからグラスへと水を注ぎながら、「そうだな」と同意する。


「それで、バレスヴィアに寄り道して……、あ! チェイスの姉ちゃん!」

「無事救出した。心配しなくていい」

「……マジ?」

「ああ。後で会わせよう」


 と、言うからには、本当なのだ。ほっとため息が出た。差し出されたグラスを礼を言って受け取る。


「そっか、助かったんだ……よかったな」


 ジャックにもらった水を一口飲んでみると、思ったよりも喉がカラカラだった。がぶがぶと浴びるように飲み、もう一杯おかわりして注いでもらいまた飲む。

 ようやく喉を潤せて、千秋はふと、バレスヴィアで自分が勝手にジャックと別行動したのを思い出した。しかも、一方的に酷い言葉を掛けたような。


「じゃ、ジャック……。オレ、ごめん。バレスヴィアでのこと……」

「どうした」

「勝手にキレて、めちゃくちゃなこと言って、ごめんな。オレ、ヒドイこと、言ったと思う」

「……大丈夫だ。本当のことだ」

「んなことねーだろ。あれさ、オレ、超アホだけど、ジャックのこと正義の味方みたいに思ってたんだよね。困ってるやつみたら絶対助ける奴なんだろうなって。あと、広場の……アレのこともさ」


 千秋は空になったコップを指でもてあそびながら、視線を泳がせた。やっぱりあのことは、いまでも千秋のなかで整理がついていない。


「オレとは違った国で生まれ育ってきたんだからさ、価値観が違うのは当然なのに、頭では分かってても、こう、感情がバクハツしちまったっていうかさ……。なんも出来ないくせに、大きい口叩いてごめん」


 千秋ががばっと頭を下げると、ジャックはそれを慰めるように撫でた。


「……私も、すまなかったと思っている」

「へ?」

「結果的にお前を危険な目に合わせた。あれはお前に見せるべきものではなかった」

「見せるべきものじゃないって、ジャック……違うんだけどな」


 千秋はどう言えばいいのか困って、頬を掻いた。


「オレは、お前のこと知れて、よかったって、思ってるよ。マイナスもプラスもさ、ひっくるめて付き合うのが人づきあいじゃん。そりゃ、譲れないとこもあるけどさ。あの事件は、今でも嫌だけど。知りたくなかった、とは思ってない。知って良かった。お前のなかにそういうとこもあるんだ、って、わかったから。オレ、完全無欠な正義の味方より、寝ぼけて首絞めちゃうお前のほうが好きだよ? いやそれで殺されたら嫌だけども、えーと、欠点があって、それがいいみたいな、……何言ってんだろオレ」

「千秋」


 ジャックが身体を屈め、千秋の目を見つめた。金の瞳が、戸惑う千秋の顔を映す。


「お前は、どこまで覚えている?」

「どこまで……?」

「魔道士に出会ってから、目覚めるまでのこと。どこまで覚えている? 私は――いや、私とキリルたちは、お前が気を失ってからすぐに、王都メイヴェルまで引き返してきた」

「……フィラートから王都までって、飛ばしたら二週間くらいだっけ。もしかしてオレ、ずっと寝てたのか?」

「一ヶ月、目覚めなかった」


 一ヶ月。三ヶ月ごとに季節が変わるのを思えば、とても長い期間だ。

 その間、ずっと寝たきりだったなんて言われても、千秋にはまるで現実離れして聞こえた。

 だが、バレスヴィアにいたはずの自分が、意識の無いうちに王都のアルバートの屋敷に運ばれたことは疑いようもない。


「一ヶ月間のことは、さっぱりわかんねえ。寝てたって、お前が言うんだから、ガチ寝してたんだろうな」

「……」

「あとは、魔道士に出会ってから気失うまでのことか――。えーっと、確か、オレが穴に落ちたんだ。ユリウスと、ギルっていう魔道士二人が、助けてくれた。で、気絶してるオレを、ユリウスが治療してくれたらしいんだけど、なんか……身体の右半分が動かなくなったんだ。今考えてみると、やばかったよな、アレ。で、そこに、ジャックが助けにきてくれたのか。それで、ユリウスとジャックが戦い始めた。ギルがドラゴンと<ウィザード>十人を連れてきてから、ジャックがあぶねえって思ったんで、<ウィザード>を倒そうと思ったんだけど……。あんときも、勝手なことして悪かったよな。――背中のケガ、大丈夫なのか?」

「ああ。なんともない。お前のおかげだ」

「オレは何もしてねえよ。だって、ドラゴンにお前がやられたって思って、終わったって思ったし……その後、どうなったんだ? ジャックが助けてくれたんだろ?」

「いや……」


 ジャックは何かを言いかけて口を噤み、すっと視線をそらした。


「私の過去の話は、忘れたか?」

「え、あ」


 そういえば、と千秋は思い出す。

 ユリウスが戦いながらおかしなことを言っていた。


「ジャックは、魔道国のナンバーイレブン? で、英雄で、既に死んでて、とかって」

「そう」


 あり得ないことだが、ジャックは否定しなかった。それどころか、強く頷いて肯定してみせた。


「魔道国は私の故郷だ。二百年前、出奔するまでの話だが」


 ジャックは幼い頃から魔道国で育った。親の記憶はない。捨て子だったか、攫われ子だったかも分からない。子どものジャックは大事にされ、素質を認められて教育を受けた。

 魔道国では子どもが何よりも大事だ。魔道の素質がある者でも、そうでない者でも、子どもは純粋で『教育』――『洗脳』しやすい。子どもは魔道国にとって有益な資源だ。魔道国の者は子どもを殺さないし、自分の手元に置こうとする。

 魔道国は魔道士のための国だ。魔道の素養がある者が絶対的な権力を持つ。女性の魔道士は少なく、種を繁栄させることが難しい。だから、子どもを探して定期的に『狩り』に出る。対象となるのは、周辺国の小さな村・集落、まるごと一帯。

 『狩り』で圧倒的な力を発揮するのは<殺戮兵器>だ。機動力に優れ、素早く最小限の動きでもって、無力な人間を屠ることができる。

 彼らは子どもを間違って殺したりなんかしない。<殺戮兵器>たちは識別能力に優れている。魔道の素質があるかどうか未分化のものたち――『子ども』を嗅覚に似た何かで嗅ぎわけることができるのだ。

 ジャックは<殺戮兵器>の中でもっとも多くの人間を殺した。魔道国に攻めてきた愚かな他国連合軍を殺したこともあった。いつしか、ジャックは『英雄』と呼ばれるようになっていた。誰もがジャックの力を欲したし、自分の手元に置こうとした。

 なぜなら、彼が優先していたのは魔道国の繁栄ではなく、たったひとりの主人の命令だったからだ。


「そのとき、ジャックには主がいたのか」

「能力の低い者たちは全員主を持つ。国に仕える者は王への忠誠を誓う」

「ん? でも、ジャックは強かった、って。逆に主になるべきなんじゃないの?」

「いや、<殺戮兵器>の能力しか持たなかった私は、魔道国では地位が低いのだ。魔道と呼べる秘術を、私は行うことができないし、なにも知らない。私が学んだのは、人を殺すことだけだ」

「……そっか」


 ジャックが出奔をしたのは、忠誠を誓った主が死んだのがきっかけだった。その主の『間接的な』死因は老衰である。


「間接的な……?」

「直接手を下したのは私だ。あれがそう望んだからだ」


 ジャックは瞼を下ろし、ぐっと奥歯を噛みしめた。

 ――『わたしを殺してくれ』『みっともない死にざまをお前に晒す前に』『お前にこれ以上歳を取ったわたしを見て欲しくないから』

 青年期には歌唄いのように風の精を喜ばせるような美しい通りのよい声が、嗄れてざらついたただの老いた男のものになっていた。


「あれは言った。自分を殺せと、お前でなくてはならないと。なぜだ、と私は尋ねた。あれの答えはこうだった――『それで完成する』」

「完成?」


 主の皺寄った手が、ジャックの若々しい手を掴んでおのれの首に掛けさせる。

 ジャックはその時ひどい違和感を感じた。主は彼とほとんど歳が変わらなかったはずだった。ほんの少し力を入れただけで折れそうなほど、干からびた木の枝のような首。

 なぜ、今の今までそれを疑問に思わなかったのか。


「私は、異常だった。髭も生えず、髪も伸びず、いつまでも筋力の衰えが現れない。私はいつでも、あれに出会った時のままだった。そして、あれが死ぬ間際に言い残した言葉でようやく分かったのだ」


 ――『美しい。お前はわたしの代わりに永久に生きる。お前の中でわたしの力は永久に生きる。美しいじゃないか』『お前がわたしを殺すことで、それは完成する』

 あれは、狂った人間だった。ジャックの強さに執着していた。

 いや、ジャック自身に、だったかもしれない。


 千秋はジャックが話し出すまで、じっと、根気強く待った。ジャックが吐き出したいなら、吐き出せばいいと思った。これまで彼はけして千秋に過去を語ろうとしなかったから。


「……あれは、私におかしな魔道を掛けていた」

「おかしな……?」

「私の時は止まってしまった。私は死ねなくなってしまった。どんなに深い傷を負おうとも、私の身体は時を巻き戻り、機能を再開する」

「な、んだよそれ」

「だから、私は二百年も生きてしまった。死ぬ方法も分からず」

「死ぬ……方法」


 千秋は呆然と、ジャックの言葉を繰り返した。異様な響きのする単語だ。

 永遠に生きなければならない身体。それは、もう呪いのようなものではないか。

 二百年――、ジャックは何をしたのだろう。きっとその魔道を無効化する方法を探したはずだ。だが、今もなお、解けずにいる。

 死ぬ方法、というからには、あらゆる死に方を試したのだろうか。ぎゅっと、心臓が掴まれるような思いがする。息苦しい。

 魔道国にいるときから、人を殺さざるをえなかったジャック。そして、主をその手で殺し、魔道を掛けられた。

 ジャックは、自分自身さえも殺さなければならない運命を課せられた人間なのだ。

 もしかして。千秋と出会ったノーヴェルヴィア<審判の葉>にジャックが叶えてもらいたい願いとは、――

 千秋は自分の考えに震えあがり、ぶるぶると頭を振った。


「千秋? どうした」

「あ。えと……。じゃ、じゃあ、バレスヴィアの時も、やっぱりお前が魔道士倒したんだな? 傷深かったけど、治るんだもんな? あは、あははー、ありがとうな」


 会話の矛先をぐいっと捻じ曲げて、一旦暗い考えを忘れる。願いなんていうからには、プラスのことなんだと思っていた。なぜ、死ぬために願わなきゃいけないんだ。悲し過ぎる。


「千秋。助けられたのは、私のほうなのだ」

「は?」

「お前が……、私を救ったのだ」


 ジャックの言葉は、思い詰めたような響きを持っていた。シリアスな表情に、話題を変えたいだけだった千秋は、さっぱりついていけていない。何がなんだか分からない。


「くそ。訳分かんねえな……マジで、なにがあったんだよ……?」


 ジャックは自分が目覚めてから目にしたことを、すべて千秋に話した。

 枯れた森。灰化した地面。十人の<ウィザード>のミイラ化した死体。おそらくそれが『時間』を操る魔道だということ。

 姿を消したユリウスとギル、ドラゴン。逃げたのか、ジャックが発見できなかったところに死体があるのか、また違う魔道を行使していたのかは不明であること。

 ジャックが背に傷を負ってから記憶の無い千秋には、信じがたいものだった。


「……はあ!? 魔道!? ジャックじゃなくて、オレが魔道を使ったのか?」

「私には魔道は使えない」

「あ」


 千秋はぐっと拳を握り、またゆっくりと開いて、まじまじと自分の手のひらを見つめる。

 知らない力が、自分のなかにある。恐ろしいような、頼もしいような、不思議な感覚だ。正直に言えば、実感がなかった。

 知らない間に、一気に、十人の人殺しになってしまっていた。自分が人を簡単に殺せるだけの能力がある、なんて、はいそうですかと納得できるものじゃない。


「……マジ? 殺しちゃったのか、オレ」


 <ウィザード>十人はもちろん敵だ。ジャックがユリウスに圧されている時、千秋は一度彼らと戦っていた。小石と木の棒と蹴り、という今思えば貧弱な武器で。

 あのときは、ジャックが体勢を立て直すまで、気を散らせるか、気を失っていてくれればいいやと思っていた。殺すつもりはなかった。無力化するだけで、よかったのに。


「千秋。お前は自分の身を自分で守り、私を救ったのだ。お前はもう……ただの無力な子どもではない」

「……うん。でも、オレ、できれば、自分で加減して使いたかったな。そしたら、無駄に殺さなくて済んだ。時間を操る能力なんだったら、逃げる時間稼ぎで動きを止めるとか、そういうのでよかったのにな。あはは」

「……」


 ジャックはそこで口を閉ざし、何かに耐えるように目を伏せた。


「お前に力を使わせたのは私のせいだろう。守りきれなくてすまなかった。私を許してくれるか」

「はあ? ゆ、許すもなんもねーって。だって、だって、ジャックにはオレを守んなきゃいけねえ義務とか、そもそもそういうのないんだし、いや、じゃなくて、勝手に動いたのはオレだし。自業自得だし。つかジャックだってオレの能力知らなかったんだし、力使って、オレが制御できなかったのが悪いし。こう、悪い偶然が重なっちゃった結果って言うかさ。って――な!?」


 グラスをいじっていた千秋の手を、ジャックがおもむろに掴んで持ちあげ、口づけた。西洋の騎士が姫君にするような忠誠のキスである。


「何、何、何なになになに!?」


 千秋は大袈裟なほど手を引き抜いて、ジャックから隠すように背中に回した。


「義務ならあるのだ。千秋は、私の……」


 ジャックはすっと顔をそむけ、自分の口をその手のひらで押さえた。


「……今のは、忘れてくれ」

「いやいやいやいや。何を言っているんだ! 忘れられんだろ!? おれが、おまえの、なんだよ! で、なんでそれで手にちゅーすんだよ。なあ。あれって……」

「――お前が自分で自分を守った、ゆえに私も救われた、それだけでいい。多くを望んではいけないのだ」

「何言ってんだ……? おい、こっち見ろよ。何、目逸らしてんだよ?」


 千秋が声を掛けると、金色の瞳が戸惑うように揺れた。何かに怯えているようだった。

 二百年も生きてきたくせに、何が怖いのだろうと千秋は思った。望んではいけないなんて、初めから全部諦めきったかのような言葉だ。


「おい――」


 千秋がジャックの肩を掴み、振り向かせようとしたときだった。


「おっと、ラブシーンの途中だったのか。これはお邪魔をしたねぃ」


 急に声を掛けられ、千秋はばっとジャックから手を離した。アルバートが奥の壁から顔だけを出し、にやーっと笑っていた。


「あ、あ、あ、アルさん!」

「やあ、チアキ。ジャック。邪魔して悪かったね」

「……」


 礼服ほどではないがやけにヒラヒラした服を揺らし、アルバートはしなをつくるようにしてジャックの肩に手を置いた。ジャックは呆れたようにため息をつき、その手を拒む。


「どうしたの? ああ、これからだったんだよね。ごめんね。でも俺を呼んだのは君だよねぃ、ジャックちゃん?」

「ちょ、ちょっと。アルさんっ! さっきから、ラブシーンとか先に進むとか邪魔とかなんすかっ、何もないっすよ! ヘンなこと言わないでくださいよ!」


 千秋としては、色々と物申したいところだ。アルバートのような変態貴族はともかく、ジャックと自分はそんな関係ではないのだ。手にキスはされたが、ジャックの口ぶりからは色々理由があったようなのだ。有耶無耶にされてしまったけれど。


「ああ、チアキ。元気になってよかった。君の可愛い笑顔を見れなくて、寂しかったよ。せっかくこの館に君がまた来てくれたっていうのにね。昨日までの俺はすごく不幸だったよ……」


 キラキラとアルバートが銀の髪を輝かせ、さっと千秋の手を取って握りしめる。ぞわぞわぞわっと悪寒が走って、ひっと千秋は顔を引きつらせた。


「でも今日は誰よりも幸福だ。君にまた会えたからね。って、なんでジャックの後ろに隠れる」

「アルさんの傍にいるとちょっとなんか……、身の危険がするんですよね」


 ジャックを盾にして回避すると、アルバートは仕方ないなあと言うように肩をすくめた。


「まあ、挨拶はこのくらいにしておこうか。目覚めたって聞いて、君に会いたがっている人を連れてきたんだよん」

「会いたがってる人?」

「ああ。入っておいで」


 アルバートが声を掛けると、通路の向こうから、小さな影がふたつ現れた。


「チアキ! めー、さめたんだ! よかったな!」

「……お前、チェイスか!」


 一人はチェイスだった。身なりをきちんとさせて、ネルと同じように使用人の服を着ているから一見しただけでは分からなかった。


「ああ。わかんなかったのかあー? ま、しかたないよな、かっこいーふくきせてもらったしな。おれ、ここでねーちゃんといっしょにはたらかせてもらうことになったんだ」

「じゃあ、チェイスの隣にいる女の子が……」

「ねーちゃん、こいつが、いのちのおんじんの、チアキだぜ」

「はっ、はじめまして……。チェイスの姉の、シェルと申します。あの、あの、フィラートでは、弟が大変お世話になりました。ありがとうございます」


 チェイスよりも頭半分は大きいが、まだまだ幼さの残るふっくらした頬を赤らめて、シェルは二つ折りケータイのようにばっとお辞儀をした。


「ああ、いーっていーって。命の恩人とか、世話とか、全然ねーって。オレがしたことなんて、なんもないよ。実際に助けてくれたの、ジャックだろ? ジャックにお礼いったほうがいーよ」


 千秋のしたことといえば、助けると口では大きなことを言っておいて、穴に落ちただけである。


「もういったっつーの! なめんな! でも、ジャックが、れいなら、チアキにいえってゆーからさー、いちおーいってやったんだ」

「い、一応な」

「おまえらなんなんだよ! チアキにれいいえっていったり、ジャックにれいいえっていったり。すなおにうけとれよな」

「えっ。あ、うん。……なんかすんません」


 チェイスたちにしてみれば、たしかにわけがわからないだろう。千秋は実行したのがジャックなのだから功績は彼にあると思っていたし、ジャックは千秋が無理に我を通そうとしなければシェルを助けるつもりはなかったから命の恩人にふさわしいのは千秋だと考えていた。


「あはは……。そっかそっか。あんまり考えなくていーんだよな。素直に受け取ればいいんだよな」

「そーだぜ」

「そういや、どうやってジャックはシェルを助けたんだ? 潜入? それとも突撃?」

「いや……。盗賊団が逃げ出してきた」

「はぁ!? なんでだよ」


 ジャックは魔道士たちが盗賊団を殺していたこと、シェルを捕えていた<炎の牙>も逃げ出していたことを説明する。


「すげーぞ! ジャックがこわいかおでどっかいけーっていうだけで、おかしらってやつがにげていったんだぞ」

「ジャックさま、剣を抜かずに、ぱっぱっとやっつけてしまって。格好良かったです」


 小さな目撃者たちが興奮気味に身ぶり手ぶりつきで教えてくれる。チェイスの言うこととシェルの言うことはなんだか食い違っていたが、どちらも本当のことではあるのだろう。

 シェルの頬がほんのり赤く染まったままなのが微笑ましい。ジャックが格好よくて惚れたりしたんだろうな、と千秋は思った。


「おや。ジャックが血を流さずに解決だって? 本当かねぃ」


 目撃談に驚いたのは付き合いの長いアルバートだ。


「殺さなかっただけで、なぜ驚く」

「だって珍しいからねぃ。ほとんどしたことないんじゃないの? 無血で解決」

「め、珍しいんだ……」


 やっぱりそうかあ、と千秋は少し顔を歪めた。あの広場での一件以外にも彼が人を殺めたことはたくさんあったのだろう。もちろん、ガルファン魔道国にいた頃を合わせれば、どれほどの人をその手にかけてきたのか。


「なんで殺さなかった? そんなに余裕あったってことかね」

「それは」


 ジャックは言葉に詰まり、ちらりと千秋を見た。


「え? オレ?」


 思わず自分を指差し確認すると、ジャックはこくりと頷く。


「千秋が、嫌がるだろう。だから、殺さないことにした」

「へっ?」

「……え、何それだけ?」

「そうだ」

「うわ」


 アルバートが顔を引きつらせてあんぐりと口を開けた。信じられないものを見るような目でジャックを見ている。

 千秋は、「自分が嫌がるから殺さない」という因果関係がさっぱり分からず、眉を寄せて考え込んだ。


「そんなに嫌われたくないの? チアキに」

「そうだ。私にとって千秋は大事なものだ。傷つけたくはない」

「それってさあ――チアキが……。まあ、いいや。やめとこ」


 「ああやだやだ」、とアルバートが肩をすくめて首を振り、ため息をついた。


「俺らみたいに言葉遊びじゃなくて、本当にそう思って言ってるんだろうからやだねえ。これだから子どもが生まれないんだ、あの国は」

「何を言っているんだ?」

「なんでもないですーっだ。やっぱり俺はお邪魔無視みたいだねぃ、消えようと思うよ。チェイス、シェル。仕事に戻りなさい」

「わかりました、ごしゅじんさま」

「畏まりました、旦那様」

「またね、チアキ。眉間に皺が寄ってるよん。可愛い顔が台無しだよ」

「うぎゃ!」


 ちょん、とアルバートの指が千秋の眉間をつついた。この館の主人は、びくっと肩をすくめた千秋を見て満足そうに笑い、二人の使用人を連れて部屋を出ていった。


「ううー、びびったぁ……。アルさんマジ怖。ホント怖」

「ずいぶん大きな声をあげたな」


 額を擦り擦り、千秋がぶつくさ呟くと、ジャックが声をあげて笑った。楽しそうな声に千秋はなんだか珍しいものを見たような気がして、少しだけ嬉しくなった。


「ちょっと考えてたからさあ。いきなりつんつんされてびっくりした」

「何を考えていた?」

「まあ、そりゃ、何って、お前のことだけど……」

「私の?」

「さっきの。殺さなかったってやつ……オレが嫌がったからってマジで?」

「ああ」


 ためらいなく肯定するジャックに、千秋のほうがうろたえる。


「オレのほうが、この世界じゃおかしな考え方してるだろ? お前のやりたいようにしていいのに」

「千秋が無理することはない。私のしていることも、一般的ではない」

「ユリウスみたいな強い奴に殺さないとか考えてても、お前があぶないだけじゃん?」

「あの男には、次、勝つ」


 きっぱりと言い切られて、千秋は一瞬ぽかんとした。


「ははは。そっか。うん。次は勝てよ? 絶対だぞ。お前が死にかけてんの見るの、もう嫌だからな」

「分かった。お前が嫌がるなら、必ず勝とう」


 ふっと表情を和らげたジャックは、初めて会った時よりもずっと優しく、頼もしく見えた。人を殺していた、という話をしていた時とはあまりにも違っていて、千秋は嬉しくてたまらなくなる。

 出会えてよかった、と思う。


「なあ、ジャック」

「どうした?」


 千秋は再びグラスを手にもてあそびながら、ぽつりとつぶやく。グラスの形は元の世界とほとんど変わりがない。だが、原料も、製造過程も、まるで違うんだろう。

 グラスの表面には気泡が入っていた。まるで色のついたピーズ玉を閉じ込めるようにぷつぷつと玉になって、手に心地いい刺激を与えてくる。滑らかな表面が当たり前だった自分の家のグラス類を思い返す。


「結局、オレはどうやって、ここに来たんだろうなあ。やっぱ魔道国のせいなんかな。ドラゴンもいたし、集団で呪文唱えたりしてたし、なんでもできそう」

「それは……。すまない、私には分からない。私はあの国の魔道を知らないのだ」

「あ、いんだよいんだよ。別に。魔道国に行って調べよーって話だったし、行けなかったのはオレのせいだしさ。本来なら魔道国の中でそういうの探ってるはずだったんだよな……」


 千秋はふと、リチャードたちと魔道国へ行く前に交わした会話を思い出した。


「もしかしたら、お前に会うためだったんかな。オレがここに来たの」

「千秋?」


 ジャックが驚いたような顔をして、千秋を見た。


「なあ、オレの能力ってさ。お前の呪い――じゃなかった、魔道? に効くんじゃないかな。お前、さっき、そういうことが言いたかったんじゃない?」


 時間を操る能力。

 それはまるで、止められてしまったジャックの時間を、再び動かすための能力みたいだ。


「だってほら、オレの世界じゃ、この力があったところで使えるかどうかわかんないんだし、ここで有効に使うべきじゃん。呼ばれたからには役目があるんじゃないかな、RPGとかってそういうもんだよね。まあ、それだけじゃオレがどうやって帰ったらいいか、わかんないけど。でもさあ、科学で解明できっこない力があるんならさ、何が原因でも驚かない、オレは。運命でもいいし、儀式召喚でもいいし、RPGなら使命を果たしたときに戻れるとか、魔王を倒したら戻れるんじゃないかな――って、自分でも言ってて訳分かんなくなってきた。ジャック。オレが何言ってるか分かるか?」

「……お前にも分からないものを私に分かれと言われても困る」

「あはは。懐かしいな、それ」


 出会った時、ノーヴェルヴィアの山中で、同じように言われたのだった。あの時は、自分の状況すら、ジャックにうまく話せなかった。

 今は、明らかに違う。ジャックのことも、自分自身のことも、千秋は知っていて、そして、自分でどうするか考えることができる。


「あのさ。ジャック。オレ、お前にいっぱい助けてもらったしさ。超迷惑かけたし。返せそーなもんがあってよかったって思ってるんだ。オレに、力が、本当にあるなら」

「大丈夫だ、お前には力がある」

「なら、超がんばるよ。やり方分かんねーから、もっと迷惑かけるかもだけどさ。でも、オレに返せるもんがあるかもって、そう思えることは、単純に嬉しい。うまく言えないんだけど……。オレって役立たずだったじゃん? お前ばっか、戦って、嫌な思いさせてさ。そんでオレばっか得してんの、やっぱおかしーもん。オレに役に立てる力があるんなら、有効に使いたい。オレ、お前の役に立ちたい。頑張る、超がんばる」


 ぐっと拳を握りしめて、目に力を込めてジャックの金の瞳を見つめる。


「そうだな。お前にしか出来ないだろう……」


 何の確信があるのやら、はっきりとジャックが言い切った。手を取られ、腕の中に引き寄せられるようにして、抱きしめられる。


「あー、あー、なぜ抱きしめるんだよっ!」


 千秋は思わず抱きしめる手を振りほどこうとした。


「ありがとう、千秋」


 ジャックが嬉しそうな声で、心の底から吐き出すように礼を言った。耳元をくすぐるようにぼそりと囁かれて、千秋は居心地悪く身をよじり、顔を俯ける。


「きっ、気が早いっつーの。まず、オレが魔道を使いこなさなきゃならないだろ。喜んでばっかいんじゃねーよっ」

「お前になら出来る」

「わ、分かったからさ……」

「お前にしか、私の願いを叶えることができない。私には、お前だけだ」


 ジャックの願い――。

 千秋にジャックを殺せということだろうか。そんなこと、出来るはずがない。少なくとも、千秋にはできない。もっと、別な形でジャックが助けられるなら、千秋は喜んで力を行使する。

 千秋はジャックの願いをそのまま叶えようとは言わなかった。


「オレ、お前の呪い――じゃなかった、お前に掛かった魔道を解く方法をみつけて、それから元の世界に戻るよ。決めた」


 自分に出来るだろうか、と思う。いや、自分が出来なければならないのだ。ジャックの肩に額を当て瞳をとじると、どくどくと脈打つ血流の音が聴こえてきた。


「オレができるなら。オレがお前を助けたい。だから、どうすりゃいいのか、一緒に見つけようぜ」

「……分かった。私は、私の持つすべてを掛けて、お前の身を守ろう。お前と――そして私自身のために」

「うし。じゃー、約束だ。握手しようぜ」


 千秋は頷いて、ジャックから身体を離し、彼に手を差し出した。


「またよろしくな?」






おわり

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