15 - 覚醒
「あ、あっちゃー。やっちゃったあ」
「ガウガウー」
ギルはあちゃーっと額に拳をあてて、ぺろっと舌を出して、反省のポーズをとった。ミレイユもギルを真似をして鳴き声をあげ、巨木の幹のような腕を曲げ、同じポーズをとった。
「ね、ミレイユ。やっちゃったねぇ?」
「ガァー?」
向かいあって首を傾げ、仲を深めた一人と一匹は、ぎゅうっと抱き合って自らを慰め合った。犯人は間違いなく自分たちだが、飛び出してきた『英雄』自身も悪い。二人には男が飛び出してくることなど事前に察知不可能だった。責任を取る必要はないはずだ。
自分で出した結論に、ギルはほっとため息をつく。おバカな自分としては、充分すぎる説明だと思う。
「おい」
「ひゃう!?」
背後で聞こえた恐ろしい声に、びくー! とギルは肩を震わせた。恐ろし過ぎて振り返れない。
どうしようか迷っているうち、ガッと頭を掴まれて、頭を握り潰さんばかりに力を込められる。
「あうあう! 陛下ぁぁぁ、あたまっ、あたまっ、みしみしいってるですぅぅぅぅ!!」
「陛下って呼ぶんじゃねェっつんだよォ!」
頭を掴まれたまま、空中に持ち上げられる。大きなローブのなかでギルは足をばたつかせ、ヒビの入りそうな頭から凶悪な手を外そうと腕を振って抵抗した。だが、身体の小さなギルのその動きはなんの妨害にもならなかった。
無情にも、ギルはくるーっと縦に反回転させられ、青筋立てて怒るユリウスの顔とご対面した。
「何で、オレ様の獲物を、てめェが、トドメ刺してんだァ!? 糞バカメガネ!!」
「ひゃうん。ごめんなさいぃぃ! だってだってぇ、急に入ってくるから止められなかったんですぅぅぅぅ」
「言い訳すんじゃねェ!」
「ひゃいん!」
ごすっと鈍い音を響かせ、ユリウスの拳がギルの腹に突きいれられる。そのままポイと投げ捨てられて、ギルは四回前転してその場にうずくまった。みしみし言う頭とずきずきする腹で、ギルの目は涙でいっぱいになる。
「あうあう。でもでも、英雄様が来るからいけないんですよぅ。ボ、ボ、ボクのせいじゃないんですぅぅぅ」
「てめェのせいだよォ。っち、二百年なんで生きてんのか、今すぐ知りたかったのによォ……」
ただ二百年生きていた訳じゃない。ユリウスやギルが見て分かるくらい、そのままの顔で、間違いなく今の今まで動いていた。まるで、時が止まったかのように。
魔道だ。ユリウスの知らない魔道がある。歳を取らない魔道か、生まれ直す魔道があるに違いない。――欲しい。
その力があったら、魔道国が願ってきた世界を作ることがどれだけ楽になることだろう。今、手に入れることができるなら。ユリウスは神に長く生きることを許されているといっていいだろう。世界を統べる者はユリウスだ、と、きっとそういう神託に違いない。
「あうあう。ミレイユ、怒られちゃったですぅ」
「がうーがうー!」
「ですです。でも、ミレイユのせいじゃないですよぅ。ボクが命令したんですぅ」
「ギャーウ!」
「ミレイユはいいこですぅ。ボク、ミレイユが、だいだい、だーいすきですぅ!」
「がうーう」
ユリウスが妄想に夢中になっている間、後ろでは山ひとつ分はあるドラゴンとその友人の交流が行われていた。互いを思いやる言葉を掛けあい、友情を確認したギルは、ひしっとミレイユの顎に抱きついてキスをする。ミレイユが照れたようにゴロゴロ喉を鳴らすのが可愛い。
そのやりとりに、プチッとユリウスの何かがキレた。
「あァ! クソ、うっせェぞォ! ギル、ミレイユ! てめェらオレ様の悪口言ってんじゃねーぞォ! 死にてェのかッ!?」
「悪口じゃないですぅぅぅぅ! 死にたくないですぅ」
「ガアアアァ、グアァァア!」
二人と一匹がモメる間に、まあまあととりなすように<ウィザード>たちが駆けつける。
そんなあまりにも緩い空気は――、まったく、その場にそぐわなかった。
「……ジャック……!」
千秋は小さく叫び、その肩口に顔を埋めた。
腕の中のジャックの身体から、次第に体温がなくなっていくのが、怖くてたまらない。
ジャックがいつか、モレーの上でやってほしいと言っていたように、向かい合って正面から抱きつく。彼がどこかに行ってしまわないように、その存在を繋ぎとめるように、深く腕を回す。
「目、開けろって! オレは、まだお前に何も返せてねえ。言い過ぎて、ゴメンって。謝ってすら、ねえのに。オレは、お前に死んで欲しくなんか……」
涙が溢れて止まらない。
ジャックが、死んでしまう。自分を助けて、自分を残して。自分が甘い考えで動いたばっかりに、ジャックが無理に動かざるを得なかった。千秋が動かなければ、ジャックは傷つかなかった。
千秋が殺したようなものだ。
ジャックを殺してしまった。
千秋の頭の中は、後悔と自責の念でいっぱいだった。嗚咽と涙が、ジャックの首筋に落ちる。受け止めてくれる人はもういない。何度も撫でてくれた手は、力なく地面に垂れたまま動かなかった。
「イレブンを回収する。ヘイズワナで遊ぶ前にイレブンを<ヒーラー>のトコに送っておかなきゃなんねェ。……一度帰るぜ」
<ウィザード>たちに窘められ、興がそがれたユリウスは、パキパキと指の関節を鳴らしながら、部下たちに命令を下した。
「はいですぅ! 結果的に、英雄様を無事手に入れられて、よかったですぅ。楽しい尋問、拷問、オシオキがまってるですねぇ! 持ちかえれば、たっぷりできるですぅ」
「あーはァ。それは楽しみだよなァ。英雄相手だぜェ? あァ……ゾクゾクすんなァ」
嗜虐趣味だけは息の合うユリウスとギルは、それぞれニタニタ・ころころと笑いながら、『英雄』にかける拷問を夢想した。ギルは自分が直接拷問できる機会があるといいなあ、なんていう後ろ向きの考えだったが。
今回も本当は、ギルだって『英雄』と戦ってみたかった。戦えなかったから、千秋が飛び出して来た時、遊べると思ったのだ。
「陛……ユリウス様ぁ、子どもはどうするですぅ?」
「イレブンが必死に守ってた子どもだぜェ? イレブンの弱みだぜェ? 回収しない手はねェだろォ! ひゃははははははは。イレブンも、チアキも、全部、オレ様のモンだ」
ユリウスは機嫌よく笑い、部下に移動の準備をさせ、自分は千秋の元へと歩を進めた。
腕を伸ばせばすぐに届くほどの距離に近づいたころ、ユリウスは千秋が泣いているのに気がついた。大声で叫びだしそうなのを堪えているような、くぐもった嗚咽が聞こえて、背筋にぞくぞくするような快感が駆けぬける。
千秋という子どもは、誰も見ていなくとも、意地を張ってみっともなく泣かないようにしているのだ。男としての自尊心があり、自分を律することができる少年が、堪え切れずに涙する様が果てしなく嗜虐心を煽る。地面に這いつくばらせ、自尊心をズタズタにして、ユリウスだけに忠実にあるように仕込みたい。
「チアキ」
ユリウスが声を掛けると、千秋ははっとしたように振り仰いだ。涙に濡れた頬と、ぐちゃぐちゃに乱れた髪が、ユリウスの前に晒された。少年は、ぐっと眉を寄せ、仇を見る恨みのこもった目で睨みつけると、腕の中の男の身体をユリウスの視線から遮るように庇った。
征服欲がむらむらと湧いてくる。この場で痛めつけたくなる。
「その目はやめろ。オレ様を煽るな」
「いッ――!? うぁ――あ!」
ユリウスは千秋の髪を掴むと、左右に激しく揺さぶった。切れ切れに悲鳴が上がるほど辛いらしいが、千秋はそれでも男の身体を放さない。
「チアキ。【来い】、ソレを離して、来るんだ」
「……!? な、なん、あッ」
ビクンッ。千秋の右腕が、まるで意思をもったかのように、それ自体が生きもののように突然跳ねた。血まみれの男の身体から放れ、ぐんっと千秋の身体をあちこちに動かす。
右腕は、なにかを求めていた。虚空を掻き、泳ぎ、息をするように、指を常に開いたり閉じたりしている。
千秋は自分の片腕に翻弄されながらも、耐えるように、左腕で男を抱きかかえ、重心を落とすように前屈みになっていた。
無駄な抵抗だ、とユリウスは思った。おかしくておかしくてたまらない。千秋に向かって、一歩近づくと、彼の右腕は明確にご主人様に向かって伸びて来る。
千秋にも、それが分かったらしい。
「近、近寄るなッ……、来んな、来るなあ!」
恐怖に彩られた表情で、少年は必死に叫んだ。ユリウスにとって、それが何よりも興奮する表情だと知らずに。
「近寄んなきゃァ、お前の右腕が、かわいそうだぜェ? オレ様が触りたくて、仕方ねェんだってさァ……」
「触りたくなんか――、ねぇよ!」
ユリウスがすぐ近くへ腰を落とすと、言葉とは裏腹に、千秋の右手はしっかりと破れたマントを掴んだ。まるでご褒美をねだるように、ユリウスの身体をあちこち撫でまわして、首に絡みつく。
信じられないものを見るような目で、呆然と、千秋は自分の右手を見ていた。
「何が、触りたくねェって?」
「あ、あ……嘘だ。これは、オレの手じゃない。なん、なんなんだよ、コレ……!」
千秋の涙でぬれた頬に、ユリウスは甘やかすように唇を落とす。ユリウスに絡みつく右腕のせいで、千秋もユリウスに寄り添っているような形になった。
顔を引きつらせ、千秋はユリウスから逃げるように、首をめちゃくちゃに振った。
「大丈夫だぜェ。素直になれよォ……。オレ様のモノになりてェだろォ? 力を抜けよ。【巡れ】【オレ様の言うことを聞きな】ァ、【来い】【お前はオレ様のモンだろ?】」
ずるり、と。千秋の左腕からジャックの身体がずり落ちた。穴に落ちてユリウスに会った時と同じように、右半身が言うことを聞かなくなっていた。しかも、今度は左だけでは耐えられないくらい、力が強い。
右腕が、右脚が、右頬が、ユリウスに引き寄せられる。褒められようと、絡みつく。
「あァ、来い」
「っくしょう……! ジャック……」
抱き寄せられ、左半身は物理的に押さえこまれてしまった。あちこちをユリウスの手が、舌がなめくじのように上半身を這った。
千秋は気持ち悪さに、首を無理矢理曲げ、後ろを振り返った。
「英雄様はボクが回収するです! ふんむぅぅぅぅ! って、ぜんぜん動かないですぅ!」
「っあ! ジャック!」
ギルがジャックに駆け寄ってきて、傍に片膝をついた。ギルはまるで物を扱うような手つきで、乱暴に引っ張っていこうとした。が、筋肉質で大柄な身体は、ギルの小さな手足では重くてちっとも動かなかった。
「ほらっ、そこの<ウィザード>一号、ボクを手伝うですよ!」
ギルはむうっと頬を膨らまし、<ウィザード>の一人を手招きで呼び寄せた。<ウィザード>もギルの命令に忠実に、引きずるように運ぼうとする。
「やめろ。やめろよ……。やめてくれ。そいつに触るな……」
千秋は鞭打たれたように身体を震わせた。ジャックの死を踏みにじるかのような、遺体を弄ぶかのようなギルたちの行為が、許せなかった。
「あァ? どうした? チアキ」
ユリウスが動きをとめ、怪訝そうに顔をあげた。
千秋の様子がおかしかった。
身体をわななかせ、びくん、びくんと全身を大きく痙攣させる。右半身の拘束が解け、彼はそのまま自らを抱きかかえるように、身体を縮めた。
「あ?」
たしかに自分のものにしたはずの右腕があっさりと離れていったことに、ユリウスは顔色を変えた。
何かが、おかしい。
「やめろおおおおお――――!!!」
千秋の咆哮に合わせ、彼の中心から、ぶわっと、強烈なニオイが弾けた。
「!!? ン、だ、とォ!?」
ユリウスは思わず鼻を押さえた。おいしそうで、強い『魔道持ち』のニオイ。まるで幻覚効果のある麻薬のようなニオイに、感情の主導権を握られそうになる。惹きつけられて離れられなくなる。相手のことしか考えられなくなる。
さっと周囲を見渡すと、<ウィザード>たちはもちろん、ギルでさえ、千秋をうっとりと見ていた。さすが考え無しのバカだ、直で嗅いだのだろう。
ユリウスの本能が警鐘を鳴らし続けている。このままでは、良くないことが起きる。
「……何だ、コレ……熱い――!?」
ユリウスが動揺しているのと同時に、千秋もまた自らに起こった変化にうろたえていた。身体の中が熱い。まるでマグマ溜まりが体内に出来てしまったかのようだ。両腕で身体を抱きしめ、はあ、はあ、と息を切らす。
息すらも熱い。ヤケドしそうで、本当は息さえしたくない。けれど、吐き出さなければ辛かった。
本当は、息なんかじゃなくて、もっとなにか別のものでこの熱を放出したかった。体内に留めたまま放置してしまったら、自分が辛いだろう。なんとなく、そんな気がした。
出したい。というよりも、自然と熱のほうから出ようとしていた。今の千秋にはこれを我慢するだけの力がないのだ。
「溢れ……出る、出ちゃ――うあっ!」
千秋が声をあげると、次の瞬間、ドラゴンによって薙ぎ倒された木々が瞬時に枯れた。まるで、長い長い木の命が吸いとられていくかのように。同心円上に生えたままの木も、同じように干からびていった。
バレスヴィアの中腹、千秋のいる地点を中心として、次々に木々が枯れていく。いや、木々だけではない、千秋が立っている地点から大地がひび割れ、白い灰に変化してゆく。風が止まる。渦を巻くような熱波が千秋から放出している。
「ッチィィィ。ギル、来いッ!!」
「ひゃううう」
ユリウスは大きく舌うちすると、未だぼうっとしたままのギルの首根を掴むと、千秋の傍から離脱した。変化していく大地よりも早く、地を駆ける。木々が枯れきっていない境界で立ち止まって振り返る。千秋は苦しみながら、あの熱波の勢いを激化させている。時間がない。
「【アンチマジック】【ウォール】【シェルター】【リバース】【ブラインド】残った精神力全部叩き込むぜェ!」
千秋とユリウス自身、それからギルの間に手の平で素早く一筆書きの印を描く。ついでにまだ正気に返っていないギルを蹴っておく。
「あう!? ななな、なんですぅ!? 気持ちよかったのにぃ」
「ボケてんじゃねェぞォ!! ギル、死にたくなかったら、てめェの力も寄越しやがれ!」
「はぅん! わ、分かりましたですぅ……!」
はっと我に返ったギルは、状況が飲み込めていないながらも、本能でユリウスの言葉に従った。
「うがあ――、あああああ――、っふ、ぐぅぅうううう!?」
千秋は一層苦しみ、灰化した地面に爪を立て、天を仰いで咆哮する。ビシッ、ビシッ、と空気が破裂するような音が立て続けに起こった。
そして、それは起こった。ユリウスたちは魔道に守られた安全圏のなかから、一部始終を見ていた。
「……なんだァ、ありゃ……!?」
一番初めにそれが起きたのは、ギルに指示され『英雄』を引きずっていた<ウィザード>の一人だった。千秋のニオイに当てられ、ぼんやりとした顔が僅かに驚いたように目を見開いた。
途端。その顔の皺が増え、肉が萎んでいき、目玉が陥没し、唇がめくれあがって歯茎がむき出しになり、だらりと垂れ下がった舌が先から干からびていった。顔だけではない、首も手も、脚も、まるで骨と皮だけになったかのように、萎びていった。先の枯れた木々とほとんど同じ現象である。自分の足で支え切れなくなり、ぽっきりと根もとから折れるように、最初の被害者は地に倒れた。
次々に他の、九人の<ウィザード>たちも同じように枯れていった。誰もが千秋に魅了されていて、逃げ出すことがなかったから、比較的容易に――なんの邪魔が入ることもなくその作業は進んだ。
「どういうことだァ?」
ユリウスは生きてきた中で、あんな魔道を見たことがない。魔道国の膨大な記録の中にも、思い当たるものはなかった。あるとして、誰かが独占している研究の場合だが、今は考えても仕方がない。ユリウスが知らないということは、つまりはユリウスには使えない魔道だ、ということだ。
「ひゃうぅ、ボ、ボクのミレイユがあああ」
ユリウスの足元で、ギルが真っ青になって叫んだ。魔道で作った安全圏の中から今にも走りだそうとする。
「ちィ。死にたくなかったら、じっとしとけェ!」
「陛下、だって、だって、ミレイユがっっ!」
ギャゥゥウゥゥン――、と苦しげなミレイユの鳴き声が響いた。
小山のように大きなミレイユの身体が、目を離した隙に、一般的な移動用魔物モレーくらいの大きさにまで縮んでいた。崖のようだった牙は子どもの手首くらい、巨木のようだった手足は生えて十年程度の若木のように細くなっている。鋼のように固かった鱗は、まるで生まれたてのようにつやつやとしてぬめりけがあり、瑞々しい。表皮には張りがあって柔らかそうな弾力が見てとれ、爪は浅い傷しかつけられないような小さなものしかついていない。
「――あァ? 様子がおかしいぜェ……? まさか、別の魔道を行使してやがんのか?」
「ま、ますます、行かなきゃですぅ! ミレイユぅぅ」
「ざけんな、行かせるかよォ」
ユリウスはギルを羽交い締めにし、暴れる身体を取り押さえた。
「ドラゴンには替えがあるが、てめェにはねェぞォ! オレ様たち<イノセンス>の<混血児>は数が少ねェんだぞォ、分かってんのかァ!?」
「でも、でもぉぉ!」
ユリウスの言葉に、ギルは大粒の涙をぼろぼろ零した。ミレイユにだって、替えはないのだ。魔道国にいるほかのドラゴンは、ミレイユじゃないドラゴンだ。ギルと言葉を交わしてくれるミレイユの代わりなんてない。
けれど、ユリウスの言葉は絶対だった。ユリウスにとっては、魔道国にとっては、ドラゴンよりもギルのほうが必要なのだ。
「ふええええん」
ギルは身体の力を抜くと、ひしっとユリウスの腰に抱きついて泣いた。いつもなら殴ってやるところだが、ユリウスは今度ばかりは好きにさせてやる。
それよりも、あの得体のしれない魔道のことが――それを行使した人間のことが、気に掛かった。
「チアキ……。アイツ――、なんなんだァ?」
ユリウスの視線の先、苦しむ千秋の傍らに、胎児のような塊が浮いている。優しい瞳、赤ん坊の指のような歯、作り物のような翼。ミレイユだったそれは甲高く一声鳴き、その姿を消した。
■ ■ ■
ジャックが目を開くと、すぐ傍に上半身裸の少年が立っていた。
「千秋……?」
声を掛けると、彼ははっと首を動かし、驚いたように目を丸くした。
「ジャ……ック……。おき……たのか。よか、った」
千秋は息苦しそうに言うと、埃まみれの顔でほっとしたように笑った。ぐらり、とその身体が揺れる。
「っ、千秋! どうした!?」
そのまま倒れそうになった千秋を、ジャックは慌ててその腕の中に抱きとめた。ぎくりとしたのは、その身体が異常に熱かったことだ。
千秋は油汗を額ににじませ、びくびくと筋肉を痙攣させて、焦点の合わない瞳をジャックに向けた。
「ん。分かんねえ……。ごめ、ねむ、い」
「眠い……?」
「うん……」
わずかに首を動かし、千秋は瞼をとじた。がくり、とその身体から力が抜け、ジャックの腕にその体重のすべてが掛かる。うっすらと、寝息が聞こえる。
ジャックは訳も分からず、千秋の身体を抱きしめた。
「……? この匂い、は」
千秋の中から、あの自信過剰な男の他に、強烈な力の残り香がする。懐かしいような、だが確かに初めて出会う純粋で圧倒的な力を持った素質の匂いがする。何もかもを差し出したくなるような、支配者の力だ。
そして、ジャックにとっては切なくてたまらない、待ち望んだ希望の匂いだ。
なぜ、千秋からその匂いがするのか、ジャックは都合よく考えそうになる頭を振り、その考えをかき消した。
「……千秋」
ジャックが気を失っている間に、何があったのだろう。意識のない身体を横抱きにすると、頭の頂点からつま先までをつぶさに観察する。
「大きな怪我は、ない、か……」
ほっと息をつく。細かい傷はたくさんあったし、何よりも熱を帯びた身体が明確な体調不良を訴えていたが、今すぐ手当てが必要な怪我はないようだ。
あのドラゴンに爪を向けられた千秋を見た時、ジャックは彼を守りきれるかどうかなど考えていられなかった。爪と千秋の間に入り、盾になることくらいしか、あのときのジャックにはできなかった。すべての攻撃を防げたのかすら分からなかった――、だから、千秋が傷を負ってしまったのではないかと思ったのだ。
ジャックはそこまで考えて、なぜか自分が普通に動けていることに今さら思い至った。
「時間が……」
ジャックは空を見上げた。まだ明るく、陽の入りの気配すらない。あの魔道士たちと出会ってから、まだ数刻も経っていないはずだ。自分の復活が早すぎる、と、ジャックは思った。
と、そこで異変に気付く。
「これは……一体?」
ジャックたちを取り囲むように、荒廃した土地が広がっていた。木々は枯れ、大地は干からび灰化して、草の一本も生えていない。見回す限り、まるで円形劇場のように視界が開けている。
円外には、今までのバレスヴィアと変わらない景色が広がっているだけに、その異様さは明らかだった。
「ああ――」
灰化した大地の上に、十体の死体が転がっていた。その身に纏ったローブから、ジャックにはそれが魔道国の<ウィザード>たちである、と分かった。
あの自信過剰な<殺戮兵器>の――いや、<混血児>の男と、メガネの少年、ドラゴンの姿はない。逃げたのだろうか。
<ウィザード>たちの死体は、枯れ木とほどんと同じに見えた。肉が腐って削げ落ちたところもあれば、骨に皮が張り付いた状態のところもある。内臓がくさったのか、強い腐敗臭がした。死んでから何の処置も施されないまま何年も放置されたような現象だ、とジャックは思った。
「魔道、か」
まるで、この円内一帯だけ、時間の規律が乱れたかのようだ。局地的な現象が、自然に起こるはずはない。魔道国の者が、魔道士の命をみだりに落とす力を使うはずはない。
ジャックはふっと息を吐くと、自分の腕の中を万感の思いで見つめた。
「千秋、お前が――私の『主』か?」
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