11 - 少女と盗賊団、ジャックの変化
どこかから水の音がする。
暗く、じめじめした地下牢で少女は目を覚ました。布一枚ない固い床の上で寝ていたせいか身体のあちこちが痛かった。清掃も換気もなされていない、黴混じりの淀んだ空気は、吸いこむだけで身体の中から汚れていくような気がする。
喉をさすって手を動かすと、カチャカチャと鎖の音がした。それは少女の手首同士を繋いでいて、動きを封じ込めている。片手の動きに釣られてもう片方もぶらぶらと揺れる。
そっと目線を動かせば、自分の足首が、手首にあるのと同じような拘束具がつけられている。足首と鎖で繋がっているのは、牢屋奥の壁の杭。
少女は床に座ったまま、膝を曲げ、足首を手で持ち、杭を引っ張ってみた。一度、二度。体重を掛けるように引いても、杭はびくともしない。とうとう、拘束具との摩擦で傷ついた皮膚がめくれて血が出たのでやめた。
逃げられない。
「チェイス……」
頭をよぎるのは、離れてしまった弟のこと。自分と一緒に捕まっていないのが気に掛かる。
あの時。盗賊団たちと鉢合わせしてしまった時。少女は逃げなさいと言ったけれど、チェイスは離れたくないと、果敢にも盗賊たちと戦おうとした。男の一人に殴られてから、一度も起き上がらなかった。もしかしたら、殺されてしまっていたのかもしれない。
捕まって半日後にここに移されてから、飲み水と木の実を数回与えられただけだった。どのくらいの日数が経ったのか、地下からでは想像も出来ない。これからどうなるのかは、もっと分からなかった。
「わたし、殺されちゃうのかな」
ぐっと奥歯を噛みしめて、膝を抱えてうずくまる。どうせ死ぬなら、弟と一緒に死なせてくれればよかったのに。殺すのなら、なぜ水と食料を与えたのだろう。なんのために生かされているのか、少女には分からなかった。
一時間、二時間。どのくらいの時間そうしていただろう。初めの変化は些細なことだった。
少女が座りこんだすぐ脇を、何か小さなものが叩くように駆けた。臆病で小さな魔物、ヤッカスだ。地中に入りこむ性質があり、地下倉庫に棲みつくこともあるという。とにかく人の目を避け、滅多に姿を表さない。そのはずなのだが。彼らはチイチイと微かな鳴き声を上げて、彼女の目の前を右往左往すると、地上への階段へ逃げていった。
「なんで……、きゃっ」
ヤッカスを追い掛けて牢屋の扉近くまで来ていた少女は、次にグラグラと地面が揺れて格子に縋りついた。地下牢全体を大きな魔物が掴んで揺らしているのではないか、というほどの揺れだった。おそろしいほどの地鳴りが鼓膜を襲い、少女は座りこみ、耳を塞いで揺れに耐えた。岩同士がぶつかって粉々になった石屑が少女の上に降ってくる。
上の階も、段々と騒がしくなってきた。怒号。叫び声。悲鳴。おそらく少女を連れてきた人数よりも遥かに多い男たちの声がする。
しばらくして、揺れが収まり、ぱら、ぱらと最後のかけらが少女の上に落ちた。
「オイッ、報告しやがれっ! 何があった」
「たい、退避、退避命令をお願いします。緊急事態です」
大声で話しているのだろう、上階のやりとりが少女にも微かに聞こえた。何か、よくないことが起こっているようだ。
「どういうことだ?」
「魔道士が、周囲を火の海に……。他の同業連中を、こ、殺しまくってる」
「なんだと!?」
盗賊団<炎の牙>の頭領は、魔道士と聞いて血相を変えた。魔道士とやり合って無事でいられる団員がどれだけいるか、団を率いる立場にいる彼にはよくわかっていた。
魔道士が魔道を放つスピードは、魔法を放つよりも遥かに早いという。同業者たちが殺されているのが事実なら、噂は本当だったということだ。いや、一撃入れる隙があったとして、対魔道どころか、まともな対人戦闘の経験もない自分たちでは、話にならないだろう。<炎の牙>は人目につかないように移動を繰り返すようなタイプの盗賊団なのだ。壊滅は目に見えている。
「剣を持った魔道士が一人。子どもの魔道士が一人。他に、残り十人魔道士がいる」
「十二人!?」
「ヤベェ……」
「剣を持った魔道士って、なんだ!?」
「それに……、ドラゴンを一匹連れてきてやがる。野生じゃなくて、飼い馴らされてるっ」
「ドラゴン使いだとぉ……!?」
ドラゴン。世界で最も強い魔物の一種。バレスヴィアやノーヴェルヴィアのような、人の近付かない山には必ず一体棲むと言われている。知能が高く、食べる肉の量が少なく、攻撃して抵抗するような人間を食べたり襲ったりすることはないという。だが、怒りを買うか、使役されるかして、我を忘れれば別である。
話が終わる前に、我先にと団員たちが逃げ出していった。盗賊団にならなければ、ロクに職も見つけられず落ちぶれていたような連中ばかりだ。戦闘をしなくていいから、なんて理由で<炎の牙>に入ったクズなヤツらだ、命だけは惜しい、と逃げ出したくなるのも分かる。
「てめえらあああ!!! 逃げるぞ、準備しやがれ、走れなくなるほど荷物は持つんじゃねえ!! いいかぁ!!」
頭領である自分が声を掛けなければ、大荷物で逃げようとするようなどうしようもない奴らだ。クズばっかりで、盗賊団がなくなればどこかの街で野たれ死ぬだろう。今さえ乗り切れば、また<炎の牙>で面倒を見てやってもいい。
頭領は身一つで逃げていく手下どもに発破を掛けてやりながら、自分はどうするべきかとたったひとつの得物――突剣を眺めた。この集団で、一番たちまわれるのは自分だ。やるなら、クズどもを逃げさせ、自分もまた無事に帰れるかを考えなければならない。しばらく握っていなかったから、腕も鈍っている。魔道士とやりあったことはない。いくら魔道士が近接に弱いとはいえ、十二人相手に一人で戦うのは無謀だ。
やはり逃げるしかないか。
「カシラ、下に居る女はどうします?」
「あ? そうか、攫ってきた女がいたな……。売り払うつもりだったが、足手まといを連れて動くわけには」
「じゃあ、置いていきますか」
三日前に子分が攫ってきた少女は、器量のいい、初潮もまだきていないような年ごろの娘だった。子ども二人でふらふらしていたというから、親にでも捨てられたのだろう。かわいそうなことだ。
高い金で売れそうだと思っていたから、残念だ。幼い女を求める金持ちは不思議と多いから、期待をしていたのに。自分の娘くらいの子どもに欲情するだなんて、頭領には分からないことだったが、事情は人それぞれあるものだ。国によっても、好まれる女の種類は違うというし――
「いや、待て。あれは連れて行こう」
「へ? なんです、惜しくなりました?」
「魔道国には子どもが足らんという。子どもを交換条件として見逃すよう頼めば、安全に逃げられるんじゃないか?」
「あっ、頭領さすがっす。頭良いっすね!! そうしましょう!」
調子良く煽てて地下へ走っていく子分を見送り、頭領はため息をついた。想定通りに事が運ぶわけがない、頭のいい彼には分かっていた。うまくいかずとも、どうしようもない奴らが逃げられる時間稼ぎになるだろう。逃げれたら逃げれたでいい。子どもを持っておく、のは最後の切り札だ。最初から交渉しに行くわけじゃない。
思い悩む頭領の前に、無理矢理引っ張られるようにして、手枷をつけた少女が連れてこられた。簡素な一枚布のワンピース姿で、破れかけたところから、柔い肌が透けて見える。
剥きだしの足は、驚くほど白く人形のようだったが、片方の足首が真っ赤に腫れあがり、皮膚のめくれたところから、うっすらと血がにじんでいた。逃げようとしていたんだろう。
「嬢ちゃん。ちょっと、マズいことになってな。俺たちと来てくれ」
「え? あの、どこへ……」
頭領は少女の腕を掴むと、そのままアジトの外へ出た。洞窟の入り口のような、カモフラージュした入り口をくぐると、見慣れたバレスヴィアの山肌が視界いっぱいに広がった。ここは一番長い拠点だった。できれば死ぬまで使って行きたいくらいだったが、仕方ない。
「取り合えず、どっかの街へ逃げるつもりだが、嬢ちゃんにどうしてもらうかは分からん」
「……?」
「バレスヴィアは今、ヤバい状況だ。魔道士たちが盗賊団を殺しまくっているんだ」
頭領が言うと、まるでそれを証明するかのように、山の中腹、いくらも離れていないところで、あり得ない数の火柱が上がった。煙がもうもうと立ち上り、風にあおられても消える気配もなく、火がそれ以上広がる様子もなく、火柱がただそこで燃え続けている。魔法で再現するならどれだけの<マテリアル>がいるのか。
魔道でしかあり得ないと少女も悟ったのか、はっと息を飲み込んで、顔を青ざめた。
「あれだ……。アイツらが、俺たちを殺しに来たら、交換条件として、あんたを差し出して逃げようと思ってる。悪く思わないでくれ。ここで置いていかれて、飢えて死ぬよりいいだろ?」
「……」
少女は答えなかった。どちらでも、運命は変えられないとでもいうかのように、切なく瞳を潤ませ、睫毛を震わせている。
頭領は少女の手を取り、元気づけるように握ると、「悪いが、急がないといけない」と歩くように促した。
彼女は諦めたように、従順に彼の後を追って歩きだした。
「カシラッ、何か来ますッ!」
「なに!?」
手下が声を上げ、<炎の牙>頭領がさっと警戒態勢になり、腰に下げた突剣に手を伸ばそうとした時だった。
「……がッ!?」
「おい、どうした!」
黒い影のようなものが三人の間を掛け抜け、まずは子分が倒れた。外傷は何も見当たらず、ただ気を失ったように口から泡を吹いてうつ伏せに転がっている。
「ぐっ――」
次に、また何かが掛け抜けたとき、頭領が腹に強烈な突きを食らった。彼は腹を押さえ、片膝をつけてうずくまった。止血を、という考えが頭に掠めてから、腹に血独特のぬめるような感触がなにもないことに気づいた。打撃だ。
「きゃっ!?」
頭領がはっと背後を振りむくと、少女の隣には革製の胸当てと、大ぶりの剣、二本のナイフと、簡素な装備の男が立っていた。浅黒い肌、短く切りそろえられた黒髪、金の瞳。
黒い影はこの男のものか、と頭領は思った。
「無事か。お前が、シェルだな」
「えっ!? あっ、あああああ、あの――ど、どなたですか……? なぜ、わたしの名前を……」
男は答えず、自分の名前を呼ばれてうろたえる少女をよそに、ナイフを使って器用に拘束具を破壊していった。シェルは、男の真意が分からず、感謝をしていいのかどうか、びくびくと怯えた様子で見上げた。
「ジャック様」
「ねーちゃあああん!」
茂みの奥から、二人の男と少年が現れた。シェルははっとして少年の元へ駆け寄った。
「チェイス!」
「うわあああん! ねええちゃああああん!」
ひしっと姉に縋りついたチェイスは、涙を流しながらぐりぐりと姉の腹に顔を擦りつけた。
一方のシェルは、どうして弟がここにいるのか、そして見知らぬ男三人とともにいるのか、訳が分からなかった。聞きたいことはたくさんあったけれど、弟が確かに生きていたのだと、素直な喜びで胸がいっぱいで自然と目に涙がにじんだ。
再会の喜びを分かち合う姉弟たちを呆然と見つめていた頭領は、自分の視界が影で覆われて顔をあげた。
子分と自分を瞬時に沈めた、浅黒い肌の男が見下ろすようにして立っている。
「おい。なぜ、とどめを刺さないんだ? お前なら、その腰につけてる剣で、俺たちを斬れただろう?」
「……大した理由はない。私が人を殺すと、機嫌を悪くする奴がいるんだ」
「なんだぁ、そりゃ」
「そいつの言うことには、人を殺してはいけないらしい」
「意味が分かんねえなあ」
頭領は痛みの残る腹をさすりながら、腰をあげた。並ぶように立つと、男は自分とほとんど変わらないくらいの上背だった。だが、その肉体は違う。
昔鍛えたきりで最近サボり気味の頭領の、だらしのない筋肉と違って、未だ現役で生命力に満ち溢れた引き締まった筋肉は見事だった。男の身体は剣を振るうために存在している。
羨ましい、と頭領は思う。自分が現役だった頃でも、この男にはけして敵わなかっただろう。まして、チャチな商売をやっている現在では、到底、比べるのもばかばかしいくらいだ。
「お前らは、あのお嬢ちゃんを助けに来たのか?」
「……そうだな。助けたいと言う奴がいたからな」
「だったら、さっさと逃げるんだな。俺たちクズ盗賊団はもう、逃げてるぜ」
「逃げる? 何からだ」
「見なかったのか、さっき山に上がった炎柱を」
頭領は、男に促すように山の中腹を振り返って見せた。先ほどまで確かにあった炎は、幻のようにかき消えていた。何かが燃えたあとのような煙が、うっすらと見える。
「どういうことだ? 何があった」
「魔道士の仕業よ。同業の連中が、殺されまくってるのさ」
頭領の言葉に、ぴくり、と男は眉をあげ、切れ長の目をすっと細めた。金色の目がらんらんと輝いたような気がして、ぎくりとする。
「本当かどうかは分からんが、剣を使う奴とドラゴンを使う奴がいるらしい。逃げたほうが懸命だぜ」
「ああ。勿論、逃げさせよう。お前も逃げたらいい。ただし、二度と人を攫ったりするな。私に殺されたくなければ」
「……わかったぜ。でも、殺しちゃまずいんじゃなかったのかい?」
「千秋がいる前では殺さない」
男がきっぱりと言うので、頭領は肩をすくめた。まだ倒れたままの子分を担ぎ、ひっそりと姿を消した。
「ジャック様。あれでよろしいんですか?」
「依頼内容は、シェルの救出だけだ。盗賊団の壊滅ではない」
シリルの問いに、ジャックは深く頷いた。殺さない、ことは可能なのだ。後に禍根を残すことになるかもしれないが、その責任も負わなくてはいけないだろう。あれが何かをして邪魔になったら、その時殺せばいいだけだ。
殺して、千秋にまた怒られるかもしれないから、出来るだけ知られたくないけれど。
「これで問題ない」
ジャックが言うと、シリルはそれ以上追及しようとしなかった。
「残るは、魔道士、か」
ジャックは自分以外の四人を眺めた。
シリルはジャックの判断を待ち、セーカは周囲の警戒にあたっている。チェイスはまだ泣きやまないようでシェルのスカートをひっしと握っていて、シェルは今後を憂うように、ジャックたちの会話を聞いている。彼女は、自分たちの状況を把握しようとしているのだ。チェイスもそうだったが、シェルは彼以上に処世術を身につけている。一人で生きていけるだろう。
「シリル、セーカ。おまえたちは姉弟を連れてフィラートへ戻れ。魔道士から攻撃を受けるおそれがある。即刻バレスヴィアから離れろ」
「了解。あの、……ですが、ジャック様はどうなさるのです?」
「私は魔道士と接触する。できれば捕えて、尋問すべきだな。なぜバレスヴィアで、盗賊狩りをしているのか」
まさか、盗賊の被害に悩んでいたというわけではないだろう。ただの盗賊など、あの国には入ることができない。もし入れたとして、何を盗むというのか。あの国では物の価値が違いすぎる。
「……お気をつけて」
シリルたちは、姉弟たちを一人ずつその腕に抱えると、地を蹴ってその場を離れた。走り去る速度は、ジャックの全速力よりも遅かったが、モレーのところまで無事に辿りつけるだけで充分だ。
ジャックは腰につけていた袋から、<風の矢>を取り出した。キリルへ連絡をつけるためだ。シェルを救いだしたこと、千秋を連れてバレスヴィアを離れるように伝えなければならない
「【行使する、風の力を封じ込めし聖なる矢よ。風を切り、繋ぎ止め、我と彼の者の声を届――】」
緑に輝く矢を手に持ち、<ヴェムノム>を唱えたときだった。とすん、と、自分が持っている物質とほとんど同じ、緑の矢が目の前に刺さった。ジャックの<風の矢>は二対あったから、自分の魔法が発動したわけではない。
「キリルか?」
矢を受け取り、相手の声を確認したジャックは、しばらく相手の報告を黙って聞き、そしてその内容に耳を疑った。
「……千秋が、小さな穴に落ちた? どういうことだ?」
「わかりません。手の平大の穴に、チアキ様が落ちていってしまわれたのです。確かにこの目で見たのですが……。今でも、信じられません。自分がついていながら、申し訳ありません。ジャック様」
「いや――。それは、おそらく魔道士の仕業だ。お前が分からなくとも、無理はない」
自分が救助に向かうこと、シリル・セイカー両名と合流し姉弟たちを無事送り届けることを告げると、ジャックは反論を待たずに緑の矢を折った。風の力は失われ、まるで世界に融けるように消えていく。
ジャックは自分の指が震えているのに気がついた。恐れている。魔道士それ自体を、ではない。
千秋が魔道士の元にいたとして、ジャックのやることは変わらない。魔道士を見つけ出し、捕まえて、企みを聞く。あるいは生き証人としてリチャードの元へ届ける。
やらなければならないことが決まっているのに、なぜだか、ジャックの心は別のものでいっぱいになっていた。恐怖と焦燥。二度と感じることがないだろうと思っていたものだった。
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