09 - 意見の相違
チェイスの話はこうだった。
チェイスとシェルは仲の良い姉弟だった。ティザーン王国の西南の隣国、ヘイズワナ小国で両親と仲良く暮らしていたが、事情があって二人揃って商人に売り飛ばされた。二人は離ればなれになるのを嫌がって、商人の元から逃げ出して、ティザーン王国のとある貧しい村に辿りついた。
優しい村の人々に助けられて、野菜の育て方や魔物に見つからないように身を隠す方法、簡単な魔法など生活の術をたくさん習った。平和に暮らしていけるかと思ったが、ある日、逃げ出してきた商人が偶然にも二人を保護した村を訪れた。
発見を恐れた二人は、あらゆる村を転々として、このフィラートの街に辿りついた。音楽を学びに来たと言えば通れる、特殊な街だ。チェイスは楽器を創作し、笛吹きになった。シェルは美声を生かして歌唄いになった。稼ぎは少なかったが、一食は食べていけたしやっと平穏な生活を送れると二人は思った。
チェイスの新しい楽器を作るために、原料となる木と鉱石を探しに入った山で、盗賊団と会うまでは――
「ねーちゃんが、おれに、にげろっていったんだ。でもおれはいやだっていって、そしたら、なぐられて、そんで、きづいたら、ねーちゃんいなくて……。ねーちゃんのさんだるがいっこだけおちてて……。ねーちゃん、おれのせいで、あいつらにさらわれたんだっ!」
チェイスは膝の上でぐっと拳を握りしめて、涙を堪えるように口を真一文字に結んだ。
しんとその場に沈黙が訪れた。
食堂から場所を移し、キリルの部屋だ。ベッドに腰掛けたチェイスを囲むようにして立っていた千秋、キリル、シリル、セイカーは、それぞれに顔を見合わせた。ジャックは動揺したそぶりもなく、じっとチェイスを観察していた。何を考えているのか、見当もつかない。
「それ、いつのことだ?」
「きのうだ。いそがねーとねーちゃんがあぶないだろ!」
「警備の者に連絡は」
「したけど、いそがしーっていわれた。あいつら、やくにたたねー」
「まあ、街中の事件で手が足りないのでしょうね。報告しておきましょう」
「報告って、リチャード様にか……。怒られるんだろうな警備の人……」
「改善は無理でしょうし、彼のお姉さん捜索だけと働きかけても、一週間はかかるでしょうね」
連中のあの様子では、とキリルは何か含むような口ぶりで言う。広場での一件で別れてから戻ってくるまでに、この街に駐留する警備兵の動きが鈍いと確信するだけの出来事があったか、情報を掴んだかしたのだろう。
「う。そうだ。いそがなきゃいけねーんだ。だからおれ、つえーやつすっげーさがしていっぱいいっぱいたのんだんだけど、おまえらしかまじめにはなしきーてくんなかったんだ」
無理もない、見知らぬ子どもに手を差し伸べる奇特な人間など、そういるはずもないのだ。
「たのむよ! おれのねーちゃんをたすけてくれよ」
千秋はジャックの様子を伺った。何よりもまず、『奇特な』彼が口を出すべきだと思ったからだ。けれど、ジャックは動かなかった。
キリルも、シリルも、セイカーも、自分から解決しようとは言いださない。耐えきれなかったのは千秋だ。
「盗賊団の特徴、何か覚えていること、あるか。オレたちが力になってやれると思う」
「ほんとか!!」
「千秋」
窘めるように肩にジャックの手が置かれた。顔を見なくても分かる。「危険だ。やめろ」と言う目をしているんだろう。
「だって、ジャック。助けてやりてーじゃんか。親元に帰れなくて、力を合わせてきた、たった一人の姉弟だぜ。オレだって、妹が攫われて警察に動けねえとか言われたら、自分でなんとかしようとしてたと思う。こいつだって、きっとそうだぜ。今、オレたちが手伝うって言ってやらなかったら、きっと自分一人で探しに行ってたはずだ」
「……そうだ。だれも、てつだってくれねえっていうなら、おれひとりでいくつもりだった」
「なあ、子どもが危険の中に飛び込もうとしてんだぜ。お前なら、助けたいって思うはずなんじゃねえの?」
千秋の言葉に、ジャックは首を縦に振らなかった。が、反対をするつもりもないらしい。
「お前が助けたいなら、助ければいい。私はお前を守るだけだ」
まるで他人事のような言い草に、千秋は強いショックを受けた。チェイスに対するジャックの言動は、彼自身の信念と、初めて出会ったときの不審な自分を保護してからこれまでの彼の言動とあまりにも異なっている。
ジャックの内部が、見知らぬ人間に変質してしまったようだった。いや、果たして千秋はどれだけジャックのことを知っていただろう。
暴力的かつ、排他的かつ、千秋に対してだけの妄執じみた態度。
今日初めて知ったような彼の性質は、しかし元々ジャックの中に存在していたし、千秋も気づいていた。けれど、過去の経験や因縁を知らなければ理解出来ないと聞かずにいたし、彼の言う『信念』が隠れ蓑になって千秋への態度を世話しなければならない人間への親切な態度なのだと都合のいいように解釈していた。
ジャックが理解できない。信用しきれない。
千秋の中に蓄積した不満と不信は――先の思いもよらない殺人のことも含めて、ジャックへの反発を生んだ。
「……じゃあ、勝手にするよ」
千秋はジャックをひと睨みして、チェイスに向き直った。
「チェイス。盗賊団のこと、なんでもいい。聞かせてくれ」
「おう。わかった」
チェイスが遭遇した盗賊団は、五・六人くらい。いかにも腕っぷしの強そうなやつらも多かったが、手先が器用そうな男たちもいた。服装はバラバラで、筋肉自慢のティザーン人は上半身裸だが、ジ=レオン国のレオン族は全身黒ずくめで顔以外の肌を露出していなかった。
バラバラな彼らの共通点は、男であることと、肌の見えやすいところに同じ刺青を彫っていることだった。刺青は、上下に三本ずつ、計六本の三日月型の文様(上三本は右側が欠けていて、下三本は左側が欠けている)。単なる三日月形ではなくて、まるで炎が立ち上るような揺らめきを表現するようにいくつもの波線で描かれていた。
「<炎の牙>ですね。フィラート地方を中心として活動している、大型盗賊団です。異なった人種が集っているのも特徴ですから、間違いないでしょう」
身ぶり手ぶりも交えたチェイスのたどたどしい話が終わると、キリルがきっぱりと言い切り、シリルやセーカも同意した。
「有名なのか?」
「自分たちが知っているのは当然ですよ」
「あ、そーだった。キリルさんたち、けっこうスゲー人だったっけ」
「自分たちに限らずとも、知っている人は知っているでしょう。被害は、数が多いというだけで、ひとつひとつの規模はそう大きくはないですね。小物集団です。厄介なのは、数が多い上に小隊で動き回り、仮拠点を転々とするために、一度に潰すことができないところです。仮拠点を叩きに行っても、既に放棄されていたという報告も」
「チェイスの姉ちゃんも、どこにいるか分からないってことか?」
「そんなあ……」
千秋の言葉に反応するように、チェイスががっくりと肩を落とした。どこへ行ったらいいのか分からないのでは、せっかく誘拐翌日に初動できるというのに、チェイスの姉が命を落とす可能性もあるではないか。
「行ってみるだけ、ここらへんの仮拠点に行ってみるか? もしかしたらいるかもしれないしさ」
「いえ。行くのなら、バレスヴィアがいいでしょうね」
「バレスヴィア?」
耳慣れない言葉に千秋は思わずオウム返しで尋ねた。
バレスヴィア。
ティザーン王国と、ガルファン魔道国、ヘイズワナ小国、ジ=レオン王国の国境に位置する山脈の総称である。が、多くは、山脈内最大の活火山を指して用いられる。活火山はティザーン王国・ヘイズワナ小国・ガルファン魔道国の三国にまたがって存在している。
別名は<忘却の炎>。過去の火山活動で多くの被害が起きていること、百年前に三ヶ国の麓近くの街・村・集落一帯を焼き払う大規模噴火があったため、この名前で呼ばれるようになった。現在ではバレスヴィア火山の周辺に住む人間はおらず、整備もされていないため魔物たちの巣窟となり、近付く人間すらいなくなった。
しかし、最近、バレスヴィア方面へと移動する<炎の牙>や他盗賊団の姿が目撃されたという情報が入るようになった。調べてみれば、ティザーン王国方面のバレスヴィア山麓では、魔物の姿が発見されなかった。詳しい要因は不明だが、魔物が住処を変えた後盗賊団が棲みついたのではと考えられている。とはいえ魔物が完全に姿を消したとも考えづらいため、詳細な調査と盗賊団討伐は行われていないのが現状である。
「危ないところじゃんか。噴火の危険がある上に、魔物がいるかもしれなくて、実行犯の<炎の牙>のほかに別の盗賊団もいるかもってことだろ」
「そうですね。自然災害は回避しようがありませんが、残りの要素はできれば避けたいところです。バレスヴィアには自分たちが参りましょう。チアキ様はジャック様とお残りください」
「……嫌だよ。オレは行く。決めた。オレはチェイスのねーちゃんを探しに、バレスヴィアに行く」
千秋が宣言すると、キリルたちは一様に戸惑ったような、だが半ば諦めたような複雑な表情をした。彼らは救いを求めるようにジャックの顔を伺ったが、彼は目を細めて千秋の背を眺めるばかりで口を開こうとしない。
「お、おれもいく!」
一番に千秋に同意をしたのは、依頼主・チェイスだった。
「何言ってんだよ、チェイス。危ないところだって話、ちゃんと聞いてたのか? いいから、残っとけって」
「きいてたよ! おまえだって、きいたけど、あぶないけど、いくんだろ。じゃあおれもいくよ。おいてかれそうになるってことは、おまえ、よわいんだろ。おれにのこれなんて、ふざけんなよ」
「ぐっ、お前、誰もハッキリ言わなかったことをズケズケとぉっ……!」
「おれがいないと、ほんとうにおれのねーちゃんか、わかんないじゃねえか。ねーちゃんをさがしてほしいんだよ! みたやつらがいたらおれすぐわかるし役に立つって。おまえらおいてったら、こっそりついてくぞ!」
「くそっ、場所言っちゃったのがマズったか。……わあったよぉ! お前も来いよ!」
「やったー!」
十も歳の離れた少年に言い負かされるとは、千秋としても予想外だった。しかも、「チェイスが一人で出歩きあぶない目に合うのは阻止しなければならない」は、千秋がジャックに使った論理だ。彼はただ幼いだけじゃなく、どう発言すれば相手に効果的か、ちゃんと学習しているのだ。
一ヶ月半近く一緒にいて、千秋はまだジャックの心が読みとれないというのに。
■ ■ ■
フィラートからバレスヴィアまで、モレーの全速力では約一時間半。
千秋たちは一夜明けて、翌日朝からバレスヴィアへ移動を開始した。千秋はいつも通りジャックが操るモレーに、チェイスはセーカのモレーに乗った。
素早く背後へ流れていく景色を目で追いながら、千秋は居心地の悪さに小さく息を吐いた。背後にいる人物が、朝起きてから今までまともに喋りかけてこないのだ。せいぜい「乗れ」とか「行くぞ」とかそれくらいで、モレーが走りだしてからは一言も口を交わしていない。
ただの沈黙なら、千秋も気にしないし、王都からフィラートまでの旅の間そうしたように、思いつくまま会話を試みただろう。だが、千秋の中にもジャックに対するしこりがまだ残っていた。人を殺したこと。チェイスへの態度。どちらもまだ納得できていないのだ。
「ジャック。なんで、なんも喋らないんだ」
「……私は元々寡黙なほうだ」
「嘘つけよ。ベラベラ喋ってるじゃねーか、いつも」
「お前が喋るからな」
「オレのせいかよ……。そうかよ」
千秋が鼻を鳴らして不満をアピールすると、腰に回ったジャックの腕がぴくりと反応した。
「お前も喋らなかったな。昨日の夜も、今朝も、今も。いつもよりも言葉が少ない」
「オレだって、元々こーだよ」
「違う」
「違くねーの。話すことなかったら、そりゃ、どんだけおしゃべりでも喋んないっつーの。オレはおしゃべりじゃないけどな」
「嘘だな」とジャックがふっと静かに笑った。
「『会話をしたい』から喋る人間だろう、お前は」
「まあな。コミュニケーションだもん。でも、喋りたくないの。今は」
「私と話したくない、ということか」
「……ま、そういうことかもね」
千秋が座り直すように尻の位置を変えると、モレーの操縦者は追いかけるようにしてそれを足の間に挟んで固定し、腕を深く腰に回す。うっとうしくて腰をひねるが、腕の力が一層強くなるだけで、外れることはなかった。
仕草だけで感情を読み取ろうなどという考えは千秋には毛頭なく、ジャックは万が一にでも、モレーから千秋が落ちることがないようにしてくれているのだろう、としか考えなかった。千秋の内心を知らず、自分だけは「千秋を守る」有言実行を体現して、律儀で嫌味な奴だと思った。
腕で、脚で、千秋を守られていると実感してしまうのが嫌だ。モレーの上下運動に合わせて互いの身体が小刻みにぶち当たるのが、嫌だ。ジャックがいないと行動制限されてしまう自分が嫌だ。
じわりと汗が千秋の背中に滲んだ。服が張りつくような感触がする。
「会話しても、お前の考えてることが、分かんなくなるからさ。喋りたくないなって思っちゃうんだ」
「私もお前の考えていることがわからない」
「お互い様ってか」
進行方向を見るようにモレーの背に千秋、ジャックの順で跨っているから、互いに顔が見えない状態なのだ。違いは、千秋にはジャックの姿は見えないが、ジャックは千秋の後ろ姿だけは確認できるというくらいで、互いの感情を想像できる要素は少ないのだ。
「私は今からでも、お前を街へ連れ戻したいと考えている」
「……ふーん? なんでだよ。危険だから?」
「ああ。必要ない危険の中に自ら飛び込むなど、無鉄砲に過ぎる。兵に捜索を任せる手段もあった。お前自身が来る必要はなかった」
「必要ない危険ってなんだよ。来る必要がないってなんだよ。止めるならあん時に止めろよ。オレが、行くって言った時にさ」
「お前は山の地形を知らないし、自分の身すら守れない。なぜ行こうとするのか分からなかった。無謀な行為をするのはいつでも子どもだ」
「……っ! あー、そーだよ。わりーかよ。オレはお前がいねーとなんもできねー子どもだよ」
チェイスの姉を助けたい。本心からそう思うが、出来ない人間が行ったところで散るだけなのは充分分かっていた。自分が、一人で助けに行けるはずがないということも分かっていた。前提条件としてジャックと兵士三人の協力があることでの選択だったからだ。千秋が行くと言えばジャックはついてくるだろう。三人の兵士が護衛してくれるだろう。
だが、出来る人間が――ジャックが、自ら行くと言ってくれれば、千秋はきっと任せることが出来たはずなのだ。
ジャックなら、たった一人でチェイスの姉を助けることも出来ただろう。魔物がいたところで一太刀に伏せ、複数人の相手は、広場でしたように一人を殺して注目が集まる前に姿を消せばいい。力があるくせに、ジャックは助けるとは言わなかった。千秋には理解できない。
「でもさ、子どもはオレだけじゃない。チェイスだってそうだ。オレに出会った時みたいに、チェイスが山の中で一人で困ってるところ見たら、お前助けるだろ? お前の信念だろ、子どもを助けるの。なんで、お前、あいつのときは助けるって言わないんだ? オレにしたみたいに、助けたらいいのに」
「……チェイスは生き延びる術を既に持っている。自分の身の守り方も知っている。お前とは違う」
「なんだよ、それ……。オレの方がザコいってことかよ。意味分かんねえ。何が違う? あいつもオレも、戦う力なんてないのに。なんでお前は、出来るくせに助けようとしないんだよ……」
「私には守るものが既にあるから」
「オレのことか?」
「そうだ」
短い返答に、千秋はぎゅっと唇を噛みしめた。
「分かんねえよ……! オレたちが参加しなかったとして、姉ちゃんが見つからなかったらどうすんだよ。チェイスが諦めるわけないだろ。絶対、何度でも探しに行くだろ。危ないだろ。チェイスの姉ちゃんだって、攫われてまだ三日だぜ。今行けば死なない命があるかもしんないんだ。守れる力があるくせに、簡単に人を見捨てんの? 出来るくせに、なんでしないんだよ。チェイスも、チェイスの姉ちゃんも、死んでもいいってか?」
千秋がこれまでジャックを信じてこれたのは、きっと「助けてもらった」出会いがあったからだ。誰かを救うことができる、優しい人間なのだと思っていた。
「そうだな、誰かを守るということは、違う誰かを犠牲にすることだ」
ジャックはよどみなく、千秋の疑問に正しい答えを与えるときのような、淡々とした口調でそう言った。
「なんえだよ。なんでそうなるんだよ。マジ、意味分かんねえ……」
「私は、一番守るべき存在はお前だと思っている。お前が無事であれば、それで構わない」
「……クソッ、やっぱ、お前と喋るんじゃなかった。お前の考えてること、全然理解できねえよ。超いい奴だと思ってたのに、なんか訳分かんなくなった。お前のこと、全然分かんなくなった。やめときゃよかった」
千秋は、自分の腰に回ったジャックの腕をぐっと掴んで無理矢理引きはがした。
「守る守るって、もうやめにしようぜ。お前に守られなくてもオレヘーキだから。オレがいなかったら、チェイスを守るんだろ。バレスヴィアではキリルさんと一緒に行動する」
「千秋」
戻って来ようとした手を怒りを込めてはたき落とすと、振り落とされないよう前傾姿勢となってモレーにしがみつく。
「話しかけんじゃねーよ。お前の信念ってヤツ、アテになんねーな。寝ぼけてたとはいえ、オレの首絞めたしな。アハハ……。はじめっから嘘じゃん」
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