第一章⑧
「ちょっと、もう、なんで、なんでなの、なんで、君は爆発させるの? なんで穴を開けるの? マロリィ、ええ、とにかく、細かい理由なんて言わなくても構わないから、謝りなさいよ、謝りなさいよ、ねぇ!?」女装男子はルッカの傍で怒鳴った。彼はきつく、ピンクの髪の魔女、マロリィを睨んでいた。彼は何かをマロリィに向かって投げた。ピストルだった。
ピストルはマロリィに届く前に破裂した。マロリィは破裂する魔女。マロリィは昇りたつ煙の向こう側で、ニコッとルッカに向かって微笑んだ。「やっと会えた、やっと会えたね!」
ルッカの頭の中は一瞬真っ白になる。そらから顔がとても熱くなって、おそらくピンク色になっていて、心臓が煩いくらい鳴っていて、呼吸するのも大変な状態になる。ルッカは自分の心理の細かなことは分からなかったがしかし、これはアレだと思った。アレだ。何とかに堕ちた状態だ。
「私の方を見て謝りなさいよ!」女装男子の彼が怒鳴る。「ドラゴンを召喚するわよ!」
「ミッキィ!」マロリィは丸い目で彼を睨み、こちらに向かって歩いてくる。女装男子の名前はミッキィというらしい。この二人の人間関係は一体? という疑問をルッカは抱きもしなかった。ただ近づいてくるマロニィのことを見つめていた。可愛い。魅力的だ。ルッカは魔女だから、女の子のことを好きになったことは何度もあったけど、こんな風になったのは初めてだ。マロリィの愛らしき口元から出てくる悪い言葉でさえも、ルッカは気に入ってしまう。「ミッキィ、黙ってて、黙ってろ、失せろ、オカマ野郎!」
「私は認可を貰っている、」ミッキィは早口で言う。「ドラゴンを召喚して、あなたを困らせても構わないっていう認可を貰っている、だから今日は!」
彼は跪き、石の床に触れた。
触れた箇所を中心に魔法陣が発生。
模様が描かれ光る。
魔法陣の回転が始まる。
ルッカの周りの世界が揺れ始めた。
鉄格子が歪な音を立てる。
ミッキィはドラゴンの名前を呼ぶ。「ダニエル!」
「バカ、こんな狭い場所でっ!」マロリィは叫んで、ハンマを振りかざして落とした。ルッカの足首に繋がれた鎖をマロニィのハンマが砕いた。ルッカは自由になる。マロニィが手を差し出してくれた。「さぁ、立って」
「う、うん、」ルッカはマロリィの手を掴み、立ち上がる。「あの、君は?」
「私はマロリィ・マンブルズ、」マロリィはルッカを強く引っ張って牢から外へ出た。「あなたは?」
「ルッカ、甲原ルッカ、」ルッカは外の景色を見る。緑がなく、土が露出した山肌が見上げる高さまで広がっていた。金の採掘場のようだったが人影はない。廃鉱になった金山だろうか。ルッカがいた建物は横に広がる灰色の煉瓦造りの建物で、それと同じ建物が何棟か奥に並んでいるようだ。有刺鉄線が絡んだ木製のフェンスが敷地を取り囲んでいる。「マロリィ、ねぇ、ここは?」
「ナンバ・スリィよ、」マロリィはルッカの手を引き走りながら答える。そして急に立ち止まる。「ああ、ごめん、待って、どうしよう、意外と反応が早かったなぁ」
蹄の音が聞こえ、建物の影からマロリィの前に馬に跨った兵士が登場する。遅れて二人の兵士が来る。同じ組織の制服を着た彼らは短い銃で武装している。跨る馬はとても速く走りそうだった。さらに後ろからも六人の兵士が来た。さらに後ろからも走ってくる。木製のフェンスと建物の間、両脇を兵士に塞がれ、行き場はおそらく空しかない。けれど、マロリィは箒を持っていない。持っているのは金属製のハンマだ。髪の色が悪いルッカは箒があったとしても、飛べるかどうか、分からない。
次の瞬間だった。
ドラゴンの咆哮。
建物を半壊させ、巨大なドラゴンが翼を広げ、飛翔した。空の太陽を隠し、影を作った。ドラゴンの色は黒。目は紅く光っている。纏う鱗は鋭く尖っていて剣を立てているようだ。左右に三本ずつある爪は巨大で、レイピアのような形状をしている。翼は細く長い。先端は鋭く、よく切れそう。ドラゴンは中空を旋回する。
「この子が私のダニエルよ!」半壊した建物から出てきたミッキィがマロリィに向かって言った。ミッキィはとても、はしゃいでいる。「この子の翼は何でも切り裂くの、ええ、何でもよ、空間でさえ切る、魔女の体なんて簡単に切る、この子が放射する火炎は何だって溶かす、魔女の骨だって溶かすのよ、さて、マロリィ、謝る準備は出来ている?」
「うーん、」マロリィは眉の角度を変え、ステップを踏むように左右に揺れた。少しだけ困っているという感じ。でも、全然、その表情には余裕みたいなものが感じられて、彼女と手を繋いでいるルッカはとても頼もしくて、ドラゴンに切断されて、融解されてしまう未来なんて考えられるわけがない。「まぁ、しゃあないねぇ、しゃあないかぁ」
「うん、うん、悩んでいたって仕方がないわ」ミッキィは頷きながら言う。
「そうね、」マロリィは笑顔だ。その綺麗な目は何かを企んでいる。「仕方がない」
「ええ」ミッキィは頷く。
そして。
マロリィは急に叫ぶ。
「カブリエラ!」
その叫びに遅れること、二秒。
ダニエルは水に濡れた。
ダニエルの背中からこぼれた水がルッカにも落ちてくる。
とてつもなく快晴の空。
雨の気配はなかった。雲の数も少なかった。その色は純粋に白だった。空飛ぶドラゴンが水に濡れる要素はどこにもなかった。考えられるのは魔法。魔法だけだ。でも、一体、誰が?
水はダニエルの背中に重たく圧し掛かっている。放流は勢いを変えずに、むしろさらに増す。ダニエルは水に抗って浮上しようとするが、苦しんでいる。低い位置に堕ちてくる。ダニエルの咆哮が耳に響く。
マロリィはルッカから手を離した。
「ブースト」
マロリィは魔法を編んでいた。
ピンクの髪が一度煌めいて。
ハンマの後ろから火が出る。
遅れて炸裂音。透明度の高い青い色が強く噴射される。
マロリィはハンマの噴射するエネルギアで浮上。
一直線にダニエルに向かう。
途中でマロリィは体の重心をズラして横に回転し始めた。
スカートが踊る。マロリィは素敵な声で叫んでいる。「マロリィ・ハンマぁあ、」
回転するたびにハンマの先が巨大になる。角のあった形状が膨らみ、丸みを帯びていく。回転数が上がる。回転にはキレがある。軸はぶれていない。あっという間にダニエルの懐に到着。
ハンマがダニエルの腹部に突き刺さった。
玉鋼の柱が折れたような、高い音が響き渡る。
「バースト!」マロリィは叫んだ。
マロリィのハンマは爆発した。
ピンク色の炎が桜のように広がった。
ダニエルは向こう側に吹き飛び、建物に落下した。ダニエルの重さに建物の煉瓦が崩れる。
「ダニエルぅ!」ミッキィは両手で頬を潰すように触って悲痛に叫び、ダニエルが堕ちた方に走って行く。
「マロリィ!」ルッカも叫んだ。
マロリィも爆発の勢いでこちらに飛んでくる。服を焦がしながらも、しかし彼女は腕を組み、着地の姿勢を取らない。ルッカは慌てて両手を広げ、彼女を受け止め抱き締められる場所へ走った。
次の瞬間。
左からマロリィに向かって箒に跨った魔女が飛んできた。群青色の髪の魔女。水の魔女。水の魔女はマロリィを絶妙のタイミングで抱き締めた。二人はルッカの前に降り立つ。
「ああ、」マロリィは乱れた髪を整えながら言う。マロリィの髪の色はアッシュ・ブロンドになっていた。彼女の十一歳までの髪の色だ。エネルギアを先ほどの爆発するハンマに全て注いでしまったようだ。「カブリエラの手は借りない予定だったんだけどなぁ、ああ、カッコ悪いところを見せちゃった」
水の魔女はガブリエラという名前のようだ。彼女はマロリィよりも背が小さい。ルッカとは頭一つ分くらい違う。けれど声は大人びていて、顔つきも大人っぽい。切れ長の目の形が綺麗。長い群青色の髪の先はリボンで緩く結ばれている。「この状況で、そんなこと言っている場合? 沢山のピストルの銃口がこっちを向いているよ、カッコいいとかカッコ悪いとか、そんなことを考えるよりも、手を挙げるか、挙げないか、そういうことを考える場合よ」
「大丈夫、私が二人を守るよ」マロリィはニッコリと微笑んだ。
「その髪の色で?」ガブリエラは両手を顔の横に持っていきながら指摘する。
「え?」マロリィは自分の髪の色がピンクじゃないことに今気付いたようだ。「ああ、本当だ、今日は少し、ピンクの調子が悪かったから、」そしてルッカの方を見て言う。「あ、髪の色が戻ったみたいね」
言われてルッカは自分の髪を触って見る。艶が戻っている。シルバだ。
「ルッカ、私たちと一緒に逃げる気なら、」マロリィはルッカの髪を触る。「手を貸して」