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第一章⑦

ソフィアは箒を後ろ手に持ち、男からもらった招待状に従って、正午にクァンドの店先に立っていた。馬車の迎えが来るのだという。俄かには信じられなかった。目の前の交差点には馬車が行き交っているけれど、どの場所もソフィアの目の前で止まるはずがないと思うのだ。そう思っていたら、右手の方、五メートルくらい離れたところで馬車が停まる。馬車から、マダムが降り、クァンドの隣にある仕立屋に入っていった。その馬車は動き出さずにいる。馬の目はとろんとしていた。今にも膝を折って、眠ってしまいそう。そんな馬を眺めていたら、逆方向から別の馬車が来た。

「ソフィア様、ですね?」山高帽子を被った馭者が高い位置から問う。「お迎えに上がりました、さぁ、お乗り下さい」

 ソフィアは二秒くらい呆然としてから、慌てて馬車に乗り込んだ。中には誰にもいない。

「出しても?」馭者の高い声が聞こえる。馭者には珍しく少女だった。ソフィアよりも若いのではないだろうか。

「ええ、」ソフィアはハッキリと答えた。「構いません」

 馬車はゆっくりと走り出す。徐々に加速。速度が安定する。ソフィアは窓の動く風景を見ながら息を大きく吐いた。少し気が重い。パーティの誘いだからって、決してルンルンしているわけではない。この気持ちは複雑だ。彼は一体、何を企んでいるのだろう。ソフィアをパーティに出席させて何をさせようと考えているのだろう。招待状に、細かいことなんて書いていなかった。ただ、この馬車に乗る方法しか書いてなかったのだ。それなら馬車に乗らなければいいと思う。でも、気になるのも本当だった。あの男の企みが気になるのだ。単純にソフィアのことを気に入ったからかもしれない。別にそれでも全然構わないのだがしかし、どうも違うような気がする。

「ついにソフィアにも春が来たね」ミケは独特の鼻声で言って、笑ったが、ソフィアからしてみれば、そんな簡単なものじゃない気がするのだ。だって、あの男の心臓の音は恋に乱れてなんていなかった。大儀を遂行するときの緊張が鳴らす音だった。ソフィアは風の魔女。耳は優れている方だ。

 はっと思考が現実の方に戻ってくる。

 しまった。全く風景を見ていなかった。すでに馬車がどこを走っているのか、見当がつかなくなってしまった。軽く後悔していたら、馬車の速度は緩やかになっていき、最終的にゼロになった。

「着きましたよ」馭者の彼女が扉を開けてくれた。

「ありがとうございます、」ソフィアは彼女が差し出す手に触れる。ソフィアはドレスの裾を気にしながら、地面に降り立つ。ソフィアはドレスを着ていた。ケミがピアノを弾くときに纏う衣装を借りたのだ。サイズに問題はないが、とにかく慣れないので、髪の色が変になりそうだった。「あの、ココは?」

 ソフィアの目の前には背の高い白塗りの門があった。見上げても、中の様子は窺い知ることが出来ない高さ。門と同じくらいの高さの塀が左右に続いている。門の両脇には銃を持った兵士の姿。門の反対側、ソフィアの後ろには幅の広い河が西に向かって流れている。それに沿って道が舗装されていた。

「さぁ、分かりません、」馭者は首を振る。帽子からこぼれるアッシュ・ブラウンの髪が揺れた。「魔女でもない、ただ馬車を操ることが仕事の私が、知るはずがないじゃないですか」

「え、あ、」突然の馭者の険しい視線にソフィアは戸惑った。「アイロニ? ……えっと、その、ごめんなさい」

「私は魔女になって空を飛び回りたかった、素敵な魔法を編みたかった、キャブズでもいい、私は魔女になりたい、」馭者は籠の中に半身を入れて、ソフィアに箒を渡す。「箒をお忘れですよ、魔女様」

「……ありがとう」ソフィアは複雑な気分で箒を受け取る。

「気になさらないで下さい、あなただけじゃありません、私は私の馬車に乗る魔女全員に同じことを言って困らせることで生きがいを感じるんです、趣味と言っても過言ではありません、むしろその表現は、抑制されていて、東洋的でありさえする」

「……素敵な趣味だわ」ソフィアはとりあえず、微笑みを作った。

「よく言われます、それでは」

 馬車はソフィアから離れた。

「……変な娘、」ソフィアは呟き、そして招待状を取り出し、門に近づき、右側の兵士に招待状を見せた。彼の方が左よりもまだ若くて未熟そうだったからだ。「あ、あの、私、パーティに呼ばれたんですけど」

「ああ、はい、」兵士は招待状を二秒で確認し、表情も変えることなく、門のある場所をブーツの爪先で蹴った。するとゆっくりと門が向こう側に動き出した。左手の方は手前に迫り出している。どうやら門は中心で回転しているようだった。動く速度が徐々に上がっていく。「ほら、急いで」

 ぼうっとそのギミックを見ていたソフィアは兵士に背中を強く押され、向こう側へ。門は半回転して動きを止めた。危なかった。兵士に背中を押されなかったら、門に背中を叩かれていたかもしれない。

 息を吐き、そして塀に囲まれた世界を観察する。

 一面に広がるのは緑だった。木々が密集していて、まるでアマゾンの風景。色彩豊かな蝶が目の前を過る。足元を真っ赤な蛇が通る。ピューマがこっちを睨んでいる。湿った空気がとてつもなく不快だった。ソフィアは風の魔法を編む。「ベラ」

 ソフィアを中心に起こる上昇気流。蛇は蝶と同じ高さに飛んだ。

 ソフィアは歩き出す。門から前方へ、緑の濃度低い、細い道が伸びていた。道に掛かる緑の枝を風で折りながら進む。果たして、パーティは緑の中で開催されているのだろうか、という疑問を抱き始めたところで視界に建物の一部が飛び込んできた。

 少し早足になる。

道の先。緑が開け、光量が多い。そこに建物が一つだけあった。ソフィアはその建物の前まで来た。邸宅ではないだろう。城でもない、教会でもない。その装飾のない外観は工場に近いが、工場と言うには小さい。白く塗った木箱を置いたような簡単な建築だ。とにかくパーティ会場にしては、色がなさすぎるという印象。そう言えば、さっきから緑が風に揺れる音しかしない。

この状況はなんだろう?

ソフィアは考える。でもすぐに考えても仕方がないと思う。

そう思って扉のベルを押そうとすると、手前に開いた。

隙間から小さな顔が覗く。

少女だ。黒い頭巾を被った少女が低い位置から顔を覗かせている。頭巾からこぼれる髪の色はブロンド。煌めいていて、それは眩しいと思うほど。大きくて丸い眼の色はバーミリオン。

眼が合って彼女は、顎を引き、前髪を直し、その小さな口元を動かして言った。「……パーティがもう始まります」



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