第六章⑦
突然現れた龍は、ビゲロ邸の一室の、絵画の中の龍の姿をしていた。特徴的な丸い目、鋭く尖った鱗、頭部よりも巨大な爪は、確かにあそこに描かれていた龍の姿だと思う。
その龍の頭部はアンジュの魔法によって、酸化した。
ソフィアは知らない魔法だったが、確かにアンジュはその魔法を編んだ。
巨大な体躯は力を失い、雲に隠していたその全身を、コプリ広場の緑に横たえた。
龍の重さによって、広場が揺れた。
龍は微動もしない。
頭部は焼きただれ、その頭蓋骨の一部が露出している。
異臭が漂い、ソフィアは鼻を手で押さえた。
そして。
アンジュ、という魔女の力を確認して、震えた。
アンジュは涼しい表情でソフィアと同じような表情をしているルッカに言う。「どうしたの? 早く、ハンマを編みなさい、ルッカ」
「は、はい」ルッカははっとなって、慌ててハンマを編んだ。
「マロリィ、」アンジュは明るい声でマロリィに言う。「さあ、気を取り直して、もう一度、見せて、あなたの破裂、あなたのピンクを」
マロリィはルッカからハンマを受け取り、空を見上げ息を吐いた。「……もう、ドラゴンはい来ないよね?」
そのタイミングで、再び聞こえる、龍の咆哮。
先ほどの龍に比べて、サイズが小さい、黒いドラゴンが、上空に見えた。
しかし、十分巨大だ。目が紅い。
ドラゴンは広場に向かって滑空してくる。
「また?」アンジュの表情に、僅かなヒステリックの欠片が見える。「また、邪魔しに来たの?」
「ダニエル?」マロリィが小さく呟いた。
ドラゴンは静かに広場に降り立ち、羽根を疊んだ。
ドラゴンの背中には三つの人影。
黒頭巾で髪の毛を隠したサブリナ、女装男子のミッキィ、髭面のドナルドの三人だった。
三人は龍の背中から降り、サブリナを先頭に、広場の中心にいるソフィアたちの方にやってくる。
サブリナはソフィアに視線を向け、子供っぽく微笑んだ。
そのあどけない表情は、マリエのものだ。
「あなたたちは?」アンジュは三人の方に進み出て聞く。「どういった人たち?」
「私はマリエ、」マリエはアンジュから近い場所で立ち止まり言う。「こちらがドラゴン使いのミッキィ、こちらがボディガードのドナルド、私たちはマーブル財団に雇われているものです、私たちの目的は、ファンダメンタル・ピュア・ゴールドの鉱脈の発見です、あなたは?」
「アンジュと申します、」アンジュはマリエに向かって黒いドレスの裾を摘んでポーズを取った。「チャイナ・タウン、三十二番街、ファンシィ・キディ・ラビットのコレクターズ・ショップの店長です、マーブル財団のエラリィ様には、大変お世話になっておりますわ」
「とても鮮やかな、群青色ですね、まるで空の色です、」マリエは手の平を空に向けて言った。「もう一度、聞きます、あなたは、何者ですか?」
アンジュは笑いながら返答する。「ただの店長です」
「ただの店長が、元の姿に戻ったクラウドを簡単に、」マリエは龍を指差し言う。「あんな風に出来ないと思います、とても可哀想なことをなさって」
「可哀想なこと?」アンジュはとても冷たい声を出して首を傾けた。「ドラゴンが私を襲ったから」
「ええ、それが、クラウドの、雲龍に刻まれた運命なのですから、仕方がないことなのです、巨大な力を呑み込み、自身の力に変換して生きるという本能に基づき、雲龍は生きます、あなたがやったことを非難しているわけではありません、非難しているわけではなくて、雲龍に可哀想なことが可能なあなたは何者かと、聞いているのです」
「確かに不思議なドラゴンね、普通のドラゴンではないのね?」
「はい、寺院の扉に描かれたものです、魂を描かれたものです」
「形を持つほどに?」
「雲龍を描いた画家が、願ったのでしょう」
「素敵ね」
「はい、全く」
「なぜここに龍が?」
「あなたの隣にいる、緑色の魔女が理由ですよ、」マリエはネイチャに視線を送る。「あなたがサブリナに飲ませた薬の副作用です、サブリナが心臓に縫いつけた、雲龍の魂が外れてしまったのです、ビゲロ邸に鎖で封印されていた龍を発見したのはサブリナでした、サブリナはその龍の魂を自分の心臓に縫い付け、一つの人格として受け入れました、だから、雲龍図はビゲロ邸の一室に飾れることが出来ていたのです、しかし、魂が外れたことによって、雲龍の魂は再び、あの部屋に飾られた、描かれた姿に戻った、そしてあなたを呑み込みに、ここに来たのです、あなたはおそらくボストンで、もっとも優秀な魔女」
「なるほど、」アンジュは口元に手を当て頷いた。「それより、あなたに興味が湧いてきたわ、心臓に縫い付けるって、それ、もしかして、縫合術のことではなくて?」
「細かいことはサブリナしか分かりませんが、ええ、おそらくきっと、あなたのおっしゃる通りだと思います」
「サブリナっていう魔女はどこに?」
「今は眠っています、」マリエは胸元に手を当てた。「ここに」
「ああ、」アンジュは理解したようだ。「なるほど、あなたも、そうなのね、一体、どんな魂の種類なのかしら?」
「私は、ええ、」マリエはそこで黒頭巾を外した。「クラウンです」
マリエの髪は金色に輝く。
ソフィアは眩しくて目を背けた。
「ネイチャ、」アンジュの声色が変わったのが分かった。「ラッシュを頂戴」
マリエは広場に横たわった龍の頭部に近づき、その頭蓋骨に触れた。「ああ、可哀想に、しかしでも、あなたの魂の鼓動はまだ消えていませんね? 再生を望みますか? いいでしょう、私の光をあなたに授けましょう」
「邪魔をしないで欲しいな、」ネイチャの編んだシガレロを咥えたアンジュは苛立たしげに言う。「もうすぐだったのに」
「この下に、ゴールドがあるのですね?」
マリエが触れた箇所から、龍の再生が始まっていた。
その再生は、早く、思わず目を背けたくなるほど。醜いものだった。
アンジュは黙って、勢い良く煙を吐いた。
「黙っていても、分かりますよ、」マリエは愉快そうに微笑んでいる。「分かります、だってここに、シデンがいるし、ええ、皆、揃っているし、何より、私がそう思うんです、クラウンである私が、こんなに光り輝く私が、そう思うんですから間違いありません、こんなに近い場所にあったんですね、シデンのおかげです、ありがとう」
シデンはルッカの後ろに隠れた。
「さて、店長さんがどうしてゴールドを必要としているのかは分かりませんし、興味もありませんし、店長さんに恨みはありませんが、鉱脈を発見して、占有権を手に入れることが私たちの仕事なので、そのための障害になり得る、店長さんですから、」マリエは龍の頭部から手を離す。「ええ、ぜひ、彼に呑み込まれて下さい」
龍の丸い目が見開かれた。
龍が動く。
巨大な体をうねらせ、龍は垂直に上空に移動。
雲に隠れた。
龍の咆哮。
アンジュはシガレロを全て吸いきって、長く煙を吐く。
彼女の群青色が、蒼く、煌めいている。「……龍め、ゴールドの力を、手に入れたな」
「さあ、ソフィア、」マリエがソフィアの手を掴んだ。「こっちです、ダニエルの背中に」
マリエに引っ張られ、ミッキィとドナルドもいるドラゴンの背中にソフィアとマリエも乗った。ドラゴンの名前が、ダニエルというらしい。
ダニエルは、浮上した。
マロリィたちも箒に乗って浮上する。
広場の中心にいるのは、アンジュとネイチャだけだ。
「マリエ、龍に何をしたの?」
「クラウンの力を使っただけですよ、再生と進化の力を、ファンダメンタル・ピュア・ゴールドの力は無限です」
「マリエ、さっき、自分のことをクラウンって」
「はい、そうです、」マリエは黒頭巾を被り言う。「私はファンダメンタル・ピュア・クラウンに宿りし、マリエ・クレイルの魂です、サブリナがクラウンを頭に乗せたとき、私はサブリナの髪に溶けました、この輝く金色はクラウンの色です、この色によって、サブリナは新しい魔法を完成させることが出来ました、それが魂を心臓に縫い付ける、針と糸」
アンジュは水の魔法を龍に編む。
しかし、龍は炎を吐き、水を全て雲に変えた。
視界が霞む。
アンジュは雲に囲まれた。
龍はその巨大な尾で、アンジュの体を横に薙ぎ払った。
龍の咆哮が、轟く。




