第五章⑥
アリスが運転するミゼットはコトコトと音を立てながら、チャイナ・タウンのメインストリートをゆっくりと進む。
メインストリートにはテントを付き出した屋台が両脇に並ぶ。空を見上げれば左右の建物の窓から窓へ細い綱が渡され、様々な色合い、様々なデザインの旗が吊るされ、それが西から吹く風によって揺れている。東洋人の子供たちがはしゃぎながら道を横切る。ミゼットがゆっくり前進しているのは、道を横切る人たちに打つからないようにするためだ。ミゼットの前を横切った子供たちは小さな蒸気機関に興味を示したのか、並んで歩き出した。中国語で何かを話している。しばらくしてある少年が声を上げる。子供たちは後ろの方へ消える。メインストリートはとても賑やかだ。
「私、魔女になりたかったんです」
アリスは前を向いたまま話し始めた。「私は小さい頃からマンブルズ家に仕えていました、私は次女のミカエラ様と同い年で、ミカエラ様はよく私と遊んでくださいました、一緒にシーソに乗って、一緒に魔女になる未来のことを考えていました、でも、十一歳のバースデイ、私は箒に跨って空を飛ぶことが出来ませんでした、何も変化はありませんでした、私は魔女になれませんでした、ミカエラ様は髪の色を素敵なピンク色に染めて、空を飛んでいました、私はとても、とてもミカエラ様のことが羨ましかった、いいえ、悔しかったんです、魔女になれなかったことが悔しくて、ミカエラ様は今までのように私に優しく接してくださいましたけれど、もちろん、今もそうです、でも私は、それまでのようにミカエラ様と接することが出来なくなっていました、魔女じゃない自分に価値はない、そう思うからミカエラ様と素直に話せなくなりました、だからミカエラ様も私に対して難しい顔をするようになりました、魔女である女の子たちと仲良くするようになり、魔女たちをコレクションするようになりました、私は使用人として、近くない距離からミカエラ様のことを眺めていました、私が魔女になれていたらきっと、今も、未来も、ミカエラ様と笑っていられたのになって、思いました、一緒に空を飛ぶことが出来ていたらどんなに幸せだろうかって思いました、ええ、ずっと思っているんです、思い続けているんです、眠っているときだって、それは変わりません、私はずっと魔女を夢見ているんです、夢見るアリスです、夢の国のアリスです、」アリスはクスリと笑った。しばらく黙り込み、そしてマイコを見る。「だから、その着物のことが知りたいのです、その着物を纏えば、私も魔法が編めるのですか?」
「どうしてそれを知っているの?」マイコは質問で返す。一番気になるところだ。「変化するところを見ていた? あなたは私の色が変わったときには、いなかったと思うけど」
「いいえ、」アリスは首を横に振る。「あの、すみません、秘密にして置かなきゃならないことなので、秘密をばらしてしまったら、きっと、私は、殺されてしまうでしょう」
「サブリナに?」
「さあ、」アリスは首を横に振って、笑う。「誰でしょう?」
「まぁ、いいか、」マイコはアリスの背中を見つめ頷いた。左からケンタロウ、マイコ、リンプの順で三人は後部座席に座っていた。マイコは左右の二人の表情を見る。二人とも別に難しい顔をしていない。「ええ、そうよ、アリスの質問の答えは、イエスよ」
アリスはこちらに振り返って歯を見せて笑った。「……やった」
「ちょ、前向いて!」マイコは慌てて言う。
アリスは前を向き、絶妙なハンドル捌きで転がってきた樽を避けた。
急ハンドルにリンプが「きゃあ」と悲鳴を上げ、マイコの柔らかい部分に触った。「もぉ、危ないなぁ」
アリスは愉快そうに声を出して笑っている。「その着物はおいくらで譲って頂けますか?」
「譲れるものじゃない、」ケンタロウが答える。「それに魔法が編めるといっても、魔法を編んだ経験のない人間がこれを着たからといって出来るとは思えない」
「ケンタロウの言う通りです、」リンプが風になびく髪を手で押さえながら同調する。「蒼葉から流れる膨大なエネルギアをきちんと受け止めて、それをコントロールするのは、普通の人は不可能だと思います、普通の人が魔導書に羅列された言語を理解できないのと同じで、普通の人が理解できない概念、仕組みが、魔法を編むという作業の中にはあります、だから例え蒼葉を纏い、それを起動させようとも、流れてくるエネルギアに混乱し、飲み込まれてしまうと思います、取り返しの付かないことになるかもしれません」
「やってみなければ分かりませんでしょう?」アリスは語気強く発声する。僅かにミゼットの速度が上がったようだ。
「やってみなくたって、分かることもありますよ」リンプは苛立たしげに言う。
「そうだ、」アリスは明るい声を作って言う。「私で実験なさればいい、まだ試していないことが沢山あるのではありませんか? その着物に関して、実験体になるのに私はやぶさかではありません、ええ、やぶさかではありません」
そのアリスの提案に、ケンタロウとリンプは同じ反応をした。探究心の芽生え。そんな感情の変化を感じさせる、目の形を作った。
「駄目よ、」マイコは左右の二人に言い聞かせるように発声した。「駄目、自分の体を実験体だなんて言うのは」
「言葉のあやです」
「そうだとしても口にしてはいけないことってあるでしょ? その一つが、それよ、分かる?」
アリスは黙った。マイコの物言いに腹を立てたのかもしれない。ヒステリックになているのかもしれない。マイコは鼻から息を吐く。そして言う。「アリス、蒼葉を纏えば、あなたは魔女になれるわ、これは真実に近い事実よ」
『マイコ様?』リンプとケンタロウが同時に声を上げた。
「……本当に?」アリスは前を向いたまま静かに聞く。
「ええ、本当よ、」マイコは頷いた。「きっと、あなたは魔法を編める」
これは確信だった。一度蒼くなったことによる確信だ。
「私はサブリナのインクで髪の色を奪われた、それによって私は魔法を編めなくなった、それと同時に私は魔法を編むという行為が分からなくなったわ、仕組みというのかな、構造を完全に忘れてしまったのよね、忘れたというよりも、知らない、そういう状態になった、思い出そうとしても思い出せない、髪の毛が疼くだけ、魔女の開花以前に戻った気分だった、つまり、私は魔女じゃなくなっているんだ、その状態から私は蒼葉を纏い、蒼くなって、水の魔法を編むことが出来た、確かに私は魔女としての経験があった、だけど、水の魔法なんて編んだことがなかったわ、でも、出来た、編めた、魔女に開花した十一歳のバースデイ、あの瞬間に似ていた、つまり、ええ、言葉では上手く、この原理は説明できないんだけれど、まぁ、魔法ってそういうものだしね、ええ、とにかく、アリス、きっと、あなたも、出来る」
「私にも出来る、」アリスは確かな声で言って、大きく頷いた。「私にそれを、蒼葉を、纏わせて頂けますか?」
「条件があるわ、」マイコは前の目になって口元をアリスの耳元に近づける。「もちろんね、私の今の状況って、誰にでも優しくなれる状況じゃないから」
アリスは横目でマイコを見る。「お金はいくらでも払います」
「お金じゃないのよ、」マイコはさらに口元をアリスの耳に近づけた。そして発声する。「ファンダメンタル・ピュア・クラウン」
アリスは返事をしなかった。
微細な表情の変化。
無表情に、アリスの横顔は近づいた。
静かに音を立て、ミゼットはメインストリートを進む。
門が道の先に見える。そこがチャイナ・タウンの出口だ。瓦葺の屋根は巨大で、派手な色が付いていて一見立派だが、その柱は細く、近づいてみるとその傾きが目立った。
「あははははっ」
急に、アリスは笑った。
「……どうしたの?」
「ファンダメンタル・ピュア・クラウン、」アリスは視線を空に向けて言った。「もう、そんなものはありません」
「……え?」
「ないんです、」アリスは顔を横に向けてマイコを見た。「ファンダメンタル・ピュア・クラウン、それはもう、」
その時だった。
箒に跨った魔女が門を潜る。
色は緑。
前から後ろへ、物凄い速さで通り過ぎた。
風が発生するほどの速度。
メインストリートを彩る無数の旗が盛大に騒いだ。
前を向くと門が閉ざされている。緑の魔法だろう。左右の細い柱から太い枝が生え、普通じゃない速度で成長し、互いに絡まり合うようになって、門を閉ざした。
緑の魔女は箒の後ろに誰かを乗せていた。
風が目元を襲って、確認は出来なかったけれど。
とにかく。
間違いない。
今、通り過ぎた魔女は。
緑の魔女の、ネイチャ。
「アリス、」彼女を追って。
マイコはそう、言いかけた。
遮られる。
空気の大きな振動に。
音速の波動。
髪が。
体も揺れる。
マイコは再び空を見上げた。
前から後ろへ。
信じられないほどのスピードで魔女が飛んだ。
風に目が開けていられない。
狭い視界で影を確認するのがやっとだった。
ネイチャを追っているのだろうか?
しかしでも。
一体、なぜ?
思考を巡らせる。
中断。
またしても空に魔女が現れたから。
魔女の影。
三つ。
彼女たちも先ほどの魔女には及ばないが速い。
また通り過ぎた。
その中に。
銀色の髪の魔女がいたことを。
マイコは見逃さなかった。
その煌めきを。
その横顔を。
甲原ルッカの横顔。
間違いない。
甲原ルッカだ。
「アリス!」マイコはアリスの肩を掴み叫んだ。「彼女たちを追って!」




