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第五章④

「私に任せておけば大丈夫」

 サブリナは昨夜、確かにソフィアにそう言った。

 朝早い時間に、ソフィアはサブリナとともに、ミケの元を訪れた。ミケは眠っていた。ベッドの横ではゴールド・シンフォニィの支配人のカサブランカが椅子に座り、壁にもたれ眠っている。ミケの両手は布団から出ていた。彼女の左手は綺麗。長く細い指。綺麗な爪。傷などない。包帯に包まれている右手の状態は分からない。

「……ミケ、」ソフィアはミケに顔を寄せて囁く。「どうしてボストンにいるの? どうして昨日、ピアノを弾いていたの?」

「行こう」サブリナがソフィアの肩を触った。

 病室から出ると、外にミッキィとドナルドが立っていた。

「二人とも昨日はすまなかったね、」サブリナは二人に笑いかける。「しかし、でも、今朝は元気そうでなによりだ」

「こちらこそ、無様な姿をお見せして、」ミッキィはスカートの裾を摘んで、頭を下げる。持ち上げた顔の右頬には大きな痣が出来ている。「一撃で気を失ってしまうなんて、実践から随分と遠ざかっていましたからね、それにアルコールも飲んでいた」

「ごめんなさい、綺麗な顔を」

「いえ、むしろ骨格が元の位置に戻って、ほら、左右のバランスが良くなったでしょう? 痣は時間が経てば消えます」

「今日は?」ドナルドが聞く。

「傷は平気?」

「はい、」ドナルドは表情を変えずに頷く。「問題ありません」

「頼もしいわね」サブリナはドナルドに微笑む。

「……あの、」ドナルドは小さく手を持ち上げ、聞く。「一つ、質問があります」

「何、珍しい」

「マリエは、その、大丈夫なんですか?」

「大丈夫、とは?」

「凄い悲鳴でした、その、僕は最初、彼女が発狂してしまったのかと思いました、今まで聞いたことのない悲鳴でした、人格が変わられるときはいつも、静かでしたから、だから」

「ごめんなさい、今は、」サブリナは自分の胸に手を当て、目を閉じた。「近くに誰も感じない」

「……そうですか」

「ごめんなさいね」

「いえ、全然、その、」ドナルドは首を横に振った。「平気です」

「頼もしいわ」

「それで今日は?」

「ビゲロ邸に、エラリィ様に会って報告を、それから認可を貰って、」サブリナはゆっくりとした速度で歩き出す。「それで今日中に終わりにしましょう、」サブリナは振り返りソフィアを見る。「ソフィア、昨日、話した通りよ」

「はい、」ソフィアはサブリナに並んで病院の通路を歩く。「それで、ミケの手が治るんですね?」

「そうよ、」サブリナはソフィアに頷き、微笑んだ。「ソフィア、ねぇ、今日が終わったらどうする?」

「え、どうするって?」

「まだ確定しない曖昧な未来のことは考えられない?」

「未来のこと?」

「私は君を解き明かしたいんだけど、」サブリナはソフィアの耳元で囁く。「いいかな?」

「解き明かすって、何を?」

 ソフィアたちが病院から出ると、例によってアリスが待っていた。彼女は馬なし馬車に乗っていた。正式には自動三輪車と言うのだろうか。ファーファルタウで発明された機械だ。ソフィアは実物を見るのは初めてだった。

「おはよう、アリス、」サブリナはアリスに手を持ち上げ笑いかける。「どう、調子は?」

「おはようございます、サブリナ様、」アリスは運転席から降りて、サブリナに向かって頭を下げた。「今朝、届いたばかりで、まだ感覚が掴めませんが、スピードもあまり出ませんし、馬車のように自由自在とはいきません、でも楽しい」

 アリスの声音はなぜか弾んでいた。風の魔女のソフィアには、それがよく分かる。浮かれているようだ。ソフィアがじっと観察していることに気付いたのだろう。アリスは視線を絡めてきた。また皮肉を言われるのだろうかと警戒する。アリスはソフィアに一歩近づいた。大きな目で睨むように見つめてくる。

 そして。

「素晴らしい春空ですね、」彼女はソフィアの斜め上方に視線を持ち上げ、空を見た。そして片目をゆっくりと瞑り、微笑んだ。「透き通るブルー、まばらな雲、雨が振って虹でも浮かんだら、もう芸術ですね、新しいことを始めるのに相応しい空です、」アリスは運転席の前の蒸気機関に触る。その微笑みに影は一切ない。「さぁ、皆さん、私の素敵なミゼットに、お乗りになって」

「どうしたの?」ソフィアは聞く。

「何がですか?」アリスは依然、笑顔。

「浮かれているの? 何か、いいことでもあった?」

「そんなこと、」アリスはソフィアの背中を優しく触る。「ありませんわ」

 アリスのソフトなタッチは、少し不気味だった。

 ソフィアたちは機械の後ろに牽引された馬車に乗る。中にシデンがいた。顔色と髪の毛の色は悪くない。鮮やかな紫色が見える。微睡む目でこっちを見る。

「シデン、」サブリナはシデンの対面に座り、彼女の髪の毛を触る。「調子はどう?」

「普通です、」シデンは目を瞑って答える。「特別よくもないし、特別悪くもありません、いつも通りのシデンです」

「頼もしいわ」

「あの、私がダウジングを編んだら、私をルッカ様に会わせてくれるんですよね?」

「ルッカ様?」サブリナは首を捻る。「誰のこと?」

「私の恋人です、一緒にあなたたちに捕まって、マリエは約束してくれました、ダウジングを編んだら、ルッカ様を開放してくれるって」

「ああ、なるほど、」サブリナは頷く。「もちろん、マリエが約束したことだったら」

「あの、サブリナ様、」ミッキィが痣が出来ている右頬をさすりながら、言いづらそうに顔をサブリナに寄せる。「実は」

 その時、巨大な炸裂音がして、馬車が大きく揺れた。

「何!?」ソフィアは慌てて扉を開いた。

 その拍子に車輪が回転を始め、前方に動き出した。

「危ないですよ、ソフィアさま、」アリスは運転席から振り返り。涼しい顔で言う。「ちゃんと扉を閉めて下さい」

「さっき凄い音がしなかった?」

「ああ、それはミゼットです、」アリスは前の蒸気機関を指差し言う。「ミゼットの心臓の音です」

 ミゼットからは煙が出ている。それが蒸気機関のシステム上の仕様なのか、不具合なのか、微妙。「……壊れてるんじゃない?」

「デフォルトです、」アリスは愉快そうに笑う。

 ソフィアは扉を閉め、サブリナに微笑む。「蒸気機関車だって、あんな風に叫ばないでしょう?」

「無理に蒸気機関を小さくしたせいね、仕方がないわ、現代の科学の限界は音をどうにかすることが出来なかったのね、いえ、設計者は音のことなんて考えてないのかも、」サブリナはソフィアに微笑み返し、そしてミッキィに視線をやる。「ああ、ミッキィ、何の話をしていましたっけ?」

「……いえ、」ミッキィは前髪を弄りながら、窓の外を見て、首を横に振った。「また後で話します、今話すことでは、ないと思うので」


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