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第一章③

十一歳の頃から張り詰めたような空気の理由は、十七歳の春に徐々に解かれようとしているが、しかし、まだ歩きはちぐはぐしていて、歯車のようなものが噛み合わない。ヒステリックは蓄積される。大きく肩を持ち上げてする呼吸で、脳ミソの右側の方の部分をクリアにしないと、堪えていたものが出てしまう。ああ、とにかく。

 ヒステリック。

誰にでも少なからずある精神状態だろう。一般的に水の魔女はヒステリックであると言われているが、魔女は、魔女には限らず女性にはそういう特徴を誰しもが備えていることは間違いない。ヒステリィが出やすいか、出にくいか、その差異で魔女のキャラクタは大きく左右される。その度合いは魔力にも影響を与えるし、魔法の緻密さ、速さにも関わってくる。魔女と会話するときには注視すべき点であることは確か。

 クァンドのウェイトレス兼コック兼用心棒の風の魔女、ソフィア・コポラはヒステリィが出やすい。今日は大丈夫だとソフィア自身も思っていたのだが、しかし出てしまった。長く黒く艶がある東洋人のような髪の毛を輝かせ、風を起こしてしまった。

 クァンドの見習いコック、アレクサンダ・エマニエルが皿洗いをミスって、ソフィアの大事なラビットの絵が掻かれた皿を割ったからだった。アレクサンダは割れた皿を目の前に考えたようだ。どうすればソフィアに怒られないかを考えたようだ。アレクサンダはとりあえず皿の破片を集めて、組み直した。幸い細かく割れていない。ピースは合計十三。ボンドで何とかなりそうだと頷いたその時、フェイトレス姿のソフィアが調理場にやってきて、それを目撃した。

もうすぐ店仕舞い。少しだけルンルン気分だったソフィアの顔色は二秒で変化。「……え、ちょっと、何コレ、何なのコレ、何なのよ、アレックス!」

「……ミスちゃって、」アレクサンダは腕を組んで呟く。「少し、シャボンの量が多かったのが原因だと思う」

「シャボンのせいにするなよ!」ソフィアはヒステリックにがなる。「アレックスのせいでしょ!」

「……うん、」アレクサンダはじっとソフィアの目を見て謝る。「ごめん」

「……はわわぁ、」ソフィアはラビットの皿を前に狼狽える声を出す。「私の大事なラビットがぁ」

「……弁償するから、」アレクサンダはソフィアの肩に手を置き言う。「明日、買ってくるから」

「限定品なのよ、もう売ってないの、コレクターズ・ショップで売っていたとしてもアレックスの安い給料で買えるものじゃないのよ!」ソフィアは早口で言った。「ああ、もう、最低、最悪、感情が混線中、ああホントにもう、一体どうしたらいいの?」

「諦めるしかないと思う、」アレクサンダは冷静に言って、自分の白い髪を触る。「もう、綺麗さっぱりラビットのことを忘れたら、なんていうか、楽になれると思う」

「はあ!?」ソフィアはアレクサンダをきつく睨みつける。「諦める? 忘れる? 楽になれる? ええ、そうね、諦めるしかないでしょうね、でも、割ったのはアンタ、不器用でドジなアレックスよ!」

「そうだけど、でも、」アレクサンダは極めて冷静に続ける。「そんな大事なものを不器用でドジな僕に洗わせるのが、そもそも間違いなんじゃないかなぁ」

 一切悪びれる様子のないアレクサンダに、ソフィアは切れてしまった。

 ソフィアの黒い髪が煌めき。

 調理場の空気が全て騒ぐ。

 風が吹き荒れる。

 一瞬であらゆるものが滅茶苦茶になる。

 まるでハリケーンの通り跡。

 調理器具は床に落ち、棚にあった皿は粉々になり、ソフィアの大事なラビットの皿の欠片も粉々になった。

「ああ、大変、」髪は乱れていたが、アレクサンダの表情には全く変化がない。アレクサンダの前には氷の障壁があって、それによって直接ソフィアの風を受けることはなかったのだ。アレクサンダは両手を広げてこの惨状を見回して言う。「全部、一からやり直しだぁ」

「アレックス!」ソフィアは叫びながら氷の障壁を蹴り飛ばして、アレクサンダに顔を近づける。「アレックス! アレックス! アレックス!」

「……なぁに?」アレクサンダはソフィアとの密着を拒むように手を前に出す。

「あんたねぇ!」ソフィアはアレクサンダの手を掴んだ。そのおり。

「一体、何してくれちゃってるの!?」マスタの怒鳴り声。

 ソフィアははっとなる。

 マスタはアレクサンダの後ろ、カウンタへの出入り口から登場。普段はニコニコなマスタが調理場の惨状を見ながら怒鳴る。「前にもこんなことなかった? あったでしょ、あったよね、あった、用心棒のソフィアが盗賊も殺人鬼も変態もいないのにこんなことをしたことは前にもあった、あの時、ソフィアは誓ったよね、もう二度とこんなことはしません、もう二度とこんなことはしませんって誓ったはずなのに、」マスタは髪の毛を掻き毟る。「なんだコレ!?」

「だ、だって、」ソフィアはアレクサンダを盾にしてマスタから身を隠す。「だって、コイツが私の大事なラビットの皿を」

「マスタ、他の皿を割ったのはソフィアです」アレクサンダはソフィアを前に立たせようとする。

「ソフィア!」

ソフィアはアレクサンダに背中を押された。力ではアレクサンダには敵わない。マスタは目の前にいる。近い場所にいる。マスタの綺麗な顔は、とても恐ろしかった。「……は、はい、私、ソフィアです」

「ソフィア!」マスタは顔を近づけて怒鳴る。

「は、はい!」ソフィアの声は裏返る。

「歌ってこい!」

「はい、歌ってきます!」ソフィアは裏返った声で応答して、しばらくして首を五十度傾けた。「……え、歌う?」

「うん、」マスタの顔はニコニコしていた。「君の歌が聞きたいっていうお客さんが来ているから」

「え、誰?」

「さあ、」マスタは首を横に振る。「でも、多分、魔女」

「ふうん、いや、でも、もう時間が遅いですし、また今度の機会に」

「お金をタップリいただけそうなんだ」

「……ふうん、そういうことですか、」ソフィアはマスタから目を逸らす。「でも、私の仕事はウェイトレスとコックと用心棒であって、歌うことは仕事じゃありません、ですから、私が歌ったら報酬を頂きたいのです」

 マスタはニコニコしながらソフィアの柔らかい頬を抓る。

「痛い、痛い、痛いですよ、マスタぁ!」

 という訳で、閉店間際、際どい時間帯に、ソフィアは歌を歌うことになった。カウンタを出て、店の奥のピアノに近づく。ピアノを奏でるのはミケというピアニスト。王都ファーファルタウ出身で、王立楽団に所属していた経歴もある凄いピアニスト。歳はソフィアと同じ十七歳。彼女の仕事はドレスを着てクァンドの開店から閉店までずっとピアノを弾き続けること。ソフィアが近づくと、彼女は顔を上げた。細く長い指の動作を止めることなく、ミケは聞く。「……何?」

「マスタが歌えって」ソフィアはピアノのストリングスの動きを見ながら答える。

「こんな時間に?」ミケの声は、風邪も引いていないのに常に鼻声だ。そういうしゃべり方が魅力的だと思っているのかもしれない。でも、事実、魅力的に聞こえる不思議。「そろそろピクニックの時間だけど、」ピクニックという民謡と共にクァンドは閉店する。「それにお客さんも少ないし」

 ソフィアは店内を見回す。決して広くはない店内は閉店間際、やはりがらんとしている。カウンタ席には常連の傭兵風の厚手のジャケットを着た男、派手なドレスを着た女装男子に、黒い頭巾を被った小さな女の子。テーブル席には赤いドレスを着た女とピンクの髪の色の男のカップル。お客は五人だ。これだけお客が少ないと、逆に恥ずかしい。

「曲は?」

「アレしかないでしょ」

「アレね」ミケは鍵盤から手を離した。

 店内の音楽が消え、色が変わってしまったような壮大な変化を感じる。

 お客の視線が鳴り止んだピアノに集中する。

 ソフィアはピアノの前に姿勢を正して立つ。思うことがある。

 私の未来。これから。

ソフィアはシンデラで産まれた。親の顔は知らない。教会で育った。十一歳に箒に跨ったら飛ぶことが出来た。魔女の開花。教会のシスタの中に一人、魔女がいて、彼女がソフィアに魔法の研究の仕方を教えてくれた。ソフィアは一年間研究に没頭し、風の魔法を極めた。そしてゴールド・ラッシュの騒がしさに魅かれ、ソフィアはここにいる。ここにいれば、何か夢が、魔女である目的が見つけられるような気がして、ここにいる。だけど、まだ見つかっていない。十一歳の頃から求めているものは見つからない。形は見えない。あるのかさえ判別しない。とにかく張り詰めていて、ヒステリックが溜まる。自分が魔女であることが不自然。歩きはちぐはぐ、歯車は噛み合わない。助走の歩幅が合わない。飛べていない。飛べるけど、飛べていない。

未来は何?

とにかくそれは、歌を歌うことじゃないことは分かっている。

とにかく今は、歌うけど。

深呼吸をして目を開け、お客さんに微笑み、可愛らしい声を意識する。「いくよ」



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