第二章⑩
髪の色を失った、ルッカ、マロリィ、ガブリエラ、ネイチャの四人は、四人には狭いソファに肩を寄せ合って座っている。四角いテーブルを挟んで向かいには、ミカエラ・マンブルズという魔女が座っている。ここは彼女の部屋だ。そしてここはマーブル財団の本部がある、マンブルズ家の屋敷の西側にある部屋だ。つまりマロリィの姉の部屋。マロリィは馬車の中でルッカに教えてくれた。
「私はマーブル財団、初代団長の三女、マロリィ・マンブルズ、私は今ね、姉さんたちと喧嘩中なの、私は姉さんたちが許せない、許せないことは小さな頃から沢山あった、沢山あったんだけど、私はずっとニコニコ笑ってさ、姉さんたちに嫌われないように努力していたんだけれど、マケイラが魔女を奴隷として働かせるようになってから私はニコニコ出来なくなった、ミカエラがガブリエラの家を破裂させてクラウンを奪ってカブリエラの腕を鎖で縛っているのを見て、私はキレてしまったの、私はもう我慢できなかった、我慢できなくてあらゆるものを破裂させようとしたわ、そしたらミカエラは私の大事なラビットのぬいぐるみを破裂させた、もう絶対に許すもんかって、その時決めたの、邪魔して、邪魔して、邪魔して、私だけ幸せになるって決めた、可愛い魔女たちと出会ってそして一緒に幸せに暮らすんだ、家族みたいに、それが私の夢なの、素敵な夢でしょ、そう思うでしょ、ルッカも」
対面に座るミカエラは、シガレロを咥え、マッチで火を点けた。ゆっくり吸って、煙を吐きながら、足を組んだ。「さて、マロリィ、話を始めようか? それで、ええっと、何だったかな、僕たちは何を話そうとしていたんだっけ?」
「シデンの話、」マロリィは返答する。「紫の髪の色の魔女の彼女はどこにいるの?」
「ああ、そうだったね、」ミカエラはソファにもたれる。テーブルには料理が用意されていく。ミカエラは部屋を出入りする魔女のメイドの一人に言う。「あ、ごめんね、この娘たちにもコーヒーを出してあげて」
メイドはルッカたちの方に視線をやり、頷いて部屋を出ていく。メイドの彼女たちの髪は僅かに色が付いている。ハッキリとしていない。魔力の量が微細なのだ。
「シデンは無事なんですか?」ルッカは発言した。
「もちろんだよ、」ミカエラは微笑み、シガレロを灰皿に押し付け、ナイフとフォークを持つ。「いっただきまーす、」ミカエラはプレートの上で音を立てている分厚いステーキを一口サイズに切って口に運ぶ。「うーん、うまぁ」
「本当に?」
「……本当だよ、彼女は金脈をダウジング出来る特別な魔女、特別な彼女を傷つけたりはしないよ、それに、」ミカエラはごっくんと肉を呑み込んだ。「君だって無事でしょ? 僕たちは最初から、昨日の夜、サブリナの罠に掛かった東洋人の魔女二人を傷つける気なんて、さらさらなかったのに」
「信じられないわ」ガブリエラは短く言った。
「私、」ルッカは頷き言う。「牢屋で、変なものを飲まされるところだった、ミッキィっていう女装男子に」
「え、ミッキィが?」ミカエラは首を捻った。「……変だな、僕は彼に何も言ってないのにな、本当だよ、でも、うん、それがでも、ミッキィが君に変なものを飲ませようとしたことが真実だとしても、僕が知らないことだよ、僕はアリスに君に注射を打ってもらうように頼んだだけ、ミッキィが何を考えていたのかは、僕にはさっぱり分からないけど、まあ、僕が言っていることを信じるか、信じないかは、結局は君たち次第っていうことなんだけれどさ、」ミカエラは一枚の肉を平らげた。口元をフキンで拭う。「……とにかく、シデンという名前の魔女は無事だよ、だから安心してよ、怖い顔をしないでさ」
「信じられない」ガブリエラは言う。
「別に僕は君たちの考えを変えようって気はないんだけれど、」ミカエラは視線を逸らして再びマッチを擦ってシガレロに火を点けた。「信じてもらえないって言うのは、あまり、気分がいいものじゃないね」
「シデンはどこにいるの?」ルッカは声に力を入れた。「ねぇ、どこにいるの?」ミカエラが目を合わそうとしないから、ルッカが立ち上がって叫んだ。「答えなさいよ!」
ルッカの声が余韻として残る。
「……、」ミカエラは煙をゆっくりと吐きながら、指先でシガレロを回している。そのシガレロの回転が止まり、視線がルッカの顔に来る。「いいかい、コレから言うことは、全て真実だから、それを頭に置いて、聞いて欲しいんだ、いいかい?」
ルッカは小さく頷いて、ソファに再び腰かけた。
「彼女は今、サブリナたちとボストンへ向かっている」
「ボストン!?」ガブリエラが高い声を出して反応した。「どうして!?」
「まあ、落ち着いて、」ミカエラはガブリエラの方に微笑む。「ボストンには君の家があっただろ?」
「今はもうない、」ガブリエラはヒステリックに言って膝を叩いている。「あんたが壊したんだ、他人事みたいに言いやがって!」
「つまり、ファンダメンタル・ピュア・クラウンはボストンにあった、だからだよ、サブリナはアドバイスをくれた、ゴールド・ラッシュに沸く西海岸よりも、クラウンのあった東側を掘ってみてはどうかって」
「まさか、姉さんたちは、」マロリィが言う。「ファンダメンタル・ピュア・ゴールドを探そうとしているの?」
「実はすでに、」ミカエラはゆっくりと首を傾け微笑んだ。「見つけているんだ、とっても細かい欠片なんだけれど、エラリィが見つけてくれた、その発見はボストンのどこかにファンダメンタル・ピュア・ゴールドの源泉があるという可能性をぐっと高めたわけだね、シデンがボストンに着いたら、きっと見つけてくれるだろうね、素晴らしいことだね」
「ファンダメンタル・ピュア・ゴールドって、一体何なの?」マロリィが自分のアッシュ・ブラウンの髪の毛を触りながら問う。「どうしてそんなに欲しいと思うの? その理由が私には分からない、クラウンだって、アレだって、ガブリエラにとっては宝物でも、ミカエラにとってはただの金色の王冠じゃない、どうしてそんなに欲しがるの?」
「それは教えられないな、」ミカエラも髪の毛を触っている。「だって、教えたら、マロリィは、僕のことをきっと、邪魔すると思うし」
「シデンはボストンに向かっているのね?」マロリィは立ち上がった。「ルッカ、ガブリエラ、ネイチャ、行こう」
「マロリィ、待って、待ってくれよ、」ミカエラも立ち上がった。大きな声を出した。「マロリィ、待ってよ!」
「何よ」マロリィはミカエラを睨んでいる。
「一緒にコーヒーを飲もうよ、」ミカエラは微笑みを作って言う。「ほら、用意が出来たみたいだ、一緒に飲もう、まだ話足りないよ、実はね、これも真実の気持ちさ、出来れば今、この場で、僕たちは、僕とマロリィは仲直りした方がいいんじゃないかって、思ってる、未来のことを考えたらね、仲直りした方がいいと思うんだ、睨み合って、戦争みたいなことをするのは、何か違うとは思わないかい? 僕と仲直りしてくれるのなら、ファンダメンタル・ピュア・ゴールドのことも教えてあげるし、シデンのところにも連れて行ってあげてもいい、まあ、とにかくさ、ほら、座ってよ、皆、もう一度座って」
二秒後、マロリィがソファに再び座った。マロリィが座ったので、ルッカたちもソファに座り直す。メイドが登場し、四人の前にカップを並べ、ポットから黒い液体を注ぐ。
「とても高級なコーヒーだよ、細かいことは知らないけど、」ミカエラも座り直した。「でも、高級なんだって、アリスが言ってた、アリスはあらゆる一級品にとても詳しいから、きっと間違いなくおいしいと思うよ」
ルッカ以外の三人がカップに指をかける。マロリィがカップに口を付けようとしている。
「待って、」ルッカは言った。声に力を入れて言った。「待って、皆、変よ、このコーヒー、色が変よ、明らかにおかしいわ」
「え?」ネイチャがこの部屋に来て初めて声を出す。「何が?」
ガブリエラも、マロリィも、そしてミカエラもポカンとした表情でルッカの方を見つめる。
「どうしちゃったの?」どうしてこんな分かりやすい色の違いに気付かないのか、ルッカは三人の鈍感さ加減が信じられなかった。「まさか薬のせいで色までが分からなくなったの?」
『はあ?』マロリィとガブリエラとネイチャは声を合わせて首を捻った。
「いきなり何を言うんだい?」ミカエラは苦笑している。「色が変って、何も変じゃないじゃないか」
ルッカはカップを手に取り、縁を唇に当て、傾けて、味を確かめた。
苦い。
一気に口の中に広がる苦み。
ルッカは瞬間的にヒステリックになった。
「こんなのコーヒーじゃないわ!」
ルッカはカップの中の黒くて苦い液体をミカエラに向かって掛けた。
三人は目を丸くした。
ミカエラの顔はコーヒーで黒い。笑顔のまま硬直して、掠れた声を出す。「……一体、急に、何を?」
「それはこっちの台詞よ!」ルッカは立ち上がってがなる。「また毒を飲ませようとして!」
「……毒?」
「まだとぼける気なの!? コレはどこからどう見たって毒だわ、こんな黒くて苦い液体がコーヒーなわけない、コーヒーはもっとクリーミィで、甘い飲み物、こんな黒くて苦い液体がコーヒーなわけがないわ!」
ルッカのヒステリックを見て。
なぜかネイチャが盛大に笑っている。
なぜかガブリエラは「なんてピュアなの」とルッカを褒めている。
なぜかマロリィは、何か企む目をしている。
「……ええっと、どう言ったらいいかなぁ、」ミカエラは袖で顔を拭いながら、笑顔の眉をひくひくと動かしていた。「とにかくさ、ルッカ、謝ってくれる?」
「謝る?」ルッカはミカエラがどうして謝罪を求めるのか、訳が分からない。「なぜ? 訳が分からないわ!?」
「そうよ、うん、ミカエラ、あんたの言っていること、さっぱり訳が分からないわ、」マロリィは大きく頷きながらテーブルに手を付いて声を張った。「毒を飲ませようとしたのね、謝罪するのはミカエラの方だわ、でも、もう、これは、ええ、もうこれは、絶対に許せないことをされた、そういうことね、ルッカ」
「うん!」ルッカは大きく頷いて、ミカエラを睨みつけた。「許せない!」
「……そうか、……そうなんだね」
ミカエラは微笑んだまま目を伏せた。「君たちは、僕の気持ちをあくまでも邪魔するわけなんだね、よぉく、分かったよ、分かった」
そして。
彼女の視線が持ち上がる。
ルッカの背筋はゾクゾクっと冷えた。
ミカエラは一息でがなった。
「君たちが僕の邪魔をするならここで破裂してしまえばいいんだ!」
ミカエラは瞬間的に強烈なピンク色に発光。
迫る恐怖の鋭さに、ルッカは微動も出来なかった。
しかし。
輝きを増すピンク色の光の中。
ネイチャは自分で編んで腰に差したシガレロをルッカに咥えさせる。
ガブリエラはテーブルの上のマッチを使ってシガレロに火を点ける。
「吸って」マロリィが耳元で素早く囁いた。
ルッカはマロリィに囁かれた通りに、シガレロを吸った。
すぐに来る。
ラッシュが来た。
脳ミソの、ある箇所が極端に熱を持つ。
酔ってしまったような。
しかし。
透明過ぎる思考に。
包まれる。
世界の時間がとてつもなくゆっくりに、感じられ。
どんな緻密な魔法も編めると思った。
それを担保する、魔力が全身から沸いてくる。
沸騰している。
沸騰して。
形を作りたくなる。
ルッカの髪に馴染んでいた黒が弾け、消え。
銀色に変わる。
ルッカはシルバに煌めいて叫んだ。「アイギス」
正面に分厚い鋼の盾が出現。
最強の盾。
厚みがあって、重みがある盾は床に沈み込み、安定する。
ミカエラが編んだ強烈な破裂。
アイギスの盾はルッカたちを破裂から守った。
舞う埃。
立ち昇る煙。
一瞬、この部屋は静かになって。
ミカエラが咳き込んでいるのが聞こえた。「……君たち、……よくも、……やってくれたね、滅茶苦茶に、本当に滅茶苦茶だよ、邪魔をするから!」
奥に見える不鮮明なミカエラのシルエットは、四つん這いの姿勢だった。
「ルッカ、」マロリィがルッカの手を掴んで引き寄せる。「逃げるよ」
四人は固まって部屋の扉へ走った。
「開かない!」ガブリエラがノブを乱暴に揺らしながら言う。
「エンピ、」ラッシュはまだ持続していた。まだ魔法を編むことは可能だ。ルッカは銀色のシャベルを編み、それを扉に突き立て発声する。「テアビュ」
扉が破裂。
そのとき。
扉の向こう側から悲鳴が聞こえた。
扉の残骸をどかし、廊下へ出ると、ピンクの色の髪の女性が床に横たわっていた。その脇に黒髪の東洋人の女性が跪いていて、ルッカは一瞬だけ、顔を上げた彼女と目が合った。
「マケイラ姉さん?」マロリィが横たわる女性を見て言う。そしてすぐに首を横に振ってルッカを丸い目で見る。「……ルッカ、飛ぶよ!」
「え?」ルッカはとりあえず窓ガラスをシャベルで叩き割る。「シャベルで飛ぶの?」
「はい、」ネイチャはどこで仕入れたのか、柄が比較的長めの箒をルッカに渡した。「シャベルじゃお尻が痛いでしょ」
「え、もしかして、四人で?」ルッカは箒に跨りながら言った。
「今飛べるのはルッカだけ、」カブリエラがルッカの背中を抱き締める。「ちゃんと飛んでよ」
「ラッシュは持つ?」マロリィはガブリエラの後ろに跨りながら聞く。
「うーん、」ネイチャはルッカの瞳を覗き込んで、銀色の髪を触り、ニコッと笑顔になってピースサインを作った。「あと、二十秒ってとこかな」
『いそげぇ!』
ルッカたちは窓から飛んだ。
ラッシュの力で物凄いスピードで飛び立った。
あっという間にマンブルズ家の屋敷の敷地内から出た。
こんな風に四人で飛ぶのは初めての経験だった。
ラッシュも初めて。
そして。
『……フォ、スリィ、トゥ、ワン、』空から川へ堕ちるのも。『……ゼロ!』
初めてのことだった。