第1話 処刑台の上の約束
冬の風は、処刑台の上だけを選んで冷たく吹くみたいだった。
縄で縛られた両手は感覚が薄れ、足元の板は、少しでも体重を動かせば軋んだ。王都アルヴェインの中央広場は昼だというのに薄曇りで、見物人たちの吐く白い息が、ひどく遠いものに見える。けれど、いちばん遠くにいてほしくなかった顔だけは、はっきり見えてしまった。
救護院の子どもたちだった。
最前列に押し出されるように立たされた小さな背中が、肩を寄せ合って震えている。年長のミナが、泣きじゃくるレオの目を両手で隠そうとしていた。けれど自分の頬も涙で濡れていて、うまく隠しきれていない。
やめて、と言いたかった。見ないで、と叫びたかった。
でも、喉は乾いた砂を詰められたみたいに動かなかった。
「救済金横領、帳簿改竄、保護児童の不正移送未遂。以上の罪により、元救護院書記スカイラーへ死刑を執行する」
朗読官の声はよく通る。紙一枚の重さで、人は簡単に悪人になれるのだと、改めて思い知らされる声だった。
「違う……」
かすれた声は、自分でも驚くほど弱かった。
違うのだ。帳簿をいじったのは私ではない。送金を止めたのも、子どもたちを奉公名目で売ろうとしたのも、私ではない。私は数字の並びがおかしいと気づいて、言いに行って、頭を下げて、訴えて、それで――潰された。
人の波の向こうに、白い手袋で目頭を押さえる女がいた。
マリベル。
王都でも評判の慈善家。淡い藤色の外套をまとい、今にも倒れそうな顔でこちらを見ている。けれどその横顔は完璧すぎた。悲しむ角度まで選んでいるみたいに美しかった。
「なんてお気の毒なの……。あの方、最後まで自分の過ちを認めなくて……」
近くの貴婦人へそう囁く声まで、風に乗って耳に届く。泣いているような声色なのに、語尾だけが妙に軽かった。
処刑台の右下では、会計院長ラフォントが顎を撫でていた。困惑した役人の顔を作っているが、目だけは乾いている。あの男はいつだってそうだ。紙束の向こうにいる人間を見ない。乾かすだけ乾かして、最後に「仕方がありませんでした」と言う。
「書類に誤りがあったなら、もっと早く是正すべきだったのです」
「……あなたが、止めたくせに」
やっと絞り出した言葉も、ざわめきに吞まれた。
そのとき、不意に人々のざわめきが別の色に変わった。
黒い礼装の男が、群衆を押し分けるように前へ出てきたからだ。
エリシャ・ヴァレントワール公爵。
王家の交渉役にして、王都で最も冷たい男と噂される人。陽の下に立っているのに、あの人のまわりだけ夜のように静かだ。鋭い灰色の瞳が処刑台を見上げ、何かを言いかける。けれど彼の前には近衛が立ち塞がり、執行官が腕を上げてしまう。
「時間です」
ああ、間に合わない。
そう思った瞬間、足元より先に、胸の奥が冷えた。
私は死ぬ。ここで終わる。子どもたちは散り散りに売られ、ミナは工場へ、レオはどこかの農場へ、熱ばかり出していた小さなユナは冬を越せないかもしれない。先生の本も、救護院の古い机も、夜更けに分け合った焦げたスープも、全部なくなる。
守れなかった。
その悔しさだけが、最後に刃より鋭く胸へ刺さった。
刃が落ちる寸前、地の底から硝子の割れるような高い音が響いた。
広場の誰もが一瞬だけ空を見た。けれど音は空からではない。地下だ。王宮のはるか下、貴族の記録と禁書が眠る真夜中の図書館の方角から、ひび割れた鐘みたいな音がした。
視界が揺れる。
マリベルの涙も、ラフォントの乾いた目も、子どもたちの泣き顔も、すべてが水面の絵のように崩れた。
その崩れた景色の中央に、もう一人の私がいた。
血に濡れた首元を押さえながら、それでもまっすぐこちらを見ている。鏡に映った私。泣き顔なのに、泣くだけで終わらせたくない目をしていた。
唇が動く。
声は、頭の内側へ直接落ちてきた。
――次は、泣くだけで終わらないで。
処刑台が、広場が、冬の空が、砕けた硝子のように散った。




