『残影』
ジャンル:ホラー / ダークファンタジー / サスペンス
・本作には暴力的描写や流血表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
・宗教・神格・悪魔などを題材にしています。信条により不快に感じる可能性があります。
・心理描写や恐怖描写が強めです。ホラー表現に抵抗がある方は閲覧をお控えください。
「カイ! アンタまた馬鹿みたいな飯を食べてるって?!」
「うわっ! おばさん、うるさ――」
「うるさいってなんだい!」
凸凹の同居生活が始まってから、三日が過ぎた。
――その日、晴天にも関わらずカイの家に特大の雷が落ちた。
真っ黒な男――もとい、カイという大人はずっと塩漬け肉とパンしか食べていない。タスクも同じ食生活だ。いくら「好きにしろ」と言われても、他の食べ物を買いに行けるだけのお金も持っていないし、この大人に強請るのも違うと思っている。
屋根がある家と自分だけの部屋、それに肉とパンだけだとしても食事にありつけるだけで十分だ。
その考えは、様子を見に来たらしい近所に住んでいるおばさんによって粉々に壊されたのだが。
少し怖い大人に見えていたはずのカイは、おばさんの前で小さくなっている。それだけで、タスクはこの二人の力関係を理解してしまった。
――このおばさんには、絶対に、逆らってはいけないと。
「大体なんだい! カナエちゃんそっくりな子を拾ってきたって犬猫を拾うのとは訳が違うんだよ! それにアンタときたら食事は塩漬け肉とパンだけ?! 育ち盛りの子供に渡す食事じゃないだろ、この馬鹿タレ! そもそもアンタはその野菜嫌いをいい加減どうにかしな!」
息を吐く暇もなく飛んでくる説教に、カイは遠い目をしている。
あ、これ本当に野菜が嫌いなんだ、とタスクは続けて理解した。
◆
――それから、また数日経った昼頃のこと。
近所のおばさん――もといサナおばさんによって、タスク達の食生活は改善されることになる。
黒パンと塩漬け肉だけじゃなく、野菜と豆のスープが必ず出るようになった。タスクが何よりも喜んだのは「スープの作り方」を教えてもらったことだ。先生に言われるがままに材料を切ったり、煮たりするのではなく、どう料理をしたらサナおばさんが作ってくれたスープの味になるかが分かったことが嬉しい。
野菜と豆のスープを出すたびに、カイは何とも言えない難しい顔をしているけれど残さず食べるし――なにより必要な材料費を渡してくれるようになった。これは大きな進歩だと思う。
「……今日も研ぎの持ち込みは無しか。午後は――ああ、そうだ。また荷運びの手伝いだった」
誰に向けるでもなく、カイは肩を竦めている。数日共に過ごして、この男は思ったよりも独り言が多いとタスクは気付いた。
(独り言っていうより、誰かに話しかけてるみたいだけど……)
その相手は自分ではないことも、すぐに気付いたことだ。
カイは必要以上に自分と話そうとしない。目も合わせてくれないし、なんなら時々遠くを見るように無視されることもある。
結局この家のことも、カイが使っていた黒い靄のことも――毎晩の行き先も、まだ訊けていない。
今日もいくらかの銅貨を机に置いて、カイはふらりと街へと出ていく。タスクはそれを止めることも出来ずに、ただ背中を見送るだけだ。
「……昨日の夜も、外に出てたよな……」
気になる。もしかしたら、あの真っ黒な姿になって何かをしているのかもしれない。家族を取り戻したいって言ってたはずだけど……カイが近衛聖騎士に勝てるとは思えなかった。
聖騎士に寄り添う人の形をした白い光と、カイが使う黒い靄。戦っているときに見えた、二人の決定的な違いをタスクは見ていた。
「多分話した方がいいとは思うけど、……アイツ、俺のこと絶対避けてるし……。――――よし、まずはサナおばさんのところにも行こう。それから今日の買い物をしなきゃ」
食事のときにはひどく仏頂面なカイの口を開かせるために、とびきり美味しいスープを作るんだ。タスクは両手を胸元でぎゅっと握り、決意をするように一人頷く。
机の上に置かれた数枚の銅貨を袋に入れて、タスクも家を出ていった。
◆
空は生憎の曇天模様。
雨が降り出しそうなほどではないけれど、タスクは晴れている方が好きだった。お日様の光は、神様の光なのだと教わっていたのもある。
それが今日隠れているのは、もしかしたら少し幸先が悪いかもしれない……と内心がっかりしながらも、足はすっかり覚えた道順を辿ってサナおばさんの家に向かっていく。
(あれ……? なんか地面が……)
大神殿から地面に広がっていた白い光が、弱くなっている気がする。思わず周りをぐるりと見渡せば、蝋燭の火が揺れるような危うい場所もあった。
(なんか、変だ)
天気の悪さだけじゃない。ざわざわと胸が落ち着かない感覚に襲われて、タスクは思わず唇を引き結んだ。街の人たちの様子も、ここ数日と比べてなにかが違う。もしかしたら、光は見えなくてもこの胸がざわざわする感覚は、他の人も感じているのかもしれない。
タスクはぎゅっと拳を握りしめて、その場から逃げるように駆け出した。
「……さ、サナおばさん、こんにちは!」
「ああ、タスク、良くきたね。待ってたよ。ってどうしたんだい、そんな息を切らせてまぁ……ごろつきにでも絡まれそうになったのかい?」
「お、遅れるかもって思って!」
慌てて首を横に振れば、サナおばさんは「気にしなくていい」と豪快に笑う。その笑顔に、先まで感じていたざわめきが消えていくような気がして、タスクはそっと息を吐いた。
「まったく、カイにはタスクを見習ってほしいもんだね。アイツときたら、しょっちゅうどっかで寄り道しては遅刻してくるんだから」
「あ、あはは……」
自分に対するカイと、サナおばさんを前にしたカイ、それに――街に出ているときの様子はどれも違う人間みたいだ。買い物に出たときに偶然見えたその姿は、飄々としていて掴みどころのない"いい加減な大人"にしか見えなかった。それに、サナおばさんの前では、まるで拗ねた子供みたいだった。
自分の前では不愛想で無口なのに不公平だ、と内心割と憤っている。無視をするのも面白くない。
絶対に今夜は口を開かせてみせると、改めて心に誓った。
タスクは、色々な布をごしごしと木桶の中で洗っている。汚れた布が段々綺麗になっていくのは、やっていてちょっと楽しい。この布は旦那さんが荷運びで使うためのものなんだそうだ。
「タスクは働き者でいい子だね。いつも助かるよ。そうそう、最近巷がちょっと物騒になってきてるみたいだからね。夜は絶対に出歩いちゃいけないよ。今日も日が沈む前に早く家にお帰り」
「な、なんで危ないの?」
そう問えば、サナおばさんは腕を組んで深いため息を吐いた。タスクは布を洗っていた手を止め、ごくりと息を呑む。
「――悪魔がね、出るんだと」
「え……」
「なんでも、ここ最近神官さまが悪魔に襲われているって噂があちこちから聞くんだよ。実際はどうかは分からないけどね。だから周りも怯えたりなんだりでピリピリしてるから、妙なことに巻き込まれないようにしておきな」
布を握る手に力が入る。指の間から、泡まみれの水がぽたぽた落ちていく。
心臓がどくどくと早鐘を打って、背中に冷たい汗がつうと伝っていった。
――自分は『悪魔』の正体を知っている。
でもその悪魔は、聖典に書かれているような恐ろしい存在じゃないことも知っている。ぶっきらぼうで無愛想だけど、行き場のない自分を追い出すことなく、家に置いてくれているひとだ。
以前ならば「悪魔はカイだ! だから大丈夫!」とすぐに言葉にしていただろう。
でも――今はそれを口にすることは選べなかった。
そんな自分の様子を見て、サナおばさんは大きな手で背中をばしんと叩いてきた。
「ぅわっ!」
「そんな情けない顔をしないの! 聖騎士さまが悪魔なんてすぐにやっつけてくれるだろうさ。アンタはいつも通り、夜はちゃんといい子で眠っていれば大丈夫」
「う、うん……」
「まったく、カイにもアンタみたいな素直さが残ってりゃあ……。あれもアンタくらいの頃には兄妹そろって素直でいい子だったのにねぇ」
昔を懐かしむような声に、タスクは布を握っていた手の力を再び込める。
本人がいないところで聞くのは、本当は良くないことだと分かってる。
でも、折角巡ってきたチャンスを取り逃してしまうことは――今のタスクにとってあまりにも惜しかった。
「――カイって、妹がいるの?」
「なんだい、カイはアンタになんにも言ってなかったのかい?」
「うん、なんにも……」
そうかい、と返したサナおばさんは、タスクの頭をゆっくりと撫でてくる。
おばさんの手は兄ちゃんとは違って、温かくて大きい。その手つきがくすぐったくて、少し鼻の奥が、つんと痛んだ。
「カナエちゃんはね、優しくていい子だったんだよ。それでね、アンタとそっくりなんだ。だからおばさん、とっても驚いてねぇ」
「そ、そんなに似てるの?」
「そりゃあもう。最初はカナエちゃんが、神様のところからひょっこり戻ってきたのかと思ったくらいさ」
「あ――……」
そんな顔をするんじゃないよ、とサナおばさんは苦笑しながら、タスクの髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。タスクはただ、木桶の水面を見つめていた。
「ユウちゃんもその前に神様のところに行って。ケンは……遠くに行っちまったから、カイはあっという間に一人になっちゃってね。おばさんや近所のみんなで、当時はあれこれ面倒を見たものだよ」
「そっか……」
ぽつり、と返した声は小さくてゆらゆらと頼りないものだ。そんな返事にも、サナおばさんは気分を悪くすることなく話を続けてくれる。
「だからね、アンタを拾ってきたって言われてびっくりしたけど、きっとカイにとってはいい方向に転がると思ってるんだ。アンタにとっては良い迷惑かもしれないけどね。食事があれじゃ、最初は大変だったろう」
「うん。野菜はないって言われてビックリした」
「アイツの野菜嫌いは昔からだね。まったく、いい年した大人の癖に情けないったらありゃしない」
最後に一際大きく撫で回して、サナおばさんの手は離れていった。
少し気持ちが軽くなった一方で、別の場所がそっと重さを増している。
(俺とそっくりな妹……。……だからあの朝、アイツは俺のことを『カナエ』って呼んだんだ)
同時に、カイにとっての『カナエ』は、自分が軽率に触れてはならない領域だと理解した。
(だって、そっくりじゃなきゃ――俺は、カイに助けられてない)
そこに触れたら、きっとあの家に居られなくなる。それは、いやだ。
「だ、だよね! だから、今夜のスープは野菜たっぷりにするんだ!」
「おや、そりゃいいねぇ。折角ならうちの豆もまた持っておいき」
「うん、ありがとう!」
だから、俺は見ないふりをすることを選ぶ。
誰も分かってくれなかったこの目がアイツの役に立つのなら、それでいいんだ。
〈続く〉




